以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Goodhart’s Law vs “prediction markets”」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

保守派の信条の中で、都合よく信じられたり無視されたりする教義がある――「インセンティブが重要だ[incentives matter]」という考えだ。

たしかに、医療を受けようとするときには「インセンティブが重要」だ。だからこそ患者は、自己負担額や[保険の]免責額をじわじわ背負わされていく――いつでも好きなときに受診できるようになれば、過剰に医療に頼るかもしれない。「インセンティブが重要」なのだから、本当に必要なときにしか受診しないよう仕向けなければならない。

https://pluralistic.net/2025/04/14/timmy-share/#a-superior-moral-justification-for-selfishness

だが、どうやら金持ちはインセンティブで律する必要はないらしい。彼らは随意契約でお上からカネを引き出しても、米国を食い物にしようなどという誘惑には駆られない。労働者に口止め条項を強いても、内部告発した労働者を訴えられるとわかっているから、人でなしのように振る舞うことなどない。競業避止条項を労働者に飲ませても、転職した労働者を訴えられるとわかっているから、低賃金でこき使おうなどとはしない。強制仲裁に縛りつけ、労働者側からは訴えられないとわかっていても、労働者を傷つけたり殺すこともしない。

つまり「インセンティブが重要」なのは……労働者を食い物にするときだけだ。エプスタイン階級に甘い汁を吸わせるときには、インセンティブなど関係ない。

しかし、インセンティブは本当に重要だ。それがグッドハートの法則の前提である。「ある指標が目標になった瞬間、それは良い指標ではなくなる」。この法則は至るところで顔を出す。Googleは、ウェブサイトを作る人々が、重要・価値ある・有益と判断したほかのサイトへリンクを張るという観察から出発した。そのインサイトをもとに、Googleは学術界で使われていた「引用分析」の手法を転用し、インターネット上でどのページが最も権威あるかを予測する仕組みを「Pagerank」として生み出した。

Pagerankを用いたGoogle Searchは、それまでのどの検索エンジンをも凌駕した。しかし、Googleが最も人気のある検索エンジンになった途端、狡猾な連中は検索結果を操作しようと悪しきウェブサイト――スパムやマルウェア、ゴミコンテンツで埋め尽くされたサイト――にリンクを張り始めた。「被リンク数」という指標が「被リンクを増やす」という目標に変わり、有用な指標ではなくなってしまった。

Pagerankの発想には、何とも素晴らしい、生命を肯定するような側面がある――人間は平均的に見て、何が良いかを見極める力があるという考えが根底にある。Yahoo!のようにすべてのウェブサイトを専門家が格付け・分類するアプローチを取らず、Googleは「集合知」を信頼した。そしてそれは機能した――検索結果を操作するインセンティブを生み出すまでは。

「集合知」は当時の時代精神でもあった。ジェームズ・スロウィッキーは2004年に同名の著作でベストセラーを飾り、人々は集合的に物事を正しく把握する能力があると論じた。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Wisdom_of_Crowds

スロウィッキーの論の中心にあったのは、1906年にさかのぼる有名な逸話だ。プリマス郡の品評会に集まった800人が、屠殺・解体された雄牛の体重を予想するよう求められた。統計家(で、優生学シンパ)のフランシス・ゴルトンは、1207ポンドという平均予想が実際の体重1198ポンドから1%以内に収まっていたことに着目した。この現象は再現可能だった。専門家も非専門家も、真剣に考えた人もほとんど考えなかった人も、大勢の人々に何かを予測させると、その平均は驚くほど正確になる。しかも、専門家の最良の予測すら上回ることもある。

集合知というこの発想は、2000年代のインターネットプロジェクトに多大な影響を与えた。中には(Yahoo! Answers のように)ひどいものもあったが、(Wikipediaのように)驚嘆すべきものもあった。もちろん経済学者たちは、「集合知」が「価格発見」――欲求や供給能力に関する広く分散した情報を処理し、何を生産すべきかのシグナルを導き出して発信するための仕組みとしての市場という考え――に酷似していることに気づいていた。

経済学者はかねてより、将来の出来事が市場に「織り込まれる」と語ってきた。たとえば今日の原油価格には、トランプの軍事的失策による供給減だけでなく、原油生産能力が長期にわたって混乱するという「市場」の見通しも反映されている。原油の将来についての売買双方の異なる予測を(インフラへのダメージ、復旧能力、関係者の意図といった分散した知識を組み込んで)積み上げれば、実態を正確に反映した数字が得られる――と言われている。

しかも、Pagerankと違い、この数字は虚偽の自己利益的なインプットを大量に流し込むことで操作することはできない。価格を動かしたければ何かを売買しなければならず、それにはカネがかかる。そして市場が「深く」(参加者が多く)なれば、合意形成を変えるために注ぎ込まなければならない金額は莫大になり、価格操作で得られる利益をはるかに超える。インセンティブが重要だ。

「市場」「集合知」「インセンティブが重要」を組み合わせると、「予測市場」が生まれる。実際のカネを賭けられる市場を作れば、ゴルトンの雄牛予測の奇跡を、あらゆる事象で再現できる。来年パキスタンで新たにどれだけの太陽光発電設備が稼働するか、トロント交通局が今年中にオンタリオ・ラインを完成させる見込みはあるか、バイオテック企業が2040年までにエイズワクチンを世に出すかどうか、といったことに応用できるわけだ。

ここでグッドハートの法則が登場する。「参加者はゲームに参加している」から賭け市場が集合知を高めるという考えは、賭けに勝つための最も安上がりな方法が「正確であること」である場合にしか成り立たない。もし不正行為の方が安上がりなら――「インセンティブが重要」であるため――不正が横行する。

あらゆる予測市場は「オラクル[神託]」、つまり、ある事象の結果についての決定的な真実の源泉を必要とする。「今年パキスタンで新たにどれだけの太陽光発電設備が稼働したか」は、一見すると実証的な問いに聞こえる。しかし、すべての参加者が揃ってパキスタンを歩き回り、ソーラーパネルを数えてその設置日を確認するわけにはいかない以上、彼らは何らかの第三者の評価者を権威あるものとして合意し、その判断に従わなければならない。

つまり、あらゆる予測市場において最も重要な要素は、オラクルの質だ。トランプをオラクルにすれば、彼はイランでの戦争は終わったと(毎日)主張し、自分の就任式には史上最大の観衆が集まったと言い張り、犯罪者はすべてソマリア人だと断言し続けるだろう。

だから、信頼でき、誠実で、公正な人物をオラクルとして確保する必要がある。しかも、その人物は買収不能でなければならない。さもなければ、賭け参加者が賭けの結果について嘘をつくよう賄賂を贈るからだ。買収できないなら、強迫という手もある。

まさにそれが現実になった。タイムズ・オブ・イスラエルの従軍記者エマニュエル・ファビアンは、自分がPolymarketの退廃的なギャンブラーたちのオラクルとして機能していたことを知らなかった――150語のブログ記事を書くまでは。その記事が、1400万ドルの賭けに乗っていた参加者たちを激怒させた。

https://www.timesofisrael.com/gamblers-trying-to-win-a-bet-on-polymarket-are-vowing-to-kill-me-if-i-dont-rewrite-an-iran-missile-story

その1400万ドルは、イランがいつイスラエルへの攻撃に「成功」するか――「成功」とは迎撃されずにミサイルが着弾することと定義された――という賭けに注がれていた。ファビアンは、エルサレムの空き地にミサイルが着弾したが死傷者はなかったという通常の報道記事を書いた。それをきっかけに、退廃的なギャンブラーたちが彼に群がってきた。

最初は遠回しな脅しだった。ミサイルは迎撃されたのであり、着弾したのは迎撃の残骸に過ぎないと報道を修正するよう要求してきた。だがファビアンは記事を修正しなかった。するとギャンブラーたちはWhatsApp、Discord、Xの連絡先を突き止め、脅迫をエスカレートさせながら一斉に詰め寄った。ジャーナリストの同僚が「上司が記事を変えるよう求めている」という嘘でファビアンに接触し、その後、実は自分もその賭けに投資していると白状したうえで、嘘の報告をすれば取り分を山分けしようと持ちかけた。

さらに「ハイム」と名乗るギャンブラーは、凄まじい脅迫を繰り返しファビアンに送りつけた。自分が失いそうな少なくとも90万ドルを刺客の報酬に使うという脅迫まであった。ファビアンの「愛する両親」や「兄弟姉妹」への脅迫もあった。脅しはファビアンがこの脅迫について記事を書くまで続き、その後ハイムは姿を消した。

チャーリー・ウォーゼルとの対話の中でファビアンは、今後は同じようには取材できないだろうと語った。何かを書くたびに、気に入らなければ殺すと脅してくるギャンブラーを恐れるようになるのだから。

https://www.theatlantic.com/technology/2026/03/emanuel-fabian-threats-polymarket/686454/?gift=nwn-guseqS6cY1kVeEKZAY9_c8Sv4UbJoz5hAUuU8YE&utm_source=copy-link&utm_medium=social&utm_campaign=share

真実を報道したことでジャーナリストが殺害予告を受けるのは残念ながら珍しいことではない。イスラエルはジャーナリストにとって世界で最も危険な国でもある。IDF[イスラエル国防軍]はこれまでに少なくとも274人のジャーナリストを殺害している。

https://en.wikipedia.org/wiki/Killing_of_journalists_in_the_Gaza_war

ジャーナリストたちが殺されているのは政治的理由からだ――真実を封じることに何らかのイデオロギー的な利害を持つ者がいるからだ。だが、ファビアンが語っているのはまったく新しい――はるかに予測不可能な――脅威だ。ある任意の出来事の結果を外した誰かが激怒し、脅しによって賭けを取り戻せると考えるようになったのだ。

マイク・マスニックはTechdirtの記事で、この事態の根本的な倒錯ぶりを論じている。予測市場は隠れた情報を表に出す手段であるはずが、情報を歪めるための強力なインセンティブを生み出すシステムになり果てたというのだ。

https://www.techdirt.com/2026/03/19/prediction-markets-promised-better-information-instead-theyre-creating-powerful-incentives-to-corrupt-information

マスニックが指摘するように、これは指標が目標になるという単純なグッドハートの法則の実例ではない。この場合、参加者たちは「指標の頭に銃を突きつける」ことができる。そして言うまでもなく、すべてのジャーナリストがファビアンほど清廉ではない。ファビアンの同僚がミサイル攻撃について嘘をついてくれたら取り分を山分けすると持ちかけた事実を思い出してほしい。嘘を書くためのインセンティブは十分に存在する。インセンティブが重要なのだ、そうだろう?

今や「予測市場」は一大ビジネスとなり、擁護者も多い(インセンティブが重要なので)。彼らはこう言う――腐敗はバグではなく機能なのだと。予測市場には内部情報を知って不正を働くインサイダーが引き寄せられるが、それはつまり、ある事象のオッズの動きを見ていれば、これから何が起きるかをほかの参加者が読み解けるということだ、と。トランプがベネズエラ大統領を拉致して石油を奪おうとしていると知っった軍の内部関係者が、その事態が起きることに大きな賭けを張り始めれば、オッズの変化が真の将来の出来事についてのシグナルになる、というわけだ。

しかし、こうした倒錯した論理を受け入れたとしても、それ以上に倒錯した影響を打ち消すことはできない――予測市場が、それ自体の機能に絶対不可欠なオラクル、すなわち我々が依拠する最善の情報源を腐敗させるインセンティブを生み出しているという事実だ。

そのうえ、PolymarketとKalshiは予測においてひどい成績を残している。モリー・ホワイトが指摘するように、イリノイ州第2選挙区の議会選挙をめぐる予測は、単に信じがたいほど外れただけでなく、暗号通貨スーパーPACが選挙に流し込んだ資金の動きと完全に連動していた。彼らは(結局は失敗したが)選挙買収を試みたのだ。PolymarketとKalshiは暗号通貨と深く結びついている(暗号通貨でできることといえば、別の暗号通貨を買うか、資金を洗浄するか、賭けをするかのどれかだ)。そのため、この悪魔的な連中は、腐敗させようとする選挙と同じくらいの金を賭け市場に注ぎ込む。

https://bsky.app/profile/molly.wiki/post/3mhch3ze5nc2z

予測市場は情報を生み出すことが得意ではない。しかし、腐敗を生み出すことには驚くほど長けている。PolymarketとKalshiは、ついに「暗殺市場」という狂気のファンタジーを実現した――標的が殺されることに有利なオッズで巨額の賭けを張ることで、確率論的に人を殺す市場だ。誰でも小額の逆張りをして、標的を始末することで賭けの賞金を手にできる。とはいえProtosのカス・ピアンシーとマーク・トゥーンが指摘するように、PolymarketとKalshiは自分たちの利害を心得ている――トランプの死に関する賭けはご法度だ(トランプの息子たちがPolymarketとKalshiの双方に多額の投資しているから)。

https://protos.com/assassination-markets-are-legal-now-but-trump-doesnt-have-to-worry

インセンティブは本当に重要だ。これらはすべて、予測市場の当然予見できた、そして実際に予見されていた帰結だ。多くのSF作家(チャーリー・ストロス、テッド・チャン、そして私をはじめとする面々)は、現在のAIバブルよりずっと前から、我々の社会がすでに人工生命体――不死の群生生命体として人間をやっかいな腸内細菌のように扱う、有限責任会社という「スローAI」――に支配されていることに気づいていた。

https://pluralistic.net/2023/03/09/autocomplete-worshippers/#the-real-ai-was-the-corporations-that-we-fought-along-the-way

機械学習システムに携わった者なら誰でも知っているように、それらは「報酬ハッキング1訳注:”reward hacking”。AIは設定された報酬関数(目的関数)を最大化するよう学習するが、この報酬関数が本来の目標を完全に反映していない場合、AIは人間が予期しない「ズルい」方法で目標を達成しようする。」に陥りやすい。壁や家具との衝突を避けながら室内を最短経路で移動するようプログラムされた機械学習搭載のルンバがそうだった。衝突センサーを前面に搭載したそのルンバは、後ろ向きに室内を動き回るようになり、家具や壁に散々ぶつかりながら、一度も衝突を記録しなくなった。

https://web.archive.org/web/20190109142921/https://twitter.com/smingleigh/status/1060325665671692288

市場もまた、参加者の報酬ハッキングを誘発しうる。指標が目標になる。あなたはある事象の結果に賭けているつもりでも、実際に賭けているのはオラクルがその結果についてどう言うかだ。結果がどれほど明確で外部からの影響に対してどれほど堅牢であろうと、オラクルはこめかみに銃を突きつければ動かせる。もちろん誰もが「数字が上がる」ことを期待する。しかし、数字が測定しているものを実際に増やすよりも、数字を公表する人物に「高い数字を出さなければ体を切り刻む」と脅す方がはるかに簡単だとしたら、わざわざ本物を増やす手間をかける理由などあるだろうか?

Pluralistic: Goodhart’s Law vs “prediction markets” (24 Mar 2026) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: March 24, 2026
Translation: heatwave_p2p

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    訳注:”reward hacking”。AIは設定された報酬関数(目的関数)を最大化するよう学習するが、この報酬関数が本来の目標を完全に反映していない場合、AIは人間が予期しない「ズルい」方法で目標を達成しようする。