AI規制は報復的であってはならないし、AI企業の誇大広告に踊らされてもいけない
AI政策は現実のリスクに対して合理的に対応し、技術の実態に根ざし、公衆を守るのに必要な程度を超える負担を課すものであってはならない。
AI政策は現実のリスクに対して合理的に対応し、技術の実態に根ざし、公衆を守るのに必要な程度を超える負担を課すものであってはならない。
EUに拠点を置く大手のAI企業やデータセンター企業が、米国の同業他社よりも人々の個人データを大切に扱い、環境を尊重し、民主主義を損なわずにいてくれると信じる理由はどこにもない。デジタル主権とは国家の主権のことではない。人々が自ら依存する技術をコントロールする主権のことだ。
デジタル主権は、これ以上ないほど現実の問題だ。ただ、それはAIとは何の関係もない。AIは荷重を支えてなどいない。荷重を支えているのは、独占テック企業の退屈極まりないクラウドソフトウェアのほうだ。
インターネットの大部分はオープンソースソフトウェアに支えられている。そのメンテナンスを担っているのは大企業や高給取りのエンジニアではない。ときおりわずかな謝礼を受け取る程度の、ごく少数の腕利きボランティアたちだ。
AIをめぐる労働争議について人々から聞かされる話には、奇妙なモチーフが繰り返し登場する。なかでも奇妙なのは、請負業者や従業員が仕事をこなすのに絶対にAIを使うよう、ボスたちが確約を求めてくるという話だ。
質の高いコンテンツの順位を下げ、労力をかけないスパムを優遇したGoogleは、ウェブ全域でグレシャムの法則を実演した。悪しきウェブページが良きウェブページを駆逐したのである。
官僚制をAIでまるごと置き換えることが想像可能に見えるのは、現実の社会技術に伴う真の困難を見ないことにした場合だけである。
GUARD法が成立すれば、企業はすべてのユーザの年齢を確認し、18歳未満のユーザを膨大な範囲のオンラインシステムから締め出すことを義務づけられる。未成年者は日常的なオンラインツールの利用を阻まれ、保護者による監督の余地は損なわれ、成人はプライバシーの犠牲を強いられることになる。