Digital Rights
「早すぎたインターネット・アクティビスト」――インターネットアクティビズムをめぐる歴史修正主義
「テック闘争を人権問題と勘違いした不真面目な愚か者」から「テック企業の役に立つ馬鹿者」へと一夜にして転落したのである。つまり、我々は「早すぎたインターネットアクティビスト」なのだ。
「テック闘争を人権問題と勘違いした不真面目な愚か者」から「テック企業の役に立つ馬鹿者」へと一夜にして転落したのである。つまり、我々は「早すぎたインターネットアクティビスト」なのだ。
確かにAppleは、その力を賢明に行使して、質の高いソフトウェアだけをユーザに届けることはできる。しかし一方で、その力を振りかざしてユーザを抑圧してもきた。
成文化されたルールや規制は、何ができるか、すべきか、しなければならないか、してはいけないかを定める。テクノロジーも同じことを、その物理的形態を通じて行う。つまり、防止し、制限し、説得し、強制するのだ。
GoogleでもAppleでもAdobeでも、生活に必要不可欠なサービスのアカウント(とそこに紐づくデータ)はいつだって凍結されうる状態にある。
ベネズエラの事例は一国の問題にとどまらず、デジタル時代における無制限の国家権力がもたらす危険性を如実に示す世界的な問題だ。
7月の大統領選挙結果の透明性を求めるデモ対し、政府はかつてないほどに厳しい弾圧で応じた。特筆すべきは、この弾圧においてテクノロジーが重要な役割を果たしたことだ。