以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「The Persuaders (how minds really change)」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

常々、人の心がどのように変化していくのかに惹かれてきた。18歳まで保守的で敬虔なユダヤ教徒だった私の父は、ピケラインで組合活動家と議論してからというもの、1年とたたずに信仰を捨て、革命的共産主義者として生涯を生きることになった。

父は議論が好きだった。彼は活発な議論に揉まれ、反論に窮すれば毎日ピケラインに戻っては議論して学び、そして、完全に変わってしまったのである。

私も同じような経験をした。赤ん坊のころから、著作権が強力なら強力なほどクリエイティブワーカーは報われるのだという信念の下に育ってきた。そして2000年代初頭、私はフレッド・フォン・ローマンやシンディ・コーンとカンファレンスを共にしていた。

我々は太平洋を渡り、大西洋を渡り、ロンドンや香港の街角で、文字通り何日もかけて著作権について議論した。数か月もしないうちに、私は共同設立したばかりの会社を辞め、EFFに参加していた。

エドワード・スノーデンとこのことについて議論できたのは本当にうれしかった。2017年、NYPLに一緒に登壇した時のことだ。

http://media.nypl.org/audio/2017_5_3_Edward_Snowden_AUDIO.mp3

スノーデンはまさに改宗の人だった。軍人家系に生まれた彼は、米軍に志願し、特殊部隊に配属されるも訓練中に両足を骨折して除隊、その後、CIA、NSAの勤勉な工作員としてキャリアをスタートさせた。

数年後、スノーデンは銃殺刑のリスクを冒してまで米国諜報機関の歴史上最重要の内部告発をした。そうして彼は、事実上に永久追放されることになる。彼の心は……大きく変わった。彼はその過程を2019年の回顧録『Permanent Record』で詳細に語っている。

https://memex.craphound.com/2019/09/24/permanent-record-edward-snowden-and-the-making-of-a-whistleblower/

スノーデンは――私や父と同じように――当たり前に思っていた人生の教義が、実は不安定な基盤の上に成り立っていることに気づいてしまった。NSAは憲法への忠誠心を持ち合わせていないし、その上層部は自らの違法行為を隠ぺいするために議会に平気でウソをつく連中であることを知ってしまったのだ。

https://www.washingtonpost.com/world/national-security/leaks-from-edward-snowden-focus-attention-on-nsa-director-keith-alexander/2013/07/15/04c0eaa8-ed6c-11e2-bed3-b9b6fe264871_story.html

スノーデンの回顧録では、彼の確信が徐々に失われていくさま、それが残した空洞、その空洞を満たした新たなアイデアを見ることができる。ゆっくりとした、広く、深い変化の記録である。こうした変化を、私は過去に目にしたことがある。

2016年の大統領選挙後、たくさんの人たちの心が変化してしまったことに興味を持った。存在しないピザ屋の地下室で活動するセックス教団という妄想への執着、あるいは架空の「移民危機」をめぐるカルト的なパニック――たくさんの人の心が悪い方向に変化したように思えたのだ。

私の周囲の人たち――つまり、進歩的で、技術的な知識を持つ人たち――は、彼らは何者かに説得されたのだという説明を受け入れた。だが私には、その説明が妄想や陰謀論と同じくらい突飛なものに思えてならなかった。テック企業のアルゴリズムが邪悪な億万長者やスティーブ・バノンに悪用され、合理的でない人たちを怯えて怒り散らす陰謀論者に変えてしまったというのだから。

とてつもない主張には、とてつもない証拠が必要になる。だが、ビッグテックによる洗脳という主張の証拠はきわめて薄っぺらい。これまでビッグテックは株主や広告の買い手に、自分たちは本当に広告が得意なんだと吹聴していた。そんな広告業界の自慢や誇張が洗脳の証拠だって?

ビッグテック洗脳光線の提唱者たちは、「ビッグデータ」の宝箱と秘密のアルゴリズムをもってすれば、だれにでもなんだって説得できるんだ、洗脳できるんだと主張する。だが、ビッグテックを批判する人々は「ビッグテックは常に嘘をついてきた」という正しい認識から出発していたはずである。ビッグテックは、どのようにデータを集め、どのように処理し、どのように税金を支払い、どのように労働者を処遇しているのか――に、ずっとウソをついてきたのだから。

だが、彼らは、ビッグテックが顧客や投資家に自社製品の完全性やすばらしさを自慢するときだけは嘘をつかなかったと考えているのである。たとえそれが、再現性のないガラクタと長年捨て置かれた行動主義のアイデアを混ぜ合わせた、ボロボロの心理学研究の上に構築されていたとしても、彼らはそのマーケティング資料を真実と仮定しているのだ。

他にも、もっとたくさんの、もっと簡単な説明があるというのに、だ。たとえば、Google検索結果のトップに表示される誤った主張を信じてしまうのは、Googleが a) 一般に信頼できるものとされていて、b) 検索を独占しているために、その怪しさに気づくための二次的なソースを持ち合わせていない、と説明することだってできる。

GoogleとFacebookがあなたの甥っ子にハンドスピナーを売りつけるために洗脳光線を生み出し、ロバート・マーサーがそれを盗んであなたの叔父さんをQアノンにしてしまった――という明らかに間違ったストーリーを聞かされるに及んでは、その与太話を下敷きに短編小説『監視資本主義を破壊する方法』を書きあげてしまった。

https://onezero.medium.com/how-to-destroy-surveillance-capitalism-8135e6744d59

この短編を公表してから数年が経ったが、陰謀論や怒りの問題を「ドーパミン・ループ」やビッグテックによる洗脳に起因するものだと主張する“賢い”人たちは後を絶たない。ほとほと呆れ返ってしまう。

これは二重の意味で有害だ。第一に、ビッグテックが我々に害をもたらす力の本当の源泉である“独占”から目を背け、ビッグテックにユーザを取り締まらせるためのさらなる力を与えれば、状況はいっそう悪化することになる。

https://doctorow.medium.com/unspeakable-8c7bbd4974bc

第二に、怖がり、恐れる人々と陰謀論的な信念との接点に注目してしまうと、なぜ多くの――我々が愛し、失った――人々が、怖がり、恐れているのか、への注目を逸してしまう。

アンナ・メルランの2019年の必読書『嘘の共和国(Republic of Lies)』に書かかれているように、陰謀論は現実のトラウマと現実のシステムの失敗の接点に位置している。つまり、システムに排除された人々はシステムを信じることを諦め、自分たちを取り巻く世界を説明する別の理論にすがるようになる。

https://doctorow.medium.com/unspeakable-8c7bbd4974bc

ビッグテックがか弱い人々に悪しき考えを植え付けるのを防ぐことばかりに注目し、悪しき考えがなぜ根付くのか、どうすればより良い考えが対抗できるようになるのかを問うことを怠れば、より良い、より公正な世界を築くことはできない。

アナンド・ギリダラダスが説得に関する本を出すと聞いて、私は興奮し、そして少し心配になった。ギリダラダスの2019年の著書『勝者総取り(Winners Take All)』では、エリートのフィランソロピー(慈善事業)がレピュテーション・ロンダリング(評判洗浄)に過ぎないことを喝破している。エリートたちは不平等(harms)を生み出して財を成し、それを施すこと(giving)で我々を救ってやろうと言っているのだから。

https://memex.craphound.com/2019/09/21/republic-of-lies-the-rise-of-conspiratorial-thinking-and-the-actual-conspiracies-that-fuel-it/

この考えは、ダグラス・ラシュコフの新刊『富裕層のサバイバル』の中でさらに結晶化されている。彼はこれを「マインドセット」と呼んでいる。つまり、「これだけ稼いでいるんだから、そのダメージを凌げるだけの金を稼がなければならない」という考え方である。

https://pluralistic.net/2022/09/13/collapse-porn/#collapse-porn

(ちなみに、明日のオタワ・ライターズ・フェスティバルに、ラシュコフ、レベッカ・ギブリン、私の3人が出演するよ!)

https://writersfestival.org/events/fall-2022-in-person-events/surviving-apocalyptic-economics

ギリダラダスの前著は非常に面白かったのだが、陰謀論や「偏向」論などの急進的な潮流をビッグテックによる洗脳のせいにする罠にハマってしまったのではないかと心配になったのだ。

だが、その心配は無用だった。個人、組織、社会のスケールで、どのように新しいアイデアが定着していくのか、陰謀や憎悪の拡散に対して何ができるのか、何をすべきなのか、人の心を本当に変えるとはどういうことか――本書『説得者(The Persuaders)』は素晴らしく、活き活きとした、刺激的な本だった。

https://www.penguinrandomhouse.com/books/669716/the-persuaders-by-anand-giridharadas/

本書は、卓越した「説得者」、つまりあらゆるレベルで人々の心を変容させるために懸命に取り組む人々のケーススタディから構成されている。本書は、ニュアンスを理解してくれない潜在的な支持者に対する仲間たちの焦りや、アイデンティティや階級を理解する方法をめぐる運動の葛藤と格闘する社会正義オーガナイザー(組織者)を描くことから始まる。

ワシントン・ウィメンズ・マーチ(訳注:ドナルド・トランプ大統領の女性蔑視・差別的言動への抗議運動)の初期に、無神経(tone-deaf)で人種を無視した(race-blind)失体があった(訳注:Women’s March on Washingtonは当初“Million Woman March”と名乗っていたが、もともとこの名称は1997年にアフリカ系米国人女性らが組織した大規模ムーブメントの名称であり、その名称を白人から黒人への差別という文脈を無視して流用することへの批判や対立があった。経緯とその後についてはこちらの記事こちらの記事が詳しい)。黒人オーガナイザーにとって、そのムーブメントへの参加は何を意味するのか? 参加すれば、人種正義なきジェンダー連帯が存在しうることを正当化してしまうのか? あるいは、ジェンダーと人種をそれぞれ単独には対処し得ない重要な問題として捉えるムーブメントに新たなアライをもたらすのだろうか?

トランプの当選という文脈は最近のものだが、こうした問いはそれ以前から突きつけられてきた。たとえばロレッタ・ロスのようなオーガナイザーは、1970年代から原則・連帯・有効性の問題と格闘してきたのだ。ギリダラダスはロスを紹介する中で、ロスの「影響力の輪」理論に触れている。

この理論では、政治的アクターは、イデオロギーの重複の程度に基づいて、他者を「90%派、75%派、50%派、25%派、0%派」に分ける。

たとえば、ロスにとっての90%派は「資本主義は問題を抱えていて、人種差別、同性愛嫌悪、トランスフォビア、移民排斥は悪いことだ」ということに同意する。こうしたグループとの関係は、10%の乖離ではなく、90%の一致にこそ重点が置かれるべきである。90%派を100%派にする必要はない。

次に75%派、つまり「あなたの世界観をかなりの部分で共有しているが、完全には共有していない人たち」だ。ロスの場合、中絶の権利には賛成していないが、少女と女性の権利にコミットするガールスカウトがこれに該当する。75%派を90%派にする必要はない。ただ、75%派との連帯では「同意の海に浮かぶ大きな不一致の島を許容しなくてはならない」。

次は50%派、「価値観を共有しているが、その価値観から導かれる政治性が自分とは相反する人たち」である。ロスの両親は宗教保守だが、「勤勉で、互いを大切にし、人をどう扱うべきか」という価値観を彼女と共有している。こうした人たちとの関係は、きっかけを見つけることが重要だ。たとえば、ロスが父親とわかりあえたのは、ロスの父親が病気で倒れた際にバージニア州から放っておかれたことで、医療保険制度改革の必要性を共有できたからだった。

そして25%派、「ビジョンや世界観、価値観を共有できず、同じ言葉を使ってもまったく違う意味になる」「自分とは正反対の人たち」だ。ロスが言うように、「愛国心や隣人の安全を守るためのマスクの着用について話すと、彼らは自由(liberty)や散髪に行く自由(freedom)について話し出す」のである。

だが、もし25%派の支持が必要なプロジェクトがあれば、彼らの「善人」としての意識に訴えかける必要がある。たとえば、レイシストに「呼びかける」場合には、「善人になりたければ、良き行いをしなければならない」ことを理解してもらうようにする。25%派は、「移民への恐怖、クイアへの恐怖、これへの恐怖、あれへの恐怖」に動機づけられていることを忘れてはならない。彼らの恐怖を真剣に受け止めなければ、あなたの話に耳を傾けることはできない。「恐怖を否定すれば、彼らは耳を貸さない」。

最後に0%派、共通点をまったく持たない人たち。彼らは説得するのではなく、「圧倒し、打ちのめ」さなければならない。端的に言えば、彼らは「ファシスト」である。

ロスのフレームワークはとても印象的だ。私は数十年の間、デジタルライツの活動を続けているが、そこでのアクティビストの連帯――そのほとんどが75%派で構成され、しかし50%派も25%派もいた――について多くのことを説明してくれた。このフレームワークは、私自身の取り組みにも取り入れることのできるものだった。

ギリダラダスはさらに、2人の重要な政治家――バーニー・サンダースとアレクサンドリア・オカシオ・コルテス(AOC)を取り上げる。この2人は対照的で、それこそが重要なのである。サンダースは数十年にわたり、政治を個人的なものとすることを拒んできた。一方、AOCは自らの半生と批判とを織り交ぜて、政治を親近感の湧くものにしようとしている。どちらのアプローチも数百万の人々を説得し、それぞれが政治家としてのキャリアを重ねる中で変化を続けている。

本書の後半では「メッセージング(伝え方)」についての議論が展開される。このテーマにありがちな落とし穴――「メッセージング」とは人々の批判精神を呼び起こすのではなく有耶無耶にすることだ、とまくし立てる広告屋的なアイデア――には陥っていない。

その代わりに、ギリダラダスが取り上げるのは、アナト・シェンカー=オソリオの理論だ。彼女は政党も、そして政党に働きかける運動も、策略(trickery)ではなく、説得によって実際に人々の心を変えるようなメッセージを届けなければならないという。

とはいえ、シェンカー=オソリオが「説得」に関心があるからといって、彼女はあなたと議論したいわけではない。彼女の仕事は、説得を受け入れてくれる人々のマインド(とハート)を勝ち取る(良い意味での)方程式にフォーカスを当てている。

彼女の変化の理論は、「説得可能性(persuadability)」という概念にもとづいている。彼女は、「真ん中(center)」の人々は両方を欲しがっているのではなく、未決定の状態にあると考えるべきだという。ピザかハンバーガーかを選べないからといって、ピザバーガーが正解なわけではない。説得者の仕事は、立場をはっきりさせずに混乱させることではなく、相手を自らの主張に引き寄せることである。

シェンカー=オソリオは、「説得可能な人々」にアプローチするためには、つまり「中間層を説得するためには、支持層を活性化」させなければならないという。最も熱心な支持者が望む政策を公約(し、実現)することで、彼らを動員し、その動員によって他の人々を説得させるために送り出すことができる。

穏健派とは、信念が薄く、移り気な人々と理解すべきなのだろう。彼女は彼らを「なるほど(good point)」の民と呼ぶ。人種に関する議論は政治的進歩に不可欠だと言えば、彼らは「なるほど!」と言うし、人種に関する議論は差異を強調し状況を悪化させるだけだと言えば「なるほど!」と言う。なるほどなるほど、そしてなるほどなのである。

こうした人たちに働きかけるには、「彼らの中に潜む最も進歩的な理解のスイッチを入れ、それを常に頭に片隅に置き、彼らのデフォルトにする」ことが重要になる。そのためには、「人々の中にすでに存在する進歩的なナラティブを活性化させるメッセージを繰り返し発信し続ける支持層」が必要だ。

シェンカー=オソリオの戦術のもう1つの柱は、反対派を意識的に遠ざけることだ。これは右派が大いに活用してきた戦術の裏返しでもある。彼らが“ユダヤ人宇宙レーザー”や“グレート・リプレイスメント”について語ると、我々は「今アイツらはこんなトンデモな陰謀論にハマってるんだけど、信じられるかい?」と復唱してしまう。それが繰り返されるたびにアテンションは高まっていき、そのアテンションの一部は、それを正しいと思う人々にまで届くことになる。

これは左派にも使えるし、使うべき戦術だ。大言壮語のかげに隠れるのではなく、「一握りの強欲者たちが自分たちに有利になるようにゲームを操作したせいで、多くの労働者が必要最低限の暮らしすら営めないほどの賃金しかもらえずにいる」というような、0%派の関心を引く「厄介払い」の主張をすればいいの。

シェンカー=オソリオのドクトリンで最も惹かれるのは(私自身学ぶべきことだと思う)、問題から導くのをやめるということだ。私の受信箱には、「みんな諦めてしまったのか!?」とか「現状を打破するためお願いします!」という絶叫フレーズが並んでいる。民主党からの資金調達メールだ。シェンカー=オソリオが言うように、こうしたメッセージは要するに「新たな危機だ! 恐ろしい! ひどい!」と言い続けているだけなのである。

すでに説得されている人たちにはある程度の効果が期待できるのかもしれない。だが、それでは支持層は広がらない。さらに、人々を怯えさせればさせるほど、より保守的にしてしまう。シェンカー=オソリオは、左派の反対は右派ではなく「シニシズム」だという。

票を集め、運動に動員するためには、「害を減らす」ことを約束するのではなく、「善を創る」ことを約束しなければならない。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは「私には夢がある」と言ったのであって、「私には政策提案を箇条書きにしたリストがある」と言ったわけではない。

シェンカー=オソリオは、我々が何に反対しているかだけでなく、何に賛成しているのかを発言するよう求めている。「ICE(移民・関税執行局)を廃止せよ」ではなく、「すべての家族を尊重する公正な移民政策の確立しよう」というふうに。「共和党は、我々にあらゆることに反対させ、常に話題にさせることを望んで」いると彼女は言う。そうすれば、「放送時間が増える」し、「怖がっている人をさらに怯えさせる」ことができる。

気候変動の恐怖を声高に叫ぶよりも、「きれいで安全な空気と飲み水を確保しよう」と訴えていく。「低賃金や劣悪な労働環境との戦い」ではなく、「家族が暮らしていけるように賃金を支払わせよう」を訴えていく。「有給休暇を取らせろ」ではなく、「愛する人のそばにいられるようにしてほしい」と訴えていく。

シェンカー=オソリオは、「右派のイシュー」「左派のイシュー」「争点(contestable issues)」という分類を提案し、相手の言説のフレームに乗るべきではないと説く。たとえば右派が「減税は経済に好影響がある」と言うのに対して、左派が「賃上げは消費を喚起して経済に好影響がある」と反論しても、それは結局は「経済」の話でしかなく、そのイシューは右派のモノなのである(と彼女はいう)(が、私はそうは思わない!)。左派が経済政策を訴えても、それは有権者に経済的イシューを優先させるよう呼びかけることにしかならず、結果として経済と最も関係のない政党を選ばせてしまう。むしろ左派は、右派が苦手とする「経済的ウェルビーイング」について語るべきなのである。

つまり、メディケア・フォー・オール(M4A)を国民経済に好影響があるからではなく、国民全体の健康に望ましいから推進するということである。たとえM4Aが安価であるとしても(実際、安い!)、医療政策の目標を「効率」に設定してしまえば、コストは削減できるが福祉を損ねる政策を反対派に売り込むことを許してしまう。オバマの「コストカーブを引き下げる」発言はすっぱり忘れて、「どんな身なりであっても、どこから来たとしても、自分の愛する人が病気や怪我をした時には、破産することなく最高の治療を受けさせたい」と思わせることが重要なのである。

選挙を盗もうとしているトランプを、我々が「強い男(strong man)」と呼んでしまえば、彼が「強者」であることを追認してしまう。世の中には「威勢がよく」「成し遂げる」タイプのリーダーを好む人たちはたくさんいる。だからそうではなく、彼を「弱い敗北者、選挙を盗もうとしているしくじり屋のマヌケ」と呼べばいい。彼の支持層がそのメッセージが反復すれば、トランプは強き者ではなく、弱き者として人々の目に映ることになるだろう。

シェンカー=オソリオが左派に主張させたい争点は「自由」だ。自由は、すべての米国人が(最上位ではないにしても)最高の美徳の1つとして評価している。右派に自由を主張させたのは大きな戦略的失敗であるが、それを取り戻すのに遅すぎるということはない。投票の自由、生殖の自由、警察の暴力からの自由。

彼女はメッセージを構築する上で3段階のプロセスを提唱している。

ⅰ. 共有された価値観:「どんな身なりであろうと、どこから来ようと、財布の中身がどれだけであろうと、私たちの多くは、生活のために働く人は暮らしを営めるべきだと信じている」

ⅱ. 問題:「だが今日、一握りの裕福な権力者たちが、我々を分断しようとし、我々のポケットから金を巻き上げ、その戦利品を企業の取り巻きに分配しているのを、我々は見て見ぬふりをさせられている」

ⅲ. 解決策:「我々は団結することで、一握りの富裕層に支払うべきものを支払わせ、我々みなが今後数世代にわたって必要なものを手に入れられるように、ルールを書き換えることができる」

ギリダラダスはこれを「コールアウト・サンドイッチ」と呼んだ。「コールイン(呼びかけ)の厚切りの2枚の間にコールアウト(批判)をたっぷり挟む」のだ。そうして説得可能性は、さらなる説得可能性を呼び込む。

ギリダラダスは、元カルト信者で、カルト信者の「脱洗脳」に携わるダイアン・ベンスコーターを紹介する。彼女は、カルト信仰の誘引について、誰もが共有する一般的な心理的脆弱性に求めるべきでもないし、カリスマ指導者の催眠的パワーに注目することも十分ではないという。

ベスコターはメルランと同様に、カルトに陥った人々をカルト的信念に引き寄せる特有の生活環境を掘り下げ、どのような対話や介入が、最終的に――かつてのベスコターのような――彼や彼女を脱会に促す“疑いの種”を植え付けられるかを考えている。彼女は、カルト的信念の警告サインを認識できるセラピストやカウンセラーのトレーニングを提唱している。

さらに野心的なのはジョン・クックのプランだ。彼は陰謀論者が我々をカモにする方法論を分類している。

https://pluralistic.net/2021/06/10/flicc/#denialism

クックは、予めこのような戦術を(楽しい教室でのゲームを通じて)教育し、「予防接種」することで免疫をつけられると考えている。人は自らが大切にする考え方が間違いだという説得に恐怖を覚えるが、同時に騙されるのも心底嫌いなのである。

本書の最終章は「ディープ・キャンバシング(深い戸別訪問:deep canvassing)」に割かれている。この手法は、戸別訪問者に、たとえ訪問先が支持層だとわかっても30分の対話をさせるというもので、単に人々の考えを変えるだけでなく、行動を起こさせることの重要性を強調している。

ディープ・キャンバシングは魅力的なテーマである。この手法に注目を集めた初期の研究は、のちに学術的な不正が指摘され撤回されることになった。だが、不正を指摘した研究者が再度実験した結果、この手法の有効性を指示する証拠が得られた。つまり、初期の研究に不正はあったが、手法そのものは有効だったということになる(訳注:この顛末についてはこちらの記事がわかりやすい)。

それに続くアリゾナ州の戸別訪問員(その多くは不法移民)のエピソードも印象的だ。彼らが有権者をキルステン・シネマ議員にDACAの対案に投票するよう促したことで、心がどのようにリアルタイムで変化したか、あるいはしなかったかを垣間見ることができる。

ギリダラダスは、幅広い市民との共通点を見出そうとする活動家の姿を本書の最後に掲載することで、魂を失うことなく変化をもたらし、勝利をおさめることができるという証拠に基づく希望を与えている。中間選挙が近づく中、『The Persuaders』のような本は、連帯を築き、世界を変えるためのロードマップを示している。

Pluralistic: 23 Oct 2022 The Persuaders (how minds really change) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: October 23, 2022
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Priscilla Du Preez

カテゴリー: Communication