以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Podcasting “So You’ve Decided to Unfollow Me”」という記事を翻訳したものである。
今週のポッドキャストでは、私のMediumの記事、「So You’ve Decided to Unfollow Me(そうしてあなたは私をフォローするのを止めた)」を朗読した。あなたが書きたい文章を読みたいと思ってくれる読者に向けて文章を書くことの楽しさを書いた記事だ。
https://doctorow.medium.com/so-youve-decided-to-unfollow-me-7452c96b4772
私は20年以上をブログを書き続けているが、それより前から出版物に文章を書き続けてきた。だから、ブログの出現と、それが雑誌ライターに何をもたらしたかはよく覚えている。雑誌の意義というのは、大まかに言えば、広告主がリーチしたい層を絞り込み、その層を読者として惹きつけるための文章を書くライターを雇うことにあった。
一方、ブログは、ライター自身が好むテーマやフォーマット、スタイルをライター自身の感覚でミックスして書き、そのライターと好みが合う読者を惹きつけるためのものだった。ブログは広く読まれること以上に、仲間を見つけるためのツールだったのだ。
広告がブログに登場したとき、その根底にあったのは、「ここに他では得難い感性と興味を共有する読者を惹きつけるライターがいる、その読者にリーチしたければ、このブログ(publication)の広告枠を購入できる」というエートスだ。
当時は、ブログがもたらす興味と出版の「ロングテール」が、ニッチな読者になかなかリーチできずにいた広告主のロングテールとマッチするだろうと約束された。
では、それで何が変わったのか? プログラマティック広告、行動広告――つまり読者の監視データに基づいて動的に提供される広告。例を挙げよう。かつて、アスベスト汚染で中皮腫を患った人たちの代理人になろうとする弁護士の広告単価が高騰したことがある。
その結果どうなったか。一部のライターがバブルに乗じて中皮腫を取り上げるようになる一方で、それまで中皮腫について真面目に文章を書いてきたライターたちが一掃されてしまった。さらに、詐欺師までが殺到した。
https://www.theregister.com/2006/10/06/google_adsense_worm/
つまり、コンテンツ連動型広告の登場はブロガーのブログの書き方を歪めてしまったのだ。ライターは興味を持っているテーマで書くのではなく、広告で稼げるテーマを追求するようになってしまった。この現象は、その後に登場する監視型広告によってさらに加速した。監視型広告は、コンテンツとは無関係に読者に基づいて提供されるため、とにかく稼ぎたいライターたちは、とにかくたくさんの読者を惹きつける記事を書こうとするようになってしまった。
あなたの文章が、特定のテーマに関心がある人たちだけでなく、とにかくたくさんの読者を惹きつけることができれば、リアルタイムオークション広告市場は読者を選別して、稼げる中皮腫の広告ターゲットを見つけ出し、その広告を見せることができる。それ以外の読者も、それぞれの読者に最も高額入札した広告主の広告が表示されることになる。
これこそが、エソテリック(深遠)なウェブを、センセーショナリズムやクリックベイト、かわいい動物で埋め尽くされたジェネリックなウェブへと変容させた商業的圧力である。作家の書くものを変えただけでなく、作家と読者の関わり方まで変えてしまったのだ。
ライターたちは分析レポートに執着し、その注目の質とは無関係に「エンゲージメント」を最大化させることを目指した。なぜなら、より多くの読者を惹きつけるほど、大当たりを引く可能性が高まるからだ。読者を増やせば増やすほど、珍しい病気にかかっていたり、住宅ローンに興味を持っている、中央値の10倍、100倍の配当が得られる読者が含まれる確率があがるのだから。
こうした状況は、読者の期待まで変えてしまった。ブログの初期には、読者から「私の変な、ニッチな趣味に共感してくれる人がいて嬉しい」という反応は珍しくはなかった。彼らはしばしば、興味を持ったブログ記事をリブログして詳しく解説したり、自分の切り口で独自のストーリーを加えた新たな記事を生み出していった。
キーワードフィルターを備えたフィードリーダーや、投稿にタグを付けて簡単に投稿を見つけたり、スルーできるようにする「フォークソノミー」ツール(これは今日のTumblrに引き継がれている、最高)など、このプロセスをスムーズにするツールも登場していった。
だが今日、読者からのコンタクトといったら、高確率で「あなたがXについて書くのは好きなんですが、Yについては興味ありません。あなたのYの投稿がフィードの邪魔なので減らしてください」というご忠告だ。賢明な世界であれば、読者はYを選別する強力なツールを持っていたはずだ。だが、ソーシャルメディアプラットフォームは、ライターやキーワード、タグをフォローしたりブロックしたりして読者自身に自らのフィルターを作らせるのではなく、自動化されたアルゴリズムによる「キュレーション」に夢中なのである。その結果、読者はライターを気難しい機械学習ツールとして扱うようになり、自分の興味に合わせてライターを訓練しようとする。
私は長文のエッセイ、即時的なリアクション、難解で刹那的なソースからの一見バラバラな画像のストリームなど、様々な手法でオンライン出版を行っているので、このようなことがよく起こる。読者から「あなたのヴィンテージ広告の投稿は好きだけど、エッセイにはまったく興味がない」(あるいはその逆)と言われるのも日常茶飯事である。
はっきり言って、それで良いのだ。機能的で、本当の興味ドリブンなインターネットにおいて、読者にはある一方だけを見て、もう一方を見ずに済むための素晴らしいツールがある。私自身、長年そうしたフィルタリングができるように、異なるプラットフォームで、さまざまな手法で出版することに苦心してきた。
https://pluralistic.net/2021/01/13/two-decades/#hfbd
結局のところ、私は機械学習システムではなく、本当の興味を追求する一人のライターだ。私の投稿の組み合わせには理由がある。ある種の投稿を別の種類の投稿に替えてしまう方法があるのだ。
https://doctorow.medium.com/the-memex-method-238c71f2fb46
そう、たとえ刹那的なイメージであっても。
https://doctorow.medium.com/divination-7cfec2b1a6b8
時折、読者がふてくされて「もう二度と読んでやらん」と宣言する投稿を目にすることもある。はっきり言って、それで良いのだ。読者はそれぞれに、ライターのテーマやフォーマットの組み合わせが十分に面白いと感じられるかの閾値を持っている。
自分が書きたい文章を読みたいと思ってくれる読者がいる――それは素晴らしいことだ。あなたが書いたものの本質を議論したり、それに関わりたいと思ってくれる読者の存在は掛け値なしにありがたい。だが、あなたに別のことを書いてほしいと思っている読者ならどうだろう? うーむ。
私は読者でもある。さまざまなメディアでさまざまなライターをフォローしているが、私も常々もっとよいフィルターはないものかと考えている。あるライターの著作の一部にしか興味を持てないのは、尊大なわけでも傲慢なわけでもない。残念ではあるが、もしそうなのだとしたら、興味のないものをフィルタリングする方法を見つけ出すか、無視することを学ぶか、あるいは読むのをすっぱり止めるのが適切な対応なのだろう。
私の文章を読むのを止めたっていいんだ! なにも必読書ってわけじゃないんだし。もちろん、必読書なんてものすらない。読みたい作家が見つからないなら、自分がその作家になればいい。私はそうしてきたし、それはとても素晴らしいことだ。
ポッドキャストのエピソードはこちらから。 https://craphound.com/news/2022/08/08/so-youve-decided-to-unfollow-me/
MP3のダイレクトリンクはこちらから(ホスティングはInternet Archiveの好意による。彼らはあなたのコンテンツを無料で、永遠にホストしてくれる)。 https://archive.org/download/cory-doctorow-podcast-433-so-youve-decided-to-unfollow-me/Cory_Doctorow_Podcast_433_-_So_Youve_Decided_to_Unfollow_Me.mp3
私のポッドキャストのフィードはこちら。 https://feeds.feedburner.com/doctorow_podcast
Pluralistic: 08 Aug 2022 – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: August 8, 2022
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Bert Kaufmann (CC BY-NC 2.0)