以下の文章は、NiemanLabの「I’m a journalist and I’m changing the way I read news. This is how.」という記事を翻訳したものである。
2017年7月27日の午前1時頃、私は目を覚まし、政治関連のTwitterリストを開き、上院による医療費負担適正化法(ACA)の一部廃止案への投票が否決された様子をツイートを、暗闇の中で見ていた。午前1時30分頃、アリゾナ州選出のジョン・マケイン上院議員が、ACAを救う決定票を投じた。その後1時間半の間、マケインの親指を下に向けるジェスチャーの動画を見ながら、反応のツイートを読み続けた。
それから約3年後、私は夜中に夫を起こし、トランプがCOVIDに感染したことを伝えた。
この8年間、私は子どもたちと一緒にいる時間の大半を、スマートフォンを手放せずに過ごしてきた。子どもたちと一緒にいる時に悪いニュースを読むと、子どもたちの普段なら気にならないような行動に、過剰に反応してしまう。時には、自分の3人の子どもたちよりもはるかに不運な子どもたちの、とても悲しい、ひどいニュースを読んでいるからだ。その瞬間、私はその矛盾を受け入れられなくなる――ある子どもたちが苦しんでいたり死んでいたりする一方で、自分の子どもたちは安全で、かつその瞬間に、自分たちがいかに幸運であるかを明確に認識していないという事実を。代わりに彼らは人間らしく振る舞っているだけなのに、私が読んでいるスマートフォンの中身が、私の最悪の部分を引き出してしまう。
良いニュースの場合でも、子どもたちを放っておいてしまっていた。良いニュースを読むことに夢中になり、悦に浸り、さらに多くのニュースを読みたくなり、それに対する反応を読みたくなる――私と同意見の人々からの幸せな反応、意見の異なる人々からの口惜しそうな、あるいは錯乱した反応を。子どもたちはiPadタイムを延長してもらい、もう1話分のエピソードを見せてもらい、おやつだけの夕食になることもあった。もはや良い気分が落ち着いた後でさえ、良いニュースを追い続けていたからだ。
寝る前の読み聞かせでも、片側に子どもを抱えながら、もう片方の手でスマートフォンをスクロールしていた。ニュースに気を取られて読み上げている言葉を間違えることもあった。
2024年の大統領選挙を待つまでもなく、良くない生き方だと気づいていた。やめるべきだとわかっていた。しかし先週、私は本当にやめなければならないと悟った。深みにはまる前に、さらに何年も費やす前に、大人の人生をずっとこのように過ごす前に。
そう、それは子どもたちのためだ。でも、俯瞰して見れば、私のニュース消費習慣は私の人間関係全般に影響を及ぼしている。子どもがいなければ、この習慣は変わらなかっただろう。
私は今でも現役のジャーナリストで、仕事の大部分はニュースを読み、フォローすることだ。どちらも好きなことなので、今後も続けていくことに変わりはない。しかし時には、好きなことを少し控えめに、そして違うかたちでやるのが健全なこともある。私が変えようとしている習慣をお伝えしたい。
ニュースに対する他人の反応ではなく、ニュースを読む。紙の新聞を購読し直すことにした。新聞は読み終われば終わりだからだ。これは、TikTokで紙の新聞を読む「プリント・プリンセス」「メディアリテラシーの高いホッティー」ことケルシー・リチャーズから学んだ。「印刷メディアを読むと、感情を感じるスペースが得られます。オンラインで何かを読んで、すぐにInstagramに切り替え…そしてTwitterに行き…そしてFacebookに行き…そしてスマートフォンにCNNの通知が表示されるのとは違います」と彼女は昨年Slateで語っていた。「そうした気を散らすものがあると、それに際限なく振り回されることになります。今やあなたのスケジュール、仕事、祖父母に何かあったという母からのテキストメッセージなどと混ざり合って、あなたを圧倒する。そして、もはや処理しきれなくなる。印刷メディアは、私たちが感じたい感情をいつ感じたいかを自分で決める機会を与えてくれます。任意のアルゴリズムに私たちがどう感じるべきかを決めさせるのではなく」。
しかし、印刷メディアだけに限った話ではない。ニュースメディアがオンラインに投稿する記事だって、ソーシャルメディアでの反応に比べれば、はるかに有限で読み切れるものだ。
ここ数年、私は記事そのものではなく、記事に言及するツイートばかりを読んでいた。悪い部分のスクリーンショット(ハイライト)を見て、記事の中で最も憤りを感じる部分だけを読んでいた。そう、最も刺激的な部分を取り上げることこそが、最高のソーシャルメディア投稿とされているのだ。それを見るだけで、記事のリンクをクリックしないこともざらにあった。怒りを覚える一文だけが残り、他には何も残らない。記事全文を読んで自分なりに考えを深めるどころか、他の人々からの反応を取り込むだけになっていた。
こうしたツイートがリンクする記事は、そのツイートがなければたどり着けなかったものではなかった。どれも主要ニュースメディアの記事ばかりだった。自分でそれらのメディアにアクセスすることをやめて――ソーシャルメディアで受動的にニュースを受け取るようになって――私は悪い方向に落ち込んでいた。だから今は、少なくとも自分で見出しにざっと目を通せるように、RSSリーダーを再構築している。
Twitterを削除した。なぜなら、ニュースに対する他人の反応を読むための場所だったからだ。
オンラインでニュースを読む時間に制限を設けている。仕事のために勤務時間外でもニュースをフォローしなければならないと、時々自分に言い聞かせていた。でもそれは言い訳に過ぎなかった。私はそのタイプのジャーナリストではない。Nieman Labの求職者に伝えているように、ニュースのイノベーションにおいて緊急事態はそれほど多くなくて、午前9時より前、あるいは午後5時か6時以降に起こる緊急事態はもっと少ない。ニュースを常に把握することが仕事の一部なら、それは勤務時間内に収めよう。
Substackを月額購読に切り替え、もはや開くのが楽しくなくなったものは解約している。これまで年間購読を選んで費用を節約していたが、その結果として興味が薄れてしまったたくさんのSubstackに、キャンセルできない契約期間が残ることになった。今後Substackに支払う基準は、Nieman Labの報道で目指しているのと同じ目標だ。興味深いか? 意外性があるか? 完全に内容が予測できるようになってしまったら、たとえ自分が同意する意見を述べていたとしても、対価を支払う価値はない。
子どもたちにニュースについて教える新しい方法を探求している。新聞を読むことを良い習慣だと考えているし、子どもたちにもその習慣を身につけてほしいが、彼らがほぼ確実にそうはならないことも理解している。彼らはオンラインからニュースを得るだろう。YouTubeが彼らのコンテンツ視聴の中心となっている。YouTubeを通じて、受け入れられるようなメディアリテラシーを教えられる可能性に期待を持っている。私の基準を満たす教訓を含み、かつ彼らのエンターテインメントの基準も満たす(あるいはそれに近い)ものを、子どもたちに伝えられればと思っている。
ジャーナリストは変わっていることを知っている。一般的な米国人よりもはるかに多くのニュースを読んでいることも知っている。
しかしそれは、私が身につけたニュースを読む習慣が、私自身や、私が大切に思う誰か、あるいは私が見たい世界の変化に役立っているということを意味しない。だから、それとは違う何かを試してみよう。
ローラ・ハザード・オーウェンはNeimanLabの編集者。連絡はメール(laura@niemanlab.org)またはBlueskyのDMで。
I’m a journalist and I’m changing the way I read news. This is how. | Nieman Journalism Lab
Author: Laura Hazard Owen / Neiman Lab (CC BY-NC-SA 3.0 US)
Publication Date: November 12, 2024
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Guilherme Stecanella