今月はじめ、ジョージタウン大学法学部のアルバロ・ペドヤ教授は、ニューメキシコ大学のデニス・チャベス記念法律・公民権講座で、「Facebook・ICE・NSA時代のプライバシーと公民権」と題した講演を行った。彼の言葉は、まさに我々EFFが国家による監視と戦い続けている理由を示していた。端的に言えば、プライバシーは表現の自由を支える公共的価値である。もしプライバシーがなければ、我々の民主主義も、長年にわたって差別や偏見に苛まれてきたコミュニティも危機に瀕することになる。
ペドヤ教授のコメントは、議会を覆ったマッカーシズムへの抵抗の歴史的軌跡をたどるものだった。それはマッカーシーによる表現の自由の弾圧に対し、デニス・チャベス上院議員(民主・ニューメキシコ州選出)が言論の自由への支持を表明したことから始まった。米国出身者として初のヒスパニック系上院議員となったチャベス議員は、他の議員らが押し黙る中、反体制的意見を擁護し、果敢にマッカーシーに異論を唱えた。
ペドヤ教授は、監視はプライバシーを侵害するだけにとどまらず、反対意見をはじめとする重要な社会的価値をも毀損することになるという。彼は聴衆にこう問いかけた。
「プライバシー」という言葉を聞いて、平等について考える人はいるでしょうか。「監視」という言葉を聞いて、人種差別や偏見、不寛容に考える人はいるでしょうか。それほど多くはないでしょう。今日のモットーは「誰もが監視されている」ですから。
しかしプライバシーは、本質的には人間の尊厳のことなのです。政府はあなたの尊厳を踏みにじってもよいと考えているのか。政府はあなたの人生における最もセンシティブで、最も私的な事実を守らねばならないと考えているのか。
プライバシーの侵害――データの監視と追跡、共有――は、すべての人に等しく影響するわけではありません。…そう、プライバシーは市民的自由(civil liberty)です。同時に、プライバシーは公民権(civil right)でもあるのです。それを伝えるために私はここに来ました。
私たちがプライバシーを市民的自由としてしか捉えていないのであれば、プライバシーがもたらす恩恵を無視していることになります。監視は平等を求めて戦う弱い人々を脅かすのです。プライバシーがあるからこそ、彼らは守られ、異を唱えることができるのです。
ベドヤ教授は、EFFエグゼクティブディレクターのシンディ・コーンとの対話の中で、書籍『End of Trust』の制作を手助けしてくれた「McSweeney’s」ページから同様のテーマのものをたくさん取り上げた。大規模監視と公民権に関するさまざまな対話の中で、ベドヤ教授は次のように述べている。
「私には隠すべきものは何もない」と言うのは、「私には特権があります」とか、「私は比較的力を持っていて、ラディカルではない政治的意見を持った正義の側にいて、正しい性別、正しい性的指向を持つという贅沢が許された人間です」と言っているようなものです。私たちは、プライバシーが弱者を守る盾であると認識しなければなりません。
ベドヤ教授の考えは、EFFの見解も反映している。我々はこれまで、市民的自由と公民権との交差を説明してきた。
我々は数週間前、言論の自由を保護する複数の最高裁判決の記念日に、これら事件の歴史的起源がどれほど公民権運動に密接に関連しているかを綴った。要約すると、現代の言論の自由に関する司法判断は、公民権運動から直接的に生じ、そして保護され、推進されてきたのだ。
しかし、言論の自由と公民権とのつながりは、単に歴史的なものだけではない。コインテルプロの時代と同様に、今日でも法執行機関や民間請負業者が、国内の社会運動を脅し、分断し、「中和する」ために監視活動を続けている。米国各地の警察署は、高度な監視テクノロジー――当初は軍事用に開発されたツールなどを含む――の一般道路への配備を進めており、活動家や抗議者はそうした道路を通行しなくてはならない。ナンバープレート自動識別装置から携帯電話の音声・データのスパイツールに至るまで、監視テクノロジーは、すでに法執行機関の濫用の危機に晒されているコミュニティに対して、過剰に使用されている。
EFFは、すでに最も脅威にさらされている地域、すなわち権利を奪われたコミュニティが国家権力と直接対決している地域で、言論の自由を擁護する活動を続けてきた。我々は、地元警察による監視を市民の監督下におくための州法を支援すべく、全米各地で活動してきた。また2016年には、監視デバイスの存在を文書化するために、スタンディング・ロックに調査員を派遣している。政府によって秘密裏に行われている監視を文書化しようとした我々の取り組みは、決定的なものとならなかったが、反体制的意見の表現の自由を擁護するために、引き続きコミットしている。
こうした問題は、米国のみならず国際的にも広がっている。EFFは中東や北アフリカの抑圧的な政府によって、インターネットから排除されたブロガーやジャーナリスト、技術者らを長年支援してきた。また、同様の問題は、フィリピンや英国など、他の(民主主義の)国々でも広く見られている。
ベドヤ教授のスピーチは、プライバシーや監視からの保護が公民権として保障される訴える取り組みとって重世うな情報だ。監視に異を唱えることは、社会から排除されたコミュニティを守り、声なき人々がインターネット上で自らの声を取り戻すよう支援する上でも、重要な意味を持っているのだ。
Publication Date: April 26, 2019
Translation: heatwave_p2p
Material of Header Image: Peter Pettus