以下の文章は電子フロンティア財団の「The Other 20-Year Anniversary: Freedom and Surveillance Post-9/11」という記事を翻訳したものである。

Electronic Frontier Foundation

アメリカ同時多発テロ事件から20年の節目を迎えた今日こそ、我々が築いてきた世界を振り返る良い機会はないだろう。9.11は計り知れないほどの心の傷、怒り、恐怖をもたらした。しかし現在、9.11の直後にとりわけ監視や政府機密の分野に導入された様々なものが、民主主義、プライバシー、公正性にもたらす深刻が問題が明らかになっている。今こそ、正さねばならない。

9.11後に政府の監視能力強化の核となったのは、2001年10月26日に成立した愛国者法だった。だが、それ以外にも数多くの試みが秘密裏に進められ、数年を経てようやく明らかになったものも少なくない。政府は莫大な費用を投じて密かにスパイ活動を展開し、国内外の監視の境界線をなくし、確たる容疑もないままに数百万人もの米国人の通信や記録を漁った。議会は行政権限をチェックする責任をほぼ放棄した。その後、秘密主義の外国諜報活動監視(FISC)裁判所は、特定の令状を承認するだけにとどまらず、監視に関する知識も権限もないままに巨大な機密プログラム全体を審査する準機関へと変化していった。これらはすべて、9.11のレガシーとなった。

もちろん、国家安全保障や国内監視の行き過ぎは20年前に始まったわけではない。20世紀初頭に連邦捜査局が設立され、1952年に国家安全保障局が設立されてからというもの、連邦政府は行き過ぎた行為や違憲の権利侵害によって、たびたび非難を浴び、改革が進められてきた。9.11以前にも、NSAのFAIRVIEWプログラムは、政府機関が通信会社と協定を結び、国内外の通話を監視していた。しかし、9.11はNSAの長年の悲願を実現するきっかけを与えた。それは米国外で開発していた「あらゆる情報を収集する(collect-it-all )」戦略を国内に持ち込むことであり、密かにその実現を進める政府を支援した。市民はプライバシーを放棄することで安全を得られるという抽象的な話を聞かされていたが、それが実際に何を意味するのか、特に不当に標的とされてきたムスリムなどの米国人にどういう影響を及ぼすかを知らされることはなかった。

対テロ戦争以降の世界で構築・強化された監視インフラは、その大部分が現在も残っている。米国の場合、コンピュータサーバ、巨大分析施設、脆弱または間違った法的正当性、符牒のみならず、一般市民への永続的かつ有害な影響が残された。具体的には、十分な情報を収集・分析すれば国家の安全が保たれるという考え方に囚われてしまったということだ。しかし、どれだけの時間が経過しても、自らが監視対象になれば安全が保たれるなどというはっきりした証拠は示されていない。間違いなく言えることは、国際的なテロの脅威については、機械学習モデルに使えるほどの数や類似性はなく、信頼できる予測などできないということだ。

にもかかわらず、9.11以降の監視はますます広がりを見せている。インテリジェンスフュージョンセンター、安全保障機構、国土安全保障省、国境・税関監視の強化などで、国外からのテロ攻撃を防ぐという本来の目的とはかけ離れたことが行われている。十分な情報公開が行われていなくても、これらの権限や手段が政治的な取り締まり活動家や移民の監視、ソーシャルメディアでの政治的スタンスを理由とした入国拒否や、国境コミュニティ全体を監視下に置くために用いられているのだ。

だが、この20年は悪いことばかりではなかった。9.11の直後にNSAが開発・展開した具体的な手法の数々を政府が廃止したこともあった。その中には、悪名高き大規模通話記録収集プログラムも含まれる(ただし、これは多少の改善が加えられただけのプログラムに置き換わった)。また、UPSTREAMプログラムで行われていたインターネットバックボーンでのメタデータ収集や「about」検索も見直された。国家安全保障書簡に付随する無制限の箝口令も中止された。それぞれ異なるルートで達成されたが、いずれも9.11直後よりはマシになっている。ささやかながらFISAの改革も進んだ。

だが最大の朗報は、デジタルの世界で暗号化が進んだことである。たとえばGoogleのような巨大企業のサーバ間リンクの暗号化、ウェブトラフィックを暗号化するLet’s Encryptプロジェクト、SignalWhatsAppのようなエンド・ツー・エンド暗号化ツールの台頭など、政府が我々のデータをさらに貪欲に求めるようになったにもかかわらず、世界中の人々が監視から保護されるようになったのだ。もちろん、暗号化を巡る戦いはこれからも続くが、我々は可能な限り勝利を記録し、祝福すべきだ。

その他にも、EFFが長年に渡り「ジュエル対NSA」裁判で訴えてきたインターネットバックボーンの監視など、許しがたいプログラムが現在も継続している。また、連邦政府による監視に加え、地方警察でも大規模な監視技術の導入、地域レベルと連邦レベルの監視の緩やかな連携など、「あらゆる情報を収集する」という考え方が再び浸透してきている。EFFは「Atlas of Surveillance(監視の地図)」でその一端をまとめているが、国内外で展開される監視の種別や範囲については、まだ完全に明らかにはなっていない。

20年という長い時間が流れた。我々は今、政府が9.11以降に何をしてきたのか、そのプログラムのどれだけ安全性を欠いていたか、弱い立場にあるコミュニティに偏って悪影響を与えたかを知った。今こそ、その教訓を活かし、我々が恐怖に支配されていた時期に導入された大規模監視と無分別な秘密主義の2つを白日の下に晒し、疑問を呈し、解体しなければならない。

The Other 20-Year Anniversary: Freedom and Surveillance Post-9/11 | Electronic Frontier Foundation

Author: Cindy Cohn and Matthew Guariglia (EFF) / CC BY 3.0 US
Publication Date: September 10, 2021
Translation: heatwave_p2p