以下の文章は、TorrentFreakの「I2P: The Censorship Resistant Anonymous P2P Network is 20 Years Old」という記事を翻訳したものである。

TorrentFreak

I2P、Invisible Internet Projectは先日、20周年を迎えた。TorやBitTorrentといった他のピアツーピア技術とは異なり、I2Pは一般ユーザの間ではほとんど注目されては来なかった。だが、その20周年の節目を見逃すわけには行かない。

2000年代初頭、ピアツーピア技術は、多くの開発者が独自のネットワーク、プロトコル、アプリケーションを構築し、注目を集めた。その最初期の申し子といえばNapterだが、その後すぐにLimeWireやFreenet、BitTorrentといった象徴的な存在が登場することになった。こうした技術はゲームチェンジャーになるほどに成長していくことになる。その間、現実世界でも大きな動きがあった。2011年9月11日、開発に没頭するコーダーでさえCRTモニターから引き剥がされてしまうような出来事が起こった。この日を境に、歴史が変わることになる。

September 11

911同時多発テロ以降、世界は衝撃と不安の只中にあった。テロは世界的な驚異となり、これを受けてオンライン監視は政治的課題の上位に位置づけられることになった。テロリストの拘束を望む世論はこれを受け入れた。

だが同時に、デジタル監視の範囲と影響力への懸念も高まっていった。

そんな中、ランス・ジェームズという若い開発者は、ネット『監視』の強化が善良な市民のプライバシーに及ぼす影響について考えていた。そこで彼は、匿名性が高く、検閲に強いネットワークプレイヤーのアイデアを考えついた。

当時としてはかなりユニークな発想だったが、他にも複数の開発者が同様のアイデアに取り組んでいた。たとえば米海軍は、後にTORネットワークにつながるOnionルーティングに取り組んでいる。だが、そのコードは当時公開はされていなかった。

「0x90」のニックネームでも知られるジェームズは、こうした動きに気づいていた。彼は匿名P2Pプラットフォーム「Freenet」を個人的に利用していた。十分に機能してはいたものの、このアイデアをインスタントメッセージ機能で補完する手法を模索していた。

「私はコードとサイファー、そして大規模な匿名性と暗号の問題がとても好きなんです」と20年後のジェームズは語った。

「当時はイアン・クラークのFreenetの大ファンでしたが、問題もありました。リアルタイムでメッセージを送れなかったのです。その問題を解決する方法を考えていました。ある日の朝4時思いついて、飛び起きてナプキンに夢中で書き出したんです」

2001年10月のその朝、彼は「Invisible IRC Project」(IIP)、のちに「Invisible Internet Project」、つまりI2Pに生まれ変わることになるプログラムの最初のコードを書き始めた。

Invisible IRC Project

2002年2月、サンフランシスコで開催されたCodePenで、ジェームズは初めて自身の匿名コミュニケーションプロジェクトを広く紹介した。

ソフトウェアの初期バージョンの初披露を前に、彼は「匿名IRCについては、多くの研究や読み物があり、待ち望まれていたものです。そこで、我々はそういうものをなんとかしてみようとしています」とサイファーパンクの聴衆に向けて語った。

2022年当時のIIPウェブサイト

この発表をきっかけに、熱心な開発者コミュニティが生まれ、プロジェクトの改良が続けられた。ジェームズはコードを政治的な声明やツールとして使うつもりはなかったが、他のメンバーは匿名ネットワークの目標がどうあるべきかを率直に語っていた。

2003年に匿名の開発者「jrandom」が参加したのを境に、事態は変わり始めた。この多作な新参者は、プロジェクトの技術的・思想的目標に明確なビジョンを持っており、プロジェクトにおけるイニシアチブを発揮していった。

IIPからI2Pへ

数カ月後、jrandomはプロジェクトリーダーに就任し、プロジェクト名を「Invisible Internet Project(I2P)」と改名した。このブランド変更に伴い、将来の道筋と目標を定めた詳細な理念文書が作成された。

「InvisibleNetは、自由な社会を築こうとする人々の努力を、検閲されない、匿名かつ安全な通信システムを提供することによって支援するため、Invisible Internet Project(I2P)を結成した」と、この文書は始まっている。

I2Pの理念

その後、I2Pはアプリケーションが匿名接続できるネットワークレイヤとして発展していった。これにより、外部の人間がチャットやファイルなど、トラフィックの送信元を追跡できなくした。

I2Pを使用するアプリや、I2Pと互換性のあるアプリはバラエティに富んでいる。BiglyBTやMuWireなどのファイル共有ツールはもちろん、IRCクライアント、ルータ、チャットツール、さらにはBitCoinやMoneroといった暗号通貨も含まれている。

いま振り返って

当時を振り返って、パイオニアのジェームズはわだかまりを抱いていない。彼はアイデアを開始してその成長を眺めることは好きだが、ずっと関わり続けなければならないと考えるタイプではない。

また、初期にプロジェクトに参加した人の中には反政府的な思想や政治的な思惑を持った人もいて、開発当初は気が進まなかったという。jrandomを始め、こうした声の大きな人たちはやがて消えていったが、ジェームズも自分の意志を固め、同様に去ることにした。

「それで、友好的に辞めたんです。他のプロジェクトに影響を与えることができましたし、暗号技術について様々なことを学ぶことができたので、充実した時間でした。過激な人たちが去っていったのはさておき、私はその時が来たので去ったのです」とジェームズは語った。

現在、暗号技術や分散ネットワークが大流行しているが、ある意味では、ジェームズとその仲間たちは初期の基礎を築いたと言える。I2Pには欠点もあるが、新たなプロジェクトに刺激を与え続けている。

20年がたち、ジェームズが自分のアイデアが他の人びとを刺激していることを誇りに思っている。現在、ジェームズはサイバーセキュリティ・インテリジェンス企業Unite 221bのCEOを務めており、初期のI2Pとの関わりを達成感とともに振り返る。

「20周年を迎えたことを誇りに思っています。Torよりも早く、この種のものとしては初めてのものでしたし、サイファーパンクの間に、おしゃべりは止めて手を動かせ(コードを書け)という行動を喚起したことを誇りに思います。それを受け継いだ開発文化に感謝していますし、I2Pが対話を促し、敵対者が友人に変わっていったのを見られたことを誇りに思います」とジェームズは付け加えた。

普及への道のりは?

I2Pはどのように進化してきたのか、また現在のプロジェクトの状況はどうなっているのかを知るためには、現在もI2Pに積極的に取り組んでいる開発者にも話を聞くべきだろう。

その1人が、2005年に初めてI2Pに関わった「zzz」だ。彼はユーザからバグ報告者へとステップアップし、より積極的に活動をするようになった。

HOPE、DEFCON、CCCなどのカンファレンスに参加し、チームの他の開発者に出会ったことで、彼の貢献度は更に高まっていった。現在では、プロジェクトリーダーの1人となっている。

I2Pは常時数万人のアクティブユーザを抱えているが、比較的ニッチなプロジェクトであることに変わりはない。だが「zzz」はI2Pの普及(mass adoption)はまだ可能だと信じているが、そのためにはもっと使いやすくしなければならないと考えている。

「プライバシー/セキュリティーツールへのニーズは、この20年で著しく高まりました。政府や他のアクターによる複雑な脅威は急速に増加していて、使いやすいソリューションが求められているのです」

「我々の課題は、I2Pをソリューションとして提供し、普及させることです。I2Pの導入が進まないのは、やはり簡単に見つけてもらうことができなかったからなのでしょう。我々がフォーカスし続けている課題です」とzzzは語る。

2015 Hacklab Toronto Presentation

2015年Hacklabでのzzzのプレゼンスライドからもわかるように、こうした「マーケティング」の課題は今に始まったことではない。とはいえ、現在は確かなユーザベースがあり、なにかのきっかけで爆発的に普及する可能性もある。

自由で匿名の高いインターネット

もう1人のI2Pコミュニティ関係者は、LimeWireの元開発者で、Freenetプロジェクトにも初期から参加していたズラティン・バレフスキーだ。

「LimeWireで働いていたころは、I2Pの開発者たちがどうしているのかなと思って、時おり『立ち寄る』ことがあった程度でした」とバレフスキーは語る。

10年ほど前、Wikileaksや「アラブの春」「ウォール街を占拠せよ」のニュースがヘッドラインを賑わせていた頃、彼は開発者としてI2Pに積極的に関わることにした。

「このプロジェクトに興奮したのは、自由で匿名性の高いインターネットを実現するというビジョンです。私にとって、それこそが現代の真の『約束の地』であり、未来の世代のために維持することが我々の義務なのです」

2019年、バレフスキーはI2Pのファイル共有クライアント「MuWire」をローンチした。彼は自身のブログでプロジェクトを立ち上げた個人的な動機について詳述し、共有の真の目的を汚染させる「マネタイズ」要素を批判した。

MuWireは十分に機能するが、欠点もある。I2Pの欠点の1つは、複数のノードを介してトラフィックをルーティングするため、極めて遅くなる傾向にあることだ。だが、この点については着実な進歩が見られている。

「2015年のI2Pでは、30kb/secが当たり前でしたが、現在では1MB/secを超えることもあります。もちろん、そこで満足しているわけではありません」とMuWireの創設者は語る。

バレフスキーはこれからの展望について、時が経つにつれてプライバシーの重要性は一層増していくだろうと語る。そして、VPNなどの商用プライバシーツールもある一方で、オープンソースの非営利ソリューションが最善の方法だと考えている。

全体として見れば、I2Pが長年に渡って成長・進化を続けてきたことは、非常に大きな功績である。多くの開発者が現れては消えていく中で、I2Pは進化を続けている。次の20年後が楽しみだ。

Author: Ernesto Van der Sar / TorrentFreak (CC BY-NC 3.0)
Publication Date: March 06, 2022
Translation: heatwave_p2p
Header image: xp0s3 Xpose (CC BY 2.0)