以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「AI “journalists” prove that media bosses don’t give a shit」という記事を翻訳したものである。
エド・ジトロンは素晴らしいジャーナリストだ。AI企業のバランスシートを精読し、そこから白熱した、精緻を極めた、目が覚めるほど下品な論説を紡ぎ出す手腕の持ち主である。
https://www.wheresyoured.at/the-ai-bubble-is-an-information-war
これが「金融探偵としてのエド」だ。だが、エドにはもう1つの顔があり、そちらはあまり表に出てこないのだが、「体当たり取材記者としてのエド」である。私はこちらのほうが大好きだ。たとえば2024年、エドはAmazonのベストセラー・ノートPC――「4年前のCeleron N4500プロセッサ、4GBのDDR4 RAM、128GBの低速eMMCストレージを搭載した238ドルのAcer Aspire 1」――を購入し、この人気機種にしてひどいマシンでインターネットを使う体験記を書いた。
https://www.wheresyoured.at/never-forgive-them
当然ひどい体験だったのだが、そのひどさたるや、テックにそこそこ詳しいウェブユーザが経験したことのない類のものだった。マシンスペックが圧倒的に不足しているだけでなく、CPUを食い尽くし画面を埋め尽くす広告ゴミやブロートウェアをすべて受け入れるようにデフォルト設定されていた。あなたや私がこのマシンを手にしたなら、即座にそうした設定を探し出して片っ端から無効にするだろう。しかし、Amazonで238ドルのAcer Aspireを買うような人は、そんな対処法を知っているはずもなく、来る日も来る日もこの惨状に耐え続けることになる。
通常、「デジタル・デバイド」とはテクノロジーへのアクセスの格差を指す。しかし、アクセスの問題が解消されつつある今、本当の格差は、テクノロジー設計者の冷酷な無関心から身を守る術を知っている人と、メタクソ化の策略になすすべなく晒される人との間に生まれている。
ジトロンのこの体当たり取材が私の記憶に残り続けるのは、シンプルかつ的を射ているからだ。すべてのテック設計者は、工場出荷状態のAcer Aspire 1を1日最低3時間使うよう義務づけられるべきだ。すべての航空会社CEOが3回に1回はベーシックエコノミーで飛び(長距離便なら2回に1回)、自社サービスを体験すべきなのと同じ理由で。
さらにもう1つ付け加えるなら、すべてのニュースメディアの幹部には、広告ブロックなし、アクセシビリティ・プラグインなし、リーダービューなし――ウェブ閲覧を辛うじて耐えられるものにしてくれるアドオン一切なしの、デフォルト状態のブラウザでニュースを読むことを義務づけるべきである。
https://pluralistic.net/2026/03/07/reader-mode/#personal-disenshittification
だが正直に言えば、それでも大した効果はないのではないかと危惧している。というのも、現代のニュースサイトの設計を統括している連中はそもそもニュースなど気にしていないと思われるからだ。ニュースを読まない。ニュースを消費しない。ニュースを憎んですらいる。彼らにとってニュースとは、アドウェア、マルウェア、ポップアップ、自動再生動画を展開するという大目的のために仕方なく抱えている厄介物にすぎない。
Yahoo Newsの記事を素のまま読もうとすれば、ポップアップ、ポップアンダー、自動再生動画、インタラプター、同意画面、モーダルダイアログ、モードレスダイアログの森をかき分けなければならない――ニュースを覆い隠すクラップウェアの吹雪が、そこに埋もれたコンテンツへの侮蔑をにじませている。これらのDOMオブジェクトにどんな文字やアイコンが表示されていようと、伝えているメッセージは同じだ。「このページのニュースなどどうでもいい」。
ニュースサービスのオーナーたちにとって、ニュースは必要悪でしかない。彼らはニュース組織ではない――迷惑なポップアップとクッキー設定の工場であり、そこに厄介な痕跡器官としてのニュース部門がぶら下がっているだけだ。ニュースはお目こぼしで存在を許されているにすぎず、もし完全に廃止できるものなら、オーナーたちは喜んでそうするだろう。
これこそ、AIに置き換えられる仕事の本質的な特徴であることがわかる。カスタマーサービスのコールセンターがAIに急速に置き換えられた例を考えてみよう。企業がカスタマーサービスをAIチャットボットに移行するずっと前から、その業務は海外のコールセンターに外注されていた。そこでは、オペレーターは台本から外れることを禁じられ、問題解決をほぼ不可能にするスクリプトに縛られていたのだ。
https://pluralistic.net/2025/08/06/unmerchantable-substitute-goods/#customer-disservice
こうした企業はハナからカスタマーサービスなどやりたくなかった。だから業務をインドに送った。そしてインドのコールセンターで問題解決を許されていないオペレーターを、問題解決ができないチャットボットに置き換えることが可能になると、オペレーターを解雇してチャットボットに切り替えた。皮肉なことに、これらのチャットボットの多くは、実はチャットボットのふりをしているコールセンターのオペレーターだったりもする(インドのテック業界のジョークにあるように、「AIとは”Absent Indians(不在のインド人)”の略だ」)。
https://pluralistic.net/2024/01/29/pay-no-attention/#to-the-little-man-behind-the-curtain
「これにはAIを使いました」は、ますます「そもそもこの仕事をやりたくなかったし、品質も気にしていません」という意味になりつつある。DOGEが米国税関移民執行局のコールセンター担当者を、PDFを読めと告げた後に電話を切るチャットボットに置き換えたのもそのためだ。
https://pluralistic.net/2026/02/06/doge-ball/#n-600
トランプ政権は、煩雑な書類手続きを正しく行おうとする移民の声など聞きたくない。移民書類の不備は設計通りの「仕様」であってバグではない。不備があれば、それを口実に人を拉致し、随意契約で国内の秘密収容施設を運営するベルトウェイ企業の懐を潤すだけの期間、強制収容所に閉じ込め、やがて縁もゆかりもない国へ送還する――その際にはまた別のベルトウェイ企業が随意契約で拉致した移民を遠い地獄の果てへ飛行機で送り届け、ここでもたっぷり利益を得るのだ。
カスタマーサービス部門の目的が「くたばれ」と告げることにあるなら、チャットボットこそ最も効率的なサービス提供手段である。チャットボットは人間より安い賃金で「くたばれ」と言ってくれる――というだけではない。チャットボットの存在そのものが「くたばれ」という意味なのだ。チャットボットとは要するに「くたばれ」の絵文字のようなものである。AIのアイコンがどれもこれもケツの穴のように見えるのも、当然かもしれない。
https://velvetshark.com/ai-company-logos-that-look-like-buttholes
だから、メディアの経営者たちがライターをチャットボットに置き換えることにあれほど熱心なのも驚くにはあたらない。彼らはニュースを憎んでおり、消えてなくなることを望んでいる。執筆をAIに外注するのは、ニュースの価値をさらに貶めるもう1つの手段にすぎない。すでに存在するメタクソ化――ポップアップ、自動再生、同意ダイアログ、インタラプター、そしてデフォルト設定のブラウザが要求されるがままにあなたの眼球に叩き込んでくる無数の地獄――によってニュースが埋もれているのと同じ理屈の延長線上にある。
https://pluralistic.net/2024/05/07/treacherous-computing/#rewilding-the-internet
Hearstが全国の新聞に配信した夏の推薦図書リストを覚えているだろうか。あのリストは「ハルシネーション」、つまり実在しないタイトルで溢れていた。当初、インターネットは著者欄に名前が載っていたライターのマルコ・ブスカーリアを嬉々として叩いた。しかし、404 Mediaのジェイソン・ケーブラーが掘り下げてみると、ブスカーリアは失敗を運命づけられていたことがわかった。通常なら数十人のライター、編集者、ファクトチェッカーが担当するはずの64ページ別冊のほぼ全部を、たった1人で書けと命じられていたのだから。
Hearstが数十人分の仕事をフリーランサー1人に押しつけるとき、それは「この仕事の質などどうでもいい」と宣言しているに等しい。あの条件のもとでは、いかなるライターであっても良いものを作ることは文字通り不可能だ。Hearstの全国配信夏季ガイドの目的は、企業オーナーによって採掘し尽くされた新聞――広告と通信社の転載ばかりで数ページにまで痩せ細った新聞――のかさ増しにすぎなかった。この別冊がフリーランサーたった1人に委ねられたという事実そのものが、ページに印刷された実際の文字を目にする前から、「くたばれ」と大声で叫んでいるのだ。
資本家階級はいま、一種の奇妙なAI精神病に取り憑かれている。人間のいない世界という妄想――ボスの頭にふと浮かんだどんな愚かなアイデアでも、「あなたのアイデアはとんでもなくくだらないですよ」と指摘しかねない熟練労働者と交渉する必要なく、製品に変えられるという幻想だ。
https://pluralistic.net/2026/01/05/fisher-price-steering-wheel/#billionaire-solipsism
こうしたAI推進者にとって肝心なのは、AIが人間と同等の仕事をこなせるようにすることではない。チャットボットから生まれる低品質な仕事を世の中に受け入れさせることだ。実在する本が並んだ夏の推薦図書リストの代わりに、統計的にそれらしい本の形をした幻影が並んだハルシネーション本のリストで満足してもらえないか?というわけだ。
AIの使い道を夢想するボスたちは、有用な仕事をしている労働者の実際の業務に対する、深く誇らしげな無知を出発点にしている。「自分が〇〇だったら、どうやってこの仕事をするだろう?」と自問し、次にAIにそれをやらせ、仕事は完了だと宣言する。彼らが生み出すのは実用性ではなく、実用性もどきの統計的造形物だ。
Grammarlyを例にとろう。テキスト中のエラーらしき箇所に統計的推論を提供する会社だ。文法チェッカーという発想自体がひどいわけではない。文章表現に苦労している人々――コミュニケーションスタイルの問題であれ、英語を母語としないことが理由であれ――にとっては、Grammarlyのようなアプリが役立っているという声も多く聞く。
しかしGrammarlyが新たに投入したAIツールは、あまりにもあからさまに文章というものを侮蔑している。「くたばれ by Grammarly」とでも名づけた方がましなくらいだ。その新製品「Expert Review」は、取り込んだライターの文章に「インスパイアされた」執筆アドバイスを提供すると謳う。私はこの仮想「執筆教師」の1人として、Grammarlyに金を払えば私のアドバイスが受けられることになっている。
https://www.theverge.com/ai-artificial-intelligence/890921/grammarly-ai-expert-reviews
執筆指導とはそういうものではない。私がクラリオンSF&ファンタジー創作ワークショップで教えるとき、私の仕事は、私自身の文章の構文や語彙と統計的に強い相関を持つ作品を書くよう受講生を訓練することではない。私の仕事は――あらゆる執筆指導者の仕事は――受講生の文体と芸術的意図を理解しようと努め、そのスタイルを発展させ、その意図を表現するためのアドバイスを提供することだ。
Grammarlyが提供しているのは執筆指導ではなく、スタイロメトリー――2つの候補テキストが同一人物によって書かれた可能性を評価する計算言語学の手法である。スタイロメトリー自体は非常に魅力的な学問分野だ(敵対的スタイロメトリー――テキストの著者を隠蔽する一連の技法――も同様に興味深い)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Stylometry
しかし、スタイロメトリーは文章の書き方を教えることとは無関係だ。仮にあなたが、尊敬する(あるいは茶化したい)作家のスタイルでパスティーシュを書きたいとしても、語彙の選択や文の構造はその作家のスタイルを捉える上で付随的な要素にすぎない。「スタイル」を「スタイロメトリー」に還元するのは、テクニカル分析における最大の罪を犯すことに等しい。すなわち、モデルに容易に投入できない柔らかな定性的側面をすべて焼却し、残った怪しげな定量的残滓に対して数学を振りかざしているだけなのだから。
https://locusmag.com/feature/cory-doctorow-qualia/
チャットボットに作家のような執筆指導を教えたいのなら、最低限、そのチャットボットを訓練するのに使うべきは、その作家が行った指導であって、その作家が発表した作品ではない。また、発表済み作品の統計モデルを構築しても、その作家が受講生にどう語りかけるかを推論することはできない。「発表された作品」と「教育的コミュニケーション」の関係は、あくまで間接的なものだ。
Grammarlyへの批判は、ライターの名前を無断で使用した厚かましさに集中している。だが個人的には、それはさほど気にならない。私が製品やサービスを推薦したと誤認させない限り、それに触発されたと言うのに私の許可は要らない(たとえ私がその製品をクソだと思っていても)。
Grammarlyに対して私が本当に腹立たしく思うのは、私の名前をみだりに使ったことではなく、執筆指導という複雑で重要な営みを、ある作家の発表済み作品群の平均的な語彙頻度分布に近づくよう文章を微調整する統計的エクササイズに矮小化したことだ。ここにこそGrammarlyの詐欺がある。「コリイ・ドクトロウに教えてもらえる」と謳っていることではなく、何かを「教えてもらえる」と言っていることそのものが詐欺なのだ。
「執筆指導」を「別の作家の発表作品との統計的比較」に還元すること――それは、Grammarlyがアイデンティティを流用した作家たちに対してではなく、このひどい、基準以下の、有害な製品を使わされている顧客に対して「くたばれ」と言っているのである。
作家志望者を食い物にする詐欺は、出版業界と同じくらい古い歴史がある。世の中にはいかがわしい「ストーリー・ドクター」、自費出版詐欺、偽の文芸エージェント、その他あらゆるペテン師が溢れかえっていて、自分を理解してもらいたいという自然な願望につけこんで金を巻き上げている。
Grammarlyもまた、「AI」を品質低下の手段として使い、ユーザの期待値を下げようとしている企業の1つにすぎない。Grammarlyにとって、ライターの文章を助けることは、カモから金を搾り取るという本業に付随する煩わしい業務でしかないのだ。
経営理論において、理想的な企業とは、製品に無限大の価格をつけ、投入コストをゼロにする企業だ(つまり「学術出版」のことだ)。経営者たちにとってAIとは、自社をこの理想に近づけるための手段にほかならない。
この意味で、AIは資本主義的イノベーションの長い伝統と地続きである。新たな生産効率は品質を犠牲にして量を増やすために使われてきた。これはラッダイト蜂起の時代から変わらない。あの蜂起において、複雑な機械を使って自分たちの織る織物に深い誇りを持つ熟練技術者たちが怒りの声を上げた相手は、明らかに低品質の織物をはるかに大量に生産する新種の機械だった。
https://pluralistic.net/2023/09/26/enochs-hammer/#thats-fronkonsteen
AIを使って仕事の質を向上させている熟練者たちの事例を見つけるのは難しくない。私は別の場所で、こうした人々を「ケンタウロス」と呼んだ――機械に支援される人間のことだ。彼らが受け入れているのは社会主義的な自動化の様式、すなわち量ではなく質を向上させるための自動化である。
熟練した実務者が、時間がかかり、付加価値が低く、判断力をあまり要さない作業をモデルに任せ、自分にとって最も重要な部分に集中できるようになったと語るとき、あなたはケンタウロスと対話している。もちろん、熟練者でも駄作を生むことはある――私の好きな作家の何人かも、実にひどい本を出したことがある――が、それは自動化の問題ではなく、単なる人間の過ちにすぎない。
逆ケンタウロス(機械の周辺機器として動員された人間)は、資本主義的な自動化の様式――質より量――に囚われている。機械は人間より速く、長く働く。人間をより速く、より激しくこき使うほど、企業は投入コストゼロという理想に近づける。
逆ケンタウロスは、人間という周辺機器の能力と耐久力の絶対的限界に合わせて設定された機械のために働く。逆ケンタウロスは、機械のような機械的規則性で生産し、機械が犯すあらゆるミスを拾い上げることを求められる。逆ケンタウロスとは、機械の「アカウンタビリティ・シンク(責任の受け皿)」であり「モラル・クランプルゾーン(衝撃吸収帯)」なのだ。
https://estsjournal.org/index.php/ests/article/view/260
AIはごく普通のテクノロジーであり、一部のユーザにとって一部の用途がある自動化ツール群にすぎない。AIが「くたばれ」を意味するものになっているのは、大規模言語モデルやトランスフォーマーに固有の何かがあるからではない。資本主義的自動化の様式――品質を犠牲にして量を増やすこと――のせいだ。自動化は必ずしも、期待値を下げてより粗悪なものをより高く売りつけるための手段である必要はない。だが、何らかの外的制約――労働組合、規制、競争――がなければ、企業はAIを含むあらゆる自動化を、不可避的にそのように行使するのである。
Pluralistic: AI “journalists” prove that media bosses don’t give a shit (11 Mar 2026) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: March 11, 2026
Translation: heatwave_p2p