以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Social media without socializing」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

ソーシャルメディアの黎明期から、ソーシャルメディアの経営者たちは社交性そのものと戦争を続けてきた。ソーシャルメディアサービスを作るということは、正当な社交と不当な社交の境界線を引くということだ。考えてみれば、途方もない傲慢さである。

これは昔からそうだった。Friendsterの創業者は、人々が互いに友人関係を結ぶことだけを許可し、共通の関心事を持つ全員と「友達」になることは認めないと定めた。あなたと私は友達になれるが、「ブロガー」というグループと「友達」になることはできない。そのグループのメンバー同士がお互いのフィードを見るには、一人ひとりが相互に友達リンクを作らなければならなかったのである。

1999年にさかのぼるが、ラリー・レッシグは「コードは法である」と我々に教えた。こうした制約をフィードに組み込むことで、Friendsterのプログラマーたちは、サービスを通じて結べる関係の種類に制限を課していた。しかしレッシグの法則(コード?)は、さらに古い原理によってしばしば覆される。ウィリアム・ギブスンが1982年に示した「ストリートはモノの独自の使い道を見つける」という格言だ。

Friendsterはユーザに友達付き合いの仕方を指図したが、ユーザたちはFriedster経営陣を障害物とみなし、迂回した。「New York City」のような名前のアカウントを作り、誰かがそのアカウントに友達申請すれば、アカウント側も友達申請を返す仕組みにしたのだ。ユーザたちは、親和性に基づく「不正な」友人関係をシステムにねじ込む方法を自力でハックした。

https://www.zephoria.org/thoughts/archives/2003/08/17/the_fakester_manifesto.htm

ソーシャルメディアが数十億ドル規模(やがて数兆ドル規模)のビジネスへと成長するにつれ、ソーシャルメディアの経営者が我々に求める社交のあり方と、我々が望む社交のあり方とのせめぎ合いは、ますます先鋭化していった。マーク・ザッカーバーグは、交際ステータスを定義するプルダウンメニューに「複雑な関係」という選択肢を気軽に放り込んだとき、万全を期したつもりだったに違いない。だが、それは我々の関係がすべてどれほど複雑であるかを、彼が理解していなかったからだ。

https://www.phillymag.com/news/2013/07/10/facebook-complicated-relationship-status

ザックにとって、明確に定義された関係とは、広告のターゲティングやレコメンデーション、ユーザのカテゴリ分けのために単純な計算を施せるものだった。関係を一連の離散的な数学的操作の要素として扱おうとするとき、関係というものが本質的に、還元不可能なまでに質的であるという事実は、深刻なバグとなる。そこでザックは、質的変数に対して計算を行いたいとき、コンピュータ科学者がたいてい取る手段を取った。質的要素をすべて量子化によって焼却し、残った怪しげな残滓に対して計算を行ったのだ。

https://locusmag.com/feature/cory-doctorow-qualia/

とはいえ、ザックにとっての最大の問題は、あなたの社会的つながりの曖昧さではない――そもそもつながりが存在すること自体が問題なのだ。考えてみてほしい。マーク・ザッカーバーグは、あなたが彼のプラットフォーム上で友人とどれだけ交流するかによって、個人的に数十億ドルを稼いだり失ったりしている。もし友人たちがあなたと低強度ですぐ終わるやり取りしかしなければ(「よく眠れた?」「うん、まあまあ」「よかったね」)、彼の負けだ。一方、あなたと友人たちが長時間にわたる激しいやり取りに突入すれば、彼は大量の広告を表示でき、莫大な収益を上げられる。

あなたの友人は、マーク・ザッカーバーグにとって解決すべき問題であり、(彼の永遠の苦悩として)あなたとあなたの友人は、ザックの財務的な要請に沿って関係を整理することを頑として拒む。あなたはただ、あらゆる友人関係につきものの自然なリズムで付き合いたいだけだ――ときに濃密に、ときにさらりと、そしてしばしば散発的に。正直なところ、あなたが普通の友人関係を維持することにこだわるなら、マーク・ザッカーバーグは一体どうやって株主が期待するような成長を達成できるというのか。

このことが、Facebookを「友人の投稿を表示するプラットフォーム」から「主に”コンテンツクリエイター”の投稿を表示するプラットフォーム」へと変貌させた原動力の多くを説明している。あなたの友人は、あなたに投稿へ「エンゲージ」させることでバイラルな収入を得られるかもしれないという可能性にはさして動機づけられない。だがコンテンツクリエイターにとって、あなたのエンゲージメントは食料品の代金であり家賃である。あなたの友人を入れ替え、あなたに「エンゲージ」する強い動機を持つ人々に置き換えることで、ザックはユーザの行動を成長に都合のいい方向へ誘導するための梃子を手に入れる。

言い換えれば、ザックはあなたにとって大切で楽しいオンライン会話の約束であなたを引き寄せた。そして今、あなたを閉じ込めたからには、友人と縁を切って、彼の運営するコミュニティ・アクセス・ケーブル局をもっと視聴する時間を作ってほしいと考えているのだ。

このことは、ザックが自分のプラットフォームをボットの糞で埋め尽くすことへの情熱や、孤独のエピデミックの解決策として友人の代わりにチャットボットを提供しようとする計画も説明している。

https://fortune.com/2025/06/26/mark-zuckerberg-ai-friends-hinge-ceo

マーク・ザッカーバーグにとって、すべての人間は出来の悪いチャットボットにすぎない――命令に従わないチャットボットだ。彼が望んでいるのは、我々を互いに向かい合わせ、際限のないおしゃべりへとプロンプトし合わせ、際限のないスクロールと、際限のない広告挿入を生み出すことだ。チャットボット相手なら見事にうまくいくが、人間相手ではそうはいかない。

https://www.youtube.com/watch?v=EtNagNezo8w

結局のところ、ザックは他の人間の大半が実在するとは本気で信じていないのだ。サラ・ウィン=ウィリアムズがFacebook時代を赤裸々に綴った内部告発回顧録『Careless People』を読めばすぐにわかる――ザックにとって人間とは、道徳的配慮に値する対等な存在ではなく、統計的な人工物にすぎないのだと。

https://pluralistic.net/2025/04/23/zuckerstreisand/#zdgaf邦訳

億万長者は独我論に悩まされている。他者の存在を信じないことは、億万長者であり続ける上で大いに役立つ。なぜなら、その道すがら人口規模の悲惨を撒き散らしても、良心の呵責なく富を蓄えられるからだ。

https://pluralistic.net/2025/08/18/seeing-like-a-billionaire/#npcs邦訳

ザックにとって、AIは史上最もエキサイティングなテクノロジーである(信じがたいことに、メタバース以上に!)。なぜなら、AIは彼が夢見る世界を実現してくれるかもしれないからだ――人間のいない世界、あるいは少なくとも、社交のないソーシャルメディアネットワークを。

https://pluralistic.net/2026/01/05/fisher-price-steering-wheel/#billionaire-solipsism邦訳

Pluralistic: Social media without socializing (19 Jan 2026) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: January 19, 2026
Translation: heatwave_p2p

カテゴリー: AI