以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「A world without people」という記事を翻訳したものである。
ビリオネアであるとは、独我論者であるということだ。彼らはほとんどの他人は実在しないと密かに信じている。そうでなければ、自分の途方もない富と権力が、大勢の人々に与えた苦痛の上に成り立っているという事実と、どうやって折り合いをつけられるだろうか。
https://pluralistic.net/2025/08/18/seeing-like-a-billionaire/#npcs (邦訳)
イーロン・マスクが自分に異を唱える人々を「NPC」と切り捨てるのは、まさにそういうことだ。ある重要な意味において、彼は他人が存在するとは思っていない。ケタミンに浸かったような世界を生きているのだ。
https://davekarpf.substack.com/p/on-elon-musk-and-npcs
独我論を維持するのは非常に難しい。どれほどソシオパスな人間であっても、他者の承認や愛情、関心を渇望する部分が必ずある。その渇望こそが、他人は確かに存在するのだという、煩わしい気づきを突きつけてくる。ここから生まれるのが、超富裕層による「我々は実は博愛主義者なのだ」という奇天烈な主張である。数万人の雇用を奪った企業買収屋が自らを「雇用創出者」と称し、この馬鹿げた主張を補強するためだけに経済学の一分野にまるごと資金を注ぎ込む――そんな異様な光景が繰り広げられている(「利己主義を正当化するための、高尚な道徳的根拠の追及」――J・K・ガルブレイス)。
https://www.nytimes.com/2018/05/05/us/koch-donors-george-mason.html
この主張を無理矢理に押し通そうとすると、きわめて歪な形にならざるを得ない。たとえば「効果的利他主義」[Effective Altruism]。できるかぎり搾取的で破壊的な分野で可能なかぎり大金を稼ぎ、それを元手に、1万年後に誕生するかもしれない53兆人の仮想的人工知性の生活を向上させるプログラムに投資すべきだ――という信念である。
https://www.effectivealtruism.org/articles/cause-profile-long-run-future
効果的利他主義にせよ「雇用創出者」にせよ(あるいはビリオネアが世界にとっての善だとする主張にせよ)、他人は存在しないという信念を維持するのにどれほどの労力が必要かを如実に示している。支配階級はこの事実に取り憑かれている。ますます少数の人間の手にますます多くの富が集中するにつれ、ギロチンにかけられて当然の富豪たちは他者の実在という現実から目を背けるために、ますます複雑な精神的アクロバットを強いられるようになる。
企業の経営者は従業員の生活をほぼ完全にコントロールしている。その数は何十万人にも及ぶかもしれない。しかし心の奥底では、自分が会社を本当にコントロールしているわけではないことを知っている。Amazon CEOのアンディ・ジャシーが出勤しなくなっても、会社は何事もなかったかのように回り続ける。だが、Amazonのドライバーや倉庫労働者が全員ストライキを起こせば、事業は完全に止まる。彼らが二度と戻らなければ、会社は再起できないかもしれない。彼らとともに門の外へ歩いていくプロセス知識は、もう取り戻せないからだ。
https://pluralistic.net/2025/09/08/process-knowledge/#dance-monkey-dance (邦訳)
アンディ・ジャシーは、自分がAmazonの運転席にいると思いたい。しかし、Amazonは実のところ最も低賃金で最もこき使われている労働者たちの手の中にある――この否定しがたい現実が、彼につきまとって離れない。アンディ・ジャシーはAmazonを運転しているのではない。後部座席に座って、幼児向けおもちゃのハンドルで遊んでいるだけだ。
そこにAIが登場する。
AIにはあなたの仕事はできない。しかしAIのセールスマンなら、あなたのボスを丸め込んで、あなたの仕事ができないAIであなたを置き換えさせることはできる。
https://pluralistic.net/2025/03/18/asbestos-in-the-walls/#government-by-spicy-autocomplete (邦訳)
ボスがこの手のAI詐欺師の格好のカモになるのは、労働者のいない世界を夢見ているからだ。労働者のいない世界とは、経営者がバスを運転する世界である。
ハリウッドの脚本家ストライキの引き金になったのは、脚本家のいない世界というスタジオ経営陣の妄想だった。的外れなメモを脚本家に渡しても、「あんたのアイデアはクソだ」という軽蔑、屈辱に甘んじなくてすむ世界。AIの脚本なら、経営者がどんな映画を作るか決め、チャットボットが注文通りにホンを吐き出してくれる。そのアイデアがつまらないなんて、決して言わない。
こうしてできあがる脚本が到底撮影に堪えない駄作であることは二の次だ。最も重要なのは、経営者のあらゆるものを呑み込む欲求――実際に物事のやり方を知っている人間との、自我を粉砕するような衝突を避けたいという欲求なのだ。知識ゆえに力を持ち、その力を使って、お前はただのアホだと(暗に、あるいは面と向かって)突きつけてくる人間との衝突を。
ハリウッドの俳優ストライキにも同じことが言える。俳優をソフトウェアでクローンし、チャットボットで操り人形にするという進行中のプロジェクトが根底にある。つまり俳優のいない映画という妄想だ。お前が紡いだシナリオは支離滅裂だと指摘し、お前には理解も実行もできない芸術における自らの専門性を盾に、お前のアイデアに異を唱える権利があると主張してくる、そんな俳優のいない映画という妄想である。
AIとは独我論であり、人間のいない世界という妄想だ。
経営者たちはAIで医師や(とりわけ)看護師を代替できるという主張を強くしている。医療の経営者――その多くが巨大プライベート・エクイティ・ファンド――は、病院の株主にさらに多くの金を回すためにケアを削ろうとする。害虫駆除業者への支払いをやめたいし、それで病院が何千匹ものコウモリで埋め尽くされても一向に構わない。
https://pluralistic.net/2024/02/28/5000-bats/#charnel-house
透析クリニックの清潔な針代を削るためなら、免疫不全の病人に血液感染する慢性疾患をうつすことも厭わない。
https://www.thebignewsletter.com/p/the-dirty-business-of-clean-blood
アルゴリズムによる死の審判団を使って、起き上がることも歩くことも、いや生き延びることもままならない患者をベッドから追い出したい。
https://pluralistic.net/2023/08/05/any-metric-becomes-a-target/#hca
問題は、看護師や医師がプロフェッショナル[専門職]だということだ。プロフェッショナルであるとは――定義上――職業倫理規範に従うということであり、その規範は、経営者の命令が患者にとって有害であったなら、拒否することを求める。
精神科医、心理士、ソーシャルワーカー、カウンセラーなど、あらゆる種類のセラピストも同様だ。彼らは法的にも職業的にも、商業的要請より患者の精神的健康を優先する義務を負っている。対面カウンセリングを、ビデオ通話による「電話一本でつながる精神科医オンデマンド」サービス――毎回別のセラピストが登場し、国内外の最安賃金を追い求める――に置き換えたい経営者にとって、これは由々しき問題だ。「AIセラピスト」への熱狂は、効率性や社会のメンタルヘルス危機によって駆動されているのではない。患者ケアの最低基準を譲らないカウンセラーなきメンタルヘルスケアという妄想によって駆動されているのだ。
https://pluralistic.net/2025/04/01/doctor-robo-blabbermouth/#fool-me-once-etc-etc (邦訳)
資本主義とは単一基準の最適化である。他のあらゆる基準を排除して、資本の蓄積を中心に自らを組織化するシステムだ。
つまり、資本主義はプロフェッショナル主義と永遠に対立し続ける運命にある。プロフェッショナル主義とは、資本蓄積を含む他のあらゆる優先事項よりも、行動規範を堅持するシステムだからである。職業倫理は、つまるところ、ビジネスにとって都合が悪い。
だからこそ経営者たちは、プロフェッショナルの現場にAIを押し込むことをこれほど激しく夢想する。つまり、プロフェッショナルから専門家を抜き取るという妄想である。AIの教師とは「教育者なき教育」を意味する。生徒たちはチャットボットの吐き出すスロップ、一発勝負の標準化テスト1訳注:原文では”high-stakes testing”。「結果次第で生徒個人の進級・卒業を左右するだけでなく、学校予算をも左右する一発勝負の標準化テスト」という、教育を「単一基準の最適化」に従属させる資本主義の論理がもたらす帰結を意味しているのだと思う。、画一的カリキュラムに飲み込まれ、それを警告してくれるプロフェッショナル集団はいなくなる。この事実は、教えるという熟練の技をオートメーションで置き換えてどれだけボロ儲けできたとしても、変わることはない。
プロフェッショナルは製造業と異なり、自動化に頑強に抵抗することで知られている。つまり、製造品のコストに対して、プロフェッショナルなサービスのコストは着実に上昇し続ける。
18世紀以降、ニューヨークからウィーンまでの移動にかかる労力、エネルギー、資材、時間は劇的に低下した。しかし、ウィーンの弦楽四重奏団がモーツァルトの弦楽四重奏曲第1番を演奏するのにかかる時間は、1773年と変わらず約30分のままだ。
この2世紀で黒板の製造コストは暴落した。しかし、数学教師が10歳の子どもたちの教室で筆算の割り算を教えるのにかかる時間は、ほとんど変わっていない。
メスの製造コストは史上最低だが、虫垂切除にかかる時間はこの1世紀でわずかに短くなっただけだ。
経済学者はこれを「コスト病」と呼ぶ。自動化がプロフェッショナルなサービスを(相対的に)割高にしていくという事実は、製造業における自動化の威力の証であって、プロフェッショナルに対する告発ではないはずだ。経営者たちは(本来なら)このことを知っていながら、あたかも分子(教育、医療、脚本執筆)が上昇しているかのようにプロフェッショナルなサービスのコストを絶えず嘆いてきた。実際には、縮小する分母(自動化された製造プロセス)が相対価格を押し上げているに過ぎない。
AIの妄想とは、プロフェッショナルを解体し、利益に最適化できる従順なチャットボットで置き換え、かくしてコスト病を永遠に根治するという妄想である。社会がプロフェッショナルな活動から得ている価値を犠牲にすることになろうとも、資本蓄積に最も頑固な障壁をようやく取り除くための代償としては安いものだと考えてしまう。
昨年、トランプ、イーロン・マスク、そしてDOGEは臨界量の政府系科学者を解雇あるいは追い出し、同時に国内の大学の研究プログラムへの資金を骨抜きにした。これでは米国の科学的ブレイクスルーが阻まれるだろうと思うところだが、トランプに言わせればそうではない。科学者なしで、「ムーンショット」級のブレイクスルーを毎年達成すると約束している。チャットボットに命じて、パラダイムを覆す科学的飛躍をオンデマンドで吐き出させればいい、と。
問題は、AIが一見科学的ブレイクスルーに見える文章を吐き出すことはできても、実際に科学を行うことはできないことにある。Googleが自社のDeepmindで材料科学を800年分進歩させ、「220万の構造を発見した」と主張した件を見てみよう。蓋を開けてみれば、これらの「発見」は無価値だった――既知の材料の些末な変種であったり、用途がなかったり、絶対零度でしか存在できないものだったのだから。
https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.chemmater.4c00643
だが、チャットボットに科学ができないという事実は、トランプにとってはさほど重要ではない。少なくとも、チャットボットがしないその他のことに比べれば重要ではない。チャットボットは、日食を直視するなとは言わない。漂白剤を注射するなとは言わない。トランスジェンダーの人々が存在するとは言わない。気候危機が現実だとは言わない。洋上風力発電がクジラを殺し、タイレノールが自閉症を引き起こすとトランプが言えば、チャットボットは同意してくれる。
トランプにとって、科学者なき科学という妄想は、実際に科学が行われるかどうかよりも重要なのだ。
米国は科学を必要としている。しかしビリオネアの独我論者であるトランプにとって、米国とはその大半がほんとうには存在しない人々で構成された国にすぎない。
テック企業の経営者たちにも同じことが言える。そもそも彼らこそが、効果的利他主義と人間のいない世界という妄想に真っ先に飛びついたカモだったのだから。マーク・ザッカーバーグが、平均的な人間は友人が3人いるが本当は15人の友人を欲しがっているのなら、チャットボットでこの問題を解決できる、と口にしたのを覚えているだろうか。
https://www.huffingtonpost.co.uk/entry/mark-zuckerberg-on-ai-friendships_l_681a4bf3e4b0c2b15d96851d
たしかに我々は彼を、「友達」が何かも理解できないほど好かれない火星人だとからかった。だが、実際に起きていることはそうではないと思う。ザックは友情を理解していないのではない。あなたの友人関係を、解決すべき問題として扱っているのだ。
あなたの友人の振る舞いは、ザックの儲けを左右する。友人があなたとの交流を、ザックのプラットフォームに費やす時間が増えるように組み立ててくれれば、ザッカーバーグが表示できる広告の数は最大化され、収益も最大化される。友人たちが頑としてザックの資本蓄積の最大化に協力しようとしないことこそが問題であり、その解決策がチャットボットなのだ。チャットボットなら、ザックの富を増やすよう最適化された形で、あなたと関係を築くように指示できる。
ザックにとってチャットボットとは、交流のないソーシャルネットワークという妄想だ。
だがテック企業の経営者たちがAIで置き換えたいのはユーザだけではない。彼らが本当に排除したいのはプログラマーだ。コンピュータープログラマーは(正式な意味では)プロフェッショナルではないが、かなりの力を持ち、ボスのバカげたアイデアをこき下ろす文化的規範を持っている。
https://pluralistic.net/2023/09/10/the-proletarianization-of-tech-workers/
テック企業の経営者はプログラマーに完全に依存している。プログラマーは経営者にはできないことのやり方を知っていて、そのことを遠慮なく知らしめる。だからこそテック企業の経営者は「コードを書くこと」を「ソフトウェアエンジニアリング」と同一視したがる(後者は上流・下流・隣接プロセスを考慮し、次世代のエンジニアによる可読性と保守性を優先する学問分野だ)。チャットボットは、スコープが明確に限定されたタスクであればソフトウェアルーチンを生成できる。しかし、ソフトウェアエンジニアリングの核心にある広大かつ深遠な「コンテキストウィンドウ」を維持することはできない。チャットボットのコンテキストウィンドウを線形に拡大すると、必要な計算量は幾何級数的に増大するからだ。
https://pluralistic.net/2025/10/29/worker-frightening-machines/#robots-stole-your-jerb-kinda (邦訳)
しかし、チャットボットが大規模に技術的負債を生み出すという事実は、テック企業の経営者にとっては、チャットボットが口答えせずに言うことを聞いてくれるという事実ほど重要ではない。テック企業の経営者にとってチャットボットとは、プログラマーのいない開発現場という妄想だ。
これは悪い冗談である、文字通り。かつて小売店で働いていたとき、我々はよく「小売って、客さえ来なけりゃ最高なんだけどな」と皮肉を口にしていた。知らず知らずのうちにブレヒト2訳注:ベルトルト・ブレヒト。ドイツの劇作家、詩人。共産主義者(マルクス主義者)で、ドイツ共産党を支持・支援していたものの、官僚主義や表現の自由への干渉には否定的な立場を取った。を反復していたのだ。ブレヒトの「解決策[Die Lösung]」にはこんな不朽の一節がある。「いっそ政府は国民を解体し、別の国民を選んだほうが簡単ではないか?」3訳注:「解決策(Die Lösung)」は1953年の労働者による東ベルリン暴動をうけて、ブレヒトが書いた風刺詩。引用の一節は、当局が「人民は政府の信頼を裏切った」と発表したことに対しての痛烈な皮肉。
ビリオネアたちにはこのユーモアがわからない。彼らにとってAIとは、おもちゃのハンドルを会社の駆動系に直結するチャンスであり、脚本家も俳優もいない映画、労働者のいない工場、看護師のいない病院、教師のいない学校、科学者なき科学、プログラマーのいない開発現場、交流のないSNS、そしてそう、クソみたいな客すらいない小売業を実現するものなのだ。
ビリオネアたちは「ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)」構想が大好きだ。彼らにとってこれは、人間のいない世界というAI妄想の究極形である。この妄想においては、経営者のおもちゃのハンドルが本当に会社を操縦している。ビジネスとは、経営者と、経営者のアイデアを製品に変えるコンピュータで構成される。では、誰がその製品を消費してくれるのか。あなただ。ただし、彼らが必要としているのはあなたのUBIだけだ。この妄想のなかで政府は存続するが、その唯一の役割は新しい貨幣を創出してあなたに配ることである。あなたはそれをビリオネアに差し出し、ビリオネアだけが社会のあらゆる機能を指揮していく。
ビリオネアがUBIを好む理由は、チャータースクールを好む理由と変わらない。AIとUBIの妄想においては、ビリオネア以外の全員がチャットボットに置き換えられ、我々に残された唯一の仕事は、かつて民主的に管理されていた諸制度を運営するビリオネアの詐欺師たちに、政府からのバウチャーを差し出すことだ。我々はもう投票用紙で投票することはない。財布でのみ投票する。しかもその財布選挙では、ビリオネアがふさわしいと判断した分の投票用紙しか与えられず、その投票先は「Mac対Windows」や「コーラ対ペプシ」と同程度に無意味な選択肢に限定される。
資本蓄積に最適化された世界。
それは、人間のいない世界だ。
(Image: Matti Blume, CC BY-SA 4.0; Cryteria, CC BY 3.0; modified)
Pluralistic: A world without people (05 Jan 2026) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: January 5, 2026
Translation: heatwave_p2p
- 1訳注:原文では”high-stakes testing”。「結果次第で生徒個人の進級・卒業を左右するだけでなく、学校予算をも左右する一発勝負の標準化テスト」という、教育を「単一基準の最適化」に従属させる資本主義の論理がもたらす帰結を意味しているのだと思う。
- 2訳注:ベルトルト・ブレヒト。ドイツの劇作家、詩人。共産主義者(マルクス主義者)で、ドイツ共産党を支持・支援していたものの、官僚主義や表現の自由への干渉には否定的な立場を取った。
- 3訳注:「解決策(Die Lösung)」は1953年の労働者による東ベルリン暴動をうけて、ブレヒトが書いた風刺詩。引用の一節は、当局が「人民は政府の信頼を裏切った」と発表したことに対しての痛烈な皮肉。