以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Metabolizing the theory of “political capitalism”」という記事を翻訳したものである。
理論というものは、洗練され磨き上げられるほど、かえってシンプルになっていく。これは不思議な事実だ。新しい理論は多くの要因の合流点から着想を得るものであり、初期の段階ではそれに関連しそうなあらゆるものを列挙し、結びつけようとする。それは膨大な量になる。
しかし理論を練り上げていくにつれ、粒度や明晰さを犠牲にすることなく省略・統合できる部分が見えてくるため、理論は次第にスリムになっていく。このシンプル化には、長い時間をかけて、さまざまな聴衆や批評家に向けて、何度も繰り返し語り直す作業が必要になる。ソロー(パスカルの言い換えとして)が書いたように、「話を長くする必要はないが、短くするには長い時間がかかる」のである。
今週、私はある大きく刺激的な理論に出会った。それはまだ「長くて複雑な」段階にあり、可動部分があまりに多いため頭の中で整理しきれずにいる。しかしアイデア自体は魅力的で説明力に富み、ずっと考え続けてきた。そこで今日、その一部をここで咀嚼してみたい。読者の皆さんにこの理論を紹介するためでもあり、自分自身の理解を整理するためでもある。
問題となるのは、ディラン・ライリーとロバート・ブレナーの「政治的資本主義[political capitalism]」理論だ。この理論を知ったのは、ジョン・ガンツが彼らの研究を議論するパネルに参加した際のレポートだった。
https://www.unpopularfront.news/p/politics-and-capitalist-stagnation
ライリーとブレナーはこの理論を、New Left Reviewに掲載された2本の非常に長い(有料の)論文を通じて展開した。最初の論文は2022年の「米国政治に関する7つのテーゼ」(3ポンド)で、2022年中間選挙における民主党の予想外の善戦を受けて書かれたものである。
https://newleftreview.org/issues/ii138/articles/4813
2本目の論文「長期低迷とその政治的帰結」(4ポンド)はさらに長大で、「7つのテーゼ」の理論を再提示しつつ、いくつかの著名な批判にも応答している。
(原典を読もうと考えている方――ぜひそうしてほしいのだが――には、2本目の論文だけで十分だと思う。初出の内容をきちんと要約・整理してくれている。)
では、この理論とは何か。ガンツはその要約を見事にやってのけている(ライリーとブレナーよりもうまい。2人にはまだ、捨てきれない「お気に入り」が多すぎるように思う)。以下は、ガンツの要約をさらに要約したもので、原典からの補足もいくつか加えてある。
ライリーとブレナーが提示しているのは、経済理論と政治理論の双方であり、後者は前者から発展したものだ。経済理論が説明しようとしているのは2つの現象――「長期好況」(第二次大戦後から1960年代頃まで)と「長期低迷」(それ以降)――である。
長期好況の時代、米国経済(および他のいくつかの経済圏)は持続的な成長を遂げた。それ以前の成長期には避けられないと思われていた恐慌が起きなかったのだ。ライリーとブレナーによれば、こうした恐慌は、経営者たちが新しい機械が登場しても古い機械にしがみつくという(局所的には)合理的な判断を下した結果として生じていた。
企業は常に、労働者からより多くの生産性を絞り出すべく新たなオートメーションへの投資を模索している。利潤は機械ではなく労働から生まれるが、競合他社が自社と同じ機械に投資すれば、設備更新で得た高い利潤率は、互いに顧客を奪い合うための値下げ競争によって削られていく。
だが、新しい機械が発明されたからといって全員がすぐに更新するわけではない。旧式の機械の支払いがまだ残っていれば、それを捨てて最新鋭のものに買い替える余裕などない。競合他社が(彼らは新しい機械のおかげでより低コストで同じものを作れるから)値下げしてくるのに合わせて、自分も値下げせざるを得ず、利潤は次第に減っていく。
やがて、セクター全体が旧式の機械にローンを払い続けている状態に陥り、セクター全体の利潤率は維持不可能な水準にまで低下する。そうして「ゾンビ企業」(債務を返済する見込みがまったくない企業)が経済を支配するようになる。これこそ経済学者が恐れる「長期停滞」だ。注目すべきは、この全体が、資本主義をあれほどダイナミックにしているのとまったく同じ力――利潤率の低下傾向とそれに駆り立てられた、より効率的なプロセスへの飽くなき追求――によって引き起こされている点である。これはダイナミズムから生まれる停滞であり、「資本主義をもっとダイナミックにしろ」というレバーを強く引けば引くほど、停滞は深まる。
1920年代のフーヴァーとメロンの緊縮路線は、大規模な倒産を引き起こすことでこの問題に対処しようとした。旧式の機械とそれを所有する企業を「粛清」するという苛烈な試みであり、そのツケは労働者と債権者の双方に回された。だが、それだけでは不十分だった。
代わりにやってきたのが第二次世界大戦だった。政府が工場の設備更新を賄えるだけの価格で物資を買い上げ、労働力全体を雇用へと動員したのである。これが長期好況の引き金となった。米国はすべて新品の資本設備と、高い士気と最新のスキルを身につけた再訓練済みの労働力でやり直すことができたわけだ。
以上が長期好況の説明である。では長期低迷はどうか。ここからがガンツの記述の出発点となる。「後発組」(日本、西ドイツ、韓国、やがて中国)が世界の舞台に登場すると、彼らは自前の長期好況を経験する。さらに極端な形でゾンビ企業と旧式機械の「粛清」を経験していたからだ。これが米国(そしてやがて後発組自身)の利潤を圧迫し、長期停滞――米国の利潤率が50年にわたって低下し続ける時代――をもたらした。
ここまでが経済理論の大部分であり、政治理論の萌芽もここに含まれている。長期好況の時代には分け前が十分にあった。米国は福祉国家を構築し、支配層は労働組合を許容し、女性、性的マイノリティ、障害者、人種的マイノリティなどの政治的・経済的平等を求める運動は大きく前進できた。
だが政治理論が本格的に動き出すのは、長期低迷が何年も続いた後のことだ。この時期、世界には安価な商品が溢れかえり、利潤率は持続的に低下し、そしてより効率的で生産的な技術が発明されるたびに利潤率はさらに下がっていく。低迷国の企業は利潤を改善する新しい方法を見つける必要に迫られる――生産方法の改善以外の何かに投資しなければならない。
ここで登場するのが「政治的資本主義」だ。利潤率を改善するために最も安価で確実な方法が、政治プロセスに投資して有利な規制、利権まみれの政府契約、そして現金での救済を勝ち取ることになったら――それが政治的資本主義である。ガンツの表現を借りれば「資本家は利潤追求者からレント[利権]追求者へと変貌した」のであり、ブレナーとライリーの言葉では、資本家は今や「物質的生産から大部分あるいは完全に切り離された投資収益」を求めている。
ある意味で、これはすぐにピンとくる話だ。政治的資本主義の台頭は、反トラスト法の執行力低下、独占の拡大、度重なる大規模救済、そしてトランプ政権下のあからさまな泥棒政治と軌を一にしている。米国では「生のままの政治権力が資本収益の主たる源泉」となっているのだ。
カーター後期からレーガンにかけての「新自由主義への転回」は、政治的資本主義の下流にある。分け前が十分にあった時代には、資本家階級も政治家階級も労働者と分かち合う用意があった。だが長期低迷が定着すると、経営者は代わりに労働者を搾取し、政治システムを掌握する方向へ舵を切る。ブリジット・リードの『Little Bosses Everywhere』の読者なら、これがまさにジェラルド・フォードがアムウェイの創業者たちを救うためにネズミ講を合法化した瞬間であることがわかるだろう。彼らはフォードの選挙区に住む共和党の大口献金者だった。
https://pluralistic.net/2025/05/05/free-enterprise-system/#amway-or-the-highway
製造業の利潤率はこの時期から回復していない。一時的な持ち直しはあったが、全体の傾向は下降の一途をたどっている。
しかしこれは、ブレナーとライリーの理論が描く政治経済の入口にすぎない。思い出してほしい。この議論はもともと2022年中間選挙を理解するための論文から始まったのだ。政治理論の多くは選挙政治を扱い、米国の二大政党に何が起きたかを論じている。
政治的資本主義の下では、労働者は政治腐敗との関係に応じて異なるグループに分断される。「プロフェッショナル・マネジリアル・クラス」(学位や資格を持つ労働者)は中道左派政党に寄り添い、それらの政党が政治権力を使って医療や教育のような資格労働者を雇う産業に資金を投じることに期待する。一方、資格を持たない労働者は右派政党に傾き、移民禁止や自由貿易の廃止を通じて賃金を上げるという約束に賭ける。
ガンツの最新刊『When the Clock Broke: Con Men, Conspiracists, and How America Cracked Up in the Early 1990s』は、後にMAGAとなる陰謀論的右派の起源を追ったものだ。
https://us.macmillan.com/books/9780374605445/whentheclockbroke/
ガンツによれば、ライリーとブレナーの理論は、自著で記録した時代を理解するのに大いに役立つという。たとえば、ロス・ペロー(トランプの重要な先駆者)が日本やドイツ、韓国のような「後発組」を激しく非難することで権力を築いた経緯がそうだ。
この時期はまた、企業「金融化」の全盛期でもある。これは、企業がより優れた製品をより効率的に作って売ることへの関心を失い、株主が企業から富を引き出すための金融トリックに没頭するようになるプロセスと捉えることができる。研究開発予算の削減、大量解雇、組合潰し、そして大規模な企業借入の時代である。
原論文の中で、ライリーとブレナーは自説を裏づける刺激的で目を見開かせるような事実や議論を次々と繰り出している。たとえば米国では、遊休化する機械がますます増えている。1960年代には製造業の設備稼働率は85%だったが、1980年代には78%に下がり、現在は75%だ。「米国の工場と設備の4分の1がただ停滞している」のである。
今日の経済成長はモノを作ることからではなく、法律に守られた搾取から生まれている。債務規制の緩和によって家計は借金で消費を続けられるようになったが、その結果、労働者の賃金のかなりの部分が債務の返済に充てられることになった。つまり、我々が消費する商品やサービスの代金とは別に、存在することそのものに対して企業に金を払っているわけだ。
しかし債務産業自体は何ら効率化されていない。「貯蓄者から借り手に1ドルを移動させるコストは1910年時点で約2セントだったが、100年後も変わっていない」。規模は拡大したが改善は一切ない――「フィンテック」や「金融工学」の喧伝にもかかわらず、効率化は何一つ達成されていない。「この謎は、金融イノベーションの大半が手数料、インサイダー情報、ロビー活動を通じていかに資源を吸い上げるかに向けられていると認識すれば、たちどころに解ける」のだ。
これらの議論を読みながら、私はこの時期が「知的財産(IP)」の台頭とも重なることに気づかされた。モノを単純に「購入」する能力が低下し、代わりにあらゆるものをレンタルやサブスクリプションで――永遠に――利用するシステムが出現した時代でもある。自動車からサーモスタットに至るまで、生活の主要なシステムはますます月額課金の対象となりつつあり、何かを生活に加えるたびに一度きりの支出ではなく、永遠に続く月々の生活コストの上昇を意味するようになっている。
IPの台頭はまさに政治的資本主義の一部である。グローバルなIP体制は政治的な取り込みから生まれた。世界貿易協定へのIP条項(「TRIPS」)の組み込みや、WIPO著作権条約がそうだ。これは本質的に、大企業(主に米国企業)が世界の統治と法のシステムを再編し、レントの抽出と研究開発費の削減を可能にしたプロセスにほかならない。このナンセンスの不条理かつ必然的な帰結が、チップを製造しない今日の「アセットライト」型半導体企業だ。彼らが手がけるのは設計だけで、実際の製造は主に台湾にある1社か2社の巨大企業が担っている。
もちろん、現代経済が利潤の獲得ではなくレントの抽出を中心に組織されていると指摘したのは、ライリーとブレナーが初めてではない。ヤニス・ヴァルファキスは現代経済を中世の封建制になぞらえ、この新たな形態を「テクノ封建主義」と呼んでいる。
https://pluralistic.net/2023/09/28/cloudalists/#cloud-capital
ライリーとブレナーは、政治的資本主義の先行形態として別の封建的慣行に目を向けている。「徴税請負」だ。
起業家の一団が君主に資金を前渡しし、その見返りに一定の領土や住民から税を徴収する権利を得ていた。彼らの「利潤」は、課税権を得るために君主に前渡しした金額と、その権利を行使して住民から搾り取った金額との差額であった。つまりこれらの起業家は、余剰を搾取する手段として、行政手段と暴力手段のコントロールという政治に投資していたのであり、こうして政治的に構成されたレントの一形態を作り出していたのだ。
利潤とは異なり、レントは「物質的生産から大部分あるいは完全に切り離されて」おり、「富を創出しない」ばかりか「経済成長を低下させ、所得を下層から上層へ再配分する」。
レントを得るには資産が必要であり、今日のシステムにおいて高い資産価格は最優先の政治課題となっている。政府は住宅価格を高く維持するために介入し、企業の社債を保護し、そしてもちろんAI企業の株や手形がゼロにならないよう手を打っている。経済は「政治に依存する企業と家計の巨大な集団」に支配されており、彼らは「政府による低金利政策に深く依存している……米国経済全体は、政府に裏打ちされた融資によって維持されており、生産から得られる利潤は極度の圧迫下に置かれている」。
かつての社会福祉プログラムは、こうした「政治に依存する企業」に恩恵をもたらす官民パートナーシップに取って代わられた。ブッシュの処方薬法は、医薬品研究への公的投資を低価格で回収しようとはせず、製薬企業に(さらなる)補助金を提供する代わりに(微々たる、あるいは実質的にはゼロの)値引きを得るにとどまった。オバマのACA(医療費負担適正化法)は何千億ドルもの資金を医療企業の投資家に移転し、彼らは価格を引き上げて利潤を増やした。トランプのCARES法は国内のあらゆる企業債務者を救済した。バイデンの米国救済計画法、CHIPS法、インフレ削減法は、公共サービスの提供や労働者への資金移転ではなく、営利セクターへの補助金として設計された。
選挙の面では、政治的資本主義とは「目がくらむほどの選挙費用と、あからさまな大規模腐敗」のシステムだ。それは労働者を極右政党の旗の下に追いやり、中道左派政党を官僚エリート層の中道右派政党へと再編した。両党ともに行き詰まっている。なぜなら「持続的に低成長あるいはゼロ成長の環境下では……政党はもはや成長に向けた先行きを示すことができない」からだ。
これでもまだ表面をなぞったにすぎない。4ポンド払って原典を読む価値は十分にあると思う。この理論のさらなる発展と、そのスリム化を楽しみにしている。重要なことを数多く語っている理論だ。現時点ではいささか咀嚼しにくいとしても。
Pluralistic: Metabolizing the theory of “political capitalism” (06 Dec 2025) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: December 6, 2025
Translation: heatwave_p2p