以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Love of corporate bullshit is correlated with bad judgment」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

私は物書きだ。だからもちろん言葉には注意を払っている! だが物書きであるがゆえに、言葉の展性、二面性、ニュアンスによってこそ言葉は豊かになると考えてもいる。

英語のネイティブスピーカーであることの醍醐味の1つがここにある。この素晴らしき雑種言語には、きわめて奇妙な単語がひしめいている。たとえば「cleave」は、自分自身の反対語でもある(「くっつける」と「切り離す」)。「dust」から「oversight」、「weather」まで、英語にはこうした自己矛盾語があふれている

https://www.mentalfloss.com/language/words/25-words-are-their-own-opposites

言語を野放しにして、意味を話者が決め(そして争い)ながら使うと、こういうことが起きる。ちなみに私の第二言語はイディッシュ1訳注:中・東欧のアシュケナージ系ユダヤ人の伝統的な言語(ユダヤ・ドイツ語)だが、これもまた権威的な規範を持たず、無数の方言が入り乱れた、愛すべきごった煮言語である。

意味の変遷はバグではなく機能だ。新しい言葉が生まれ、古い言葉に新しい意味が宿るのは、この仕組みのおかげである。私は意味の変遷をこよなく愛している。愛さずにいられようか。なにしろ「メタクソ化[enshittification]」という言葉を造った以上、私の墓石にはうんちの絵文字が刻まれる運命なのだから。ある言葉を造り、その精密な技術的定義を提案した身として言うが、メタクソ化を「誤用」した他人を叱り回ることが自分の使命だと思っている人々には困惑する。「メタクソ化」はまだ5年も経っていない言葉であり、いつ、どうやって生まれたかは明らかだ。が新語を造ったことを歓迎するなら、他の人がこの言葉に新しい意味を与えることに一律に反対するわけにはいかないはずだ。メタクソ化を思いつくのに造語免許は必要なかったし、意味を変えて使うのに意味変遷免許も要らない。

この点についてはわざわざ1本のエッセイを書いたのだが、それでも、この言葉の「誤用」を叱りつける運動に私を巻き込もうとする人が絶えない。

新語が時に理論的な裏づけから切り離され、口語的に使用されるという事実も、バグではなく機能だ。多くの人々が「メタクソ化」という用語をゆるく適当に使い、その理論的な枠組みをあまり理解しないままに、単に「悪いもの」を意味する言葉として使っている。じつに良いことだ。用語が辞書に載るというのはそういうことで、それ自体に命が宿る。1000万人の人々が「メタクソ化」をゆるく使うことで、その10%がもっと長期間、理論的な私の仕事をもっと調べるよう促されるのなら、それは100万人の一般人を、かつては専門的で難解な実践者の世界にのみ存在していた議論に引き込めたということだ。用語を正確で理論的に間違いがないように使わせたいなら、その使用を世界から切り離された少数の内輪グループに限定すればいい。「メタクソ化」の用法を取り締まるのは、自己抑制的である以上に、自傷的ですらある。

https://pluralistic.net/2024/10/14/pearl-clutching/#this-toilet-has-no-central-nervous-system邦訳

口語化は言葉を薄めるのではなく、より濃くする。力のある言葉を別の何かの描写に転用するのは見事な技であり得る。それは引喩、隠喩、直喩であり、詩情だ。それでかまわない。悪いニュースの「津波」を嘆いても、現実の津波で亡くなった人々の死を軽んじることにはならない。トランプ政権が消費者金融保護局を「核攻撃した」と言っても、広島と長崎の犠牲者を冒涜することにはならない。忍び寄る権威主義を「癌」と呼んでも、実際に癌を患う人の苦しみを貶めることにはならない。

さらに言えば、他人の比喩表現を「正す」ことにエネルギーを注いでいくと、退屈でうんざりする人物になっていく。もちろん、仲間とインクルーシブな言葉遣いについて話し合うのはいい。だが実質的な議論の最中にそれを割り込ませるのは本末転倒だ。人の使う言葉は大切だ(私は言葉をとても大切にしている!)。しかし、言葉よりも大切なのは、人が何を言おうとしているかだ。肝に銘じろ(比喩的に言っている)(念のため言うと、肝臓の話ではない)(肝も銘も比喩だ)。

(もちろん、意図的にスラーを使う人に対しては怒ってよい。自分を非人間化する意図の言葉を許容すべきだとか、それに晒されるべきだ、と言っているわけではない。)

そろそろ認めるべきだろう。不快な用語を誰にも理解できないフレーズに置き換えても意味がないということを。「児童性的虐待素材[child sexual abuse material]」と呼ぶのはよいアイデアだが、実際にそう呼ぶ人はいない。それが使われる場面はたいてい、「児童性的虐待素材、一般には『児童ポルノ』と呼ばれているが、本来は『児童性的虐待素材』と呼ぶべきもの」という説明だ。「児童ポルノ」と言わないことが目的なら(それ自体は称賛に値する目的だが)、達成されてはいない。

もちろん私自身、他人の言葉遣いに不快感を覚えないわけではない。SF界の巨匠デイモン・ナイトに師事した私は、彼の言語的偏執の多くに感染しており、誰かが私の耳の届く範囲で「out loud」と言うと、脳内で「aloud」に「修正」してしまう(そう、「out loud」で何も問題はないのだが、デイモンがこだわっていて、それが脳にこびりついたのだ)。

とりわけ気に障るのが「ビジネス英語」――商業階級の言語であり、メディアの太鼓持ちたちにも、そして(哀しいかな)彼らを批判する人々にもしょっちゅう使われている言語である。誰かがある業界を「スペース」と呼ぶたびに(たとえば「AI スペースにすごくハマってるんだ」)、アルミホイルを噛まされているような気分になる。「ソートリーダー」のような最上級表現はあまりにも自己パロディ的で、誰かが声高に叫ぶ[aloud](ほら出た)のを聞くたびに、皮肉で言っているのかどうか確認しなければならない。軽蔑の対象はファーストネームではなく姓で呼ぶべきだし(「マスク」は非難の響きだが、「イーロン」は親しげだ――もっとも、言語の栄光ある矛盾の深化のおかげで、姓で呼ぶことが親しみを示す場合もある)、企業が自社を美化するために使う「ハイパースケーラー」のような業界ジャーゴンも避けている。

自分の言語的好みを周囲の人々に押しつけたいという衝動は、私にもある。ただ(たいていは)その衝動を抑え、他者を理解し自分を理解してもらおうとするとき、スタイルではなく中身に集中するよう努めている。とはいえ、周囲の人々の言葉遣いを黙って品定めしていることは――しょっちゅうある。

だからこそ、「コーポレート・ブルシット受容度尺度――開発、妥当性検証、および職場成果との相関」と題されたオープンアクセス論文を目にしたとき、すぐさま飛びついた。コーネル大学のポスドク言語学研究員シェーン・リトレルによるこの論文は、『Personality and Individual Differences』 誌の2026年2月号に掲載されている。

https://www.researchgate.net/publication/400597536_The_Corporate_Bullshit_Receptivity_Scale_Development_validation_and_associations_with_workplace_outcomes

リトレルが評価しようとしたのは「コーポレート・ブルシット[corporate bullshit]」――単なる「専門用語[jargon]」とは異なる言語カテゴリだ。専門用語はリトレルによれば、有用な目的を果たす職業語彙であり、「コミュニケーションと社会的結束を促進し、流暢さを高め、内集団メンバー間の共有アイデンティティの強化に寄与する」ものである。

一方、ブルシット[bullshit]とは「意味論的、論理的、または認識論的に疑わしいにもかかわらず、誤解を招くほど印象的、重要、有益、あるいは魅力的に見える情報」のことだ。ブルシット研究にはれっきとした学問領域があり、「疑似深遠ブルシット[pseudo-profound bullshit]」(ディーパック・チョプラを思い浮かべてほしい)といった刺激的なテーマが研究されている。

リトレルはこの分野などの先行研究を踏まえてコーポレート・ブルシットを調査し、「コーポレート・ブルシット受容度尺度」と名付けた測定指標を策定した。3つの実験を通じて、コーポレート・ブルシットに最も影響されやすいのは誰か、そしてその受容度にはどんな相関があるのかを明らかにしようとしたのである。

リトレルの結論によれば、コーポレート・ブルシットを駆使する側の人間は、ブルシットを見抜く能力(「組織ブルシット認知スコア」)もかなり高い。つまり、ブルシットを吐く側は、自分がブルシットを吐いていることを自覚している。企業のリーダーがこう宣言するとき、

我々のソートリーダーシップに対するこのシナジスティックな視点により、キー・テイクアウェイにおけるディコンテンティングとレピュテーション上の毀損回避を可能な限り効果的に実行し、レゾネイティング・フォーカスをサンセットしていく2訳注:解読すると「当社の専門知識を活かした独自戦略に基づき、不要な反発や評判の低下を確実に防ぎながら、これまで力を入れてきた事業(または注力テーマ)を終了します」だろうか。「事業や施策の整理・終了」という方向性らしきものは読み取れるが、具体的に何を、なぜ、いつまでに終了するのかは読み取れない。

本人はそれがナンセンスだとわかっている。

これを聞いて思い出したのは、カルトの指導者が見え透いた嘘を信者に語るのは服従を示させるためだ、という考え方だ。トランプが手下にピエロのような靴を履けと要求するとき、

https://www.msn.com/en-us/news/politics/trump-is-obsessed-with-these-145-shoes-and-won-t-let-anyone-leave-without-a-pair/ar-AA1XOEBm

あるいは彼が「mutilization」なる単語が実在するかのように振る舞えと求める3※訳注:トランプは2025年1月、トランスジェンダーの未成年者に対する性別適合医療を「子どもの化学的・外科的切除(mutilation)」と呼ぶ大統領令に署名した。以降、この問題に繰り返し言及する中で、正しい英語の「mutilation」ではなく「mutilization」という存在しない単語を使い続けている。ドクトロウはここで、支持者がこの誤語をあたかも正しい言葉であるかのように受け入れざるを得ない状況を、先述のカルト的服従の力学と重ねている。とき、

https://www.wonkette.com/p/is-trumps-save-america-fck-america

それは支配のゲームであり、対立し合う取り巻きの小王子たちとその太鼓持ちに恥をかかせ、自らの至高性を再確認させる行為なのだ。

企業内には組織ブルシット認知スコア(OBPS)が高く、ブルシットを浴びせられても見抜ける一般社員が大勢いる。しかしリトレルは同時に、OBPSが低く、コーポレート・ブルシットに完全に騙されてしまう大きな集団も特定している。

ここで興味深い二項対立が浮かび上がる。OBPSが低い社員も高い社員も「オープンマインド」と形容できるが、「オープン」の意味はまるで異なる。ブルシットを見抜くのが得意な社員は、「関与する意欲」や「内省する意欲」といったオープンマインドの指標で高いスコアを出す。これらはいずれも、問題解決に長け、仕事をきちんとこなす「流動性知能」の特徴だ。

一方、ブルシットに騙される社員が「オープンマインド」なのは、分析的推論が苦手なために何でも信じてしまうという意味においてである。こうした人々は「論理的推論」や「意思決定」の指標が低く、「自分の知的・分析的能力に対する過信」のスコアが高い。「組織を財務的、評判上、または法的リスクにさらす」ような判断ミスを犯しやすい人々だ。

しかし同時に彼らこそが、「職務満足度」「上司への信頼」「企業のミッションステートメントに鼓舞される度合い」でも高スコアを叩き出す。あまりにオープンマインドすぎて、脳みそが耳から漏れ出しかけているのだろうか。あるいは、カーリー・ペイジがThe Registerで書いたように、「業界用語がしぶとく生き残るのは、幹部が好んで使うからだけでなく、多くの人がそれを本物の知見であるかのように受け取るから」である。

https://www.theregister.com/2026/03/15/corporate_jargon_research

こうしてフィードバックループが形成される。ボスは空虚で苛立たしいフレーズを使うことで報われ、組織の人員構成はブルシットを見抜くのが苦手でかつ仕事上の判断力に欠ける人々に偏っていく。ブルシットが組織内で増殖し、やがて組織がブルシットに完全に覆い尽くされる理由を、じつにすっきりと――そして陰惨に――説明するモデルだ。

これは実に魅力的な研究論文であり、ここでは結論に焦点を当てたが、方法論についてもぜひ読んでほしい。特に実験で使用された「コーポレート・ブルシット」フレーズの一覧表(表1、2、3)は必見だ。そこにはゾッとするようなブルシットが並んでいる。

対話を通じて顧客のペインポイントを解決することで、類似のバランスト・スコアカードへのダウンロードをアーキテクトしている各位との市場において、新たなレベルのエンドステート・ビジョンとグロース・マインドセットをアイディエイトしていく4訳注:無理やり解読すると「顧客との対話を通じて課題を解決し、類似の業績指標に取り組む競合他社との市場において、我々の最終目標と成長志向を新たな水準に引き上げるアイデアを出していく」だろうか。先程のフレーズに比べて、より一層抽象度が上がり、いったい何をするのかすらわからない。ブルシットで厚化粧しただけの、平易にすると空虚さが丸わかりになるフレーズである。

しかもこれらはすべて、大企業の経営者が実際に使ったコーポレート・ブルシットに基づいており、いくつかの単語がビジネスメディアから取った類義語に入れ替えられているだけだ。

私は物書きだ。言葉のことを本当に大切にしている。意味の変遷に目くじらを立てたり、些末で衒学的な修正にいそしむ人々にはたしかに苛立つが、それは言葉が重要でないからではない。言葉は大いに重要だ。ただし言語は数学ではない(だからこそ二重否定は打ち消しではなく強調になる)。言語は曖昧にもできるし(ブルシットのように)、啓発もできるし(詩のように)、精密さを可能にもする(専門用語のように)。言語をめぐる議論は重要だが、その重要さの核心は主観的な美意識でも、「正しさ」への偏執でもない。重要なのは、言語が世界にどう作用するか(そして世界が言語にどう作用するか)である。

Pluralistic: Love of corporate bullshit is correlated with bad judgment (19 Mar 2026) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: March 19, 2026
Translation: heatwave_p2p

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    訳注:中・東欧のアシュケナージ系ユダヤ人の伝統的な言語(ユダヤ・ドイツ語)
  • 2
    訳注:解読すると「当社の専門知識を活かした独自戦略に基づき、不要な反発や評判の低下を確実に防ぎながら、これまで力を入れてきた事業(または注力テーマ)を終了します」だろうか。「事業や施策の整理・終了」という方向性らしきものは読み取れるが、具体的に何を、なぜ、いつまでに終了するのかは読み取れない。
  • 3
    ※訳注:トランプは2025年1月、トランスジェンダーの未成年者に対する性別適合医療を「子どもの化学的・外科的切除(mutilation)」と呼ぶ大統領令に署名した。以降、この問題に繰り返し言及する中で、正しい英語の「mutilation」ではなく「mutilization」という存在しない単語を使い続けている。ドクトロウはここで、支持者がこの誤語をあたかも正しい言葉であるかのように受け入れざるを得ない状況を、先述のカルト的服従の力学と重ねている。
  • 4
    訳注:無理やり解読すると「顧客との対話を通じて課題を解決し、類似の業績指標に取り組む競合他社との市場において、我々の最終目標と成長志向を新たな水準に引き上げるアイデアを出していく」だろうか。先程のフレーズに比べて、より一層抽象度が上がり、いったい何をするのかすらわからない。ブルシットで厚化粧しただけの、平易にすると空虚さが丸わかりになるフレーズである。
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