以下の文章は、2025年7月19日付のコリイ・ドクトロウの「Conspiratorialism and neoliberalism」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

トランプが就任初日に乱発した大統領令には、奇妙で不快な内容が山ほど含まれていたが、私にとって最も示唆に富む(ただし最重要ではない)のは、助成金申請に「システミック[systemic: 構造的/全身性]」という単語が含まれるすべての医学研究への資金を打ち切るという決定だった。1訳注:トランプが「systemic」という言葉を標的にしたのは、左派・リベラルがとりわけBLM運動以降、「構造的人種差別[systemic racism]」批判を強めていたためである。それゆえ「systemic」はDEI(多様性・公平性・包摂性)の象徴とみなされ、そのワードを冠した研究は助成金の対象から除外されることになった。

https://www.washingtonpost.com/science/2025/02/04/national-science-foundation-trump-executive-orders-words

これは客観的に見て、きわめて愚かな判断だ。最近がんと診断され、現在は「局所性[localized]」にとどまっているものの、「全身性(systemic)」に進行した場合にははるかに集中的な治療が必要になる私としては、政府に全身性疾患の研究を継続してほしいと切に願っている。

もちろん、トランプが意図的に全身性がんの研究を葬ろうとしていたわけではない。本当の標的は別にある――社会現象に対する全身性の説明を抹殺することだ。全身性がん研究が巻き添えになろうとも、彼には痛くも痒くもない。

これはネオリベラリズムの教義とも完全に一致する。その教義を最も端的に表現したのが、マーガレット・サッチャーの悪名高い言葉「社会などというものは存在しない」だ。ネオリベラリズムの世界では、我々は皆バラバラの個人であり、ホモ・エコノミクスの一員として自らの効用を最大化しようとする。一見すると利他的な行為も、実はすべて利己的な動機に基づくとされる――パートナーに愛を告げるのはセックスや病気の介護を期待しているからで、貧しい人に施しを与えるのは金になる取引を紹介してくれそうな人間の前で徳のある人物に見せたいからで、がん研究に寄付するのは将来自分がかかったときの保険だ、というわけだ。

そして、この利己性は、バグではなく仕様なのだという。利己的な効用最大化を追求してこそ、市場――巨大な分散型コンピュータ――は、資本を配分し「下々の者」の活動を指揮すべき人物を正しく選別できる。「見えざる手」がこうした生まれながらの君主たちを後押しし、資本主義という石から剣を引き抜かせるとき、彼らは運命が定めた支配者の座に就き、我々すべての社会的・物質的な進歩を最大化していく。

ネオリベラル経済学は、社会科学としての経済学を、実証的・数学的な証明に基づく「ハードサイエンス」へと転換することを目指している。エコノミズムとは、人間社会は数学的モデルというレンズを通してのみ考察されるべきだという政治哲学である。必然的に、容易に数値化・モデル化できないあらゆる要素は蒸発してしまう。

https://locusmag.com/2021/05/cory-doctorow-qualia

これは権力論を一切欠いた、作り話に基づく政治哲学だ。あなたが私に腎臓の売却を持ちかけ、私がそれに応じたなら、双方が満足した自発的な合意が成立したのだから国家が介入すべきではない――腎臓を売る人間が全員貧しく追い詰められていて、買う人間が全員裕福で権力を持っていようとも、それは問題ではない。「権力的」あるいは「追い詰められた」という感覚を客観的に証明できるのか、というわけだ。

腎臓の買い手側にいる人間、あるいはどんな目的のためにでも労働者の労力や身体を買い上げたい人間にとって、この哲学はこの上なく都合がよい。組合との一切の交渉を拒絶したい者にとっても素晴らしい哲学だ。なぜなら、組合は労働者と雇用主の間の「自発的」な取引を妨げており、(「権力」などという曖昧な要素を排した純粋なデカルト的空間で機能する)煌めく方程式が、それを「市場の歪曲」と証明してくれるからだ。

搾取や殺人で金を稼いでいる場合にも、この政治哲学は極めて都合がよい。年率1000兆パーセントの超高利の給与前払いローンを私に提示し、私がそれを受け入れたなら、それは自発的な市場取引であり、そのローンを借りる人間が100パーセント貧困層で、提供する側が100パーセント富裕層だという事実に、誰かがとやかく言う理由はまったくない。

https://pluralistic.net/2023/05/01/usury/#tech-exceptionalism

同様に、独占によって莫大な利益を享受しているなら、この哲学は反トラストを寄せつけない盾になる――「我々の独占的なビジネス慣行を人々が好まないなら、他の店に行くはずだ」と言えばいい。

https://www.eff.org/de/deeplinks/2021/08/party-its-1979-og-antitrust-back-baby

不滅の有毒プラスチック包装で地球を破壊したい場合にも朗報だ。この哲学があれば、プラスチック問題の原因は「ポイ捨て」(無責任な個人)であり、製品そのものは無関係だと言い張れる。

https://pluralistic.net/2020/09/14/they-knew/#doing-it-again

人類が生存できる唯一の惑星を居住不能にしつつある少数の大手化石燃料企業にとっても、この哲学は福音だ。問題の責任を個人の「カーボンフットプリント」に転嫁できるのだから。(企業側の)倒錯した強欲ではなく個人の責任にすり替えられるのだ。

https://mashable.com/feature/carbon-footprint-pr-campaign-sham

この哲学は、構造的[systemic]な分析に対してアレルギー反応を示すようにできている。あらゆる事象は、権力の存在しない真空状態で個人がとる選択の集積――ポイ捨てするか、働くか、借りるか、買い物するか――に還元されなければならないのだから。この思想に染まりきった者たちには、それが一つのイデオロギーであるという自覚すら生まれない。

ノーム・チョムスキーとアンドリュー・マーの対談を思い出してほしい。

マー:あなたはどうして私が自己検閲していると分かるのですか?

チョムスキー:自己検閲しているとは言っていません。あなたが自分の言うことを全て信じているのは確かだと思います。ただ私が言いたいのは、もしあなたが違う考えを持っていたなら、今その席には座っていないということです。2訳注:アンドリュー・マーはこの対談当時もBBCの著名ジャーナリストで、後にBBCの看板政治番組を担当することになる。ジャーナリストが意図的に沈黙するわけではないにしても、メディア構造の中で生き残るために自然と特定の「フィルター」を通した「正しい」情報しか報道しなくなる。その組織内の構造的選別を経て「その席」に座っているあなた自身の存在が(あなたは自覚していないだろうが)メディアの自己検閲そのものなのだ、みたいな話。

構造的な視点は、ネオリベラリズムの世界観をすべての面から揺るがす。2011年、ハックニーをはじめとする英国各地の街頭で蜂起が起きた。略奪や放火も一部あったが、抗議活動の大半は、ロンドン警察による黒人男性殺害に憤った人々による行進と抗議の声で占められていた。

これに対し、当時の首相デーヴィッド・キャメロンは、蜂起への構造的な説明を一切排除し、「純粋かつ単純な犯罪にほかならない」と言い切った。

https://www.theguardian.com/uk/2011/aug/09/david-cameron-full-statement-uk-riots

「純粋かつ単純な犯罪」とは何の説明にもなっていない。その「犯罪」はどこから来たのか? なぜこの時期に急増したのか? 警察によって蜂起が鎮圧された後、それはどこへ行ったのか? 消え去ったのか? それとも英国各地の人々の胸中でくすぶり続け、何か聞こえない合図を待って再び爆発するのを待っているのか?

構造的な説明を持たない世界で生きることは、どれほど恐ろしいことか。そこは社会現象とは何ら関係なく、無数の人間の自発的な決断の結果として、人口規模の変動が生じる世界であり、説明のつかない精霊が大地をはいずりまわる世界だ。

あるいは悪魔や魔女に密かに支配された世界。

それはすなわち、陰謀論ファンタジストの世界だ。

昨日、トランプ連合の陰謀論者グループがエプスタイン事件を生き続けさせている役割と、それがトランプにとっての危機について書いた。

https://pluralistic.net/2025/07/18/winning-is-easy/#governing-is-harder

トランプの陰謀論的支持基盤は、特権エリートによる性的捕食者が司法の裁きを逃れるという話題で、大きく、そして確実に燃え上がる。当然だ。特権エリートの性的捕食者たちは、様々な犯罪を免れてきた――エプスタインだけではない。ハーヴェイ・ワインスタインからドナルド・トランプまで、何十年にもわたって組織的に女性を虐待し、しかも逃げおおせ、自慢すらしてみせた男たちの世界全体がそうだ。

しかし、こうした現実の加害者の存在にもかかわらず、トランプ支持基盤の陰謀論者が主に関心を寄せるのは、架空の加害者たちだ――Qアノンが描く、アドレノクロムをがぶ飲みする小児性愛者の闇の組織が、存在もしないピザ屋の地下室から次の地下室へと、平凡な Wayfair の家具に詰め込んで子どもを輸送し続けるという物語だ。

https://pluralistic.net/2021/07/05/ideomotor-response/#qonspiracy

これがナオミ・クラインの『ドッペルゲンガー』で描かれた、右翼陰謀論の「鏡の世界」である。

https://pluralistic.net/2023/09/05/not-that-naomi/#if-the-naomi-be-klein-youre-doing-just-fine

その世界では、現実に苦しむ子どもたち(檻に閉じ込められた子どもたち、「アリゲーター・アウシュビッツ」で腐っていく子どもたち、食肉加工工場で夜勤をこなす子どもたち)など眼中にない。一方で、架空の子どもたち(生まれていない子供たち、Qアノンの被害者など)が舞台の中央を占領している。

エプスタイン事件における最も奇妙な点の1つは、右翼の陰謀論者たちが架空の存在ではなく実在の人物に関心を示す稀有なケースであることだ。

鏡の世界は右翼政治を支配している。そこは構造的な問題が存在しない世界だ――構造的な権力が存在しない世界なのだから。我々が直面する問題の原因は、強者を不問に付すシステムではなく、邪悪な心を持った金持ち個人にある、という世界観だ。

だからこそ、反ユダヤ主義は「愚者の社会主義」と呼ばれてきた。反ユダヤ主義者は、金融資本の政治システムへの支配を問題にするのではなく、ユダヤ人銀行家の陰謀に問題の元凶を求める。

昨日の記事に対して、読者のガービン・ジャブッシュがこう書いてくれた。「『構造的問題を個人のせいにする』というあなたの表現は、BPが発明したカーボンフットプリントという概念について私が感じることを見事に結晶化しています。」

まさにその通りだ。私自身、この接点を今まで引いたことがなかった。陰謀論は古来より蔓延してきたが、現代の陰謀論者は鏡の世界に囚われた保守主義者だ。

https://pluralistic.net/2023/06/16/that-boy-aint-right/#dinos-rinos-and-dunnos

鏡の世界は現実を歪める。だがその歪みの曲率は、ネオリベラリズムの「社会などというものは存在しない」とまったく同じだ。陰謀論も、ネオリベラリズムと同様、世界は構造的な性質によってではなく、個人の美徳と悪意によって動いていると主張する。その構造的な性質こそが、正しいことをする難易度を左右し、場合によっては正しいことを不可能にすらするのに。

だからこそ、ドナルド・トランプは「システミック[構造的]」という言葉を禁じたのだ。客観的に見れば、ドナルド・トランプは原因ではなく結果にすぎない。彼は愚かで衝動的すぎて、自ら何かを生み出す力はない。できることはただ一つ――政治に空いた「ドナルド・トランプ型の空洞」を埋めることだけだ。その空洞を穿ったのは、40年間にわたる民主・共和両党の合意である。「社会などというものは存在しない」。あらゆる社会問題は「歪んだ市場」の産物であり、国家が介入すれば悪化するだけだ――その主張が、この空洞を[訳注:構造的に]作り上げた。

ネオリベラリズムも陰謀論も、世界を動かすのは社会的な力ではなく「偉大な人物」だと主張する。「システミック」という言葉を否定することで、トランプは自分自身が構造的な現象ではないと否定できる――我々の歪んだ時代に都合よく形成された怪物にすぎない、と。

Pluralistic: Conspiratorialism and neoliberalism (19 Jul 2025) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: July 19, 2025
Translation: heatwave_p2p

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    訳注:トランプが「systemic」という言葉を標的にしたのは、左派・リベラルがとりわけBLM運動以降、「構造的人種差別[systemic racism]」批判を強めていたためである。それゆえ「systemic」はDEI(多様性・公平性・包摂性)の象徴とみなされ、そのワードを冠した研究は助成金の対象から除外されることになった。
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    訳注:アンドリュー・マーはこの対談当時もBBCの著名ジャーナリストで、後にBBCの看板政治番組を担当することになる。ジャーナリストが意図的に沈黙するわけではないにしても、メディア構造の中で生き残るために自然と特定の「フィルター」を通した「正しい」情報しか報道しなくなる。その組織内の構造的選別を経て「その席」に座っているあなた自身の存在が(あなたは自覚していないだろうが)メディアの自己検閲そのものなのだ、みたいな話。
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