以下の文章は、EDRi(European Digital Rights)20周年イベントで行われた、Signal Foundationプレジデント、メレディス・ウィテカーのキーノートスピーチビデオ)の翻訳である。EDRiは2002年に設立された欧州のデジタルライツ擁護団体で、欧州全域のNGOやデジタルライツ団体から構成されている。

ありがとうございます。EDRiは、基本的権利の保護に根ざした住みやすい未来が、テック企業やセレブリティの派手な主張によって歪められてしまわぬよう、素晴らしい活動を続けている組織です。EDRiはその目標に向けて真剣に取り組む共闘モデルであり、あなた方がここにいると思えばこそ、私は夜もぐっすり眠れるのです。ですから、ありがとうございます。そして、20周年おめでとうございます。

ですが、今日の講演では、夜も眠れなくなるほどの問題についてお話したいと思います。最近相次いでいる規制案や見当違いの技術的修正提案についてです。それは複雑な社会問題に間違った監視的ソリューションを提示するもので、プライバシーの権利を違法行為と一緒くたにして、あたかもプライバシーを剥奪すれば違法行為に対処できると謳う“ソリューション”です。

これらの提案は、Signalが取り組んでいること、そしてSignalが支持するすべてに対する重大な攻撃にほかなりません。Signalは、監視がますます強化される世界にあって、プライベートなコミュニケーションツールを提供するために存在しています。私たちは、欧州委員会が承認した唯一のメッセンジャーであるSignalメッセンジャーアプリを絶えず開発・メンテナンスし、エコシステム全体のプライバシーを改善するためにSignalの枠を超えて共有する研究にリソースを割くことで、これを実現しています。

2013年、Signalプロトコルは通信プライバシーに大きな進歩をもたらし、他の複数のアプリでも使用されるメッセージングプライバシーのスタンダードとなりました。日々、何十億ものメッセージがSignalプロトコルで暗号化されています。これ以外にも、Signalはアイデンティティとメタデータを保護する新たな技術を開発し、Signal Messengerアプリが真に堅牢なプライバシーを提供できるように実装しています。

私たちのテクノロジーとその実装のニュアンスについては、一日中でも話し続けることができます。ですが悲しいかな、今日、私たちにはやるべき仕事があり、戦うべき戦いがあります。

20年近くテクノロジーに携わってきましたが、同じような会話が生まれ、消えてはまた生まれ、同じような呪術的思考が何度も出てくるのを見てきました。たいだい次のようなパターンです――複雑で悲惨な社会問題が、規制当局やメディアから注目され、誰もがその問題の重大さと対処の緊急性を認識する。私たちは苦悩し、心配し、感情的になり、今すぐ「何かしなくては」という焦燥感に襲われる。

私たちは何度も何度も同じような「ソリューション」を提示されます。問題を抱えた世界の過ちを正すには、個人的なコミュニケーションを制限しなければならない――といったふうに。

もちろん、コンピューティングの歴史は大量監視の危険性を警告する物語で彩られています。組織的な大量虐殺のためにIBMのホレリスマシンを使用したナチス。それと時を同じくして、日系人を識別し強制送還するために国勢調査データに違法にアクセスした米国。アパルトヘイトによる隔離をデジタル化しようとした南アフリカ。そして、今日、米国で犯罪化された医療を求める人々のデータを(訳注:当局に)引き渡した大手テック企業。

ですが、この歴史をあえて長々とお話する必要はないでしょう。ここにお集まりの皆さんは、権威主義的な時代における大規模監視の危険性を十分にご存知のはずです。

同様に、通信技術の歴史には、「善良な人々」だけがアクセスできるバックドアを作り、「そうではない人々」からの脅威にはセキュリティを保つという、いいとこ取りを試みては失敗を繰り返してきた政府の呪術的思考が散りばめられています。

そうした取り組みは失敗に終わるのが常でした。たとえば、悪名高いチッパークリップがそうです。莫大な資金が投じられながら、暗礁に乗り上げ、プロジェクトは何度も何度も棚上げされてきました。なぜなら、「私たち」にアクセスを提供する仕組みは、「彼ら」(政府・経済・民間機関に必要なインフラに侵入したい敵対的アクター)にもすぐに利用されてしまうからです。

にも関わらず、英国の見当違いのオンライン安全法案、EUのチャットコントロール規制、ベルギーの暗号化の取締やプライベート通信の一括保全が許されるか否かの議論など、国レベルでのデータ保全の戦いの中で、再び呪術的思考の系譜が復活しているのを私たちは目にしています。

提案のすべてが「バックドア」という言葉を使っているわけではありません。実際、こうした提案は、少なくとも言い回しやフレーミングにおいては、ここ数年で洗練されてきています。EUのCSAM規則をはじめとする多くの提案が、エンドツーエンド暗号化を弱めるか排除しなければ実現不可能な慣行を義務づけながら、エンドツーエンド暗号化とも互換性があるんだと根拠もなく主張しています。上司が部下に2日分の仕事を与えて、「2日間働き続けることを強制しているわけじゃない、ただ1日で仕上げてくれと言っているだけだ」と言うのと違いはありません。できないことはできないのであって、できると言ったからってできるようになるわけではないのです。

また、同様に危険なのですが、しかしもっと斬新な呪術的思考のバリエーションを提案する人もいます。彼らは、バックドアを要求しても埒が明かないことは理解しています。その代わりに、エンドツーエンド暗号化の「外側」での大規模監視、いわゆるクライアント・サイド・スキャン(CSS)システムを提案しています。「どうか心配しないで。暗号化される前に、あなたのデバイスでメッセージをスキャンして、不透明な禁止言論データベースと照合して、あなたのメッセージが政府が認める表現の境界線の内側にあることを確認するだけですから。その後? どうぞ、暗号化なさってください」。

クライアント・サイド・スキャンは、エンドツーエンド暗号化の前提をすべて無意味化する“悪魔との取引”です。文字通り、事前にすべての発言をチェックすることを可能にする、極めてインセキュアな技術を義務づけるものなのです

CSSは他にも問題を抱えています。暗号化そのものの弱体化によって生じるのと同様のセキュリティ、安全性の問題を引き起こす新たな脆弱性を生み出してしまうのです。こうしたシステムは、いわゆるAIに頼っています。AIは深刻な誤検出を生じさせたり、防御策のほとんどない敵対的攻撃によってハッキングされるおそれのある技術です。実際、EUはまさにこうした課題に対応するために、AI法の交渉を進めている最中にあります。クライアント・サイド・スキャンの議論には、AIシステムの欠陥や可謬性を丹念に研究してきた人たちが参加し、他領域と同様に、“AIは銀の弾丸ではない”ことを認識することが不可欠だと思います。

また、政治家はもちろんのこと、著名人やインフルエンサーまでもが、エンドツーエンド暗号化を破壊せずにコンテンツをスキャンして禁忌表現を検出できる技術的ソリューションが存在すると主張しているのを聞いて、驚きと困惑を覚えたこともお伝えしておきたいと思います。私は著名人でもインフルエンサーでもありませんが、テクノロジーには詳しいので、そんなものはありえないと明言しておきます。そんなことは“ありえない”のです。こうした人たちは、ひどく誤った情報を信じているか、とにかく否定せずにはいられない精神状態にあるのか、あるいは危険なほどに皮肉屋で、ナンセンスな技術的ソリューションを約束してこっそり法律を成立させて監視体制を確立することを望んでいるかのいずれかでしょう。

プライバシーが剥奪された世界は、権力の非対称性を恒久化し、反対意見は危険な行為となり、親密さはリスクを伴い、新たなアイデアを探究したり、初歩的な質問をしたり、手探りでじっくり考えるための筋肉が萎縮してしてしまう世界なのです。

まさにこの点において、EDRiの活動に感謝しています。こうした問題は、退屈な技術政策会議で補足的に取り上げられるようなドライな技術的問題ではありません。住みよい未来のための本質的な問題なのです。そして今、私たちはプライバシーに対する新たな、そして猛烈な攻撃にさらされています。これに対抗していくには、真の決意が必要とされているのです。

デジタル通信に依存した世界で暗号化が破られてしまえば、基本的なプライバシーの権利は、ビジネス、政府、市民社会が依存するデジタル・インフラのセキュリティ、堅牢性とともに、すべて洗い流されてしまいます。

ハンガリーでは、LGBTQ文学・表現、そしてゲイやトランスの人々が白眼視され、犯罪化されています。私が住むアメリカでも、サウスカロライナ州が生殖医療を犯罪化し、その受診者を死刑にするという法案が提出されています。また各州で同性婚を犯罪化する法案、さらには異人種間の婚姻を禁止する法案まで浮上しています。なぜ、こうした状況に言及しているのか。それはあまりにも多くの人々が、禁止された表現、禁じられた愛、許されざるアイデンティティを、クライアント・サイド・スキャンで検出し、呪術的バックドアで探り出し、大規模監視体制によって罰することを望んでいるからです。

ネブラスカ州に住む41歳の母親、ジェシカ・バージェスは、その未来の一端をよく知る人物です。2022年、Facebookはジェシカと彼女の娘とのメッセージを法執行機関に提出しました。そのメッセージは、生殖医療が突如違法化された同州で、娘が生殖医療を受診するのを手伝ったという理由で、彼女を重罪で告発するために用いられました。

もう「現実」に目を向けましょう。確かに、複雑な社会問題には強力な救済が必要とされています。しかし、プライバシーの剥奪を正当化するために、感情的に扇動する口実として問題を利用したところで、問題は解決しないのです。実際、欧州、英国、そして他の国々で検討されている政策は、それを正当化する言葉がどれほど高尚に見えても、暗い未来への道を開くものでしかありません。

皆さんと共にあることを誇りに思います。そして、プライベートで、セキュアで、親密なコミュニケーションが誰にでもアクセスし続けられるよう、日々努力していることを誇りに思っていることをお伝えして、私の挨拶とさせていただきます。そして改めて、EDRiメンバーの皆さんのかけがえのない、たゆまぬ努力に感謝し、20周年のお祝いを申し上げます。

President of Signal Foundation Meredith Whittaker’s speech for EDRi’s 20th anniversary (PDF)

Author/Spearker: Meredith Whittaker / EDRi (CC BY-SA 4.0)
Publication Date: April 13, 2023
Translation: heatwave_p2p