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10年前の今日、パイレート・ベイはスウェーデン警察の強制捜査を受けた。エンターテイメント産業は、この強制捜査によってパイレート・ベイが消滅することを願った。しかし、この強制捜査はインターネットにおけるパイレート・ベイの確固たるものとする結果に終わった。

現在、パイレート・ベイを利用するほとんどのユーザは気づいていないかもしれないが、今日、パイレート・ベイが存在しているのは、その初期にいくつかの重要なターニング・ポイントを乗り越えてきたためである。

2006年5月31日、パイレート・ベイが設立されてから3年と経たずして、65人の警察官がストックホルムのデータセンターに入った>

警察はパイレート・ベイのサーバをシャットダウンする令状を手にしていた。そのサーバこそ、エンターテイメント産業が大きな脅威と感じていたものであった。

当時、パイレート・ベイはいまほど大きな存在ではなかった。皮肉なことに、この強制捜査はパイレート・ベイをより大きく、より強く、より柔軟にしただけだった。

警察がデータセンターに入ろうとしていたとき、パイレート・ベイの設立者ゴッドフリードとフレドリクは、何かがおかしいことに気づいた。

強制捜査の数カ月前、彼らは既に内偵捜査を受けていた。しかし、そのときは彼らのトラッカーに何かが起きようとしていた。

午前10時ごろ、ゴッドフリードはフレドリクに警察官がオフィスに来ていると告げ、コロケーション施設から『決定的な証拠』を遠隔で削除するよう頼んだ。ただ、その「証拠」は、パイレート・ベイには無関係なものであった。

フレドリクが立ち去ろうとしたとき、このトラブルがトラッカーと関係しているのではないかと気がついた。そこで彼は、万が一に備えて、サイトの完全なバックアップをとることにした。

彼がコロケーション施設に到着したとき、彼の懸念が的中したことを理解した。数十人の警察官が、数十台のサーバを押収していた。ただし、そのサーバのほとんどはパイレート・ベイとは無関係のクライアントが使用していたものであった。

パイレート・ベイ強制捜査時の映像

それから数日の間、サイトをバックアップするというフレドリクの決断が、パイレート・ベイの歴史上、もっとも重要な瞬間であったことが明らかになってきた。このバックアップのおかげで、フレドリクと残りのパイレート・ベイメンバーたちは、3日のうちにサイトを復旧することができた。

もちろん、この状況を逆手に取って挑発したことで、パイレート・ベイの名前は一躍有名になった。

彼らは淡々とサイト名を「ポリス・ベイ」に変え、ハリウッドを大砲でぶちぬく新しいロゴに差し替えた。数日語、このロゴはさらに不死鳥に差し替えられた。サイトがデジタルの灰の中から復活したことを表していた。

強制捜査後のロゴ
tpb-logos

この強制捜査によって、サイトは閉鎖に追い込まれるどころか、マスメディアに大々的に取り上げられることになり、劇的な復活劇を印象づけることとなった。さらに、報道で大きく取り上げられたことで、パイレート・ベイのトラフィックは急増し、ハリウッドが望んでいた結末とは真逆の方向に突き進んでいった。

その後、パイレート・ベイの設立者たちは次々と有罪判決をくだされていったが、パイレート・ベイそのものは、それ以降も着実に成長を続けてきた。

また、パイレート・ベイの資産は、セーシェルのリザーヴェラという会社に移管されているという。

パイレート・ベイのオーナーが変わり、大規模な技術的変更も複数回にわたって加えられた。2009年秋には、パイレート・ベイはトラッカー機能を廃止し、トレント・インデックスサイトとなった。

2012年初頭には、シードが十分なコンテンツに関してはトレントファイルの提供を停止し、その代わりにマグネットリンクが提供ようになった。これのことは、パイレート・ベイのみならず、プロキシとして運営されるサードパーティ・サイトにとっても、リソースを大幅に節約することが可能となった。

パイレート・ベイは現在、インターネットでも指折りの「検閲を受けている」ウェブサイトである。近年、世界中のISPが、パイレート・ベイへのアクセスをブロックするよう裁判所から命令されており、プロキシサイトの重要性は日に日に増してきている。

「最初」の強制捜査の際はすみやかに復旧したパイレート・ベイであるが、2014年後半にふたたび強制捜査を受けときには、復旧までに2ヶ月を要した。

当初、パイレート・ベイの最重要サーバが警察に押収されたのではないかと考えられていたが、のちにパイレート・ベイチームが説明したところによると、そのような事情があったわけではなく、用心のためにしばらく停止していただけだという。

1度目の強制捜査ではより強化されたパイレート・ベイであったが、2度目の強制捜査の際、2ヶ月間の停止に陥ったことは大きな打撃となった。パイレート・ベイはいまだ1日に数百万のユーザがアクセスするサイトではあるが、もはや支配的なプレイヤーではなくなり、しばしば一時的な停止に悩まされている。

とはいえ、パイレート・ベイはこれからも生き続けるだろう。パイレート・ベイの運営者たちは数年前、荒波を掻き分けてきた歴史を祝う日として、5月31日を海賊独立記念日とした。

「今日を海賊の独立記念日にしよう!今日という日を、われわれが勝ち取ってきた勝利を、そしてわれわれが勝ち取るであろう勝利を祝う日としよう。今日は、われわれが一致団結することを祝う日にしよう。さぁ、シードを続けるんだ!」と当時、パイレート・ベイチームは記している。

しかし覚えていてほしい。もし2006年のあのバックアップがなければ、今とはまったく違う歴史が刻まれていたであろうことを。
“10 Years Ago Hollywood Awoke The Pirate Bay ‘Beast’ – TorrentFreak”

Author: Ernesto / TorrentFreak / CC BY-NC 3.0
Publication Date: May 30, 2016
Translation: heatwave_p2p

パイレート・ベイが強制捜査を受けた経緯や当事者のコメントについては、まさにその強制捜査があった2006年に製作されたドキュメンタリー映画『スティール・ディス・フィルム』に描かれているので、興味のある方はぜひ。

翻訳したものをニコニコ動画で公開しているので、そちらもどうぞ(ちなみに、無断で翻訳して、無断でアップロードしています)。