著作権法の歩みは遅い。著作権侵害訴訟を耳にするたびに、「これの一体何が違法なのか?」と思う人もいるだろう。もしそうなら、その行為を想像できないほどのはるか昔に著作権法が作られたのだと考えてみてほしい。もはや当時とは意味合いが違ってきてしまっているのだ。
米国の著作権法が、DRMをどのように扱っているのかを見てみよう。DRM(デジタル・ライツ・マネジメント)はデジタルコンテンツのプロバイダが顧客の行動を制限するための迷惑な手法だ。1998年に成立したデジタルミレニアム著作権法(DMCA)第1201条では、DRMを回避したり、第三者に回避手段を提供する行為を違法とした。議会が第1201条を可決させた当時、彼らは利用者が音楽や映画を侵害しないようにするための制限であると考えていた。DMCAを可決した当時、製造メーカーが車両や電子レンジ、トイレなどあらゆる電子機器にデジタルロックをかけていたわけではなかった。私たちは今、購入した炊飯器のソフトウェアを改良しただけで犯罪となりうる世界に暮らしている。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、事実だ。
DRMが生活のあらゆる側面に影響を与えるなど当時はわかりようもなかったのだから、議会にその責任を問うのは酷だ、と思われるかもしれない。しかし、議会はこうしたDRMの蔓延を後押しした。DMCAは、メーカーが自社製品にDRMを組み込むよう意図されたものでもあったのだ。そうすれば、メーカーが認めない方法で製品を使用する人びとを阻止できる。メーカーの許可を得ていない修理工場を叩き潰せないだろうか? そうだ、違法化してしまおう。
DMCAのDRM回避禁止条項は3年ごとに、著作権局に例外規定を求めることができる。前回、私たちはセキュリティ研究や自動車修理のための重要な例外を獲得することができた。
しかし、この例外手続きは非常に煩雑で、言論やイノベーションを有効に保護するには十分ではない。第1201条とそれを根拠とした制度は憲法修正第一条に反すると訴訟提起したのはそのためだ。手続きの腹正しさは言うまでもない。なぜ私たちはDRM回避の許可を政府に求めなければならないのか? なぜそもそも違法とされていなくてはならないのか?
子どものおもちゃが音声を録音し、メーカーに送信していたとすれば、その事実を知っておくべきだろう。その機能を削除するなり、信頼できるサービスを選択して接続することができて然るべきである。自動車に修理が必要なのであれば、自分自身で修理したり、整備士に修理を依頼できて然るべきだ。いずれも、著作権法によって阻害されるべきでない行為だ。
イノベーションは、実験と探索が幅広く認められる環境でこそ花開く。ビデオの販売やレンタルの権利を認めたことで、ビデオ店同士の競争が生み出された。Blockbusterが支配していた市場は、ネットDVDレンタルのNetflixが登場したことで激変した。このような競争によるイノベーションは、いじる(tinker)ことが許されない環境で起こることはない。
私たちはいま極めて残念な状況にある。新たなイノベーションは、メーカーが想像だにしない製品の使い方を見出した誰かの「ひらめき」から生み出される。市場優位な立場にある者が、自社の製品や機器を改変することを違法化できれば、競争を抑制し、イノベーションを遅らせることができるのだ。
DRM Puts the Brakes on Innovation | Electronic Frontier Foundation
Publication Date: JANUARY 16, 2018
Translation: heatwave_p2p