著作権法は善意から生まれた。しかし現在、クリエイター、消費者、企業の間のバランスが崩れている。著作権のルールを正しく履行し、真にクリエイティビティを促進するためにやらねばならないことはまだまだある。
18世紀以降、著作権法は、クリエイターがオリジナルの作品からパブリックドメインに入るまでの期間、利益を上げることを可能にした。しかし20世紀に入ると、それは次第に変容しだした。「著作権者」は著作権法の範囲を積極的に広げ、しばしばクリエイターを犠牲にしてでも自らの利益を追求しだした。オリジナルの作品を囲い込み、攻撃的な訴訟を金儲けの道具に変えていったのだ。
著作権法は公平、公正ではない。その権限はすでに富める者に与えられ、その執行は個人に対して過剰に懲罰的である。
著作権法は、世界中の大手メディアの利害に取り込まれている。だからこそ、ブラジルやパキスタン、カナダ、オーストリアのデジタル権利団体は、あらゆる人がアクセスできるオープンな環境を作り上げるために尽力している。著作権法の影響は、インターネットを通じて広く波及しているが、誰もがそれに気づいているわけではない。
たとえば、フランスやニュージーランドでは、著作権侵害をしてしまった場合、インターネットから遮断される可能性がある。また、世界中でオリジナル作品が削除されているが、これは米国のDMCAルールに基づいて要求されている。欧州では、国境がないはずのインターネットにも関わらず、居住国に基づいてコンテンツへのアクセスが拒否されている。その一方で、個人アーティストは、大企業にしばしばデザインを盗用されている。
大企業の著作権を侵害すれば、インターネットが遮断されたり、懲役刑を受けることもあるのに、個人アーティストの権利侵害は無視されている。
シンシア・クーは、故アーロン・スワーツを回想するなかで、このように述べている。「FBIが顧客の個人情報を悪用し(破産や自殺を招い)たCEOを追求することはない。パラダイス文書に名前が挙がっている人物が、脱税に関して厳しい尋問を受けているわけでもない。しかし、99セントの曲をタダでダウンロードすれば、それは違法だという憤怒の決まり文句が投げつけられる。そんな歪んだ感性に繋がる著作権とはいったい何なのだろうか」。
しばしば耳にする謳い文句は、著作権が創造性を高め、新たな作品を生み出す環境を整え、アーティストが収入を得られるようにする、というものだ。
しかしThe Faderを読むと、「芸術を支えよう」という美辞麗句が、必ずしもあらゆるコミュニティ、特に有色人種には当てはまらないことが記されている。『on fleek』というフレーズを発明した黒人女性、ケーラ・ニューマンは、そのフレーズから1セントすら得ることはなかった。Foever21はそのフレーズを利用して人気のTシャツブランドを作り、「Getonfleek」という悪趣味な服を売るショップまであるのに。著者がいうように「スラングやダンススタイルのような無形のものは、価値があるとはみなされない。ただし大企業が商標を取得した場合を除く」というわけだ。
ブランドは、パブリックドメインやティーンカルチャー、ミームを利用して金を稼いでいる。おとぎ話やビクトリア時代の小説を原作として、どれほどの映画やテレビ番組を製作されたことか。しかし、誰かが現代の作品で同じことをしようとすれば、すぐさま著作権という名の拳が振り下ろされる。
著作権が機能していないとか、本質的に悪であると言いたいわけではない。バランスを調整する必要があるのだ。
こうした問題は、#FixCopyrightの旗の下で行われる戦いのごく一部にすぎない。それゆえに著作権ウィークが開催されている。私たちが望むものは本当にシンプルなものだ。
- フェアユース、あるいは合理的な著作権の例外規定。変形的利用や教育的、パロディ目的でコンテンツを使用できるようにすること。ジャズを教えるなど明らかに妥当な使用は、促進されるべきであり、阻害されてはならない。
- DRM(デジタル・ライツ・マネジメント・ソフトウェア)の廃止。それによって、自身のデバイスをコントロールできるようになり、真の意味で所有することができる。これは、そのデバイスを詳しく調べ、修理し、好ましくない機能を削除できるようになることを意味している。
- 透明性。私たちは著作権関連法が、直接参加による民主的なプロセスを通じて、より明瞭になることを望む。TPPからデジタル単一市場指令に至るまで、秘密主義的なロビイングや調査の隠ぺいによって、著作権は歪められてきた。
- 検閲の禁止。基本的人権として表現の自由が認められていると積極的な検閲は難しくなるが、そうした環境では、しばしば著作権を口実にコンテンツが削除されている。Twitterが殺害予告よりも、ごく短いサッカー動画を迅速に削除していることを思い出して欲しい。
- 作品が再びパブリックドメインに入るようにしなくてはならない。企業によるロビー活動の熱心さは、ごく一部の作品(たとえばミッキー・マウス)がはるか昔に作られたことを裏返しだ。作者が亡くなった後も、企業は1世紀に渡って利益を享受している。
著作権政策は、クリエイティビティを促進すべきもので、妨げるものであってはならない。過剰な著作権保護期間は、私たちが共有する文化への批評、評論、再利用を妨げている。議員や団体を含め、より多くの人たちが、著作権の本旨と現在の著作権法との乖離を改めて見直さなくてはならない。
最後に、ハンク・グリーンがリミックスとサンプリングについて語っているビデオを紹介しておこう。著作権のクリエイティブな例外の可能性について気づきを与えてくれるはずだ。
(どうしてこのビデオが削除されていないかって? 私たちにもよくわからない!)
Copyright Week: it’s about changing the power balance | OpenMedia
Publication Date: January 19, 2018
Translation: heatwave_p2p