コリイ・ドクトロウの「Billionaire solipsism, dictator solipsism, AI, and the fascist paradigm(億万長者の独我論、独裁者の独我論、AI、そしてファシズムのパラダイム)」という記事を翻訳した。

Pluralistic

大きな権力には大きな独我論がつきまとう。他者に対して振るう権力が大きくなるほど、その他者はますますリアルな存在ではなくなっていく。支配するとは、人間を集合体として、統計上の産物として、目的のための手段として見ることにほかならない。Kホール1訳注:ケタミンを過剰に摂取、または高用量で投与された際に引き起こされる強力な「解離状態」。ブラックマーケット系のドキュメンタリーでよく見るやつ。の底から見れば人間とはそのような姿に写るのだろう。

グラニー・ウェザーワックスの言葉を借りれば、これこそがあらゆる悪の根源である。「罪とは、人をモノのように扱うことである」。

https://brer-powerofbabel.blogspot.com/2009/02/granny-weatherwax-on-sin-favorite.html

権力者にとっての問題は、他者がモノではないということだ。彼らは人間であり、自分自身の優先事項やニーズに頑固に執着する。ソーシャルメディアの経営者たちには頭の痛い問題だ。ユーザをプラットフォームに縛りつけている力は友人への愛情だからだ。ところが(ソーシャルメディアの経営者にとって)困ったことに、友人たちは「エンゲージメントの最大化」に都合よく付き合ってはくれない。もちろん、エンゲージメントの最大化に粉骨砕身するプラットフォームユーザがいないわけではない――パフォーマーだ(だからこそ、レガシーなソーシャルメディアプラットフォームは、フィードから友人の投稿に割く比率を限界まで減らし、代わりに「シアターキッズ」2訳注:承認欲求の強い目立ちたがりのアマチュア芝居をねじ込んできた)。しかし、その「インフルエンサー」でさえ、モノではなく人間として扱うことを求める(だからこそレガシーなソーシャルメディアはパフォーマーすら締め出し、AIスロップに置き換えつつある)。

https://pluralistic.net/2026/04/17/for-youze/#forever

ソーシャルメディアサービスの運営は、とりわけ独我論を誘発しやすい。ソーシャルメディアのバックエンドでは、人間は常に統計上の産物に還元され、「エンゲージメントの最大化」への貢献度に応じて誘導され、妨害され、報われる。ザッカーマスク的なソーシャルメディアの経営者たちが、自らをドーパミンをハックする魔術師、洗脳光線の創造者として神話化するのも無理はない。スキナー主義と独我論はきわめて相性がよく、他の人間はみな刺激に反応するだけのオートマトンであり、自由意志があると思い込むようプログラムされているにすぎない――そんな信念へと誘い込んでくれるのだから。

https://pluralistic.net/2025/05/07/rah-rah-rasputin/#credulous-dolts

(もちろん、AIボス版ならこうなる――他の人間はみな「確率的オウム」にすぎない。)

https://xcancel.com/sama/status/1599471830255177728

しかし実のところ、どんな企業の経営者も独我論に陥りやすい。企業利益を最大化するためには、他者――従業員、サプライヤー、顧客――を、自分と同等の感情やニーズを持った本当の人間としてではなく、解決すべき厄介な問題として見なさなければならないからだ。

AIが支配層にとってこれほど魅力的なのはそのためだ。企業のリーダーにとって、自分の価値という幻想はつねに崩壊と背中合わせだ。自分が出勤しなくても事業はいつもどおり回り続けるが、労働者が出勤しなければ事業は何一つ動くことはない――この事実がつきまとうからだ。経営者は本当は運転席に座りたい。しかし最終的には、自分が後部座席に括りつけられ、おもちゃのハンドルで遊んでいるだけだと思い知らさせる。AIは、そのおもちゃのハンドルを駆動系に直結させる手段なのだ。経営者がアイデアを思いつけば、人間のやっかいなニーズや要求に煩わされることなく、企業がそれを実行してくれる――AIとはそういうファンタジーにほかならない。

https://pluralistic.net/2026/01/05/fisher-price-steering-wheel/#billionaire-solipsism

こうした独我論こそが、経営者たちがIPを崇拝し、プロセス知識を軽視する理由である。IPとは、労働者が言語化でき(そしてAIモデルの学習に使える)仕事の領域だ。一方、プロセス知識とは、抽象化も、疎外も、商品化もできない仕事の領域である。プロセス知識の存在そのものが、労働者を脱スキル化して、もっと追い詰められた、もっと従順な別の労働者に(あるいはおべっか使いのAIに)入れ替えるための最大の障壁となる。

https://pluralistic.net/2025/09/08/process-knowledge/#dance-monkey-dance

もちろん、ビジネスの世界の外にも、独我論的なAIファンタジーにとりつかれた権力者たちがいる。政治家だ。ソーシャルメディアの経営者と同様に、政治家は人間を、政策というインプットに対して半ば予測可能なアウトプットを返す統計上の産物とみなす。

https://en.wikipedia.org/wiki/Seeing_Like_a_State

そしてもちろん、政治家たちもまた、彼らが心底嫌う労働者たちをチャットボットに置き換えたくてウズウズしている。その標的は官僚機構だ。トランプたちが「ディープステート」を嘆くとき、彼らは政治家版の独我論を開陳しているにすぎない。「政策を作るのは私だが、それを実行に移すには、官僚たちを説得して私のアジェンダを行動に変えてもらわなければならない。これは最悪だ。万能の行政長官がものごとを決定し、決定したことがそのまま実現するようにはできないのか?」

コロンビア大学のナイト憲法修正第1条研究所に寄稿した政治学者ヘンリー・ファレルと統計学者コスマ・ロヒラ・シャリジが、AI精神病がいかに政治階級を蝕んでいるかについての決定的な論考を発表した。

https://knightcolumbia.org/content/ai-as-social-technology

ファレルとシャリジは、この政治的AI精神病を用いてDOGEを説明する。DOGEとは、汎用AIがまもなく出現するという前提のもと、政治家とその忠実な臣下たちが行政国家に深い傷を負わせるプロジェクトだった。神のごときAIが目前に迫っているなら、長年の経験と倫理観に基づていちいち楯突いてくるこの官僚たちは、おべっか使いのチャットボットに置き換えられなければならない。チャットボットなら、信頼できない軟弱な人間というフィルターを通すことなく、統一的行政府の意志を政策へと変換してくれるのだから、というわけだ。

これは、「AIがあなたの仕事をこなせないからといって、AIセールスマンがあなたの上司を説得してあなたをクビにし、あなたの仕事をこなせないAIに置き換えるのを止めることはできない」という私の公理の政治版である。民間セクターの経営者たちはAIセールスマンにとって格好のカモだ。人件費を削減したいからだけではない。独我論者のファンタジーを実現してくれるからだ――経営者の唯一無二の天才性を、労働者のやっかいな要求で邪魔されることなく製品に変えてくれる企業。そして、もしあなたがザッカーバーグのように自分が洗脳光線を作ったと確信しているなら、顧客のやっかいな要求にも煩わされずに済む。なにしろ顧客を催眠術にかけて言いなりにさせられるのだから。

この公共セクター版が、官僚制を解体してチャットボットの軍団にその仕事をやらせるというファンタジーだ。単に連邦予算を削減する手段としてだけでなく、指導者の意志が人民に伝わる過程を純化する手段として。官僚たちが政策を解釈し(そして意図的に曲解し)、それによって忠実度が損なわれるという介入を排除するために。

これはきわめて重要な枠組みであり、トランプのようなファシストをはじめ、カナダのマーク・カーニー首相のような冷血なテクノクラートでさえ、なぜ自国の官僚制を骨抜きにしてチャットボットに置き換えることに血道を上げているのかを説明してくれる。

https://policyoptions.irpp.org/2026/04/carney-ai-government-risks/

マスキズムとDOGEがトランピズムやAIとどうつながるのか。人々を「NPC」(ノンプレイヤーキャラクター)と呼ぶマスクは、他者が実在するとは思っていない。脳にマイクロチップを埋め込んで「お前たちの欠陥プログラミングを書き換え」たいとさえ思っている。

https://pluralistic.net/2026/04/21/torment-nexusism/#marching-to-pretoria

これこそがファシズムのパラダイムだ。人間は自己統治の能力を持たず、ごく少数の特異な天才だけが人間全体に対する絶対的権威の座につくべきであり、そうすることで我々は愚かな衝動から守られる――という思想である。

https://pluralistic.net/2026/05/12/donella-meadows/#paradigmatic

テクノクラート――かつてマスクの曾祖父の心を捉え、今やマーク・アンドリーセンのような連中がしきりに引用・言及するイタリアのプロトファシスト運動――は、経済学やその他の学問分野を蝕む定量的誤謬に取り憑かれていた。あらゆる社会的プロセスは数学的モデルで表現でき、それを最適化できるという考え方である。

問題は当然ながら、現実世界の大部分が定性的であり、そのクオリアを定量化する行為がきわめて損失の大きいプロセスだということだ。定性的な問いを定量化するとは、すべての定性的側面を焼却し、残された怪しげな定量的灰燼に対して数学を適用することにほかならない。

https://locusmag.com/feature/cory-doctorow-qualia/

論文の中でファレルとシャリジは、ベン・レヒトの格言「トレードオフは最適化できない」を引いている。

https://www.argmin.net/p/are-there-always-trade-offs

もちろん、我々はトレードオフを常に最適化している。それこそが経営者であるということの意味であり、自己決定権の核心でもある――どのようなトレードオフを選びたいかを決定する権利だ。ただし、レヒトが言わんとしているのは、「トレードオフを他者全員を代理して最適化することはできない」ということである。あの頑固な「人間もどき」たち――顧客、労働者、官僚――は、自分たちは別のトレードオフを望んでいると譲らないのだから。

最高指導者の意志を政策へと変換するにあたり、人間の合意を得るという介在的プロセスを排除しようとするDOGEのようなファシスト・プロジェクトは、最高指導者の選好に従ってトレードオフを最適化しようとするものである。政府におけるAIは、十分にふさわしい指導者であるなら、自らの正しさの感覚だけをチェック機能として国家装置全体をバイブコーディングできるという考え方に根ざしている。

https://thehill.com/policy/international/5680714-trump-morality-international-law

ファレルとシャリジは、国家運営とは証明可能で正解のある個別の問題の集合ではないと力説する。統治とは、利益とコストを伴い、しかもそれらが異なる集団に異なる形で降りかかる、相互排他的な政策の間での選択なのだ。

社会に関するあらゆる事実をチャットボットに入力し、国家を「解決」せよと命じればよいという発想は、政治的対立の本質に対する深刻な無知に根ざしている。誰の優先事項が実現に値し、誰が失望させられるべきかを経験的に決定する方法などない。ある集団が受け取る利益と別の集団が支払うコストを経験的に比較する方法すら存在しないのだ。

さらに言えば、社会の異なる優先事項間のいちかばちかのトレードオフをLLMに行わせるシステムは、その判断によって得をする集団にも損をする集団にも、また「数字を上げる」ことにキャリアがかかっている官僚たちにも、容赦のない攻撃にさらされるだろう。彼らはLLMの学習データを汚染し、現場の状況について上司を欺くためにLLMを騙す方法を見つけ出す。

2018年にユヴァル・ハラリは、LLMが「権威主義的盲目[authoritarian blindness]」を克服することで独裁体制を強化すると予測した。「権威主義的盲目」とは、政治的意見の抑圧があまりに徹底されていると、群衆が大統領官邸に火を放つ瞬間まで、独裁者が支持の低下に気づけなくなる、という現象だ。だが、この予測は外れた。なぜなら、独裁政権下に暮らす人々は、かつて秘密警察の前でいい顔をするために使っていたエネルギーのすべてを、チャットボットの前でいい顔をすることに振り向けたからである。

https://pluralistic.net/2023/07/26/dictators-dilemma/#garbage-in-garbage-out-garbage-back-in

一方で、政治的政策を現場に適応させる官僚たちがもたらす「変動性[variability]」は、バグではなく機能だ。長く勤めた公務員が上からの指令を受け取り、このまま実施すれば大惨事になるとわかっていれば、政策を微調整して少なくとも部分的には成功するようにできるだろう。

その官僚をクビにして、厳密な指示から逸脱しない忠実なLLMに政策を委ねれば、結果は(完璧な政策遂行ではなく)何も得られない。それどころかマイナスにすらなりかねない。怒り狂った地域住民がそのアジェンダを妨害するのだから。

ハイエクもマルクスも、システムの最周辺にいる人々はいかなる経営者や中央計画者にも知り得ない、現場の事情に関する洞察を持っているという点で一致していた(ただし、その事実が何に帰結するかについては意見が分かれたが)。LLMは現場の裁量を一切認めない究極のマイクロマネージャー3訳注:部下の仕事に逐一介入し裁量を一切与えない管理者。英語圏の典型的なダメ上司像。であり、「コンピューターはNoと言っています」型の統治4訳注:英国のコメディ番組『リトル・ブリテン』のスケッチ(窓口の担当者に何を言っても、何度食い下がっても「コンピュータはNoと言っています(Computer says No.)」で返されてしまう)が元ネタのミーム。不親切、不条理、非人間的な官僚主義への風刺。を機能させるには、システムプロンプトを書く人間が、あらゆる場所の、あらゆる人についての、あらゆることを知っていなければならない。

ファレルとシャリジはこう書いている。

現に存在する官僚制にまつわるフラストレーションは、単にプリンシパル=エージェント問題に対する拙劣な、あるいは技術的に不十分な解決策だけから生じているわけではない。それぞれが固有の問題と利点を持つ、互いに通約不可能な複数の要求が衝突することからも生じるのであり、したがって最適な設計上の解決策など存在しない。官僚制を構築し、あるいは改革する者たちは、他の人工物を作る者たちと同様、交差する複数のニーズや病理にわたって満足解を見出さなければならない。ある種の問題をきれいに解決する設計は、別の問題を根本的に悪化させる可能性がある。現に存在するAIにもそれ固有の欠陥があり、そのいくつかは構造的なものである。既存の官僚制にAIシステムを接ぎ木すれば、いくつかの問題は解決するだろうが、別の問題は悪化し、まったく新しい問題も生まれる。異なる、しばしば通約不可能な目標間の政治的調停という困難が消えることはない。官僚制をAIでまるごと置き換えることが想像可能に見えるのは、現実の社会技術に伴う真の困難を見ないことにした場合だけである。

Pluralistic: Billionaire solipsism, dictator solipsism, AI, and the fascist paradigm (13 May 2026) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: May 13, 2026
Translation: heatwave_p2p

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    訳注:ケタミンを過剰に摂取、または高用量で投与された際に引き起こされる強力な「解離状態」。ブラックマーケット系のドキュメンタリーでよく見るやつ。
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    訳注:承認欲求の強い目立ちたがり
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    訳注:部下の仕事に逐一介入し裁量を一切与えない管理者。英語圏の典型的なダメ上司像。
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    訳注:英国のコメディ番組『リトル・ブリテン』のスケッチ(窓口の担当者に何を言っても、何度食い下がっても「コンピュータはNoと言っています(Computer says No.)」で返されてしまう)が元ネタのミーム。不親切、不条理、非人間的な官僚主義への風刺。
カテゴリー: AI