分散を指向していたはずのインターネットが、気づけば中央集権の権化のような空間になってしまっている。悲観すべきなのだろうか。いや、むしろその逆かもしれない。

Flickrがプロ写真家向けのサービスに注力し、無料版のサービスを縮小するという。従来の無料版サービスは写真を 1TBまでアップロードできたが、これが1アカウントにつき1000枚までとなる。すでに上限を越えているユーザは、年額49.9ドルのProプラン(容量・枚数無制限)に加入しなければ、2月5日以降、古い写真から削除されることになる。

Flickrは2005年に米Yahooに買収されたものの、人気はあれどもマネタイズには程遠い状態が続き、 VerizonによるYahooの買収後、不採算部門の精算ともいえるかたちで今年4月に同業の米SmugMugに売却されている。SmugMugは具体的なプランこそ明らかにはしていないが、今回の方針変更は、金にはならんが人気があるというサービスのコストを削減するためのリストラという側面もあるだろう。ストレージも帯域も人件費もタダではない。儲からないのであれば規模に見合ったサービスにせざるを得ないのは致し方ない。

だが気がかりなのは、莫大な数のCreative Cmmons(CC)ライセンスの写真をホストするFlickrに新たな制限が適用された場合、その多くが削除されてしまう可能性があるということである。

Flickrは長きに渡り、CCライセンスをサポートする写真共有サービスとして、写真や画像のフリーカルチャーに(当然ながらその投稿者とともに)最大級の貢献を果たしてきた。膨大な数のCC画像が投稿され、米クリエイティブ・コモンズ公式ブログによれば、4億点以上、インターネット上のCCコンテンツの4分の1以上を占めると言うのだから、他に類を見ないほどの貢献ぶりである。

今回の方針転換でどれほどのCCコンテンツがFlickrから消えるのかは定かではない。だが、このままいくと膨大なCCコンテンツが消え去ってしまうのは間違いない。

米クリエイティブ・コモンズは、これまでに投稿されてきた人類の資産を存続させるため、すでにFlickrと親会社のSmugMugとの協議を開始しているという(日本語記事)。その協議がどのような解を導き出すのかはわからない。これまで同様にCCへの力強いサポートが得られるのかもしれないし、破談に終わってしまうかもしれない。

たとえ期待するほどの協力が得られなかったとしても、FlickrやSmugMugを責める訳にはいかない。FlickrのCCへの貢献は、たとえビジネスの一環として行われてきたとしても、彼らのビジネスの根幹ではないのだ。クリエイティブ・コモンズのライアン・マークリーCEOが言うように、「長きに渡ってウェブを支配してきたビジネスモデルは崩壊」し、Flickrはそれに代わる持続可能なビジネスモデルを模索しなくてはならなくなった。「とにかくスケールすればいい(マネタイズは後からついてくる)」という熱狂のなか、米Yahooから投入される豊富な資金が可能としたFlickrというサービスが転換を迫られている以上、それにすがり続けることは難しい。熱狂に依存したエコシステムは、その熱狂が覚めればもはやエコシステム足り得ないのだから。

Flickrがどのような結論を出すにせよ、この一件はCCにとっても、もっと広い意味でのコモンズにとっても1つの転機となるのかもしれない。つよいサービスに依存し続ける限り、その持続可能性は常に脆弱さを抱えることになる。強く依存すればするほど、そのときは繁栄しているように見えても、ますます脆くなっていく。

Flickrに限らず、我々の生活や文化はごく一握りのプラットフォームやサービスに強く依存するようになった。 GoogleやYouTube、Facebookは言うに及ばず、さらには青空文庫やInternet Archiveに至るまで、我々が必要とする(と思っている/思わされている)機能の大部分を一握りのサービスに委ねてしまっている。分散を指向するインターネットであったはずなのに、我々は気づけば中央集権化されたエコシステムの一員に成り果てしまった。

Photo by Takashi Hososhima (CC BY-SA 2.0)

悲観的に思える状況である。だが、その未来まで悲観することはない。たとえFlickrから多くのCCコンテンツが消え去ったとしても、それは「Flickrから消える」だけのことである。コンテンツに与えられたCCライセンスは、投稿者の個別の許諾を得ずともその移動を可能にし、また新たな場所で花を咲かせることができる。多くの人の(あるいはクリエイター本人の)心から消え去っていたとしても、そのコンテンツは社会に在り続けることができる。それこそが、フリーカルチャーの強みだ。

また、インターネットの中央集権化に警鐘を鳴らし、脱中央集権化・分散化を進めようとする動きもますます高まりつつある。その現れがブロックチェーン/Dapps(分散型アプリケーション)であり、ティム・バーナーズ=リーらが挑戦する「新しいウェブ」であり、オルタナティブへの志向なのだろう。この流れは(世界的に強まりつつあるGAFAへの警戒心やレッドオーシャンになる前に波に乗ろうとする企業のバンドワゴンも後押しするかたちで)今後ますます加速していくに違いない。

その流れの中で、フリーカルチャーも新しいエコシステムを見つけることになるだろう。分散を指向するインターネットがフリーカルチャー・ムーブメントを生み出し、中央集権化するインターネットにおいてそのムーブメントが花開いた。しかし、その限界を突きつけられ、再び分散を指向するインターネットが生み出されようとしている。ならば、その新しいウェブの中で、再び新しいフリーカルチャーが生み出されることになるはずだ。

Photo by Johan Neven (CC BY 2.0)

中央集権化したインターネットを離れ、再び分散化し、多層化するフリーカルチャー。悲観している場合ではない。むしろワクワクが止まらないじゃないか。