以下の文章は、TorrentFreakの「File-Sharing Legend “Napster” Turns 20 Years Old Today」という記事の翻訳である。

TorrentFreak

1999年6月1日、新しいアプリケーションがインターネットにアップロードされた。『Napster』と名付けられたこのツールは、世界で初めて数百万人規模のファイル共有ネットワークを構築した。Napsterのネットワークは2年後に閉鎖されることになったが、その影響は20年後の現在にも及んでいる。

1998年秋、『Napster』というユーザがw00w00IRCチャンネルに加入した。数十名のエリート「ハッカー」が集うEFnetネットワークのチャットだった。

『Napster』はこのグループに新しいアイデアを共有した。当時17歳の開発者は、相互にファイルを共有できるコンピュータネットワークの構築を目指していた。具体的には、音楽ファイルの共有だった。

そのアイデアは、多くの人々にとって、さらにはそのIRCチャンネルに参加していた人たちでさえ、馬鹿げたものに聞こえた。当時、すでにインターネットの片隅からファイルをダウンロードすることはできたが、その規模は極めて小さかった。選択肢は限定され、転送も不安定だった。

数百、数千、ましてや数百万の人々が、自分のハードディスクを他人に開放して、さらには帯域を提供するネットワークを構築するなど、ありえないことだった。しかし、『Napster』は誰かは興味を持ってくれるはずだと感じていた。

それに共鳴したのが『Man0War』という10代のコンピュータマニアだった。2人はオンラインでアイデアを共有し、ついに会うことになった。

それが、ショーン・ファニング(a.k.a. Napster)と、ショーン・パーカー(a.k.a Man0War)の出会いだ。ファニングは、その縮れ毛(nappy)からNapsterというあだ名で呼ばれていたという。彼らはそのアイデアを実現するための計画を練り始めた。

数カ月後の1999年6月1日、遠い未来の夢として始まったプロジェクトは、本格的なアプリケーションとして産声を上げ、世界を震撼させることになる。開発者の名をとって「Napster」と名付けられたこのソフトウェアは、まもなく世界中の数百万台のコンピュータにインストールされることになる。

Napster

状況は劇的に展開していった。Napsterは公開から3ヶ月足らずで、400万曲にアクセスできるようになり、1年と経たずに2000万人にダウンロードされた。

シンプルなアイデアからスタートしたNapsterは、すぐさま数百万ドル規模のビジネスに変容していった。同社はw00w00IRCチャンネルの数人のハッカーを雇い、数百万の人々の音楽の楽しみ方を一変させた。

多くのユーザにとって、Napsterはまさに魔法だった。街で一番のレコード屋をも凌ぐ、音楽探検の入口となったのだ。しかも、完全無料で。

Napsterがもたらした革新性は、自分の音楽ライブラリを他の人と共有してはならないという事実に目をそむけさせた。しかし、その状況が長続きすることはなかった。Napsterの公開から1年と経たずに、Napster社はRIAAから提訴され、メタリカやドクター・ドレーなどのアーティストもそれに続いた。

多くのレコード会社同様、アーティストたちもファイル共有ソフトを脅威とみなした。彼らは、当時絶頂期にあったレコード産業が破壊されてしまうと感じたのだ。一方、アーティストの中には、Napsterのプロモーション効果を認め、肯定する者も少なくなかった。

ドクター・ドレーが「Fuck Napster」と発言する一方で、チャックDが「新しいラジオだ」と絶賛したことでもよく知られている。

しかし、Napsterのユーザたちは、レコード会社やアーティストの考えなど意に介することはなかった。彼らが求めていたのは、自分の音楽ライブラリを拡大することだけだった。正確な統計こそないものの、当時Napsterは世界のインターネットトラフィックの大部分を占めていたことだろう。

Napster

大学キャンパスは、すぐさまファイル共有のホットスポットに変貌した。一部のキャンパスでは、帯域の半分以上がMP3を共有する学生や職員に消費されていた。著作権侵害が問題になるより前に、複数の大学がNapsterの使用を禁止したほどだ。

その間もユーザは増え続け、2001年2月のピーク時には2640万人を突破した。しかし、この世界的ブームや投資家からの後押しにもかかわらず、この小さなファイル共有帝国は法的な問題につまづくことになる。

RIAAとの訴訟で、第9巡回区控訴審が出した差止命令により、Napsterのネットワークは停止した。開始から2年後の2001年7月のことであった。同年9月までに、数百万ドル規模の和解が結ばれることになった。

かくしてNapsterブームは沈静化した。しかし、ファイル共有は大衆を魅了し続ける。覆水盆に返らず、Grokster、Kazaa、Morpheus、LimeWireをはじめとする多数のサービスが登場し、Napsterに代わる新たなファイル共有の手段を提供した。BitTorrentが産声を上げたのもその頃だ。

これらのソフトウェアは海賊版と切り離せない関係にあるが、その一方で、Napsterは合法的なサービスの開発にも大きな影響を与えた。Napsterの熱狂は、音楽ダウンロードの需要の大きさを知らしめたのだ。そしてiTunesにリードされるかたちで、初期の音楽ダウンロード市場が形成されていった。

だが、いずれのダウンロードポータルも、Napsterには敵わなかった。音楽ファンの多くは、あちらこちらのサイトで数曲を購入することに魅力を感じなかった。彼らは、数百万の楽曲をいつでも再生できる環境を望んでいたのだ。その一人に、ダニエル・エクというスウェーデンの少年がいた。

エクは、Napsterでの体験に触発され、海賊版に代わる合法的な選択肢を考え出した。そのアプリケーションこそ、現在の音楽ストリーミングサブスクリプションのブームを牽引する「Spotify」であった。

興味深いことに、音楽ストリーミングは今や音楽業界にとって重要な収入源になっている。Napsterに触発されたこれらのサービスは、全世界の音楽売上のおよそ半分を占めており、ある意味では循環を完成させている。

所有者が転々としたNapsterブランドは、現在は米国小売大手のベストバイの手に渡り、今日も音楽サブスクリプションサービスとして存続している。

一方、Napsterの創業者たちは、その後も複数の企業を立ち上げ、成功させた。

ショーン・パーカーは初期のFacebookに関わったことで大富豪になっている。Napsterことファニングも、純資産は1億ドル以上と悪くはない。そして、他のw00w00 IRCチャンネルのメンバーたちも。

File-Sharing Legend “Napster” Turns 20 Years Old Today – TorrentFreak

Author: Ernesto / TorrentFreak / CC BY-NC 3.0
Publication Date: June 01, 2019
Translation: heatwave_p2p
カテゴリー: Copyright