たとえ映画の著作権者に反対されたとしても、1つの映画のコピーをたくさんの人に視聴させることができる方法を発見した――そんな新しく、破壊的な企業が登場したとしよう。その企業は、それを実現するサービスに多額の資金を投入する。そして、映画のクリエイターたちには何の見返りもない。これはまさに、ウェブで有数のオープン標準化団体が回避しようとしているビジネスモデルである。
しかしこれは、1997年にはじまったNetflixや、言わずもがなそれ以前のビデオレンタルサービスのビジネスモデルである。このビジネスモデルは、著作権者のコントロールは作品のコピーが購入された時に消尽するという伝統的な原則に立脚している。
もし、映画スタジオが、法の趣旨に反するテクノロジーを用いて、この破壊的な企業を締め出すことができるとしたら、Netflixはすぐさま干上がってしまうだろう。そして、今日、映画スタジオやインディペンデント、制作会社の良きパートナーとして原動力となることもない。しかしその企業が、メディア使用におけるデジタル制限の標準化を策定する役割を担っている。
企業が一定の成功をおさめると、しばしばその革新性を失ってしまうことはよく知られている。しかし、人びとはNetflixを愛している。そして、Netflixの次に来る何かをさらに愛することになる。
World Wide Web Consortium(W3C)は、相互運用性を守るという条項を盛り込むことで、未来のイノベーターを、過去のイノベーターから守ることができる。
World Wide Web Consortiumは、デジタルロックの標準化をめぐって泥沼に陥っている。デジタルロックとは、第三者があなたのコンピュータに、あなたには抗うことのできない命令を下すことを可能にするテクノロジーである。HTML5に取り入れられようとしている「Encrypted Media Extensions」(EME)がまさにそれだ。HTML5は、Internet of Thingsのスマートデバイスから医療用埋め込み機器、発電所、セキュリティ・システムに至るまで、人間とのプライマリ・インターフェースとしてデザインされている。
米デジタルミレニアム著作権法(DMCA)のセクション1201-1203は、デジタルロックによる制限を回避することを禁じている。たとえ合法的なツールであっても、開発において既存製品のロックを解除しなければならないとしたら、実質的にそのツールの開発を禁止することができる。また、セキュリティ研究者が製品に含まれる欠陥を明らかにしようとしても、同様の理由で沈黙させることができる。
EFFは、ウェブにデジタルロックを加える取り組みをW3Cに放棄させることはできなかった。そこで現在、われわれはW3Cに次善策として、相互運用性技術やセキュリティ調査を攻撃するためにDMCAセクション1201や同様の法律を使用しないことを、EME標準化策定プロセスへの参加の条件とするよう求めている。
デジタル制限の主戦場はテクノロジーではない。法律である。コンピュータがその所有者に背き、人間から内部の挙動を隠すようデザインするための馬鹿げたアイデアだが、法的な脅威を盾に、セキュリティ研究者やイノベーターがそうした制限のある製品を使ったり、改良することを妨げる。
セキュリティ研究者を守るというわれわれの主張は理解しやすいだろう。では、「相互運用性」とはなにか。
相互運用性とは、ある製品を別の製品と連携させ相互に運用できることを意味し、ときにオリジナルの製造者が思いもよらない、あるいは必ずしも良しとはしない方法で行われる。相互運用性の例としてわかりやすいのは、車載シガーソケットを利用した携帯電話の充電器だろう。もともとは煙草に火をつけることを意図したガジェットだが、未来に発明される携帯電話を充電するために使われている。シガーソケットの製造者は、そんな使われ方は創造だにしなかっただろうが、相互運用性が担保されているために、第三者が新しく有益な用途を発明することができた。
標準化団体はこの相互運用性に――とくに製造者が協調して合意可能な共通のフレームワークの策定において――重要な役割を担っている。このフレームワークは、ある企業がほかの企業の製品と連携するように製品をデザインすることを容易にし、将来登場するであろう製品との相互運用を確実にする。
しかし、協調的な互換性と同じくらい重要なのが、非協調的な互換性だ。それが担保されていれば、何かしらの協定がなくても企業は自社の製品を第三者の製品と連携させることができる。サードパーティのインクカートリッジなどがそれにあたる。製造していたメーカーの倒産や生産中止、あるいはオリジナルのメーカーが拒絶するといった理由から、必要とされているものだ。
この「敵対的互換性」は相互運用性の要である。電話網に飛躍的な前進をもたらしたのは1968年にFCCが下した「カーターフォン事件」の裁定であった。当時、AT&Tは他社電話端末がAT&Tの電話網に接続することを拒否していたのだが、FCCはその接続を認める判断を下した。このカーターフォン事件がきっかけとなり、留守番電話、FAX、モデム、そして今日われわれがよく知るインターネットにまで発展していくことになった。
EMEはストリーミングビデオの相互運用性を可能にするフレームワークで、W3Cにて取り決められたパラメータがセットされる。しかし、このW3CのEMEフレームワークは、合法的なアプリケーションの多くに権限を与えていない。EMEに組み込まれるデジタルロックは、これらのアプリケーションを阻害し、もしW3Cが相互運用性を保護するという条項を受け入れなければ、これらのアプリケーションは、DMCAセクション1201などの法律のもと、デジタル制限技術のメーカーからの脅威にさらされることになろう。
それでは、W3Cの仕事によってブロックされる相互運用的アプリケーションを見ていこう。
フリー/オープンソースコードの実装
フリーソフトウェア・ムーブメントは長きにわたって、誰であってもコードを調査し、改良できるようオープンにしてきた。フリーソフトウェアの唱導者たちは、プログラム内にバックドアが隠されていないことを確認したがっている。彼らは、会社によるロックインを避けようとしている。彼らは、自らのコンピュータから学べることを望んでいる。彼らは自らのコンピュータを改良することを望んでいる。彼らはその改良を共有できることを望んでいる。
そのフリーソフトウェア・ムーブメントは、われわれにインターネットのコアとなる多くのテクノロジーを提供してくれた。Gnu/Linuxおオペレーティング・システムやApacheウェブサーバ、NGINX、OpenSSL暗号化を始め、本当に多くのものだ。
EME対応ブラウザが実装されれば、あなたは「コンテンツ暗号解除モジュール(CDM)」を手に入れなくてはならない。いまのところ、これらのモジュールはすべてクローズドなプロプライエタリなコードとして実装されることになっている。それ自体は特に珍しいことではない。多くのコア・テクノロジーがプロプライエタリなBLOBとして産声を上げ、その後フリーソフトウェアの支持者たちがそのプロプライエタリ・ソフトウェアをリバース・エンジニアリングし、自由かつオープンに実装するというのが一般的な流れだ。
しかし、EME-CDMシステム上でリバース・エンジニアリングを試みることは、DMCA1201などの法律に抵触する。つまり、これまで通りにフリー/オープンな代替物を作ろうとすれば、訴訟に巻き込まれるおそれがある。
W3Cメンバーが相互運用性を攻撃することを目的として回避禁止法を使用することを防ぐ条項を盛り込むことで、この問題は解決される。少なくとも、メンバーによる訴訟は防ぐことはできる。それなくしては、W3Cが標準化するビデオ・アプリケーションと互換性のあるブラウザを使おうと思った場合、不透明で、監査不可能で、改良不可能で、配布不可能なプロプライエタリなコードを走らせなければならなくなる。たとえオリジナルのメーカーからの助けを受けずにフリー/オープンな選択肢を作りたいと思っていても。
新しいブラウザ
W3Cはつねにブラウザを作る側の能力を代表している。新たな企業やプロジェクトは、W3Cの勧告に従うことで、ワールド・ワイド・ウェブ全体の、標準仕様に準拠したすべてのドキュメントやファイルを閲覧可能なブラウザを作ることができる。今日使用されているメジャーなブラウザは少数であるが、比較的歴史の新しいものも含まれ、ウェブが誕生して以降に登場し、消えていったすべてのブラウザからたくさんのものを引き継いでいる。
ウェブの未来は、新たなブラウザが登場し、いまあるブラウザに置き換わっていく(必然的に古いブラウザは消え去っていく)ことにかかっている。
EMEの標準化以後に登場する新たなブラウザは、これまでとは根本的に異なった世界に産声をあげることになる。それらのブラウザがW3Cに定義されたコンテンツを受け取り、表示させるためには、CDMを作る資格を持つ一握りの企業と商業的なパートナーシップを結ばなければならない。
そうなると、パートナーシップを結ぶことのできないブラウザも出てくるだろう。手を組むべきパートナーが、いずれも既存のブラウザと排他的な関係を築いていたり、商業的なパートナーシップを結ぶには商業的・構造的な能力を欠いている(コミュニティベースのフリーソフトウェアプロジェクトはこれに当てはまるだろう)ためだ。その結果、標準仕様に定義されたウェブから締め出されることになろう。
そうして、「Netscapeでの閲覧を推奨」「Internet Explorerでの閲覧を推奨」というような、古き残念なウェブサイトに引き戻されることになる。新しいブラウザはそうしたウェブサイトのコンテンツを締め出されてしまうのだから。
しかし、相互運用性を守るための条項があれば、新たなブラウザは手を組むべきパートナーから取引を拒否されようとも、W3C標準仕様のすべてのコンテンツを再生できるEME-CDMの組み合わせを独自に作ることができる。
アーカイブ
世界中で、博物館や図書館は、著作権者の意に反してでも、著作物を長期間にわたって複製する法的な権利を有している。しかし、この法的な権利はデジタルロックの解除を禁止するルールによって阻害される。政府が図書館に例外を与える場合もあるが(米国では著作権局は、アーカイブを目的としたDMCAの例外を与えている)、そうした例外は大きな欠点を抱えている。たとえば、米国の例外の大半は3年毎に失効し、コストの掛かる煩わしいプロセスを経て更新されなければならない。また、アーカイブのためのコピーを作るためにデジタルロックを破るツールを「使う」権利のみがカバーされており、そうしたツールを「作る」、「共有」する権利が与えられているわけではない。つまり、すべての図書館が一からそうしたツールを作り出さなければならず、それを共有することもできない。
もし、W3Cが相互運用性を担保する条項を受け入れれば、図書館や博物館が自らの責務を果たすためのツールをベンダーが提供することもできるだろう。
パブリックドメイン・ビデオ、クリエイティブ・コモンズ、国王の著作権、議会の著作権
著作権の保護を受けていないビデオが数多く存在する。著作権保護の期限が切れたり、著作権を主張できない政府(たとえば米政府)が作ったビデオなどだ。それ以外のビデオは著作権の保護下にある。しかし、さまざまな規則のもと、パブリックがそれらのビデオを記録したり共有することが許されている。たとえば、イギリス連邦の国々では、政府の著作物は国王の著作権や議会の著作権によって権利を制限され、市民は個人や企業の作品よりも幅広く利用することができる。
また、クリエイティブ・コモンズやGNUフリー・ドキュメンテーション・ライセンスなどのフリー/オープンなコンテンツ・ライセンスにライセンスされた作品もある。クリエイティブ・コモンズだけでも数億の作品がライセンスされており、そうした作品はすべて記録・共有でき、さらにその多くがEME-CDMシステムのようなデジタルロックの使用を禁じている。
市民がそうした作品を使用する権利を有しているにもかかわらず、それらをディストリビュートする企業――放送局やケーブル会社、ウェブキャスターなど――は、しばしばそれらにデジタルロックを掛けている。そしてそれは、EMEにおいても続けられるだろう。
それらのビデオを記録し、再利用する法的な権利を有していたとしても、EMEはそれを阻むだろう。回避禁止法は、EMEを回避し、適法な権利を行使するためのツールを作ることを禁じているのだ。
相互運用性を守る条項は、団体や個人、企業にそうしたツールを作るための盤石な法的基盤を形成し、そうしたビデオを使った合法的な活動を可能にする。
帯域の鞘取り
発展途上国において、ウェブの利用はモバイルデータ通信が高額であるがゆえに非常に制限されている。彼らがウェブに参加するためには、タイム・シフト、プレイス・シフトが不可欠だ。南側諸国では、あらかじめWi-Fiで大容量のファイルをダウンロードしておいて、モバイルで利用するというパターンが広く見られている。この「帯域の鞘取り」によって、インターネット環境が不十分な国の人びとであっても、われわれが当然のものと考えているリッチなメディアにアクセスできるようになる。
EMEロックされたビデオをオフライン・ストレージに保存し、再生できるようにするツールは、多くの国でDMCAセクション1201に類似した法律に抵触する。これまで米国通商代表は、米国との通商協定を締結するにあたって、そうした法律の導入を条件としてきた。しかし、相互運用性条項によって、こうした利用を可能にするツールを製造する地元企業家や開発者を守ることができるだろう。
アクセシビリティ
メディア企業は、自らの製品をアクセシブルにすることにお金を費やしている。それは法的義務として課されていることもある。しかし、障がい者はより多様なアクセス方法を必要としている。法的要件や中央が定めた適用除外は、より広くアクセスされるべきコンテンツの利用可能性を高めるには不十分だ。この点は、W3Cのメディア標準化におけるEME以外の領域の仕事が非常に有益な理由だ。HTML5の非暗号メディア拡張は、組み込みのアクセシビリティ機能を提供するだけでなく、デフォルトの表示方法では利用できない人びとが利用できるよう、オリジナルのコンテンツの変換、翻訳、編集を可能にするサード・パーティのプログラムの余地を提供してもいる。
HTMLアクセシブル機能として盛り込まれることになっているものを、以下にいくつか挙げておこう。
YouTubeはオンザフライの音声認識による字幕生成を試みている。まだ完璧とは言い難いが、日々進化している。スマートなウェブブラウザは、字幕情報を持たないビデオを再生する際に、その音声をローカルで認識し、字幕を生成することができるようになるだろう。自動翻訳を加えることで、映画は言語の壁を乗り越え、世界中の観客に視聴されることになる。
字幕生成を改善するよりよいアルゴリズムが待たられるところであるが、大規模かつ自発的なサブ・コミュニティに頼るという手もある。彼らは権利者とは独立して、字幕・キャプションを作っている。いまのところ、そうしたコンテンツとオリジナルのビデオの同期はなかなかにストレスのたまる作業なのだが、将来的には、サブ・コミュニティが、既存メディアの音声/ビデオキュー情報を探し出し、非公式字幕を正確に同期させるJavascriptを掲載したウェブページを作成するかもしれない(RiffTraxのようなアテレコ会社が独自の同期技術を開発したように)。
セキュリティ研究者Dan Kaminskyは、ビデオの色空間をリアルタイムで変換する技術を開発している。この技術によって赤-緑色盲の視聴者が実際の赤と緑の映像を認識することができる。このDanKamは、色盲者がすべての色範囲を認識できるよう、HTML5ビデオに適用されることになっている。
4千人に1人の人が光感受性てんかんをもっていると言われている。彼らに害を及ぼす点滅を含む映像かどうかを判定する「ハーディング・テスト」のおかげで、彼らも映像を見ることができている。しかし、ハーディング・テストはてんかんを持つすべての人びとに対応しているわけではないし、すべてのビデオがそのチェックを受けているわけでもない。将来的にわれわれがウェブサイトを見るときには、視聴する映像を先回りして点滅・パターンの識別を行い、危険なコンテンツであれば警告、あるいはスキップできるようになるだろう。
これらすべて、そして更に多くのものが、相互運用的なビデオブラウザの標準仕様に依存することになる。しかし、これらのテクニックはいずれも、暗号化されていないプレーンなビデオ・ストリームを扱い、プレーンなテキスト・データを検査、変換することを前提としている。今後もこうしたアクセシビリティ機能を維持するためには、保護を回避しなければならなくなってしまう。W3Cの標準化、アクセシビリティチームは、アクセシビリティを確保するためにメディアがどのように使われるのかを網羅しようと、必死に取り組んでいる。しかし、許可を必要としない相互運用性なくしては、ウェブのオープンな開発環境における絶え間ないイノベーションに取り残されてしまうだろう。当然、現在では想定されていないニーズが出てくることもある。しかし、相互運用性を守る条項がなければ、アクセシビリティを高めるためであっても、暗号化されたメディアを変換することは法的に許されない。しかし、そうした条項があれば、アクセシビリティを高める必要性に迫られている人びとは、あらゆるメディアへのアクセスを改善するために、少なくとも自分たち自身で、あるいは協働して問題に取り組むことができるのだ。
Publication Date: March 29, 2016
Translation: heatwave_p2p
Header Image: Frederic Rivollier / CC BY-NC-SA 2.0