以下の文章は、電子フロンティア財団の「Copyright and Crisis: Filters Are Not the Answer」という記事を翻訳したものである。

Electronic Frontier Foundation

Facebookが「サンドイッチ食べてる」と投稿するだけのサイトで、Instagramがサンドイッチの写真を投稿するだけのサイトだった時代から冗談のように言われてきたことではあるが、この危機の最中、私たちは本当に日常生活をオンラインで過ごすようになった。教師はオンライン授業に取り組み、図書館員はデジタル読書会を開催し、トレーナーは自宅でクラスを提供しようと奮闘している。

オンラインの世界の人口が増えるにつれて、著作権の壁に直面する人も増えている。今はそのような障壁を可能な限り減らすべき時期なのだが、テクノロジー業界に送られた新たな請願書はまさにその逆方向に進むことを望んでいる。昨年の欧州著作権指令第17条の規定――オンラインのすべての投稿をブラックボックスの機械学習フィルタに通し、「著作権侵害」とみなされたすべての投稿を遮断することをオンラインサービスプロバイダに義務づけるルール――を米国に持ち込もうというのだ。

たしかにミュージシャンがCOVID-19の大流行で深刻な経済的影響を受けていることを考えれば、できる限り収入を増やしたいという事情は理解できる。しかし、このアプローチには少なくとも3つの問題がある。それぞれがインターネットユーザに害をもたらし、にもかかわらずミュージシャンが求める目的さえ達成されない状況が作り出されかねないのだ。

第一に、請願書の宛先であるビックテック企業は、すでに著作権侵害をブロックするという名目でさまざまな技術的手段を導入している。こうしたシステムは適法なオンライン表現にとって全く有害であることが長年の経験から証明されている。さらにYouTubeは、今般の危機によって審査・異議申立ての人員を減らさざるをえず、手続きの遅延や間違いが生じやすくなるとさえ警告しているのである。少なくとも、何らかのYouTubeポリシー違反があったという「高い確信」がある場合を除き、ストライクを宣告しないとしている。この危機により以前よりも多くの人々が適法な表現を共有するためにこれらプラットフォームに依存せざるをえない状況では、ユーザの負担を増やすのではなく、軽減することを目指さなくてはならない。技術的障壁をさらに加えるのではなく、より公平に、より透明に、よりアクセスしやすいものにすべきである。

YouTubeのコンテンツIDは、マイクチェックの音声やシンセサイザーのテストまで、あらゆるものに著作権侵害のフラグを立てている。連邦政府職員が職務上作成したものは著作権の対象とならないにもかかわらず、Scribdのフィルターはムラ―報告書の重複アップロードを検知・削除してしまった。Facebookの著作権侵害対策ツール「ライツ・マネージャー〈Rights Manager〉」は、数百年前に作曲されたクラシック音楽の演奏フラグを立て続けている。フィルターは合法なコンテンツと違法なコンテンツを区別することはできないからこそ、ヒトが確認しなければならないのである。

だが、彼らがそうすることはない。あるいはそうしたとしても、適法利用と著作権侵害を見極める訓練を受けた者が判断しているわけではない。10時間のホワイトノイズ動画がコンテンツIDに一致したとして5つの著作権者によって収益化されたことがあった。ソニーはバッハの曲を演奏したユーザからの異議申立を却下したこともあった(この一件が報道され、炎上したことでブロックは解除された)。音楽学者が剽窃事件で楽曲の類似性がどのように分析されたかを解説した動画を大学アカウントで投稿したところ、コンテンツIDによって削除されたこともあった。知財を専門とする法学者が同アカウントのクレームに異議を申し立てたものの、その有効性を理解できないほどシステムは煩雑であった。最終的に動画を復旧できたのは、彼らが私的なつながりを通じてYouTubeに直接コンタクトが取れたからにほかならない。私的なコネ、世間の怒り、報道がこうした間違いの復旧に役立つこともあるが、本来的には公正なシステムに代わるものではない。

第二に、より多くの制限を加えることは、私たち共通の文化の醸成・共有を――まさに容易にすべきときに――さらに困難にしてしまう。オンラインにいる誰もが生活、生計、コミュニティをインターネットに移しているだけに、彼らに法律や業界/産業の複雑怪奇なポリシーの専門家になれと求めるべきではない。

近現代史から学べることは、「一時的な緊急的措置」は危機が過ぎ去った後も継続し、ニュー・ノーマルとして社会に根付くことがあるということだ。接触追跡アプリが政府による国民全体の追跡・コントロールの恒常的手段化するのを懸念すべきであるのと同様に、私たちのオンラインでの生活全般(この隔離期間中は、私たちの生活すべてと言っていい)が、巨大企業の運営する無責任なアルゴリズムのシステムによって自動化された監視、決定、検閲の対象になるという考え方に警鐘を鳴らさねばならない。

第三に、この請願は、コンテンツ業界が追い求めてきた著作権侵害取り締まりのための標準的技術的手段(STM)に関する業界コンセンサスを形成しようという危険な一歩であるように思われる。デジタルミレニアム著作権法(DMCA)第512条では、サービスプロバイダは著作権侵害責任のリスクからセーフハーバー保護を受けるためにSTMを満たすことが求められている。STMは、(1)「開かれた、公正で、自主的で、業界横断的な標準化プロセス」において幅広いコンセンサスに基づいて開発されたものであること、(2)合理的かつ非差別的な条件で利用可能であること、(3)サービスプロバイダに相当なコストを課すものでないこと、の3つの要件を満たさなければならない。だが現在、この3つの要件をすべて満たすものは存在しない。少なくとも、「開かれた、公正で、自主的で、業界横断的な標準化プロセス」が存在しないためである。

コンテンツ業界はこの状況を変えようとしており、米国もEUに倣って著作権フィルタリングを義務化すべきだと考えている。EU著作権指令――とりわけ最も物議を醸している第17条――は、1年前に議会を通過したものの、その実施に向けて整備を進めているのはわずか1カ国のみである(pdf)。この危機以前から、各国はユーザの権利、著作権者の権利、プラットフォームの義務を実行可能な法律に落とし込むことに苦労していた。英国に至っては、ブレグジットを機に実施しないことを決めている。さらにアルゴリズムの危険性を認識したEUが、自動化ツールによる決定の影響を受けない権利をユーザに与えたことで、自動フィルターの義務の問題は袋小路に陥っている

要するに、17条が想定するレジームは、大半のプラットフォームが構築・運用するには複雑かつコストがかかりすぎるということだ。YouTubeのコンテンツIDだけでもこれまでに10万ドルの費用を投じられているが、これも単一のサービスのための動画フィルタリングに過ぎない。ミュージシャンがYouTubeやFacebookの規模や影響力に不満を訴えるのはまったくもって正しいが、フィルタリングの義務化はYouTubeとFacebookだけにしかサービス運営が許されない世界を作り出すことになる。ビックテックの支配を強固にすることは、ミュージシャンやユーザの利益にはならない。著作権フィルタリングの義務化はビックテックをコントロールするための手段ではないどころか、彼らが競合他社を恐れることのない世界を保証するインターネットの永久支配ライセンスを与えることにほかならない。

ミュージシャンはCOVID-19によって実際に経済的な影響を受けているし、世界の大部分がビックテックの手に委ねられているという感覚は間違ったものではない。だが、ビックテックの地位を強固なものとしたり、オンラインの作品共有を難しくしたとしても、ミュージシャンやユーザを取り巻く状況が改善することはない。

Copyright and Crisis: Filters Are Not the Answer | Electronic Frontier Foundation

Author: Katharine Trendacosta and Corynne McSherry (EFF) / CC BY 3.0 US
Publication Date: April 22, 2020
Translation: heatwave_p2p