以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Blowtorching the frog」という記事を翻訳したものである。
2018年、Singletrackブログが広く読まれた記事を公開した。英国のある交差点で、なぜドライバーが繰り返し自転車に衝突してしまうのか、その致命的な三角法を解説したものである。
自転車にとって危険な交差点は当然ほかにもたくさんあるが、イプスリー・クロスをとりわけ致命的にしていたのは、ある種の不気味な幾何学的構造だった。自転車とドライバーは衝突のずっと前から互いの存在が見えているのに、ぶつからないという錯覚を覚え続け、衝突の直前になってようやくそれが幻想だったとわかる――そういう構造だった。
この交差点は「コリジョンコース[constant bearing, decreasing range]」と呼ばれる現象を具現化したものだった。記事によると、この現象は船舶同士がしばしば衝突する原因として、船乗りの間では古くから知られていたという。三角法の詳細にはここでは立ち入らない(詳しくはSingletrackの記事をご覧いただきたい)。
ただし、これをメタファーとしては使いたい。衝突の深刻さが手遅れになるまで見えない、そんな種類の衝突がある。ほぼ常に致命的な衝突だ。迫りくる気候危機に実存的な恐怖を感じたことのある人なら、きっとこの感覚がわかるだろう。
もっとも、メタファーとして完全に正確ではない。「コリジョンコース」は、直前まですべて大丈夫に見えるという光学的錯覚の結果だ。一方、我々が気候危機に立ち向かえないのは(部分的に※)別の認知的欠陥に起因している。ゆっくりと小さく積み重なる変化の絶対的な規模を、我々は認識するのが苦手なのである。
※ もう1つの原因は、言うまでもなく、企業マネーによる政治の腐敗だ
この現象を言い表すときに引き合いに出されるのが「茹でガエル」の寓話である。適温の水にカエルを入れ、ゆっくりと水温を上げて沸騰させると、カエルは生きたまま茹で上がるまで呑気に泳ぎ続ける、という。この比喩では、カエルが知覚できるのは相対的な変化だけである。だからカエルが感じるのは、水がちょっと温かくなったということだけで、わずかな温度変化なら心配するほどのことではないではないか? 水の絶対的な変化が致死的であるという事実は、この(架空の)カエルには認識されない。
実際のところ、カエルはある温度に達すれば、水温の上昇速度に関係なく鍋からきっちり飛び出す。にもかかわらずこの比喩が生き続けているのは、それが徐々に悪化する状況におけるカエルの行動を正しく記述していないとしても、小さな悪変に対する人間の反応を完璧に言い当てているからだ。
道徳的な妥協もそうなんだろう。我々の大多数は善い人間であろうとして出発するが、現実は倫理への小さな妥協を求めてくる。そして、我々はそれに応じてしまう。するとほどなく、また別の妥協が求められ、さらに次の妥協、またその次の妥協と続いていく。全体として見ればこうした妥協の積み重ねによって個々人がもともと持っていた規範から大幅に逸脱することになってしまうのだが、ゆっくりと、1滴また1滴と滴り落ちてくる限り、我々はたいてい自分をごまかしてそれを受け入れてしまう。1つひとつはほんの小さな妥協にすぎないのだから。
https://pluralistic.net/2020/02/19/pluralist-19-feb-2020/#thinkdifferent
気候危機の話に戻ろう。NASAのジェイムズ・ハンセンが「地球温暖化」について議会で証言してから最初の25年間、世界の変化は概ね漸進的だった。干ばつや洪水は少し悪化した。ハリケーンは少し増えた。スキーシーズンは短くなり、熱波は長くなった。個別に見れば、これらの変化はどれも、我々の集合意識が正常の範囲内として――あるいはせいぜいわずかな悪化として――吸収できる程度の小ささだった。たしかに水平線の彼方でとんでもないことが起きる可能性はある。しかし、エネルギーと輸送の脱炭素化という巨大な取り組みを正当化するほどの緊急性はない、と。
https://locusmag.com/feature/cory-doctorow-the-swerve/
文明の自殺を意図的に選んでいるわけではない。ただ、ゆっくり進む問題に立ち向かうのは難しい。とりわけ、急展開する喫緊の問題であふれかえった世界では。
だが、危機は変化を引き起こす。
https://www.youtube.com/watch?v=FrEdbKwivCI
2022年以前の欧州は、気候危機への対処において世界の他の地域と大差なかった。山火事や洪水の頻度が増し、気候難民の波が政治危機を次々と引き起こしていたにもかかわらず、エネルギーミックスは依然として化石燃料が支配的だった。これらはどれも深刻で恐ろしいものだったが、漸進的であり、悪いニュースが少しずつ悪化しながら、ぽたりぽたりと滴り落ちてくる類いのものだった。
そんな中、プーチンがウクライナに侵攻した。EUはロシアの石油・ガスに背を向けた。一夜にして 欧州は切迫したエネルギー危機に投げ込まれ、何百万人もの 欧州人が間もなく暗闇の中で震えることになるという、きわめて現実的な可能性に直面した。しかもそれは数日間の話ではなく、見通せる限りの長い将来にわたって。
その刹那、緩慢に進む気候危機は「プーチン・エマージェンシー」に変貌した。ブリュッセルを含む世界中で最も強力で腐敗した影響力を持っていた化石燃料産業ですら、脇に追いやられた。 欧州は太陽光発電への転換に猛然と走り出した。わずか3年で、気候目標から数十年遅れていた大陸は、数十年先を行く大陸になった。
https://pluralistic.net/2025/10/11/cyber-rights-now/#better-late-than-never
プーチンのウクライナ侵攻が小規模なものにとどまり、地政学的なレッドラインを一切越えないようにしていたなら、 欧州はおそらくロシアの炭化水素1石油・天然ガス依存を継続する理屈を自分に言い聞かせ続けていただろう。しかしプーチンにはウクライナを少しずつ齧り取り続ける忍耐がなかった。一口で丸呑みしようとした。そしてすべてが変わった。
ある意味で、プーチンの性急な侵略はバグではなく機能だった。プーチンの実行機能の欠如がなければ、ウクライナは今もロシアに呑み込まれる危機にあったかもしれない。しかも 欧州はそれを助ける意味ある行動を何も取らないまま――そして 欧州の太陽光転換はいまだに数十年遅れのままだっただろう。
メタクソ化も、こうした「ぽたり、ぽたり」現象[drip-drip-drip phenomena]の1つである。プラットフォームのボスたちは、我々が互いにどれほどの価値を届け合っているか――コミュニティ、支え合い、互助、思いやり――をよく理解している。それゆえ、我々がプラットフォームの所有者を嫌う以上に互いを愛している限り、プラットフォームから離れられないと知っている。マーク・ザッカーバーグは自社プラットフォームのバックエンドにある「ダイヤル」を回すことにかけては名人級だ。大規模なメタクソ化に向けた変更を発表し、その後、ザックが脅したほどはひどくないが確実に以前よりはひどいレベルに手加減する。
https://pluralistic.net/2023/02/19/twiddler/
ザックはとんでもないクソ野郎だ。ハーバードの寮で同級生の「ヤレる度」を無断で格付けして帝国を築き上げた男であり、ジェノサイドに加担したことを知りながら放置した男であり、「カタンの開拓者たち」でイカサマをするような男である。
https://pluralistic.net/2025/04/23/zuckerstreisand/#zdgaf
しかし、これらすべての人格的欠陥にもかかわらず、マーク・ザッカーバーグにはソーシャルメディアの競合であるイーロン・マスクに対して1つだけ優位に立てる美徳がある。ザックにはかろうじて実行機能と呼べるものが備わっており、自分の最悪のアイデアを(時に、一時的にではあるが)撤回することもある。
対照的なのが、マスクによるTwitter経営だ。マスクはプーチンがウクライナに侵攻したのと同じ年にTwitterに侵攻し、いかなる繊細さも慎重さも持ち合わせない、完全に狂気じみた抑制なきメタクソ化戦略を連発した。マスクはカエルを茹でなかった――火炎放射器でカエルを丸焼きにしたのである。
何百万の人々がマスクのTwitterポットから飛び出す理由を得た。しかし私を含むさらに何百万もの人々は、そこに囚われたままだった。マスクのTwitterが好きだったわけじゃない。ただ、去る理由よりも残る理由のほうが大きかったのだ。私の場合、古い友人たちが「Twitterという新しいサービスを始めた」とメッセージをくれて以来積み上げてきた50万人のフォロワーを捨てることは、自分のアクティビズムと出版キャリアにとって高すぎる代償を意味した。
だがマスクは、残留の判断を見直す理由を絶えず提供してくれた。マスク政権のごく初期に、私はシスアドミンのケン・スナイダーに、移行先となるBlueskyサーバを設置してくれないかと依頼した。すでにMastodonでは精力的に活動していた。Mastodonは、マスクがTwitterにやったようなメタクソ化が構造的に不可能なように設計されている。経営がクソになれば、いつでもFediverseの別のサーバに移れる。
https://pluralistic.net/2022/12/23/semipermeable-membranes/
だが何年もの間、Blueskyの連合[フェデレーション]の約束は、約束のままにとどまっていた。たしかに技術的には、アーキテクチャ上は複数の独立したBlueskyサーバが存在しうる。だが、実際にそれを構築する手段がなかった。
https://pluralistic.net/2023/08/06/fool-me-twice-we-dont-get-fooled-again/
だが――Blueskyの名誉のために言えば――彼らはやがてそれを理解し、独自のBlueskyサーバを構築するためのツールと手順を公開した。ケンがすぐに調べてくれて、すべて可能だと教えてくれたが、トロントのコロケーションケージに置いてあるLinuxボックスのハードウェアアップグレードが完了するまでは無理だという。そのアップグレードが数ヶ月前に終わり、昨日、ケンが私専用のBlueskyサーバの設置が完了したと知らせてくれた。こうして私はBlueskyに参加した。@doctorow.pluralistic.netである。
https://bsky.app/profile/doctorow.pluralistic.net
私はBlueskyというサービス上にいるが、Blueskyという企業のユーザではない。つまり、Blueskyの忌まわしい利用規約に同意することなく、Blueskyのユーザとやり取りできる。あの利用規約では、会社を訴える権利を恒久的に放棄させられる(たとえ後でBlueskyを退会して別のサーバに移ったとしても!)。
思い出してほしい。私はTwitterの創業者たちを知っていたし、信頼もしていた。それでも裏切られた。サービスを運営する人々が善人であるだけでは足りない。彼ら自身が(そして後継者たちが)、小さな倫理的放棄の1滴1滴が純然たる邪悪の雪崩と化す、あの合理化の滴りから自分たちを引き離す措置を講じなければならない。
https://pluralistic.net/2024/12/14/fire-exits/#graceful-failure-modes
Blueskyの「拘束力のある仲裁」はその真逆である。経営陣を未来の自分自身の悪行への衝動から隔離するどころか、拘束力のある仲裁をユーザに押しつけることで、Blueskyがユーザを害する誘惑に屈した場合(屈した時)2翻訳するとニュアンスがわかりにくくなってしまったので補足。原文では、文章は”if (when)”で繋げられており、「もしもBlueskyがユーザを害する誘惑に屈したとしたら」という仮定の話と、「Blueskyがユーザを害する誘惑に屈したときには」という予定された未来を併記した表現になっている。過去のコラムで、「ユリシーズ・パクト」のような、企業自身が自らを縛る強い制約によって妥協を拒むようでなければメタクソ化は確実に起こる、時間の問題でしかないと述べていたことから、コリイ・ドクトロウが強調したいのはむしろ括弧書きにした(when)の方なのだと思う。の報いから、Blueskyを恒久的に免責しようとしている。
しかし、Blueskyの技術アーキテクチャは、いいとこ取りの方法を提供してくれる。Bluesky(サービス)のアカウントをBluesky(企業)以外のサーバに設置することで、好きな人がたくさんいるソーシャル空間に参加し、コンポーザブルモデレーションのような興味深い技術革新を享受しつつ、企業の受け入れがたい利用規約に服従せずに済むのだ。
https://bsky.social/about/blog/4-13-2023-moderation
もしTwitterがマスク以前のあの緩慢なメタクソ化のぽたぽたぶりのままだったなら、私はBlueskyにアカウントを設置しつつもTwitterに残っていたかもしれない。だがマスクとそのカエル用バーナーのおかげで、私は決別できる。もう何年もの間、私はほぼ毎日、Twitterにこの告知を投稿してきた。
Twitterは日に日に悪化している。いつか使えなくなるまで劣化するだろう。メタクソ化に強い代替手段として、Fediverseが我々の最善の希望だ。私は@pluralistic@mamot.frにいる。
今日、私はその修正版を投稿する。以下の一文が追加される。
Blueskyでフォローしたい方は、@doctorow.pluralistic.netへ。これが私がTwitterに投稿する最後のスレッドだ。
危機は変化を引き起こす。ウラジーミル・プーチンやイーロン・マスクやドナルド・トランプがいなければ、世界はもっとマシだっただろう。だが、この我慢できない、気短な、最低の男たちには1つ用途がある。行動を促すには緩慢すぎる危機を、無視できない緊急事態へと変えてくれた。プーチンはEUを化石燃料からの脱却に押しやった。マスクは何百万の人々を連合ソーシャルメディアに押し出した。トランプはポスト・アメリカのインターネットへの道を開いた。
https://pluralistic.net/2026/01/01/39c3/#the-new-coalition
これをTwitterで読んでいるなら、これがかねてより予告していた告知だ。私はここを去る。Fediverseで、Blueskyで会おう――メタクソ化に強いソーシャルメディアの世界で会おう。
楽しかった。そうでなくなるまでは。
Pluralistic: Blowtorching the frog (05 Mar 2026) executive-dysfunction – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: March 5, 2026
Translation: heatwave_p2p
- 1石油・天然ガス
- 2翻訳するとニュアンスがわかりにくくなってしまったので補足。原文では、文章は”if (when)”で繋げられており、「もしもBlueskyがユーザを害する誘惑に屈したとしたら」という仮定の話と、「Blueskyがユーザを害する誘惑に屈したときには」という予定された未来を併記した表現になっている。過去のコラムで、「ユリシーズ・パクト」のような、企業自身が自らを縛る強い制約によって妥協を拒むようでなければメタクソ化は確実に起こる、時間の問題でしかないと述べていたことから、コリイ・ドクトロウが強調したいのはむしろ括弧書きにした(when)の方なのだと思う。