以下の文章は、2011年の「アラブの春」が世界にもたらしたデジタル・レガシーを振り返るEFFのブログシリーズ「 Digital Hopes, Real Power」の5本の記事を翻訳したものである。
デジタルの希望、現実の権力 #1
「アラブの春」のレガシーを振り返る
ジリアン・C・ヨーク / 2026年3月25日
ソーシャルメディアに育ち、デジタル抵抗のツールを自在に操る新たな世代の抗議者たちが、ここ数ヶ月から数年の間に世界各地の街頭に繰り出している。バングラデシュ、イラン、トーゴ、フランス、ウガンダ、ネパール、そのほか十数カ国で、若者たちはデジタルツールを駆使して大規模な動員を行い、政治的な言説を形成し、かつてなら無視や弾圧がたやすかったであろう運動を持続させてきた。
彼らの手元にある無数のツールは、素早く連携して地域の不満を国外へと発信し、目に見える異議申し立ての瞬間へと変える。だが、新たな戦術が生まれるたびに、それに対する反撃もまた繰り出される。今や各国政府は苛烈な規制を導入し、高度な監視システム、コンテンツ操作、自動検閲を展開して、集団行動を先回りし、予測し、処罰しようとしている。
こうしたデジタルエンパワーメントと弾圧のサイクルは、目新しいものではない。その根源は、多くの点で、2011年に中東・北アフリカ全域に波及した蜂起にまで遡ることができる。「アラブの春」と呼ばれることの多いこれらの運動は、政治を塗り替えただけにとどまらない。インターネットについての語られ方そのものを変え、抗議や危機、紛争の際に政府がどう対応するかを一変させた。15年を経た今も、あのときのレガシーは、デジタル時代における抵抗とコントロールの条件を規定し続けている。
当時、我々が聞かされたのは心地よい物語だった。インターネットが民主主義をもたらす助けになる、接続性そのものが革命的である、シリコンバレーの製品――とりわけソーシャルメディア・プラットフォーム――は民衆の味方である、という物語だ。テック企業の経営者たちがときに喜んで増幅し、西側の一部の政府が喜んで信じた物語でもあった。
しかし、抗議者たちが組織化し、自国の国境を越えて要求を発信するのを助けたのと同じネットワークが、新たな形態の弾圧の土台を築いた。かつて抵抗のツールとして称賛されたまさにそのツールが、年月を経るうちに、反体制派を追跡し、嫌がらせし、訴追するための道具へと変わっていった。
本シリーズでは、地域を揺るがした2011年の蜂起がデジタル領域に残したレガシーを検証する。2011年以降、各国政府がいかに検閲と監視を洗練させていったか、プラットフォームがそうした動きにいかに抵抗し、あるいは加担したか、そして新たな世代の市民社会がいかに反撃してきたかを追う。
「かつて抵抗のツールとして称賛されたまさにそのツールが、年月を経るうちに、反体制派を追跡し、ハラスメントし、訴追するための道具へと変貌を遂げた」
チュニジアの果物売り、ムハンマド・ブアジジが、地元当局による度重なる嫌がらせの末に2010年12月17日に焼身自殺を遂げたとき、自らの行為がどのような連鎖反応を引き起こすか、彼自身には知る由もなかった。23年近くにわたって権力の座にあったジン・エル=アビディン・ベン・アリ大統領は、弾圧にうんざりした国民と対峙することになった。抗議はチュニジア全土に広がり、最終的にベン・アリは国外逃亡を余儀なくされる。
最後の演説で、ベン・アリは改革を約束した。報道の自由の拡大と、インターネット規制の緩和である。だが、いずれも実現する前に彼は去った。オンラインでもオフラインでも検閲が常態化した環境で長年暮らしてきたチュニジア国民にとって、その約束は空虚に聞こえた。
当時、チュニジアのインターネット規制は世界でも最も厳しいものだった。亡命メディアNawaatの報道は、精巧なフィルタリング体制を明らかにしている。DNSの改ざん、URLのブロック、IPフィルタリング、キーワード検閲。しかし、そうした機構があっても、チュニジア人たちはたくましいブログ文化を築き上げ、検閲回避ツールに頼りながら情報を国外へ発信し続けていた。抗議が始まったとき――国際メディアが追いつく前に――彼らには準備ができていたのだ。
ベン・アリが逃亡してから11日後、エジプト人が街頭に出た。国際メディアは競うように「Twitter革命」を称賛し、ツールを運動そのものと取り違えた。エジプト政府も同じ結論に達した。1月26日、当局はTwitterとFacebookを遮断。翌日にはインターネットをほぼ全面的にシャットダウンした。15年後のイランで目にすることになる事態の前触れでもあった。
ホスニー・ムバーラク大統領の独裁支配からの解放を求めてエジプト人が闘う中、抗議の波は地域全体へと広がっていった。バーレーンではデモ隊が真珠広場に集結し、残虐な弾圧に直面した。シリアでは改革を求める初期の呼びかけがエスカレートし、今世紀最も壊滅的な紛争の1つへと発展した。モロッコでは2月20日運動が憲法改正を求めた。地域の外でも、スペイン、ギリシャ、ポルトガル、アイスランド、米国などで運動が形成されていった。
いずれの状況においても、デジタルプラットフォームは画像、証言、戦術を国境を越えて流通させる役割を果たした。可視化すること――それが一種の手引きとなった。各国政府は自国民のみならず相互の動向も注視し、ネットワークを寸断し、組織者を特定し、物語のコントロールを奪い返す方法を急速に学習していった。
原因と結果
はっきりさせておくべきなのは、インターネットがこれらの運動を生み出したわけではない、ということだ。これらの運動を生み出したのは、数十年にわたる弾圧、腐敗、労働運動、そして草の根の活動である。その後の研究も、この地域の多くの人々がすでに理解していたことを裏づけている。デジタルツールは人々が情報を共有し行動を調整する助けにはなったが、反乱の火種でもエンジンでもなかった。
しかしそれでも、「Twitter革命」という神話には現実的な帰結が伴った。熱狂的な報道と、それに続く迅速な政策対応が、世界中の国家戦略を方向づけたのである。地域内外の各国政府は監視技術に多額の投資を行い、新たな法的枠組みを整備し、自らのソーシャルメディアでの存在感を高め、プラットフォームに影響を及ぼす手段を見出していった。かつて稀だったインターネットの遮断は、危機対応の常套手段へと変わった。そして企業は、国家の圧力に抵抗するか従うかという、ますます衆目を集める判断を迫られることになった。
インターネットに関して言えば、この地域とその先に広がった2011年の蜂起のレガシーは、権力をめぐる物語である。国家がいかにオンラインでのコントロールを固めたか、プラットフォームが――しばしば圧力のもとで――いかに異議申し立ての余地を狭めていったか、そして市民社会がそれを守るためにいかに進化を強いられてきたかという物語だ。
この全5回のシリーズでは、異議申し立てと希望のための空間としてのインターネットが、過去15年間、この地域を超えてどのように変容してきたかを、より深く掘り下げていく。
Digital Hopes, Real Power: Reflecting on the Legacy of the Arab Spring | Electronic Frontier Foundation
Author: Jillian C. York / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: March 25, 2026
Translation: heatwave_p2p
デジタルの希望、現実の権力 #2
革命から規制へ
ジリアン・C・ヨーク / 2026年4月1日
戦時検閲と厳格化するプラットフォーム規制が反対の声を封殺しているロシア、攻撃的な削除命令がソーシャルメディアを政治闘争の場に変えているナイジェリア、そして広範な「偽情報」法がプラットフォームを言論弾圧空間に変えているトルコに至るまで、オンラインの表現の自由は攻撃にさらされている。Freedom Houseの2023年版「ネット上の自由」報告書によれば、インターネットユーザの66%が政治的・社会的サイトの遮断される国に暮らし、78%がオンラインへの投稿を理由に逮捕されうる国に暮らしている。過去1年だけでも、数十カ国で新たなソーシャルメディア規制が登場した。
オンラインの状況は、15年前とは様変わりしている。当時、ソーシャルメディアはまだ新しく、法的規制もほとんどなかった。プラットフォームはユーザからの報告に応じてコンテンツをモデレーションし、政府が直接プラットフォームを標的にすることは稀で、遮断があっても一時的なものにすぎず、検閲はウェブサイト丸ごとのブロックが中心で、VPNやプロキシで容易に迂回できた。インターネットが自由だったわけでは到底ないが、政府の粗雑な手法には迂回の余地が残されていた。
粗雑ではあったが、こうした初期の規制は、オンライン検閲が急速に進化する出発点となった。タイは2007年に批判的なコンテンツを理由に数千本のYouTube動画を遮断し、トルコはYouTubeに削除を要求した末にサイトそのものを遮断した。こうした事例を通じて、各国政府は反対意見を封じ、プラットフォームを従わせるための法的・技術的圧力を試行してきた。2011年までに、政府はもはや受動的に対応するだけではなくなっていた。プラットフォームを国家検閲の道具に変えるための圧力を学び、単純なブロックから、もはやVPNでは容易に迂回できない精巧なコントロール体制へとプレイブックを進化させていた。地域中の政府が注意深く状況を見守っていた。2011年の蜂起が始まったときには、対応の準備ができていたのだ。
振り返って
警察の暴力で殺害された若者を追悼する「我々は皆ハーリド・サイードだ」というFacebookページがエジプトの街頭抗議を引き起こしたことを知った西側メディアは、オンラインプラットフォームを民主主義のエンジンだと持ち上げた。革命の共同発起人ワエル・ゴニムはあるジャーナリストに語った。「この革命はFacebookで始まった」と。この主張は何年にもわたって論争と反論の的となった。決定的に重要なのは、Facebookが2ヶ月前に実名ポリシーに違反するペンネームを理由にこのページを停止していたという事実であり、支持者の介入があって初めて復活したのである。
抗議が街頭に移ると、ソーシャルメディアの力を警戒していたエジプト政府は直ちにFacebookとTwitterを遮断し、続いてほぼ全面的なシャットダウンを実施した(詳しくは本シリーズ第4回で取り上げる)。歴史が示す通り、こうした措置が革命を止められるはずもなく、エジプトのホスニー・ムバーラク大統領は退陣した。一瞬、自由が地平線に見えたかに思えた。残念ながら、その瞬間は長くは続かなかった。
エジプトのデジタル・ディストピア
エジプトの軍事政権は、街頭の革命を鎮圧し、それと同時にオンラインの市民空間も閉ざしていった。今日、エジプトのインターネットはインターネット自由度の指標において低い評価にとどまっている。2013年以来エジプトを統治してきた軍事政権は、人権擁護者を投獄し(関連記事)、2015年のテロ対策法や2018年のサイバー犯罪法など、言論を抑圧し違反者を訴追する幅広い権限を国家に与える法律を制定してきた。
2018年の法律は、サイバー犯罪法がいかに濫用されうるかを示す代表的事例と言える。同法第7条は、「国家安全保障」または「国民経済」に対する脅威となるウェブサイトの遮断を認めている。「思想・表現の自由協会」(AFTE)は、法律に含まれる「国家安全保障」の曖昧な定義――「祖国の独立、安定、安全、統一及び領土的一体性に関わるすべて」――を批判してきた。注目すべきは、個人も処罰対象となりうる点であり、遮断されたウェブサイトへのアクセスだけで最長6ヶ月の懲役刑が科される。
第25条は「エジプト社会の家族の原則や価値観を侵害する」目的での技術の使用を禁じ、第26条は「公序良俗に反する」素材の流布を禁じている。近年、これらの条項は、政府の意に沿わないかたちでソーシャルメディアを利用する若者を訴追するために用いられてきた。訴追された者の多くは若い女性である。たとえば、ベリーダンサーのサマ・アル=マスリーは第26条に基づき懲役3年の判決を受け、30万エジプトポンドの罰金を科された。
エジプトを超えて――地域的潮流
エジプトの軌跡は、より広範な地域的・世界的パターンを反映している。蜂起後の数年間で、各国政府はサイバー犯罪、テロリズム、あるいは「虚偽情報」との闘いを口実に、デジタル空間に対する法的権限の公式化を急速に進めた。こうした法律には、「ソーシャルメディアの悪用」や「国家の統一を害する行為」を犯罪とする曖昧な条項が含まれることが多く、当局に言論を訴追する幅広い裁量を与えている。
カタールとバーレーンでは、ソーシャルメディアへの投稿1つで最長5年の禁固刑が科されうる。2018年、著名なバーレーンの人権擁護活動家ナビール・ラジャブは、イエメンでの民間人殺害に関するツイートを理由に「戦時における虚偽の噂の流布」「公的機関への侮辱」「外国への侮辱」で有罪判決を受け、懲役5年の刑を言い渡された。
その2年後、カタールは「フェイクニュース」の流布に刑事罰を設ける形で刑法を改正した。第136条の2は、「国内外を問わず、国家の利益を害し、世論を扇動し、または国家の社会的・公的秩序を乱す目的で、噂、声明、虚偽もしくは悪意ある報道、または扇情的な宣伝を放送、公表、または再公表する行為」に刑事罰を定め、最長5年の禁固刑および/または10万カタール・リヤルの罰金を科している。戦時にこの犯罪が行われた場合、刑罰は倍加される。
今、戦争が再びこの地域に広がる中で、これらの法律が試されている。バーレーン当局は、戦争に関連する抗議や表現をめぐって少なくとも100人を逮捕し、カタールは「誤解を招く情報」の流布の罪で300人以上を逮捕した。
UAEでは、少なくとも35人――そのほとんどまたは全員が外国籍――が逮捕され、Times of Indiaによれば「国防努力を害し、市民のパニックを煽る可能性のある誤解を招く捏造コンテンツをオンラインで流布した」として告発されている。これらの逮捕は、UAEの2022年連邦政令法第34号(噂及びサイバー犯罪対策法)に基づいている。Human Rights Watchによれば、同法は同国の刑法とともに「反体制派、ジャーナリスト、活動家、そして当局が政府やその政策・代表者に対して批判的だとみなしたあらゆる人物を沈黙させるために使われている」。
地域の慣行から世界的パターンへ
今日、世界のおよそ5カ国に4カ国がサイバー犯罪法を制定しており、過去10年で劇的な拡大を遂げた。多くの政府がアラブ蜂起後の数年間にこうした法律を採択または改正している。
地域外でも、さまざまな国でこれらの法律が言論の取り締まりに転用された。ナイジェリアでは、サイバー犯罪法に基づいてジャーナリストが拘束され、2015年以降、数十件の訴追が記録されている。バングラデシュのデジタルセキュリティ法は数千件の事案に適用され――うち数百件はジャーナリストに対するものである――、ウガンダでは当局がソーシャルメディアへの投稿を理由にコンピュータ不正使用法に基づき政治的批判者を訴追してきた。
サイバー犯罪法は、政府がデジタル空間をコントロールするための各種ツールキットの一つにすぎない。過去10年間で、各国当局は広範な「偽情報」法、プラットフォーム責任規定、年齢確認法、そして企業にデータの国内保存や国内における法的代理人の設置を義務づけるデータローカライゼーション要件を導入してきた。こうした措置は、政府がグローバルなテクノロジー企業に対するレバレッジを手にすることを可能にし、より迅速なコンテンツ削除の要求、ユーザデータの取得、あるいはプラットフォームが従わない場合の高額な罰金や帯域抑制による威嚇を可能にしている。ウェブサイト全体を遮断するような鈍器的手段にのみ頼るのではなく、国家はますます、プラットフォームに対して国家に代わってユーザを取り締まるよう圧力をかける重層的な規制システムを通じて言論を統治するようになっているのだ。
プラットフォーム側もまた変化した。かつて民主的動員のツールとして称賛されたのと同じソーシャルメディア企業が、今ではより制約された環境の中で活動し――そしてしばしば言論弾圧への積極的な協力として振る舞っている。罰金やサービス全面遮断の脅威に直面し、多くの企業が2011年以降、削除要請への対応を拡大した。それは各社自身の透明性レポートにも見てとれる。その後、企業は自動化技術にも多大な投資を行い、公開に先んじて膨大な量のコンテンツが削除されるようになった。
EFFを含め、世界中の人権団体が、こうした力学が歴史的に周縁化された脆弱な集団、そしてジャーナリストや人権擁護者に不均衡な影響を与えていると警告してきた。パレスチナのデジタルライツ団体7amlehによる調査やHuman Rights Watchの報道は、コンテンツモデレーションポリシー、政府からの圧力、そして不透明な執行メカニズムがいかに収斂しつつあるかを記録している。活動家、ジャーナリスト、人権擁護者たちは、国家検閲とプラットフォーム統治の狭間に挟まれているのだ。
弾圧の新たなアーキテクチャ
今振り返れば、15年前、各国政府が不意を突かれたことは明白である。プラットフォームを乱暴に遮断し、ネットワークを停止し、十分に理解していない運動を封じ込めようと右往左往していた。だがそれ以降、国家は体系的に適応を遂げ、かつての場当たり的な措置を、持続的なコントロールシステムへと作り替えてきた。
今日のコントロールは法律に埋め込まれ、プラットフォームに外注され、安全、セキュリティ、秩序の言葉で正当化されている。サイバー犯罪法、偽情報対策の枠組み、プラットフォーム規制が重層的なアーキテクチャを構成し、国家は合法性の外観を維持しながらオンラインの表現を大規模に統制することを可能にしている。このシステムにおいて、弾圧はしばしば手続き的であり、官僚的であり、継続的である。
もはや問われているのは、インターネットが異議申し立てを可能にしうるかどうかではない。こうした条件のもとで、なおもそれを持続させうるかどうかだ。
Digital Hopes, Real Power: From Revolution to Regulation | Electronic Frontier Foundation
Author: Jillian C. York / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: April 1, 2026
Translation: heatwave_p2p
デジタルの希望、現実の権力 #3
アラブの春はいかにして世界的な監視ビジネスの隆盛を招いたか
サラ・ハミド / 2026年4月8日
2011年に中東・北アフリカ(MENA)地域で巻き起こった民衆蜂起を振り返るとき、人々が思い浮かべるのは、広場を埋め尽くす群衆、高く掲げられたスマートフォン、そしてインターネットがついに一般市民の側へ力の均衡を傾けたという高揚感だろう。しかしそれから15年あまりの歩みは、同時に別の物語でもある。政府、企業、プラットフォームがまさにそのツールを、強力な国家監視装置の基盤へと作り変えてきた物語だ。
活動家、ジャーナリスト、そして日常的なユーザにとって、それは絶え間ない脅威のもとで生きることを意味する。ポケットの中のスマートフォン、組織化に使うプラットフォーム、安全とつながりを頼りにするシステム――そのすべてが、スイッチ1つで武器に変わる。グローバルな監視産業は、MENA各国政府による弾圧を成長機会として利用してきた。そこで洗練された手法は、いまや世界中のデジタル権威主義を形成している。本稿では、その変遷をたどっていく。治安機関がいかにして旧来の弾圧体制を新たな監視ツールと常時監視インフラで強化したか。サイバー犯罪法と傭兵型スパイウェア市場がいかにしてデジタルなコントロールを標準的な統治手段に変えたか。そして生体認証、顔認識、「スマートシティ」プロジェクトが、いかにしてAI駆動型監視の土台を築き、いまや抗議活動、国境管理、日常生活をこの地域の外にまで広く規定しているか。
今日アラブの春を振り返るということは、2011年の出来事を、人々がネットワーク化されたツールを活用し自由を求めて闘った運動史上の画期的な瞬間として見ると同時に、その同じツールを国家によるコントロールの仕組みへと転用する、長く過酷な営みの始まりとして見ることにほかならない。
旧来の弾圧、新たなツール
FacebookやTwitterが登場するはるか以前から、エジプトやシリアなどの政権は、反体制の声を圧殺する術を熟知していた。治安機関がたいした制約もなく批判者を監視・拘束できる非常事態法を背景に、密告ネットワーク、物理的監視、盗聴を駆使していた。MENA地域における監視技術の使用に関する調査が示すように、アラブの春以前からすでに各国は、インターネット監視、ディープパケットインスペクション、傍受センターといった初期のデジタルツールを、従来のコントロール装置の上に重ねていたのである。
同時に、接続環境は急速に進展していた。安価なスマートフォンとソーシャルメディアが突如として、情報を大規模に共有し、抗議を調整し、残虐行為をリアルタイムで発信する手段を人々に与えた。2011年当時、EFFは「Facebook革命」をめぐる熱狂と、政府が民衆の異議申し立てを監視し混乱させる能力の強化に躍起になっている初期の兆候の両面を記録している。
蜂起の後、西側の評論家たちはソーシャルメディアそのものにどれだけの功績を認めるべきかを延々と議論した。一方その裏で、MENA各国の治安機関はもっと単純な結論に達していた。ネットワーク化されたコミュニケーションが独裁者の打倒に寄与しうるなら、それらのネットワークの深部に自らを埋め込む必要がある、と。MENAにおけるデジタル権威主義の台頭を分析した研究は、当局がオンライン上の組織化に不意を突かれた状態から、それを監視し先手を打つシステムの構築へと、いかに迅速に転換したかを明らかにしている。
2011年以降、この地域の各国政府はインターネット監視とディープパケットインスペクションの拡充に資金を注ぎ込み、主要プラットフォーム上で人々が何を言い何をしているかを体系的に監視するためのツールに多額の投資を行った。外国のベンダーが監視センターや傍受システムを設置し、治安機関は数万ものサイトを遮断し、ソーシャルメディアを大規模にスクレイピング・分析し、活動家のページやオンラインコミュニティを監視し、活動家をリアルタイムで追跡できるようになった。彼らは2011年の教訓を受け止め、先制的なデジタルコントロールの新たなモデルを構築した。国家はできるだけ多くを、できるだけ早く把握すべきだという前提に立つモデルである。
我々が2011年に指摘したように、もともと人権侵害的な政府に恒久的な監視インフラを輸出しても、治安が「近代化」されることはない。それは反体制派、ジャーナリスト、周縁化されたコミュニティの弾圧に最適化されたコントロールのアーキテクチャを固定化するだけである。
国内の法的武器化とサイバー傭兵
蜂起の後、多くの政府はオンライン生活を律するルールそのものを書き換えた。サイバー犯罪法、「フェイクニュース」条項、そして過度に広範な治安維持法や「道徳」法は、検察や治安機関に免責同然の法的正当性を与えた。サウジアラビア、チュニジア、ヨルダン、エジプトの各国政府は、テロ対策法、サイバー犯罪法、名誉毀損法、抗議規制法を絡み合わせ、オンライン上の異議申し立てを危険でコストの高い行為と感じさせるための法の茂みを作り上げた。道徳法やサイバー犯罪法の条項は、クィアやトランスの人々をそのアイデンティティや表現を理由に標的にするためにも用いられている。
国連では、新たな国際サイバー犯罪条約がこの論理を国際法に焼き付けるリスクをはらんでいる。この条約は、市民社会が深刻な人権上の懸念を提起したにもかかわらず、2024年末に国連総会で採択された。EFFは当時、パートナー団体と歩調を合わせ、国連サイバー犯罪条約草案は採択するには欠陥が多すぎると警告し、この条約が拡大的な監視権限を正当化し、正当な表現活動やセキュリティ研究、日常的なデジタル実践を世界中で犯罪化するとして、各国に草案の拒否を求めた。
こうした法的手段は表向きは「公共の安全」を目的に掲げている。しかし実際には、国家の治安機関が最もリスクにさらされているコミュニティを監視し、訴追し、沈黙させるための経路として機能する。国家の標的となるコミュニティにとって、オンラインで可視化されることは中立的な選択ではなく、計算されたリスクとなる。
だが、刑法は物語の半分にすぎない。残りの半分は傭兵型テクノロジーである。
世界中の政府が批判者を出し抜く方法を模索するなか、それを手助けする並行市場が出現し、デバイスへの侵入と乗っ取りを可能にした。NSO Groupのような企業は、Pegasusなどのツールを、標的の携帯電話やその他のデバイスをハッキングし、メッセージを読み、マイクを起動し、ソーシャルネットワーク全体を裁判所を迂回して監視するための、今すぐ実装可能な既製品として政府に売り込んだ。
2019年、デイヴィッド・ケイ国連特別報告者は、実効性のある本物のセーフガードが整備されるまで、民間監視ツールの販売・移転に対するグローバルなモラトリアムを求めた。その2年後、Amnestyとメディアパートナーによるフォレンジック調査は、パレスチナの人権擁護者の電話をハッキングするのに使われたのと同じスパイウェアが、数十カ国にわたってジャーナリスト、活動家、弁護士、政治的反対者の監視にも使用されていたことを明らかにした。
地域の諸団体は、独裁的な政府や治安機関への監視技術の販売停止を要求して応じた。法そのものが弾圧の道具となっているシステムに「合法的傍受」ツールを売り続けることは許されない、という主張である。商業用スパイウェアはデジタルな弾圧の周辺ではなく、その中核に位置している。監視ベンダーは中立的な供給者ではない。これらのツールを購入する国々の大半では、セーフガードは脆弱で、断片的で、あるいはまったく存在しないにもかかわらず、ベンダーは新たな契約と新たな軍事化された「ユースケース」を追い求め続けている。言い換えれば、こうしたシステムを設計し、販売し、保守する企業は、まさにこの種のコントロールを可能にするがゆえにそうしているのであり、権威主義的な権力から利益を得、それを固定化する側に立っている。
生体認証、顔認識、AI駆動型の監視都市
急速に強化されるこの傍受・スパイウェア体制の上に、政府と企業は生体認証と顔認識を日常的なシステムへ重ねはじめ、大量のデータ収集、自動分析、リスクプロファイリングへの道を開いた。MENA地域の一部では、国民ID制度、国境・移民管理、中央集権化された生体認証データベースが、脆弱あるいは形骸化したデータ保護法のもとで展開されており、人々の移動、行政サービスの利用、政治活動を単一の恒久的識別子に紐づけることを容易にしている。
人道支援プログラムもこの方式の例外ではない。ヨルダンでは、シリアからの難民が現金給付や食料を受け取るために虹彩スキャンや生体データの提出を求められてきた。つまり「同意」が生存の前提条件にされているということだ。援助へのアクセスが中央集権的な生体認証システムへの登録に依存する場合、そのデータの漏洩、不正利用、目的外使用は、オプトアウトする現実的な手段を持たない人々に人生を左右する深刻な帰結をもたらす。MENAにおける人権侵害に加担する監視テック企業への調査は、ベンダー各社が、移民管理や国内治安のための生体認証・監視ツールの供給から利益を得ていること、それらのツールが差別的あるいは権利侵害的に使用されている場合でさえそうであることを示している。
大規模・無差別的な監視技術は、すでに犯罪者扱いされているか貧困により脆弱な立場に置かれている人々を対象に、まずMENA地域で試験運用された。しかしその用途は、国境や検問所での狭義の治安目的の展開から、福祉事務所、援助物資の配布拠点、街路での日常的な使用へと急速に拡大していった。センサー、カメラ、データストレージのハードウェアが安価になり、「スマートシティ」監視システムがシームレスなセキュリティとサービスを謳うようになると、これらのシステムをあらゆる場所で常時稼働させ続けることが、より容易になり、政治的にも問題視されにくくなった。
標的型のハッキングツールとは異なり、カメラネットワーク、常設センサー、生体認証データベースの上に構築された都市規模の広域監視インフラは、捜査対象者と一般市民との間の実質的な境界線を消し去り、公共空間と日常の移動に対する大量かつ無差別的な監視を常態化させる。湾岸地域では、顔認識と高密度のセンサーネットワークが、生体認証とAI駆動型監視に大きく依存する大型の「スマートシティ」やメガプロジェクト計画にますます組み込まれている。これらは治安優先型の開発プロジェクトであり、生体認証やセンサーのインフラは設計段階から、警察活動、移民管理、商業的な追跡を都市の構造に埋め込むことを前提として構築されている。シームレスなサービスやデジタルな機会として売り込まれることの多い湾岸の「スマートシティ」未来像において、「スマート」はブランディングにすぎず、遍在的な監視こそが運用原理なのである。
EFFは、政府による顔認識と生体認証監視の利用に一貫して反対し、場合によっては全面的な禁止を求めてきた。平和的な異議申し立てが治安上の脅威として扱われる環境において、生体認証監視を日常のインフラに埋め込むことは、軍事化された警察活動と国家によるコントロールに有利な力の均衡を固定化する。そしてそのインフラは、今や新たなリスク群の出発点となっている。過去10年間にわたり構築された監視システムが、新世代の「AI対応」防衛・セキュリティ製品の基盤として再パッケージ化されつつある。
かつてビデオ管理や周辺警備に特化していた企業は、今やAI駆動型の状況認識と脅威検知のための「防衛用途」を宣伝し、コンピュータビジョンモデルでカメラ映像をスキャンし、既存の監視リストと照合し、「不審な」人物や行動をリアルタイムでフラグ付けしている。ドローンやセンサープラットフォームには、自律的に標的を追跡・分類する組み込みAIが搭載されるようになり、「ドローンベースのAI脅威検知とインテリジェントな状況認識」によって、空中監視が治安機関や軍のための連続的なデータフィードへと変貌している。湾岸から欧州、北米に至るスマートシティや防衛関連の展示会では、こうしたシステムが中立的な効率化ツールとして、あるいは「重要インフラの保護」手段として売り込まれている。国境の取り締まり強化、抗議行動の監視、国内治安作戦のスケールアップを明確に想定して設計されている場合でさえ、そうなのだ。
これらのシステムがAI駆動型の防衛製品に組み込まれるにつれ、「民間」インフラと軍事化された監視の境界線は消失し、街路、国境、援助拠点が治安作戦のための連続的な入力源に変わっていく。これこそが、人権と説明責任のための取り組みがいま対峙しなければならない現実の地平である。
コントロールのテンプレート、抵抗のネットワーク
アラブの春後の高度に治安化されたMENA諸国で確立されたパターンは、いまやイランが位置情報や顔認識を使って抗議参加者を追跡するケースから、地域内の他所で続く長期的な弾圧に至るまで、より近年の蜂起を国家がいかに監視し鎮圧するかを規定している。スパイウェア、データ渇望型のID制度、プラットフォームのコントロール、非常事態的な治安関連法の上に築かれたこの「デジタル権威主義」のモデルは、ラテンアメリカから東欧、そしてここ米国に至るまで、あらゆる場所に出現している。新たな国連サイバー犯罪条約が実施に向けて動き出すなか、その広範な犯罪類型と監視権限は、この場当たり的なツールキットを、越境的なデータ共有、弾圧、そして万能のグローバル監視装置のための公式テンプレートに変えるおそれがある。
現場の人々にとって、これは何ひとつ机上の話ではない。人権擁護者、ジャーナリスト、そして一般のユーザが、地域全体で自身のデジタルな痕跡を根拠に逮捕、長期の禁固刑、亡命を強いられている。こうした状況下で、商業用スパイウェアは脇役ではなく、弾圧の中核的機構の一部である。Pegasusはゼロクリック・エクスプロイトを通じてジャーナリストの電話をハッキングし、人権擁護者や監視団体そのもの――AmnestyのPegasus ProjectのパートナーやHuman Rights Watchのスタッフを含む――を危険にさらすために使われてきた。こうした展開は、先に述べた「サイバー犯罪」や「テロリズム」の枠組みに実効性を与えるものであり、中立的で一般化されたセキュリティ対策ではなく、特定のコミュニティ、連絡先、ネットワークに対する一人ひとりを狙った作戦なのである。
このような状況下では、日常のセキュリティが第二の仕事になる。複数の電話を持ち歩き、1台を比較的「クリーン」な用途に、別の1台をよりリスクの高い会話に使い、プラットフォーム間でアイデンティティを分散させ、暗号化された言い回しを用い、可能な限りメインストリームのサービスから活動を移す――人々はそうした暮らしを語る。この負担をユーザに押し付けることは政治的選択である。国家も、プラットフォームも、ベンダーも、設計段階から安全なシステムを構築することができる。にもかかわらず、リスクを自分たちが監視し処罰する当の人々に外部化しているのだ。
そうした状況の中にあってもなお、市民社会組織は治安機関やベンダーに地歩を譲ることを拒んできた。地域の連合体は厳格な輸出規制と、独裁的な政府への侵入的な監視技術の販売の全面禁止を要求してきた。
活動家たちはまた、企業に対し、形だけの「デュー・デリジェンス」を超えた対応を求めてきた。移民管理や国境管理の文脈における監視テック企業との取り組みは、大半の企業が真剣な人権影響評価にはほど遠く、ましてやこうした利益の大きい契約を断る意思など持ち合わせていないことを繰り返し示してきた。
人権問題で他国を批判してきた政府の多くが、まさにこうしたツールを構築する企業をホストし、あるいはライセンスを付与し、場合によっては自国の治安機関のために同様の能力を購入している。たとえば欧州当局は、FinFisher社による「ドイツ製」スパイウェアのトルコへの輸出およびその他のEU域外政府への輸出を調査している。一方、NSO GroupはEU12カ国の治安・法執行機関と少なくとも22件のPegasus契約を結んでいる。これは局所的な問題ではなく、トランスナショナルな産業なのだ。
ほとんど不可能に見える困難に抗して、人々は自由への道を見つけ続けている。グローバルな監視セクターは、人々が何世代にもわたり生き延びる術を見出してきたのと同じ構造的暴力と権力の不均衡を強化する。クィアの活動家をはじめ、このシステムの最も鋭い刃先にさらされてきた人々は、生体認証やデータ駆動型のターゲティングへの対抗をはじめ、独自の抵抗の形を生み出さなければならなかった。暗号化、検閲回避ツール、セキュリティ研修は万能薬ではないが、組織化し、権利侵害を記録し、あるいはただ少しでもリスクを減らしてオンライン上に存在しようとする人にとって、依然として不可欠な手段である。EFFの「Surveillance Self-Defense」はそのエコシステムの一片であり、現地で長年この活動に携わってきたトレーナーや団体と並ぶ存在だ。
デジタルな異議申し立ての未来を守る
アラブの春はしばしば、広場を埋め尽くす群衆と希望に満ちたツイートの映像として記憶される。しかしその余波のもとで生きるということは、その影に構築された監視アーキテクチャと対峙することでもある。オンラインでの発言を犯罪に変える法律、電話や顔を追跡ビーコンに変えるスパイウェアと生体認証システム、そして最もリスクにさらされている人々を日常的に切り捨てるプラットフォームの慣行。そのいずれも不可避ではなく、世界のどこか一地域に限った話でもない。
説明責任は、政府と、政府にこうしたツールを提供して利益を得る企業の双方に及ばなければならない。監視技術がどう構築され、販売され、展開されるかについて、はるかに強力な制限を推し進めること。これらのシステムが使用される際に実質的な透明性を要求すること。そして人々が安全にコミュニケーションし組織化するために頼りにするツール――たとえば堅牢な暗号化やセキュアなチャネル――を守ること。さらに、同様の権利侵害が別の場所で表面化してから初めて注目するのではなく、この地平を長年にわたりナビゲートし、抵抗してきた現地の人々の意思に従うこと。
監視そのものがトランスナショナル化されている。ツールは輸出され、プレイブックはコピーされ、データは金と同じように容易に国境を越えて移動する。だからこそ我々は活動を続ける。権利侵害を記録し、セキュリティの知見を共有し、こうした暴力的なシステムに対抗するために連帯して組織化していくために。
Digital Hopes, Real Power: How the Arab Spring Fueled a Global Surveillance Boom | Electronic Frontier Foundation
Author: Sarah Hamid / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: April 8, 2026
Translation: heatwave_p2p
デジタルの希望、現実の権力 #4
ネットワーク遮断の台頭
ジリアン・C・ヨーク / 2026年4月15日
イランのインターネットは数か月にわたり断続的に遮断されてきた。数年におよぶ爆撃により、ガザの通信インフラは依然として脆弱なままだ。インドでは、抗議行動や騒乱への常套手段として繰り返される遮断や通信速度制限が常態化し、何百万もの人々がニュースや仕事、基本的なサービスから切り離されている。その他数十か国においても、各国政府は接続性そのものを武器化しうるものとして扱う傾向を強め、切断したり、減速させたり、選択的に復旧させたりすることで、人々が何を見、何を語り、何を共有できるかを左右しようとしている。2024年だけでも、当局は54か国で304件のインターネット遮断を実施した――記録された中で過去最高の数字である。
2011年、チュニジアやエジプトをはじめとする国々で抗議者たちがソーシャルメディアを用いて蜂起の様子を世界に発信したとき、多くの識者はネットワークがもたらす自由の新時代の到来を謳った。しかし各国政府は速やかに対応し、コントロールの仕組みを開発・洗練させていき、時を経るごとにそれを高度化させていった。今日の規制、ブラックアウト、通信品質低下が織りなす状況は、その軌跡を映し出している。検閲と遮断の初期の実験が、堅牢なコントロールの体系へと固まってしまったのだ――緊急措置として始まったものが、コントロールの常態化したインフラへと変貌を遂げた。
インターネット遮断の略史
エジプトによる2011年のインターネット遮断は、最初の事例ではなかった。抗議行動からわずか2日後に政府が取った強硬な対応は世界の注目を集めたものの、それ以前にもギニア、ネパール、ミャンマーをはじめとするいくつかの国々が遮断を実施していた。しかしエジプトは転換点となった。それから数年のうちに遮断は世界中で急増し、各国政府がこの手法に注目したことがうかがえる――反対意見を抑え込み、国内外の情報の流れを制限するための戦術として、ネットワーク遮断を採用するようになった。
2011年1月28日、現地時間午前0時34分、エジプトのインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)5社がネットワークを遮断した。少なくとも1社――エジプト証券取引所をホスティングするNoor――はオンラインを維持し、国内の接続率はわずか7%程度にとどまった。
ホスニ・ムバラク大統領の辞任後、人権団体はこれほど大規模な遮断がいかにして可能だったのか、そして今後同様の事態をどう防ぐかを解明しようと動き出した。「キルスイッチ」のような中央集権的な仕組みがあったわけではない。当局が利用したのは、政府の認可を受けて運営されていた、高度に集約されたエジプトの通信セクターである。ISPが数社しか存在しないため、わずかな指示だけでネットワークの大半をオフラインに追い込むことができた。
2011年のエジプトでの遮断以降、通信事業者各社――その多くは国家命令による遮断の実現に直接関与していたとされる――は、共通する人権課題をめぐって協調を始めた。同年から、通信事業者とベンダーのグループが水面下で会合を重ね、「ビジネスと人権に関する国連指導原則」が自らのセクターにどう適用されるのか、とりわけ政府の要求がアクセスへの大規模な制限に転化しうる状況下でいかに機能するのかを検討していった。この取り組みは2013年までにTelecommunications Industry Dialogueとして正式に発足し、世界的な通信大手各社が集い、表現の自由とプライバシーに関する共通原則を策定するとともに、Global Network Initiativeとの連携を通じて市民社会とより直接的に関わるようになった。この取り組みは、通信事業者が――プラットフォームとは異なり――ネットワーク上の重要なチョークポイントで事業を展開しているという認識が高まりつつあることを反映していた。しかし同時に、自主的な取り組みの限界も浮き彫りにした。Dialogueは共通規範の確立に寄与したものの、遮断を引き起こし続ける法的・政治的圧力を抑え込むこと、そして企業がその圧力に従うことを防ぐことには、ほとんど役立たなかった。
緊急措置から法的権限へ
2000年代初頭が場当たり的な遮断によって特徴づけられていたとすれば、それ以降の年月は、各国政府がネットワークをコントロールする権限を公式化していく過程だった。かつて例外的だったものが、今や法律に組み込まれていることも少なくない。
インドでは、電信法に基づいて発出された2017年の「電気通信サービスの一時停止に関する規則」が、接続を遮断するための明確な法的経路を整えた。2023年電気通信法は政府による遮断の実施能力をさらに強化し、中央政府と州政府、あるいは「権限を付与された職員」に対して、公共の安全や主権の観点、あるいは緊急事態下において電気通信サービスを停止する権限を付与した。政府はこれらの措置を、とりわけジャンムー・カシミール地方で繰り返し行使してきた。インドのSoftware Freedom Law CentreによるShutdown Trackerによれば、インドは900件以上の遮断を引き起こしており、そのうち447件がジャンムー・カシミール地方で発生している。
カザフスタンでも遮断は常態化している。長年にわたり、政府は国家機関によるインターネット遮断を可能にする法律を制定してきた。2012年の国家安全保障法は、対テロ作戦の遂行時や暴動の鎮圧時に通信回線を遮断する権限を政府に付与した。2014年と2016年には、裁判所の判断を経ずにインターネットを遮断できるアクターの数を拡大する法改正が行われ、2018年の政府令はさらに「社会的緊急事態」の発生時における遮断をも可能とした。
他の地域においても、各国政府は情報の流れに対する同様のコントロールを可能にする法的・技術的枠組みを構築、あるいは拡張してきた。エチオピアでは国家主導型のテレコムセクターが紛争時の大規模な遮断を容易にしてきた。ティグレ紛争もその例に漏れず、2年以上にわたってインターネットが切断された。イランでは、当局が国内ネットワークをグローバルなインターネットから切り離すための規制上・インフラ上の能力を整備し、外部からの可視性を制限しつつ国内の接続性は限定的に維持することを可能にしている。今年だけでも、イラン国民は1年のうち3分の1をオフライン状態で過ごしている。そして継続中の戦争のさなか、イラン当局はインターネット接続が政府の公式路線に従順な者にとっての特権であることを明確にしている。
法律が遮断を明示的に認可していない場合でも、国家安全保障や公共秩序に関する広範な条文が、遮断を正当化する根拠として日常的に用いられている。その結果、ネットワーク遮断を例外的な措置としてではなく、住民を管理するための標準的なツールとして扱う法体系が拡大しつつある。
そうした権限が、自国民の枠を越えた人々に対して行使される場合、その帰結はさらに深刻になりうる。イスラエルの通信省はパレスチナに出入りする通信の流れをコントロールし、その権限を行使して紛争時のインターネット接続を遮断してきた。この2年半の間、ガザでは繰り返し通信障害が発生しており、専門家の推計によれば通信インフラの約75%が損傷を受けている――生活に不可欠なサービスは深刻な混乱に陥ったままだ。
選挙とコントロールの拡大
歴史的に見れば、ブラックアウトの大半は政治的緊張が高まる局面で発生してきた。しかし当局はこれを、反対意見を封じ込めるための予防的な手段としてますます活用するようになっている。
2024年、世界人口の半数以上が投票所へ向かうなか、遮断もそれに続いた。その年だけでも、当局は54か国で304件のインターネット遮断を実施した――過去最高を記録した数字であり、わずか1年前に塗り替えられたばかりの記録をさらに更新するものだった。地理的な広がりも大幅に拡大し、遮断の影響を受けた国の数はかつてないほどに達した。コモロは初めて遮断を実施し、モーリシャスなどの国々は選挙期間中にソーシャルメディア・プラットフォームへの広範な禁止措置を導入した。
2024年に選挙を実施した国のうち、少なくとも24か国には過去に遮断の実績があり、民主主義にとって重要な局面において、数十億もの人々が通信途絶のリスクにさらされることとなった。
際立っているのは規模の大きさだけではない。常態化そのものだ。特筆すべきは、2025年の遮断件数が前年の記録を更新したことである。ネットワーク遮断はかつて稀な出来事だったが、今や日常的な措置となっており、政治的に神経質な時期における当局の標準的な対応として扱われる傾向が強まっている。
反撃に出る市民社会
各国政府はインターネット遮断のために、国家安全保障、偽情報の拡散抑止、さらには学生の試験でのカンニング防止に至るまで、ありとあらゆる口実を持ち出してくる。しかし市民社会はネットワーク遮断とそれが市民に及ぼす影響を監視し、記録し続けている。
2016年、遮断が国家によるコントロールの手段として一般化しつつあったなか、Access Nowは#KeepItOnキャンペーンを立ち上げ、ネットワーク遮断に反対する世界規模のアドボカシーの連携に乗り出した。このキャンペーンには、345のアドボカシー団体(EFFを含む)、研究センター、検知ネットワークなどからなる連合が参加し、インターネット遮断の報告や遮断への反撃を協力して行っている。キャンペーンのアクションアラートに署名したり、自身の体験を共有したり、自らの管轄区域での遮断を報告したりすることで、誰でも活動に加わることができる。
依然として、この有害な慣行を終わらせることは、目指すべきゴールだ。2016年、国連はオンラインでの人権を支持しインターネット遮断を非難する画期的な決議を採択し、それ以降も国連機関はこの慣行に対する警鐘を鳴らし続けている。しかし各国政府の慣行を変えようとする戦いは依然として苦戦を強いられており、市民社会や、さらには企業までもが創意工夫を凝らす方向へと動いている。
ガザでの度重なる遮断のさなか、草の根の取り組みがパレスチナ人の接続を維持するためにeSIMの配布に動いた。2024年、EFFはガザでeSIMアクセスを提供するカイロ拠点の非営利団体Connecting Humanityを、その極めて重要な取り組みに対して年次アワードで顕彰した。Starlinkのような衛星インターネットはウクライナやイランの人々に供給されてきたが、これもまた国家によるコントロールから免れているわけではない。こうした取り組みと並行して、市民社会は遮断を回避し情報へのアクセスを維持するための実践的なガイダンスを共有し続けている。
EFFの使命は、テクノロジーが世界中のすべての人々の自由、正義、イノベーションを支えるものであるよう確保することだ――そして我々は、どこで発生しようともインターネット遮断に対して反撃し続ける。
Digital Hopes, Real Power: The Rise of Network Shutdowns | Electronic Frontier Foundation
Author: Jillian C. York / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: April 15, 2026
Translation: heatwave_p2p
つながりからコレクティブ・アクションへ
デジタルの希望、現実の権力 #5
ジリアン・C・ヨーク / 2026年4月30日
アラブの春がインターネットの可能性への楽観主義に彩られていたとすれば、その後の年月は、インターネットを守るために何が必要かをより冷静に理解する時期だった。
2011年当時、「デジタルライツ」という言葉はまだ比較的新しかった。それ以前の数十年間、オープンソースやハッカーのコミュニティ、そしてEFFをはじめとする少数の組織がデジタルの自由を唱えてきたが、2000年代に入り、世界各地の多様なコミュニティが合流するなかで、デジタルライツは基本的人権の延長線上にあるものとして、より明確に認識されるようになった。
2011年の時点で、この地域でデジタルライツに取り組む組織はごくわずかしか存在しなかった。ベン・アリ政権下のチュニジアのディアスポラから生まれたNawaat、テクノロジーの創造的活用を推進するために設立されたArab Digital Expression Foundation、そしてジャーナリストらにソーシャルメディアを教える目的で発足し、やがて地域で強い影響力を持つ存在へと成長したSMEXが先駆者だった。以来、表現の自由やイノベーション、プライバシー、デジタルセキュリティを推進する組織が地域全体で数十にのぼるまで増えている。
中東・北アフリカにおけるデジタルライツ運動がどのように発展してきたかを理解するには、それを形づくったコミュニティと、現在もその闘いを担い続ける組織に目を向けなければならない。こうした取り組みの中心にいた人々や組織の視点は、運動がいかに成長し、今後どのような課題が待ち受けているかを知るうえで欠かせない。
シニアリサーチャーでデジタル主権コンサルタントのリーム・アルマスリはこう語る。
「デジタルライツ」という言葉が登場したのはアラブの春の頃だ。当時、インターネットはまだほとんど規制されていない空間だった。我々はテック企業の方針を把握しようとしている段階で、各国政府に対しては、インターネットを水や電気と同じ基本的権利として認めるよう迫っていた。
しかしその後、デジタルライツを日常の権利――経済的権利、政治的権利、社会的権利――と結びつける必要性が認識され始め、地政学との接続も議論されるようになった。デジタルライツをそれに影響を及ぼすあらゆるもの、すなわち地政学的文脈から切り離された独立した分野として見るのではなく、全体像の中で捉えるという考え方だ。
2008年にSMEXを共同設立し、同組織を地域最大の団体に育てたモハマド・ナジェムは、当時の状況についてこう振り返る。「この地域では、ソーシャルメディアに大きな関心を寄せる人はほとんどいなかった」。彼らの活動は「ソーシャルメディアに対するポジティブなアプローチであり、情報共有をいかに民主化するか、市民社会からいかに多くを発信するか、人々の意識をいかに変えるか、といったことだった」という。
「その段階の後」と彼は続ける。「2012年から2013年頃――アラブの春の後、組織としてインターネットのインフラそのものに目を向け始め、表現の自由やプライバシーがどのように影響を受けているかを調べ始めた。我々がいわゆるデジタルライツにより本格的に取り組み始めたのはその頃だ」。
テックの説明責任に向けて
アラブの春の後、ソーシャルメディア企業はガバナンスにおけるほぼ放任の姿勢から、より体系化された――しかし往々にして不透明な――コンテンツモデレーション体制へと移行した。各プラットフォームは信頼・安全チームを拡充し、地域およびグローバルレベルでの信頼されたパートナーシップを通じて市民社会との連携を強めた。しかし、モハマド・ナジェムはこう語る。
テックの説明責任そのものが広がり、テック企業が対応を進める中で、我々は気づいた――これではどこにもたどり着けない、と。次第に新たな段階に入り、テックの説明責任がそれ自体で一つの経済圏と化しながら、実質的な成果にはつながっていないように感じられるようになった。だから少なくとも我々にとって、そしておそらくグローバル・マジョリティのコミュニティの他の人々にとっても、次の段階とは、デジタル公共財にいかに注力するか、オープンソースソフトウェアの採用をより多くの政府や民間・公的機関に促すにはどうするか、エコシステム全体を見渡して今起きている米国の脅威を理解するにはどうするか、といったことなんだと思う。
デジタルライツとテックの説明責任をめぐる地域の闘いで重要な役割を果たしてきたもう1つの団体が、2013年に設立されたパレスチナの組織7amlehである。当時の状況について、ジャラル・アブカテルはこう語る。
パレスチナ社会では、デジタルライツ――デジタル形式の人権――に全面的に取り組む人権組織というのは、当時としては画期的で興味深いことだった。しかし年を追うごとに、我々はさまざまな節目を目撃し、ビッグテック企業のコンテンツモデレーションに影響を及ぼそうとするイスラエル政府の政策決定や動きが進んでいくのを見てきた。組織として、そこに問題を認識した。
7amlehはイスラエル政府による非常に強い影響力が行使されていた時期に、パレスチナ人のデジタルライツを守る闘いの先頭に立った。コンテンツモデレーションがまだ議論の俎上に載っていなかった時期に、そのオンラインにおける実態について極めて重要な報告を7amlehは発信していた。政府による大規模な影響力の行使と、それに起因する政治的抑圧が明らかに進行していた時期のことだ。
拡大し続けるエコシステム
初期のデジタルライツ運動が専門家を引きつけていたのに対し、今日では他分野の人々が自らの仕事とデジタルライツの交差を認識するようになり、デジタルライツのコミュニティもまたそうした人々を受け入れてきた。
アルマスリはこう語る。
デジタルライツ運動が分散化し、もはや専門分野ではなくなってきたからだ。デジタルライツの専門家だけのものではない。アラブ地域に限らず世界中で、インターネットはあらゆる種類のセンシティブな業務、あるいは業務全般を運営するための基幹インフラとなったのだから……あらゆる組織や企業、イニシアチブが、自らのデジタルセキュリティについて、インターネット関連法がインターネットの利用にどう影響しリスクをもたらしているかについて、そして監視技術が自分たちの活動にどう影響しているかについて考えるようになっている。
アブカテルは、運動の強さを築き上げたのは地域内で長年にわたり積み重ねられてきた協働の成果だと評価する。
今日、市民社会やデジタル市民社会には多くのフォーラム、連合体、ネットワークが存在するが、これは長年の経験と関係構築、ネットワーキングの上に積み上げられた成果であることを常に忘れてはならない。さまざまな当事者が異なる局面で互いを支え合い、この種の活動が成功を収め、パートナー組織からの支援を得てこのエコシステムがグローバルに維持されるよう尽力してきた。特にパレスチナにおいて、それは極めて重要なことだった。
広がる連携
2018年にベイルートで初めて開催されたBread and Netや、2017年にラマッラーで始まったPalestine Digital Activism Forum(PDAF)といったカンファレンスは、活動家、研究者、ジャーナリスト、その他の実務者が集い、互いの活動について学び合う場となっている。パンデミックや紛争、その他の障壁があっても、いずれのカンファレンスも歩みを止めてはいない。PDAFは著名なスピーカーを招く年次のオンラインイベントへと発展し、Bread & Netは開催間隔を空けつつも回を追うごとにより多くの参加者を集めている。
アルマスリは、こうした集まりが運動が当初関わっていた旧来のテック関係者や活動家の枠を超えて広がったことを高く評価する。「多様な分野の幅広い人々が集まっている。アーティスト、アーキビスト、ジャーナリストがこうした対話に参加しており、この分野、このシーンの明るい側面と言えるだろう」。
さらに彼女は、2020年に設立されたMiddle East Alliance for Digital Rights(MADR、EFFも加盟)のような連合体の登場にも注目する。MADRは、長年にわたり協力関係にあった個人や組織がその連携を正式なものとするために立ち上げた。
「アドボカシーレベルでの連携に加え、MADRはビッグテックやコンテンツモデレーション政策に対する一種の圧力拠点を生み出し、国連レベルでの一定の調整を可能にしている。冗長な取り組みを束ね、優先事項の決定を助けるという点で、非常に前向きなことだと私は見ている」。
今後を見据えて
運動の未来を考えるにあたり、アルマスリとナジェムは、デジタルライツはもはやニッチな分野ではないという点で意見を同じくする。ナジェムの言葉を借りれば、「それは他のあらゆることに関わっている……すべてに関わっているのだ」。
アルマスリはこう付け加える。
優先事項、すなわちこのシーンが取り組んできた課題に関して言えば、(2023年)10月7日が、デジタルライツの活動家、研究者、学者――この分野全体――がデジタルライツ全般をどう見るかにおいて、大きな転換点になったと感じている。もちろん、イスラエルのテクノロジーが可能にしたジェノサイド――世界経済やビッグテック、各国政府にも後押しされた――に対抗する戦術を見直す必要があるという大きな問いがある。地域的・グローバルなレベルで、我々はどのような連帯を築き始めるべきなのか。
アルマスリは「デジタル主権」――人々やコミュニティが自らのニーズや価値観に合ったテクノロジーを選択し、コントロールし、使用する能力――を、運動が次に取り組むべき重要なテーマの1つと見ている。米国企業が地域の紛争に関与してきた実態が明らかになるにつれ、誰が我々のデータを所有しホスティングするのかという議論はいっそう先鋭化している。
デジタル主権をいかに実現するかについて、特に戦争犯罪を記録する人権団体を中心に、各所で議論が生まれている。米国を拠点とするプロバイダやクラウドストレージ、さらにはホスティングインフラへの依存がリスクであるという認識が広がっている。とりわけ、こうしたサービスの利用が、プラットフォームを奪われたりMetaやYouTubeでコンテンツを削除されたりした地域の特定組織に対して武器として使われてきたことを考えればなおさらだ。彼らのコンテンツが米国の外交政策に沿わないという理由で……だからこそ、デジタルの自立をどう捉えるか、この地域の市民社会が達成しうる自立のスペクトラムとはどのようなものか、そして利用可能な選択肢との関係でどうなのかという大きな問いが浮上している。
アルマスリはまた、地域の研究者が果たす役割にも言及する。
監視技術の政治経済学に関する研究が大幅に増えた。政府がそれをどう使っているかだけでなく、そのサプライチェーン、誰がこれらの技術に投資しているのか、そして地政学的ネットワークがいかにして政府の手にそれらを拡散させたかについてだ。
ここでこそ、AIと軍事の政治経済学を分析する研究が重要になる。兵器、軍事、AIといった技術を個別のサイロとして見るのではなく、グローバルな資本主義システムの一部としていかに共に成長してきたかを理解しようとするということだ。地政学的な視点からこれらの技術の拡散を見ること、細部に焦点を当てるのではなく、より大きなエコシステム全体を見渡すこと。デジタルライツの捉え方、そしてデジタルライツが地政学的な場面にいかに収斂し統合されてきたかという点で、これは大きな進展だったと思う。
グローバルなデジタルライツのコミュニティが拡大を続けるなか、その核心にある問いは、もはやアクセスや表現だけにとどまらず、権力そのもの――誰がそれを握り、いかに行使し、誰がその保護から排除されているか――に関わるものとなっていることは明白だ。インターネットを開かれたままに保つことから始まった闘いは、インターネットそのものを再構想するより広い営みへと発展した。インフラ、所有権、そしてその双方に組み込まれたグローバルな不平等という問いと格闘する営みへと。
それでも、こうした課題の規模にもかかわらず、運動の力の源泉は、10年以上かけて築き上げてきた連帯、エコシステム、そしてネットワークにある。ブログやテックのコミュニティの黎明期から、いまや力を増しつつあるデジタルライツのコミュニティに至るまで、この地域の活動家たちは独裁者に立ち向かい、戦争と弾圧に耐え抜きながら、なお前進し続ける決意を失ってはいない。
Digital Hopes, Real Power: From Connection to Collective Action | Electronic Frontier Foundation
Author: Jillian C. York / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: April 30, 2026
Translation: heatwave_p2p