以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「With Great Power Came No Responsibility」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

昨夜、トロント大学イニス・カレッジで行われる年次ウルスラ・フランクリン講演のためにトロントを訪れた。

この講演は「大いなる力には何の責任も伴わなかった:メタクソ化はいかにして21世紀を征服し、我々はいかにしてそれを打倒できるか」と題されたもので、この主題に関する一連の講演の最新作である。この連続講演は昨年ベルリンで行ったマクルーハン講演から始まった:

https://pluralistic.net/2024/01/30/go-nuts-meine-kerle/#ich-bin-ein-bratapfel

そして夏のDefconの基調講演へと続いた:

https://pluralistic.net/2024/08/17/hack-the-planet/#how-about-a-nice-game-of-chess邦訳記事

今回の講演では特に、トランプによる国際自由貿易システムの予期せぬ急激な崩壊によって生まれた「脱メタクソ化」の前例のない機会について論じている。米国はかつて通商協定を武器に、世界中のほぼすべての国にメタクソ化を可能にし、おそらく避けられないものにさえするIP法を採用させた。トランプがこれらの通商協定を根本から破壊する今、世界の残りの国々には、これらの法律を排除し、米国ビッグテック企業からの搾取から(米国人を含む)すべてのユーザを保護できるツール、デバイス、サービスを生み出すことで、米国の圧力に反撃する絶好の機会が訪れている。

この講演を行う機会に深く感謝している。マーシャル・マクルーハンが創設し、彼自身がオフィスとして使用していたコーチハウスに置かれている文化技術センターに一日招かれた。講演自体はハロルド・イニスの名を冠したイニス・カレッジで行われた。イニスは間違いなく知識人のためのマクルーハンと言える存在だ。さらに、私自身がイニスの娘であるアン・イニス・ダグから指導を受けた経験がある。彼女は急進的で輝かしい才能を持つフェミニスト生物学者で、キリン学という分野をほぼ一人で開拓した人物だ:

https://pluralistic.net/2020/02/19/pluralist-19-feb-2020/#annedagg

しかしアンと彼女の父親への敬意を十分に払いつつも、ウルスラ・フランクリンこそが知識人のためのハロルド・イニスだと言える。彼女は輝かしい科学者であり、活動家であり、コミュニケーターでもあった。フランクリンは生涯をかけて、技術について最も重要なのはその機能ではなく、それが誰のために働き、誰に対して作用するかという考えに捧げた。マクルーハンのオフィスで作業し、イニスの劇場でフランクリンの名を冠した講演を行うなんて――感激としか言いようがない!

https://en.wikipedia.org/wiki/Ursula_Franklin

以下は、簡単に編集を加えた講演原稿である:


今夜の講演は衰退するテクノロジープラットフォームについてのものだが、まず看護師の話から始めたい。

Groundwork Collectiveが2025年1月に発表した報告書によると、米国ではますます多くの看護師が「看護師版Uber」とも言えるギグアプリを通じて雇用されている。そのため看護師たちは翌日働けるかどうか、いくら支払われるかを事前に知ることができない。

この看護師の賃金には、実に巧妙なハイテクが用いられている。これらの看護アプリ――Shiftkey、Shiftmed、Carerevという3社のカルテル――は労働価格設定であらゆる駆け引きを展開できるのだ。

Shiftkeyは看護師にシフトを提示する前に、データブローカーからその労働者のクレジット履歴を購入する。具体的には、看護師がどれだけのクレジットカード債務を抱え、それが延滞しているかどうかを知るために金を払うのだ。

看護師の経済状況が厳しければ厳しいほど、提示される賃金は低くなる。窮地に追い込まれるほど、病人や高齢者、死にゆく人々のケアという重労働を低賃金で引き受けるしかなくなるからだ。

ここでは多くの問題が同時に起きている。いずれも恐ろしい問題だ。さらにこれらは、私が作った「メタクソ化」という言葉――オンラインプラットフォームの劣化を表現する用語――の象徴的な事例でもある。

私がこの現象について最初に書き始めた頃は、メタクソ化の外部的な症状、つまり3段階のプロセスに焦点を当てていた:

第一段階では、プラットフォームはエンドユーザに良質なサービスを提供しつつ、同時にユーザをロックインする方法を見つける。

Googleを例に取ると、彼らは広告を最小限に抑え検索結果のためのエンジニアリングへの投資を最大化する一方で、市場での支配的地位を確立するために、検索ボックスを持つあらゆるサービスや製品に賄賂を贈って「Google検索ボックス」にしていった。

その結果、どのブラウザを使おうと、どのモバイルOSを使おうと、どの通信キャリアを選ぼうと、常にデフォルトでGoogleで検索することになる。この状況はあまりに異常で、2020年代初頭までに、Googleは誰もがGoogle以外の検索エンジンを試さないようにするために、1〜2年おきにTwitterを買収できるほどの金額を費やしていた。

これが第一段階だ:エンドユーザに良いサービスを提供し、彼らをロックインする。

第二段階では、プラットフォームはビジネス顧客を引き寄せ豊かにするために、エンドユーザへのサービスを悪化させ始める。Googleにとって、ビジネス顧客とは広告主とウェブサイト運営者だ。Googleの検索結果ページはどんどん広告に占められるようになり、それらの広告はますます微妙に、小さく、灰色がかったラベルで表示されるようになる。Googleは商業的な監視データを使って、広告を我々にピンポイントで届ける。

これが第二段階だ:エンドユーザにとっては状況が悪化し、ビジネス顧客にとっては好転する。

しかし、これらのビジネス顧客も同様にプラットフォームに依存するようになり、囲い込まれていく。企業がGoogleから収益のわずか10%でも得ているなら、Googleを離れることは存続の危機を意味する。我々はよくGoogleの「独占」力について語るが、それは売り手としての支配力に由来している。しかしGoogleはモノプソニー(買い手独占)でもある――つまり強力な買い手なのだ。

かくしてGoogleはユーザに対しては独占者として(第一段階)、ビジネス顧客に対してはモノプソニストとして(第二段階)振る舞うようになる。そして第三段階が到来する:Googleがプラットフォーム内のすべての価値を我がものとし、エンドユーザをロックインしておくため、そしてビジネス顧客をそれらのエンドユーザにつなぎとめておくために計算されたホメオパシーレベルの絞りかすだけを残す段階だ。

そうしてGoogleはメタクソ化する。

2019年、Googleは転換点を迎えた。検索はこれ以上成長できないほど拡大していた。我々の90%以上がGoogleで検索し、ありとあらゆることを検索していた。頭に浮かぶ思考や何気ない疑問はすべてGoogleに入力する時代になった。

Googleはどうやって成長を続けられただろうか?もうGoogleに乗り換えるユーザは残っていなかった。我々もこれ以上のことを検索するつもりはなかった。Googleに何ができただろう?

実は、昨年のGoogleに対する反トラスト法裁判で公開された内部メモのおかげで、彼らが何をしたかが明らかになった。彼らは検索をわざと劣化させたのだ。システムの精度を下げることで、答えにたどり着くには二度以上検索する必要が生じ、結果として検索クエリの数が倍増し、表示される広告の数も倍増した。

さらにGoogleはJedi Blue(ジェダイ・ブルー)というコード名で、Facebookと秘密裏に違法な共謀関係を結び、広告市場を操作した。価格を固定することで、広告主にはより多くを支払わせ、出版社にはより少なく支払われるようになった。

そしてこれが今日のメタクソ化したGoogleの姿だ。どんな検索をしても、AIの生成したスロップの塊が返ってくる。8ポイント、白地に10%グレーのほとんど見えないADという文字が付いた5つの有料結果の上に、さらにAIスロップで満たされたSEOショベルウェアサイトからの10のスパムリンクが続く。

それでも、我々はなおGoogleを使い続けている。我々がそこにロックインされているからだ。これが外から見たメタクソ化の姿だ。エンドユーザに良いサービスを提供しながら同時にロックインする企業。次に、ビジネス顧客を優遇するためにエンドユーザへのサービスを悪化させ、同時に彼らをも囲い込む。そして最後に、すべての価値を自分のものとし、巨大なクソの山と化す。

メタクソ化――三幕構成の悲劇である。

私は当初、メタクソ化の外部的な兆候に注目していたが、今はメタクソ化を可能にする企業内部のメカニズムについて考える時期が来たと思っている。

メタクソ化の技術的なメカニズムは何か?私はそれをいじり回し[twiddling]と呼んでいる。デジタルビジネスは、そのプラットフォームを支える驚くほど柔軟なデジタルコンピュータのおかげで、無限の可変性を持っている。つまり、企業はビジネスの根本的な側面をコントロールするつまみを自在に操作できるのだ。ユーザが企業と関わるたびに、すべてが異なる。価格、コスト、検索ランキング、レコメンデーションはユーザごとに操作される。

ここで看護師の話に戻ろう。看護師の債務状況を調べ、それに基づいてリアルタイムで賃金を下方調整するこの仕組みは何か?それこそが「いじり回し」だ。コンピュータがあって初めて可能になる手法だ。これを行っているボスたちは昔のボスより邪悪なわけではない――単により優れたツールを手にしているだけだ。

注目すべきは、これらはテック企業のボスですらないということだ。彼らは医療分野のボスであり、たまたまテクノロジーを利用しているにすぎない。

デジタル化――ネットワーク化されたコンピュータを企業や産業に組み込むこと――は、企業が価値をエンドユーザからビジネス顧客へ、ビジネス顧客からエンドユーザへ、そして最終的には必然的に自分自身へと移動させることを可能にする「いじり回し」を可能にする。

そしてデジタル化は看護のようなあらゆる分野に浸透しつつある。つまり、メタクソ化もまた、あらゆる分野に広がっていく。

法学者のヴィーナ・ドゥバルは、債務を抱えた看護師の賃金を抑制するこの種の操作に「アルゴリズム賃金差別」という名称を与えた。これはギグエコノミーに付随する現象だ。

ギグエコノミーはメタクソ化の主要な舞台であり、仮想世界と現実世界を隔てる膜に空いた最大の穴とも言える。ギグワークとは、ボスがクソアプリであり、自分自身を従業員と呼ぶことさえ許されない労働形態だ。

この手法を発明したのがUberだ。提示される仕事にドライバーが選り好みするようなら、より高額のオファーを受ける。しかし彼らがその誘惑に負けて高賃金の仕事を何度か受けると、賃金は再び下がり始める。ランダムな間隔で、人間の知覚閾値以下になるよう設計された小さな刻みで。カエルをゆっくり茹でるというより、目に見えないように蒸し焼きにしていくような感じだ。Uberドライバーは新車購入のために借金を抱え、乗車を選べる余裕を与えていた副業も諦める。そして賃金は下がり続け、底なしの穴へと落ちていく。

「いじり回し」は素早く行われる粗雑な手法だ。単純だが時間のかかる作業は自動化の対象となる。この種の賃金泥棒を人力でやろうとすれば、耐えられないほど退屈で労働集約的かつ高コストになるだろう。19世紀の倉庫で緑色のアイシェードをかぶった男たちが帳簿に向かって奴隷のように働いても、これほどの規模では実現不可能だった。デジタル化があってこそ可能になったのだ。

看護師の時給をいじり回すという行為は、メタクソ化におけるデジタル化の役割を示す完璧な例証である。なぜなら、このような行為は看護師だけでなく患者にとっても有害だからだ。看護師の経済的絶望度に応じて、その絶望をさらに深刻化し、結果的に彼らが受け入れる賃金を下げるように計算された料率で支払うことが、本当に最良のケアにつながると思うだろうか?

深夜までUberを運転し、翌日朝食も抜いて家賃を工面した、フードスタンプに頼る看護師にカテーテルを挿入してもらいたいと思うだろうか?

これが「あなたが製品にお金を払っていないなら、あなたが製品だ」という言説がいかに浅はかかを示している。「製品にお金を払っていない」という論理は、広告ドリブンサービスに神秘的な力を帰属させる。我々を監視し、その監視データをマイニングして精神的な死角を見つけ出し、それを武器化して広告主の商品を何でも買わせる力を持つというデタラメを。

この公式では、我々が自分自身の搾取に加担していることにされる。「無料の」サービスを自ら選択し、監視データから抽出された精神操作技術を完成させた監視資本家による搾取を受け入れているのだと。広告ドリブンサービスを選ぶことで、自ら進んで監視データを提供しているというわけだ。

ここから導かれる教訓はこうだ――もし我々が「すべてが無料であるべき」という非現実的な要求をやめ、物事にきちんとお金を払うようになれば、資本主義は機能的で監視に頼らない健全な状態に戻り、企業は我々をより大切に扱うようになるだろう。なぜなら我々は顧客であって、製品ではないからだ。

これが監視資本主義仮説がAppleのような企業を美徳の模範として持ち上げる理由だ。Appleは注目ではなくお金を要求するため、我々を搾取するのではなく、より良いサービスの提供に集中できるというのだ。

この論理は表面的には説得力がある。実際、2022年にAppleはiPhoneやその他のモバイルデバイスで動作するiOSを更新し、特にFacebookのようなサードパーティによる監視からオプトアウトできるチェックボックスを導入した。

Appleユーザの96%がそのボックスにチェックを入れた。残りの4%は、おそらく酔っていたか、Facebookの従業員か、酔っぱらったFacebookの従業員だったのだろう。もっともな話だ。私がFacebookで働いていたとしたら、シラフではいられないだろうからね。

一見するとAppleは顧客を「製品」として扱っていないように見える。しかしこの表向きのプライバシー対策と同時に、Appleは密かにiPhoneユーザ向けの監視システムを導入していた。これはFacebookがまさに行っていたのと同じ手法でユーザを監視し、同じ目的のために行われていた――つまり、訪れた場所、検索したもの、やり取りした会話、クリックしたリンクに基づいて広告をターゲティングするためである。

Appleは顧客に監視の許可を求めなかった。この監視からのオプトアウトも許さなかった。それどころか顧客に対して一切知らせず、発覚した際には平然と嘘をついた

言うまでもないことだが、あなたのポケットに入っている1,000ドルものAppleの気晴らし長方形は、紛れもなくあなたが対価を支払ったものだ。しかしお金を払ったという事実が、Appleによる「製品としての扱い」を阻止することはない。Appleはビジネス顧客であるアプリベンダーを「製品」として扱い、彼らが得る収入の30セントを毎ドルから搾り取り、すでに法外な業界標準より1,000%も高い決済処理手数料を強制している。

Appleはエンドユーザ――スマートフォンに1,000ドルも支払う人々――を「製品」として扱い、監視して広告ターゲティングに利用している。

Appleは誰もかれもを製品として扱うのだ。

これがギグアプリ看護師たちに起きていることだ――看護師は製品であり、患者は製品であり、病院は製品である。メタクソ化の世界では、「製品」とは製品化できる存在すべてを指す。

公正で尊厳ある扱いは、顧客ロイヤルティの特典として、あるいは(注目ではなく)お金と引き換えに得られるものではない。では、公正で尊厳ある扱いはどうすれば手に入るのか?それについても後ほど話すが、まずは看護師たちの状況をもう少し掘り下げよう。

看護師たちは「製品」であり、彼らは「いじり回されている」。自分たちの業界のデジタル化を通じて、テック産業に強制的に編入されたからだ。

デジタル化を責めたくなる気持ちは理解できる。しかしテック企業は生まれながらにメタクソ化していたわけではない。彼らは何年も――何十年も――人々を喜ばせる製品を作り続けてきた。Googleの登場を覚えているほど年齢を重ねた方なら、最初のGoogleがまさに魔法のような存在だったことを思い出すだろう。

Ask Jeevesに何百万年も質問し続けたり、低品質の結果を除外するために何兆もの論理演算子を駆使してAltavistaを検索したりしても、Googleの検索バーに漠然とした言葉をいくつか入力するだけで得られるような、明確で有用で適切な回答には到底たどり着けなかった。

我々がこぞってGoogleに乗り換えた理由がここにある。多くの人がiPhoneを手に入れた理由もそうだ。Facebookで友人たちとつながった理由もそう。これらのサービスはすべてデジタルネイティブだった。彼らはいつでもメタクソ化することができたはずだ。しかしそうはしなかった――ある時点までは。そして彼らは一斉にその道を歩み始めた。

もしあなたが看護師だとして、救急外来に運び込まれるすべての患者が同じ恐るべき症状を示していたら、保健所に電話して新たな危険な流行病のアウトブレイクの兆候を報告するだろう。

アーシュラ・フランクリンは、テクノロジーの結果は最初から決まっているわけではなく、意図的な選択の結果だと説いた。この考え方に深く共感する。これはテクノロジーについて考える非常にSF的なアプローチだ。優れたSFは単にテクノロジーが「何をするか」だけでなく、「誰のためにそれをするか」、そして「誰に対してそれをするか」について思考を促す。

これらの社会的要因は、単なるガジェットの技術仕様よりもはるかに重要である。それは、車線からはみ出しそうになったときに警告するシステムと、そのはみ出しそうになった事実を保険会社に通報して月額保険料に10ドル上乗せするシステムの違いだ。

それはタイプミスを知らせてくれるスペルチェッカーと、四半期のタイプミス回数を理由にボーナスを支給しない監視ソフトウェアの違いである。

それは駐車した場所を記憶するアプリと、反政府抗議活動の近くにいた全員の身元を求めるリバース令状の対象として車の位置情報を使用するアプリの違いだ。

私はメタクソ化の原因が技術そのものではなく、政策環境の変化にあると確信している。これらはゲームのルール変更であり、それは我々の記憶に新しい時代に、名指しできる人々によって行われた。彼らはその行動の帰結について当時から警告を受けていたにもかかわらず、今日では莫大な富と尊敬を集め、メタクソ時代到来における自らの役割について何の責任も取らされていない。彼らは公の場に姿を現しても、誰かが農民の反乱用の干し草フォークで自分を狙っているなどとは微塵も考えていない。

言い換えれば――我々は犯罪を生み出す環境、社会における最も病原性の高い慣行が繁殖する完璧な培地を作り上げてしまった。それらは急速に増殖し、企業や国家の意思決定を支配し、あらゆるものを大規模なメタクソ化へと導いた。

しかし、ここには希望もある。メタクソ化が新種の邪悪な人間や、この時代を全面的にクソにしようとする歴史の偉大な力の結果ではなく、特定の政策選択の結果であるならば、我々はそれらの政策を覆し、より良い政策を作り、メタクソ時代から抜け出すことができるはずだ。メタクソネットを歴史のゴミ箱に放り込み、古き良きインターネットと新しき良きインターネットをつなぐ単なる過渡期として位置づけることができる。

今日はAIについては触れないつもりだ。AIは、まったく、なんと退屈で過大評価された話題だろう。ただAIに関する比喩は使おうと思う。有限責任会社についての比喩だ。これは一種の不死の人工コロニー生物であり、その中で人間は腸内細菌のような役割を果たしている。同僚のチャーリー・ストロスは企業を「遅いAI」と呼んでいる。

つまり、これらの遅いAIの腸内には人々が群生しており、そのAIの命令、最大化したいペーパークリップは「利益」だ。利益を最大化するには、できるだけ高く請求し、労働者や供給業者にはできるだけ少なく支払い、安全性や品質にはできるだけ経費をかけないことだ。

サプライヤ、労働者、品質、安全性に投じられなかった1ドルは、経営者や株主に回せる。したがって、企業の利益を最大化するには、無限の金額を請求し、労働者やサプライヤには一切支払わず、品質や安全性を無視すればいい、という単純なモデルが生まれる。

だが、そのような企業が実際に利益を上げることはないだろう。誰もその会社の製品を買わないし、誰もその会社で働きたくはないし、誰も物資を供給しないからだ。これらの制約は、無限に請求し無を支払うというAIの衝動を抑制する規律の力として機能する。

テック業界には、製品やサービスを改善し、労働者により多く支払い、経営者や株主の富が顧客、供給業者、労働者を犠牲にして成長することを阻止する、4つの規律の制約、つまり「反メタクソ化の源泉」が存在する。

最初の制約は「市場」だ。他の条件がすべて同じであれば、より多く請求しより少なく支払うビジネスは、労働者、顧客、供給業者と価値を分かち合う寛大な企業に顧客を奪われていく。

これは資本主義理論の基盤であり、競争法の思想的基礎でもある。米国の従兄弟たちが「反トラスト法」と呼ぶものだ。

最初の反トラスト法は1890年のシャーマン法だった。その提案者であるジョン・シャーマン上院議員は上院の演壇からこう訴えた。

我々が政治的権力としての王を受け入れぬのであれば、生活必需品の生産、輸送、販売における王を受け入れてはならない。我々が皇帝に屈服しないのであれば、競争を妨げ、商品価格を固定する力を持つ商業の独裁者にも屈服してはならない。

シャーマン上院議員は当時の反独占運動の怒りを反映していた。独占企業の経営者たちが独裁者の役割を担い、誰が働き、誰が飢え、何が売られ、いくらで売られるかを決定する力を持っていた時代だった。

競争相手がいないため、彼らは大きすぎて潰せず、大きすぎて裁けず、大きすぎて気にしない存在だった。リリー・トムリンがSNLのAT&Tパロディ広告で言ったように――「私たちは気にしない。気にする必要がない。私たちは電話会社なんですから」。

では、競争という規律の力はどうなったのか?我々はそれを殺してしまった。約40年前、シカゴ学派経済学者のレーガノミクス的見解が反トラスト法を一変させた。彼らはジョン・シャーマンの「商業の独裁者」の出現を防ぐために企業間の競争を維持すべきという考えを捨て去り、「独占は効率的だ」という考えを導入した。

言い換えれば、もしGoogleが90%の検索市場シェアを持っているなら(実際に持っている)、Googleはこれまでで最高の、そして存在しうる限り最高の検索エンジンであると考えなければならない。より優れた検索エンジンが台頭していない唯一の理由は、Googleが非常に熟練していて効率的であり、それを凌駕する方法など考えられないからだというわけだ。

Googleが最高だとわかるのは独占しているからであり、その独占が良いことだとわかるのはGoogleが最高だからだ。

こうして40年前、米国――そして主要な貿易相手国――は明確に独占を支持する競争政策を採用した。

ここで良いニュースを伝えよう。カナダではそうはならなかった。米国通商代表部はカナダに来て競争法を骨抜きにすることを強制しなかった。しかし、傲慢になるなかれ!その理由は、そうする必要がなかっただけだ。カナダには目立った競争法がなく、これまでも存在しなかっただけだ。

カナダの全歴史を通じて、競争局はたった3つの合併に異議を唱え、一度も合併を阻止したことがない。そのため、我々はアーヴィング家、ウェストン家、ストロナック家、マケイン家、ロジャース家といった想像しうる限り平凡な金権政治家たちに支配される国になってしまった。

この軟弱な成金たちがカナダを征服できた唯一の理由は、米国人が自ら独占企業を潰してくれたおかげで、カナダに侵略してこなかったからだ。しかし40年前、世界の残りの地域がシカゴ学派の独占を支持する「消費者福祉基準」を採用し、そして我々は……独占を受け入れた。

製薬、ビール、ガラス瓶、ビタミンC、アスレチックシューズ、マイクロチップ、自動車、マットレス、眼鏡、そしてもちろんプロレスリングの独占。

覚えておいてほしい――これらは我々が生きた記憶の中で、実名のある個人によって採用された具体的な政策だ。彼らはその結果について警告を受け、そのおかげで金持ちになり、それに対する一切の責任を問われてこなかった。これらの政策を立案した経済学者たちは今も健在で、偽りのノーベル賞を磨き、名門校で教え、一流企業のコンサルタントとして何百万ドルも稼いでいる。

我々が彼らの政策がもたらした惨状と向き合わせると、彼らは無実を訴え、独占推進政策と独占の台頭の間に確固たる因果関係はないと真顔で主張する。

まるで、我々がかつて、ネズミの害がなかったにも関わらず殺鼠剤を置き続けていると言うようなものだ。彼らは我々に殺鼠剤を置くのをやめさせ、今やネズミが我々の顔を齧り始めている。そして彼らは無邪気な目を見開いて言うのだ。「どうして我々の反ネズミ駆除剤政策が世界的なネズミ支配につながったと確信できるのか?単にネズミの時代が到来しただけなんじゃないか!太陽の黒点がネズミを史上最も多産にさせたのかもしれない!我々が殺鼠剤工場を買収して全部閉鎖したとして、それが何の関係がある? 殺鼠剤の使用中止が決めった後に殺鼠剤工場を閉鎖するのは、経済的に合理的でパレート最適な判断じゃないか」。

市場はテック企業を規律しない。なぜならビッグテックはライバルと競争せず、買収するからだ。マーク・ザッカーバーグはこう言った。「競争するより買収する方が良い」。

だからこそ、ザックはInstagramを10億ドルで買収した。従業員はわずか12人で、ユーザは2,500万人だった。CFOに宛てた深夜の極めて不用意なメールに書いたように、彼はInstagramを買わざるを得なかった。FacebookユーザがFacebookからInstagramへと流出していたからだ。Instagramを買収することで、ザックは誰であれFacebookというプラットフォームを離れる者が、それでもなおFacebookという企業の囚人であり続けることを確実にした。

ザッカーバーグがこの告白を書面で残したにもかかわらず、オバマ政権は合併を進めることを許可した。なぜなら過去40年間、あらゆる政府があらゆる政治的立場から「独占は効率的だ」という姿勢を取り続けてきたからだ。

さて、いじり回しの惨状に置かれた看護師たちについて考えてみよう。病院は米国で最も統合が進んだセクターの一つだ。まず我々は製薬会社の合併を規制緩和し、製薬会社は互いを飲み込みながら猛スピードで成長し、薬価を引き上げていった。そこで病院独占へと向かい、防衛的な戦略として地域や都市の大部分を一つの病院チェーンが支配し、製薬会社に対して「製品を安くしないなら、我々の病院どこにも売れなくなるぞ」と言えるようになった。

この目的が達成されると、今度は病院が保険会社を絞り上げ始めた。保険会社も近親相姦的な合併乱交パーティーを繰り広げ、大半の米国人が保険の選択肢を3つか2つしか持たない状況を作り出した。これにより保険会社は病院に対抗できるようになったが、患者とヘルスケアワーカーは、病院、製薬会社、薬剤給付管理業者、共同購入組織、その他ヘルスケア業界のカルテル・複占・独占の統合された力の前に丸裸で立たされることになった。

だからこそ、看護師たちはこれらの恐ろしいアプリを使う病院と契約せざるを得ないのだ。覚えておいてほしいが、これらのアプリはたった3つしかなく、かつて看護師の労働力を競い合っていた数十の派遣会社に取って代わったのだ。

一方、患者側では、競争が規律の力として機能したことなど一度もない。心臓発作を起こしている最中に、安価な救急車や高度な救急治療室を探し回ろうとはならない。人々が死なないために払う価格は「持ちうるすべてのもの」だ。

つまり、そもそも商業的企業であるべきではないこのセクターが、ほんのわずかな競争による規律さえも失い、メタクソ化への道を敷き詰めてしまったわけだ。

しかし、企業を規律する力は4つあると私は述べた。2つ目の力は「規制」、つまり国家によって課される規律である。

市場による規律と国家による規律を独立した領域として捉えるのは間違いだ。それらは密接に結びついている。なぜなら、効果的な規制の前提条件は競争だからだ。

これを最も原理主義的なリバタリアンでさえ理解できる言葉で説明しよう。政府が施行すべき規制がたった一つだけ――契約の尊重――だとしよう。その場合、政府がゲームの審判としての役割を果たすには、プレーヤーに契約を尊重させる力を持たなければならない。つまり、許容できる最小の政府の規模は、許容できる最大の企業の規模によって決まる。

だから、アトラス・シュラッグドの本が全ページがくっついて開けなくなるほどのマスク信者のリバタリアン――人間の腎臓市場を切望し、自分自身を奴隷として売る権利を要求するような連中であっても、これらの契約を執行するためには、強力な反トラスト体制を望まざるをえない。

あるセクターがカルテル化し、寡占状態に陥り、インターネットが「五つの巨大ウェブサイトから成り、それぞれが他の四つのサイトのスクリーンショットで埋め尽くされる」状態になると、そのセクターは規制当局を捕縛する。

結局のところ、100社もの企業がしのぎを削るセクターというのは、互いの喉に噛みつきあうカオスだ。彼らは何一つ合意できない、特にロビー活動のやり方については。

一方、5社で構成されるセクター――あるいは4社――あるいは3社――あるいは2社――あるいは1社――はカルテルであり、不正であり、いずれ起こる陰謀だ。一握りの企業に絞られたセクターは、共通のロビー活動方針に容易に合意できる。

さらに、彼らは「無駄な競争」から守られているため、自分たちが望む規制を実際の規制にするために注ぎ込める資金が溢れている。つまり、彼らは規制当局を捕縛できるのだ。

「規制の虜」という言葉は、抽象的で複雑に聞こえるかもしれない。具体的に説明しよう。英国の独占禁止規制当局は競争・市場庁(CMA)と呼ばれ、つい最近までマーカス・ボッケリンクが率いていた。CMAは、ビッグテックの悪行を世界で最も効果的に調査・規制する機関の一つだった。

先月、英国のキア・スターマー首相はボッケリンクを解任し、Amazon UKの元トップであるダグ・ガーを後任に据えた。なあスターマー、鶏小屋から電話だぞ、彼らのキツネを返してくれってさ。

看護師の例に戻ろう。その例には規制の虜の実例が山ほど潜んでいるが、中でも最も悪質なものを挙げよう。それは、米国人のクレジットカード債務に関する情報を売るデータブローカーが存在するという事実だ。

これは、米国議会が1988年以来、新たな消費者プライバシー法を可決していないからである。当時、ロナルド・レーガンはと呼ばれる法律に署名した。これはビデオ店の店員がレンタルされたVHSカセットについて新聞に漏らすことを禁止するものだった。『ダイ・ハード』が劇場で上映されていた時代から、議会が米国民のプライバシー保護を更新していない事実は、偶然でも見落としでもない。それは、人権侵害を想像を絶する規模でマネタイズしてきた、高度に集中した――そして途方もなく収益性の高い――プライバシー侵害産業が高額で買収した不作為なのだ。

セント・エルスウェア』のシーズンフィナーレ以来、プライバシー法を凍結したままにすることを支持する連合はますます拡大している。なぜなら、人権の組織的侵害を現金に変える方法は無限に存在するからだ。このことが、クレジットカードの支払いができないと給料が減らされてしまう看護師たちへと直接的につながっている。

つまり、競争は死に、規制は死に、企業は市場によっても国家によっても規律されていない。

しかし、企業を規律し、社会病理的でメタクソ化するモンスターの繁殖に適さない環境を作り出す力は4つあると言った。

では、残りの2つの力について話そう。1つ目は相互運用性、つまり2つ以上のものが一緒に機能する原則だ。たとえば、誰の靴紐でも自分の靴につけられるし、誰のガソリンでも自分のタンクに入れられるし、誰の電球でも自分のソケットにはまる。デジタルではない世界では、相互運用性には膨大な作業が必要だ。電球ソケットの方向、ピッチ、直径、電圧、電流、ワット数について合意しなければ、誰かの手が吹き飛ぶことになる。

しかしデジタルの世界では、相互運用性はあらかじめ組み込まれている。なぜなら、我々が作れるコンピュータは一種類しかない。チューリング完全でユニバーサルなフォン・ノイマン型マシン、つまりあらゆる有効なプログラムを実行できるコンピューティングマシンだけだからだ。

つまり、メタクソ化するプログラムに対して、常に反メタクソ化プログラムが存在しうるだ。HPがサードパーティのインクを拒否するようにプリンターをプログラムすれば、誰かがそのチェックを無効にするプログラムを書くことができる。

反メタクソ化アプリはギグワーカーに恩恵をもたらすだろう。例えば、インドネシアのギグドライバーたちは協同組合を結成し、配車アプリを改造するハッカーを雇った。タクシーアプリは、ドライバーが駅の真正面にいない限り、駅で乗客を迎えに行く予約を受け付けない。しかし大きな列車が到着すると、駅前は完全な混沌と命の危険をはらむ場と化す。

そこでドライバーたちはGPSを偽装できるアプリを作らせ、角を曲がって駐車していても、アプリには駅の真正面にいると会社に表示させることができる。乗客が到着すると、彼らはすぐに迎えに行けるが、駅前の混乱には加担せずに済む。

米国では、ParaというDoordashドライバーの収入増を助けるアプリを提供する会社があった。Doordashドライバーの収入の大部分はチップから来るが、Doordashのアプリは仕事を引き受けるまでチップ額を隠蔽する。つまり、チップを含めて1.50ドルの仕事なのか11.50ドルの仕事なのか、引き受けるまでわからないのだ。そこでParaはチップ額を抽出し、ドライバーが仕事に取りかかる前に表示するアプリを作った。

しかしDoordashはそれを停止させた。なぜなら米国では、Paraのようなアプリは違法だからだ。1998年、ビル・クリントンはデジタルミレニアム著作権法(DMCA)に署名した。DMCAのセクション1201は、「著作権で保護された素材のアクセスコントロールを回避すること」を重罪とし、初犯でも50万ドルの罰金と5年の懲役刑を科している。そのため、Doordashアプリのようなアプリのリバースエンジニアリングをするだけで潜在的な重罪となる。それゆえ、企業はウェブサイトではなくアプリを使わせることに血眼になっている。

ウェブはオープンで、アプリはクローズドである。ウェブユーザの大多数は広告ブロッカー(これはプライバシーブロッカーでもある)をインストールしている。しかしアプリの広告ブロッカーをインストールする人はいない。なぜならそのツールを配布すること自体が重罪であり、それを作るにはアプリのリバースエンジニアリングが必要だからだ。アプリとは要するに、あなたが企業の利益ではなく自分の利益に合わせて修正しようとすれば刑務所行きになるよう、十分なIPでくるまれたウェブサイトにすぎないのである。

世界中で我々は「IP法」と呼ばれる法の地雷原を制定してきた。それはサービス、製品、デバイスを株主の利益ではなくユーザ自身の利益に役立つように修正することを違法にするものだ。

言ったように、これらの法律は生きた記憶の中で、我々の中にいる人物によって制定された。彼らは無謀な計画の明白で予見可能な結果について警告を受けていたにもかかわらず、それを強行した。

2010年、スティーブン・ハーパー政権の2人の大臣が、米国のデジタルミレニアム著作権法をカナダ法にコピー&ペーストすることを決めた。彼らはサービス、製品、デバイスのリバースエンジニアリングと修正を違法にする提案について意見を求めたところ、猛烈な反対にあった。6138人のカナダ人が反対コメントを寄せたのだ。彼らは、デジタルロックの回避を違法にすると、トラクターや自動車から人工呼吸器やインスリンポンプまであらゆる医療機器の修理に支障をきたすと警告した。

これらのカナダ人は、デジタルロックへの干渉を禁止する法律が、米国のテック大手にデジタル市場を独占させ、アプリやゲームを米国のアプリストアから購入させられ、恣意的な手数料を徴収されることになると警告した。これらの法律はカナダのアーティストに役立つどころか、米国のプラットフォームに我々を縛り付けるだけだと彼らは指摘した。なぜなら、我々のオーディエンスが本、歌、ゲーム、ビデオを購入するたびに、それは米国のアプリにロックされ、二度と解除できなくなるからだ。

そのため、もし我々カナダのクリエイターがカナダのストアに移行しようとしても、オーディエンスはついてこられない。彼らは購入したコンテンツを米国のアプリからカナダのアプリに移行できないからだ。

6138人ものカナダ人がこれらのことを政府に伝える一方、ジェームズ・ムーア文化相とトニー・クレメント産業相の側に立ったのはわずか54人の回答者だけだった。そして、ジェームズ・ムーアはトロントで開催された国際商工会議所の会合でスピーチを行い、6138人の反対者は「子どもじみた…過激派」だという理由で、彼の酷いアイデアを支持した54人の変わり者の意見だけを聞くと堂々と宣言したのだ。

そして2012年、我々は米国の酷いデジタルロック法をカナダの法令書にコピーし、今や我々はジェームズ・ムーアとトニー・クレメントの世界に生きている。そこではデジタルロックを改ざんすることは違法だ。企業が製品にデジタルロックをかければ、そのロックの背後で何でもやりたい放題で、それを解除することは犯罪になった。

例えば、HPがサードパーティのインクカートリッジを使用していないこと、またはHPカートリッジを詰め替えていないことを確認するデジタルロックをプリンターに施すと、そのロックを回避してサードパーティのインクを使用することは犯罪となる。これがHPがインクの価格をどんどん引き上げてきた手口だ。

プリンターインクは今や特別な許可なしに一般人が購入できる最も高価な液体となった。それは1ガロン辺り10000ドルの着色水であり、買い物リストを印刷するたびに、ケンタッキーダービー優勝馬の精液よりも高価な液体を消費していることになる。

これがクレメントとムーアから我々が手に入れた世界だ。彼らは警告を受け、それでもやり通した。農家がトラクターを修理できず、独立系整備士が車を修理できず、パンデミックロックダウン中の病院が故障した人工呼吸器を修理できない世界。カナダのiPhoneユーザがカナダのソフトウェア作者からアプリを購入するたびに、支払った金額がカリフォルニア州クパチーノのApple本社を往復し、30%も軽くなって戻ってくる世界だ。

思い出してほしい――これは看護師が自らの権利を守るための単純なツールさえ手に入れられない世界なのだ。「看護師版Uber」とも言えるギグアプリに対抗するためのカウンターアプリやプラグインがあれば、看護師たちは連携して賃金が上がるまでシフトを拒否したり、自分たちの移動や活動の監視をブロックしたりできるはずなのに、現実はそれを許さない。

相互運用性かつてテック企業に規律を与える強力な力だった。考えてみてほしい――ウェブサイトの広告があまりにも不快になれば、一定数のユーザは広告ブロッカーをインストールし、そのサイトは彼らから永遠に収益を得られなくなる。広告ブロッカーの歴史上、それをアンインストールした人は誰一人としていないからだ。しかし広告ブロッカーの作成が違法となれば、企業は広告をいくらでも不快で侵入的で目障りなものにしても構わなくなる。価値をすべてエンドユーザから株主や経営陣へと移すことに何の制約も受けなくなるのだ。

こうして独占が生まれ、その独占は規制当局を掌握し、気に入らない法律を無視し、自らの略奪的行為を妨げるかもしれない法律――たとえばプライバシー法――の成立を阻止できるようになる。さらには新たな法律を成立させ、政府の力を振るって他の企業の市場参入を阻止することまでできる。

このように、企業を抑制する四つの力のうち三つ――競争、規制、相互運用性――が無力化されてしまった。メタクソ化を食い止める最後の防波堤として残されたのは、ただ一つ、労働力だった。

テックワーカーは非常に興味深い存在だ。歴史的に見れば強大な力を持ち、高い賃金と尊敬を獲得してきたにもかかわらず、組合に頼ることはなかった。テック業界の組合組織率は惨憺たるもので、ほとんど測定不可能なほど低い。彼らの力は連帯ではなく、希少性から来ていた。求人に対して労働者が不足しており、テックワーカーの生産性は想像を絶するほど高かった。彼らが受け取る天文学的な給与をもってしても、彼らが費やす1時間の労働は雇用主にとってはるかに大きな価値を生み出していたのである。

逼迫した労働市場と、テックワーカーの時間外労働を黄金に変える可能性に直面して、テック企業の上層部はこの労働力を動機づけるためにあらゆる手段を尽くした。彼らは労働者の使命感に訴え、新たなデジタル時代を切り開く聖なる戦士だと信じ込ませた。Googleは「世界の情報を整理して有用にする」と約束し、Facebookは「世界をより開かれた、つながりのあるものにする」と謳った。

この戦術には名前がある。図書館員のフォバジ・エッタルが「職業的畏敬」と呼ぶものだ。使命感と誇りへの訴えを利用して、労働者により長い時間、より少ない報酬で働かせる手口である。

この種の職業的畏敬で動く職業は数多い。教師、保育士や高齢者介護士、そしてもちろん、看護師もその一例だ。

だがテック業界の人々は他の労働者とは一線を画していた。彼らは歴史的に見て極めて希少な存在だったため、ボスたちは彼らに信念を持って取り組めるプロジェクトのために働くよう動機づけることができ、長時間労働も厭わなかった。その一方で、母親の葬儀をさえ欠席して期限に間に合わせたプロジェクトを、ボスがメタクソ化するよう命じようものなら、彼らはボスに向かって「くたばれ」と言い放つこともできた。

もしボスがそうした要求を押し通そうとすれば、テックワーカーたちは仕事を辞め、通りを渡るだけで、その日のうちにもっと良い仕事につくことができた。

長年にわたり、テックワーカーたちは競争、規制、相互運用性という制約が崩壊した後も、最後の砦として踏みとどまり、一線を守ってきた。しかし、テック業界に大量解雇の波が押し寄せた。2023年には26万人、2024年には15万人、そして今年もすでに数万人が職を失い、Facebookは経営陣のボーナスを倍増させながら、従業員の5%を切り捨てる計画を立てている。

テックワーカーはもはやボスに「くたばれ」と言い放つ自由を失った。彼らの背後には、彼らの仕事を奪おうと待ち構えている10人の労働者が控えているからだ。

さて、今日はAIについては触れないと約束したが、少しだけその約束を破らせてくれ。テック業界の上層部がAIにあれほど血道を上げている理由は、AIによってテックワーカーを解雇し、決して「くたばれ」とは言わない従順なチャットボットに置き換えられると考えているからなのだ。

これがメタクソ化の源泉である。環境の複合的な変化が生み出した現象だ。競争、規制、相互運用性、労働者の力という四つの崩壊が、メタクソ生成環境を作り出した。そこでは企業体の中でも最も強欲で社会病質的な要素が、メタクソ化への衝動を抑制する要素を犠牲にして繁栄するのである。

我々はこれらの企業を治療しようとすることもできるだろう。反トラスト法を使って分割し、罰金を科し、厳しい制約を課すこともできる。しかし環境そのものを変えなければ、この感染は他の企業へと広がり続けていくだけだ。

では、メタクソ化を促進する者たちにとって生きづらい環境をどう作るか、その方法について考えよう。そうすれば企業内のメタクソ化促進者の数と影響力は1990年代レベルにまで落ち込むはずだ。彼らを完全に排除することはできない。利益追求という動機が存在する限り、羞恥心や品位に縛られることなく、病的に利益を追い求める人々は常に存在する。しかし環境を変えることで、彼らが我々の生活を支配しないようにすることはできるはずだ。

反トラスト法について考えてみよう。40年間の反トラスト法の衰退を経て、この10年は左派と右派の両方の形で、反トラスト法の活力が世界的規模で復活している。

過去4年間、バイデン政権の連邦取引委員会、司法省、消費者金融保護局に所属する反トラスト法執行者たちは、過去40年間の全前任者を合わせたよりも多くの反トラスト法を執行してきた。

確かにトランプ政権の一部はこうした動きに敵意を示しているが、トランプ政権の司法省とFTCの反トラスト法執行者たちは、企業間の買収を阻止するバイデンの新たな合併ガイドラインを維持し執行すると表明しており、すでに大手テック企業の合併を阻止する訴訟を起こしている。

当然ながら、昨夏、裁判官はGoogleに対して独占的行為の有罪判決を下し、現在Googleは分割の危機に直面している。これこそが、Googleがトランプ政権に対してあれほど寛大で友好的な態度を示している理由だ。

一方、カナダではか弱き[toothless]競争局が、昨年6月のBill C59の議会通過により、チタン製の義歯を手に入れた。これにより我々の反トラスト法規制当局に広範な新権限が付与された。

確かに英国のキア・スターマー首相は英国競争・市場庁のトップを解任し、Amazon UK元トップと交代させた。しかしこれが悲劇的に感じられるのは、英国CMAが様々な保守党政権の下でも驚くほど素晴らしい仕事をこなしてきたからだ。

EUではデジタル市場法とデジタルサービス法を可決し、ビッグテックに対して全力で攻勢をかけている。世界中の国々――オーストラリア、ドイツ、フランス、日本、韓国、そして中国(そう、中国も!)――が新たな反トラスト法を可決し、主要な反トラスト法執行活動を開始しており、互いに協力関係を築いていることも多い。

例えば英国競争・市場庁が調査権限を駆使して、Appleの悪質な30%アプリ税に関する詳細な市場調査を実施・公表する。それを受けてEUがその報告書を道標として、Appleに罰金を科し、新たな規制の下でAppleの決済独占を禁止する。すると韓国と日本の反トラスト法執行機関がEUの事例を翻訳し、自国の裁判所でほぼ同一の訴訟に勝利するのだ。

規制の虜についてはどうだろうか?規制当局がビッグテックを抑制するための知恵を身につけ始めている兆しが見える。例えばEUのデジタル市場法とデジタルサービス法は、EU加盟国の国内裁判所、特に米国のテック企業がEU本部と偽装する租税回避地、アイルランドの裁判所をバイパスするよう設計されている。

租税回避地は、必然的に犯罪の温床にもなる。Appleが今週はアイルランド企業を装えるなら、来週はマルタやキプロス、ルクセンブルクの企業を装うこともできる。そのためアイルランドは米国のビッグテック企業がEUのプライバシー法やその他の規制を無視することを許容せざるを得ない。さもなければ、より不誠実で買収しやすい競合国に企業を奪われてしまうからだ。

したがって今後、EUのテック規制は国内裁判所ではなくEUの連邦裁判所で執行され、捕縛されたアイルランドの裁判所を「損害」とみなして迂回する道を選んだのである。

カナダはBellやRogersなどによる独占的合併を解消し、自国のテック規制執行を強化する必要があるが、何よりも相互運用性のアジェンダを推し進めるべきだ。

昨年、カナダは二つの非常に有望な法案を可決した。Bill C244は全国的な修理する権利法であり、Bill C294は相互運用性法だ。名目上、これらの法律によりカナダ人はトラクターからインスリンポンプまで何でも修理でき、ゲーム機からプリンターまであらゆるデバイスのソフトウェアを修正して、サードパーティのアプリストア、消耗品、アドオンと連携させられるようになるはずだった。

しかし、これらの法案はデジタルロックを破るためのツールをカナダ人が入手することを許可していないため、実質的に全く意味のないものとなっている。つまり、サードパーティのインクを受け入れるようにプリンターを修正したり、どんな整備士でも修理できるように車の診断コードを解読したりすることは、それを妨げるデジタルロックが存在しない場合に限りにおいて可能だということだ。デジタルロックを破るツールを提供することは、ジェームズ・ムーアとトニー・クレメントが2012年に国民の喉元に押し込んだ法律のおかげで、今なお違法とされている。

そしてあらゆるプリンター、スマートスピーカー、自動車、トラクター、家電、医療インプラント、病院の医療機器には、修理や修正、サードパーティの部品やソフトウェア、消耗品の使用を阻止するデジタルロックが組み込まれている。

つまり、修理と相互運用性に関するこの二つの画期的な法律は、実質的に意味をなさない。では、なぜデジタルロックの破壊を禁止する2012年の法律を廃止しないのか?これらの法律は米国との貿易協定の一部だからだ。米国市場への無関税アクセスを維持するために必要な法律なのである。

ご承知のように、ドナルド・トランプはカナダの輸出品に対して一律25%の関税を課そうとしている。トルドーは報復関税で対抗しようとしているが、それではカナダ人が買うすべての米国製品が25%高くなるだけだ。それが米国へのお仕置きだという考えに理解に苦しむ。

もっといい方法があるはずだ。米国のビッグテック企業をカナダの競争から守るカナダの法律を廃止しよう。米国のテクノロジー製品やサービスのリバースエンジニアリング、ジェイルブレイク、修正を合法化しよう。カナダの新聞社にリンク税を支払うようFacebookに要求するのではなく、Metaのすべてのアプリをジェイルブレイクし、すべての広告をブロックすることを合法化するべきだ。そうすればマーク・ザッカーバーグは我々から一銭も稼げなくなる。

カナダの整備士がテスラをジェイルブレイクし、自動操縦機能やバッテリーへのフルアクセスなど、すべてのサブスクリプション機能を一度の支払いで永久に利用できるようにすることを合法化しよう。そうすれば車からより多くの価値を引き出せ、売却する際には次の所有者もそれらの機能を引き継げるため、中古車の価値も高まる。

これこそがイーロン・マスクにダメージを与える方法だ。彼のナチス式敬礼に大げさに怒って見せても、一銭の損害も与えられない。むしろ彼はその注目を享受している。否!彼の鉤十字カー[Swastikar]事業の命綱であり、法外な利益率を誇るアフターマーケットのサブスクリプションを直撃するのだ。そいつをドングルで蹴り上げてやれ

カナダ人がAppleデバイス向けのカナダ独自のアプリストアを立ち上げ、決済処理に30%ではなくわずか3%だけ課金するようにしよう。そうすれば、アプリを通じて購読を販売するすべてのカナダのニュースメディア、モバイルプラットフォームを通じて販売するすべてのカナダのソフトウェア作者、音楽家、作家が、新規顧客を一人たりとも増やさずとも、一夜にして収益を25%増加させることができる。

しかし同時に、我々は新規顧客も獲得できる。世界中のあらゆるモバイルデバイスやゲーム機向けにジェイルブレイクソフトウェアとカナダのアプリストアへのアクセスを販売し、すべてのゲームパブリッシャーやアプリ制作者に、米国のビッグテック企業に30%もの手数料を支払うことなく、カナダのアプリストアで世界中の顧客に販売するよう働きかければいい。

世界中のメカニックに対して月額100ドルのユニバーサル診断ツールを販売できるだろう。世界の農家たちは、John Deereの技術者による200ドルの出張費を払うことなく、自分のトラクターを修理できるキットを購入するはずだ。

彼らは我々の門を叩くはずだ。カナダはテクノロジー輸出大国となり、カナダのテックユーザはあらゆるものをより安く手に入れられるようになる。さらにオンラインストアでメディアやソフトウェアを販売する人々の収益性も高まるだろう。そして――ここが最高の部分だが――これは米国最大かつ最も収益性の高い企業、S&P 500を辛うじて黒字に保っている企業への正面攻撃となる。彼らの最も収益性の高いビジネスラインを直撃し、そうした詐欺まがいの商売からの収益を数千億ドルからゼロへと一夜にして、世界規模で引き下げるのだ。

我々は米国人に適正価格の医薬品を輸出するだけで満足すべきではない!米国の友人たちにも、テクノロジーの解放という極めて収益性の高いツールを輸出できるのだ。

これこそが貿易戦争に勝つ方法である。

労働者についてはどうだろう?ここには良いニュースと悪いニュースがある。

良いニュースは、労働組合への支持が1970年代初頭以来の高水準にあることだ。より多くの労働者が組合に加入したいと望み、組合自体も過去最高の資金を保有している。

しかし悪いニュースもある。組合はバイデン政権時代、カーター政権以来最も有望な規制環境にあり、組合への支持が過去最高、かつてないほど多くの労働者が組合加入を望み、組合が過去最高の資金を持っていたにもかかわらず、何もしなかったのだ。組合組織化活動にはわずかな資金しか割り当てず、結果としてバイデン政権末期には組合員数が減少した。

そして我々はトランプを迎えることになった。彼は全国労働関係委員会(NLRB)のメンバー、グウィン・ウィルコックスを違法に解雇し、NLRBは定足数を失い、不当労働行為への対応や組合選挙の認証ができなくなった。

これは恐ろしい事態だ。しかしまだゲームオーバーではない。トランプは審判を解雇し、それでゲームが終わったと思っているが、審判をクビにしたところでゲームは終わらない。単にルールがなくなるだけだ。トランプは労働法が組合を生み出すと思い込んでいるが、それは間違いだ。組合があるからこそ労働法がある。組合が合法となる遥か以前から、組合は存在し、ごろつきや密告者、会社の手先と路上で激しい戦いを繰り広げてきた。

こうした違法な連帯が労働法の成立につながり、組合を合法化したのだ。法律が連帯を生み出すのではない。法律は単にその連帯に法的根拠を与えるだけだ。その法的基盤が取り除かれても、労働者の力が失われることはない。

労働者の力こそが職業的畏敬に対する答えである。自分や同僚が仕事に使命感を持つことは素晴らしいことだ。もしその使命感を感じ、ユーザや患者、顧客、学生を守る義務を感じるなら、組合はその義務を果たす力となる。

2023年、ダグ・フォードがオンタリオ州の公務員の力を破壊すると宣言した時、我々はそれを目の当たりにした。州内の労働者たちがゼネストを約束して立ち上がると、フォードはその安っぽいスーツのようにあっさり折れた。労働者たちは彼をギブアップさせた。我々はそれをまた繰り返すだろう。約束したことは守るのだ。

米国の労働法の突然の崩壊は、労働者が再び互いを支え合える道を開いた。テックワーカーは他の労働者の助けを必要としている。なぜなら50万人もの解雇を経て、テックワーカーはもはや希少な存在ではなくなり、テック企業の上層部は彼らを恐れなくなったからだ。

テック企業の上層部が恐れていない労働者をどう扱うかは、すでに見てきた通りだ。ジェフ・ベゾスを見てみよう。彼の倉庫で働く労働者は全国平均の3倍の割合で仕事中に怪我をしている。配送ドライバーはペットボトルに排尿せざるを得ず、AIカメラによって監視され、目が規定の向きから外れていたり、運転中に口を開けすぎたりすると密告される。同社の方針ではラジオに合わせて歌うことさえ禁止されている。

一方、Amazonのプログラマーはピンクのモヒカン、顔のピアス、ボスが理解できないことが書かれた黒いTシャツを着て出勤できる。彼らは好きな時にトイレに行ける。ジェフ・ベゾスはテックワーカーに特別な愛着があるわけでも、倉庫作業員や配送ドライバーに特別な憎しみを抱いているわけでもない。彼は単に許される限り労働者を酷く扱っているだけだ。つまり、ペットボトル尿瓶はプログラマーたちにも近づいているということだ。

もちろんAmazonだけに限った話ではない。Appleを見てみよう。ティム・クックは2011年にCEOに就任した。Appleの取締役会が創業者スティーブ・ジョブズの後継者として彼を選んだのは、品質管理を損なうことなく、同社の伝説的な華々しい発表会前に情報漏えいを起こさずに、Appleの生産を中国の請負製造業者に移管する方法を見出した人物だったからだ。

今日、Appleの製品は「iPhoneシティ」と呼ばれる中国・鄭州の巨大なFoxconn工場で製造されている。これらのデバイスは完璧な状態でロサンゼルス港に到着し、最高の精度で製造され、PRリークとは無縁だ。

このような奇跡的なサプライチェーンを実現するために、ティム・クックがしなければならなかったのは、iPhoneシティを生きた地獄に変えることだけだった。そこでの労働は悲惨を極め、ティム・クックの搾取工場によって追い詰められた労働者たちが自ら命を絶とうとして飛び降りる体を受け止めるため、自殺防止ネットを作業員寮の周りに設置する必要があったのだ。

ティム・クックもまたテックワーカーに特別な愛着を持っているわけではなく、中国の組立作業員に敵意を抱いているわけでもない。彼はただ可能な限り労働者を酷く扱っているだけだ。そして、テック業界の大量解雇により、プログラマーたちをはるかに悪く扱うことが可能になった。

テックワーカーはどうやって組合を手に入れるのか?Tech SolidarityやTech Workers Coalitionのようなテック特化型の組織はある。しかしテックワーカーが組合を手に入れるのは、他の労働者との連帯を築き、彼らからも連帯を受け取ることによってのみ可能となる。我々は皆、あらゆる組合を支援しなければならない。全ての労働者が互いの背中を守らなければならないのだ。

我々は全方位的な複合危機の時代に突入している。気候変動、権威主義、ジェノサイド、外国人嫌悪、トランスフォビアという不吉な予兆は今や雪崩と化している。こうした人類に対する犯罪の実行者たちは、インターネットを武器化し、21世紀のデジタル神経系統を植民地化して、宿主である文明そのものを攻撃している。

メタクソネットはまさにこうした終末論的な悪用のために設計された。巨大企業を中心に組織され、住みやすい地球と人権を3%の減税と引き換えにするような企業どもが、いじり回されたアルゴリズムフィードに我々を強制的に組み込み、強力な政府の後ろ盾を得て「IP権の保護」という名目で、我々が彼らの支配から逃れるための相互運用性をブロックしている。

こうなる必要はなかった。メタクソネットは必然ではない。それは特定の政策選択の産物であり、生きた記憶の中で、名前のある個人によって決定されたものだ。

誰かが山から二枚の石板を持ち下りてきて、「トニー・クレメント、ジェームズ・ムーア:汝、カナダ人が自分の電話をジェイルブレイクすることを犯罪とせよ」と命じたわけではない。彼らは自らメタクソ化を選択したのであり、何千人ものカナダ人が当時からその結果について警告していたにもかかわらず、そうしたのだ。

我々は凡庸な保守党大臣たちが下した壊滅的な政策判断の永久の囚人である必要はない。複数の危機が波状的に押し寄せる今、我々には手段と動機と機会があり、カナダの主権を強化し、我々の権利を保護し、あらゆる国(米国を含む)のテクノロジーユーザを解放するカナダの政策を構築できる。

トランプ政権は存亡の危機をもたらすが、同時にチャンスも提供する。人生がSARSを与えるなら、サルサパリラ[sarsaparilla]を作ればいい1訳注:「人生がレモンを与えるなら、レモネードを作りなさい」という格言の言葉遊び。トランプ政権というSARSに等しい困難に直面しているが、その逆境をむしろ機会に変えて、何か良いもの(サルサパリラ)を生み出そう、と言っている。なお、サルサパリラはドクタペッパーやルートビアの原材料である。「良いもの」としてはクセが強すぎるのでは…。。かつて我々には古き良きインターネットがあった。その主な欠点は、技術的専門知識がなければ使いこなせず、普通の友人たちがその素晴らしい遊び場から締め出されていたことだった。

Web 2.0のオンラインサービスは、誰もが簡単にネットに参加できる滑り台だった。だが、そのWeb 2.0の囲い庭から脱出しようとすると、油で滑る落とし穴から這い上がるに等しかった。新しき良きインターネットは実現可能であり、必要とされている。古き良きインターネットの技術的自己決定権と、Web 2.0の使いやすさを兼ね備えたものを我々は構築できるはずだ。

そこは互いを見つけ、連帯し、気候崩壊、ファシズム、ジェノサイド、権威主義に抵抗し生き残るための動員の場所となる。我々はその新しい良きインターネットを構築できる。構築しなければならない。

Pluralistic: With Great Power Came No Responsibility (26 Feb 2025) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: February 26, 2025
Translation: heatwave_p2p