以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Everybody pees」という記事を翻訳したものである。
ジェフ・ベゾスと私は、まるで違う人間だ。まず、彼は書籍販売を独占して財を成したソシオパスの億万長者であり、私は本を書いている文無しの物書きにすぎない。彼は1964年生まれの62歳、私は1971年生まれの55歳である。
何度か顔を合わせたことはあるし、Amazonの草創期にはいくらかやりとりもしたが、もう何十年も連絡をとっていない。それほど浅い付き合いで、最後のメッセージからも長い歳月が流れている。それでも、ジェフリー・プレストン・ベゾスについて確実に言えることが1つある。彼はしょっちゅうおしっこに行きたくなっているはずだ。
なぜそう言い切れるのか。頻繁に尿意をもよおすのは加齢につきものの避けがたい現象である。ベゾスは私より8つも年上で、その私ですらしょっちゅうトイレに駆け込んでいる。歳をとった人間がみなそうであるように、ジェフ・ベゾスも日に日に衰えていく膀胱とつきあっていかねばならない。正直なところ、歳をとるという日常の奇跡(その反対は死)と引き換えなら、安いものだろう。
ここでわざわざジェフ・ベゾスのますます切迫していく膀胱を持ち出したのには理由がある。ベゾスの膀胱が置かれた状況と、おしっこすら許されない何十万人ものAmazonの配達員や倉庫労働者の膀胱が置かれた状況とが、あまりにかけ離れていて、どうにも折り合いがつかない。Amazonの倉庫労働者や配達員は「逆ケンタウロス」で、無数のアプリやカメラに見張られ、Amazonのソフトウェアが刻むペースから遅れれば容赦なく罰せられる。そしてこのロボット・タイムキーパーは、トイレ休憩などまったく考慮していない。
https://pluralistic.net/2025/10/23/traveling-salesman-solution/
これは秘密でもなんでもないし、Amazonはこの件でさんざん非難を浴びてきた。ところがAmazonが打ち出した「ソリューション」は、おしっこへの罰則をさらに重くすることだった。尿の入ったボトルを車内に残したまま配送拠点に戻ったドライバーは、トイレを探して車を停めた場合と同等に厳しく罰せられる。だが、ボスのロボットがおしっこ禁止を言い渡したところで、膀胱や腎臓の知ったことではない。出るものは出る。
だからこそ、Amazonの倉庫へと続く道路の脇には、荷積み場に着く前にドライバーが窓から放り投げたおしっこボトルがずらりと転がっている。その数があまりに多かったため、英国のメディア・アクティビストであるウーバ・バトラーはそれを拾い集め、ドライバーの小便を詰めた「ビターレモン・エナジードリンク」としてAmazon販売できたほどだ。このドリンクはAmazonのベストセラーとなり、Amazonはバトラーに配送の規模拡大を手伝おうかとさえ持ちかけた。
https://pluralistic.net/2023/10/20/release-energy/#the-bitterest-lemon
ベゾス自身はおしっこをせずにはいられない。彼はおしっこを禁じられた何十万人もの労働者の軍団を率いている。この事実は、億万長者は他人が実在するとは心の底では信じていない、という私の仮説を強く裏づける。ドライバーが尿意をもよおしたときの感覚が自分のそれと変わらないとジェフ・ベゾスが信じているなら、ドライバーにおしっこをさせてやるはずだ。
https://pluralistic.net/2026/05/13/vibe-governance/#k-hole
「おしっこに行きたい」というのは、存在そのものに共通する根本的な条件であり、それは人間だけでなく、我々の「水平の兄弟姉妹」(この惑星を我々と分かち合うほかの動物たちを指す、ジョン・ミューアの素敵な呼び名)にまで及ぶ。犬を飼ったことのある人なら誰でも身に覚えがあるだろう。私はさほど犬好きではないが、外に出してもらいたくて身悶えしている犬に出くわすと、こちらの膀胱まで同情でうずいてしまう。ベゾスのもとで働くドライバーや梱包作業員の腎臓や膀胱に思いを馳せると、へその少し下あたりから、鋭くしつこい痛みがこみ上げてくる。
億万長者の独我論は、避けようのないものなのだろう。人々を統計上の巨大な抽象――何十万人ものAmazon労働者、何十億人ものSNSユーザやGoogle検索ユーザ――として扱うという事実そのものが、世界の他の人間の大半を幻影へと変えてしまう。つまりそのふるまいが腹立たしいほど非決定論的で、最適からはほど遠い、欠陥だらけのボットにしか見えなくなるのだ。
そこに、何十、何百億ドルもの富を刈り取るには、金やプライバシー、労働を搾り取ってきた何千、何百万というその幻影たちに苦痛を与えねばならないという事実が加われば、他人の痛みを自分の痛みと同じ現実のものとして考えずに済む世界に行き着くのも無理はない。独我論とは、富と権力を手にした者の良心を蝕む致命的な職業病なのだ。あの若い女性たちの痛みを自分の娘や友人たちの痛みと同じくらい現実のものとして感じていたなら、誰ひとりとしてエプスタイン島に足を運ぶことなどできなかったはずだ。
この独我論と億万長者たちのAIへの熱狂は表裏一体だ。他人が本当に実在すると思っていなければ、チャットボットで置き換えられると信じるのはたやすい。マーク・ザッカーバーグがあなたの友人をチャットボットに置き換えようと躍起になっているのも、あなたもあなたの友人もすでに、彼にとっては言うことを聞かないクソみたいなチャットボットにすぎないのだと気づけば、すんなり腑に落ちる。
https://pluralistic.net/2026/08/06/sin-is-when/#you-treat-people-as-things
ボットが子供に勉強を教えられる、心の問題をカウンセリングできる、健康の悩みの面倒を見られる――そう信じているのであれば、あなたが多かれ少なかれボットであり、あなたが頼りにしている教師や医者や精神科医もまた基本的にはボットだ、という信念が根底にあるのだろう。
https://pluralistic.net/2026/07/28/hitl-ers/#ai-ai-oh
オリガルヒ支配がもたらす大きな危機は、民主的な説明責任を負う公職者や選挙で選ばれた代表者から、オリガルヒへと権力が移ることだけではない。真の危機は、オリガルヒの地位を手に入れることが、他人を現実の存在とみなすことと両立しえない点にある。そうして我々は、地球上でいちばんの金持ちが、世界でもっとも貧しい子どもたちを面白半分に何十万人も死に追いやる世界に行き着いた。
https://hsph.harvard.edu/news/usaid-shutdown-has-led-to-hundreds-of-thousands-of-deaths/
誰だっておしっこをする。私が死ぬとき、ジェフ・ベゾスが死ぬとき、そしてあなたが死ぬとき、膀胱はゆるみ、我々はおしっこを漏らすだろう。他人がおしっこをする権利に宣戦布告することは、人類そのものに宣戦布告することに等しい。
Pluralistic: Everybody pees (15 Sep 2026) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: September 15, 2026
Translation: heatwave_p2p