以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Against Lore」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

ジェームズ・D・マクドナルドから学んだ秀逸なライティングのアドバイスがある。ジムは銃に関する膨大な知識を持つ海軍のベテランだが、銃の知識がない人が、ガンマニアから馬鹿にされずに銃について書く方法を教えてくれた。それは、「『modified(改造された)』という言葉をつければいい」ということだ。

例えば、「彼女が引き金を引くと、その反動で改造されたAR-15は彼女の肩に食い込んだ。だが彼女はそれを車のドアで受け止め、弾丸の雨が破壊の限りを尽くすさまを見つめていた」といった具合に。

ジムの重要な洞察は、ガンマニアは小説内の銃の描写が正しいか正しくないかが気になってしまい、その間違いを見つけようとする、というものだった。しかし、「modified」という単語を加えれば、その読者の衝動を乗っ取って作家の味方にすることができる。ガンマニアの想像力は「modified」という単語を深読みして、描写された銃の動作を説明する最も賢明な方法に思い巡らせる。

つまり、作家よりも優れた知識を持っていることを誇示したいガンマニアの衝動が、その優れた知識を作家に授けようとする衝動に変わるのだ。「Modified」という一言で、専門家とウソつきが同じ陣営に置かれ、専門家たちはこぞってウソつきの嘘を肉付けしてくれるようになる。

そう、小説を書くことは「嘘をつく」ことだ。ストーリーテリングは実に奇妙なものだ。ストーリーテラーは、読み手が架空の人物の苦難を気にかけるよう仕向けることで、読み手の心を掴もうとする。厳密に言えば、その苦しむ人々は読者にとって重要ではない。架空の出来事である以上、「起こってはいない」のだから。ロミオとジュリエットの死は、朝食に食べたヨーグルトの死よりも悲劇的ではない。あったはずのヨーグルトはもはやなくなってしまったが、ロミオとジュリエットは生きたこともなければ、死んだこともなく、「重要ではない」のだ。

https://locusmag.com/2014/11/cory-doctorow-stories-are-a-fuggly-hack/

他人の共感を乗っ取ることは本質的には敵対的だ。ストーリーテリングは無害な行為だが、その根底にあるメカニズムは極めて危険である。重要でないものを気にかけさせることは、小説や映画の仕組みであると同時に、カルトや詐欺の手口でもある。

カルトのリーダーや詐欺師は、自分たちが心と心の戦いをしていることを知っていて、空白を残してその部分を相手に埋めさせるというジムのハックを存分に利用している。Qanonのドロップ(訳注:暗示的で曖昧な口調で書かれたQの投稿)を考えてみよう。神秘的なナンセンスは、感覚的にはなんとか理解できそうな気がしてしまうので、脆弱な読み手はそれを解釈しなければならないと強く感じ、結局、投稿したペテン師すら思いもよらなかった意味を与えてしまう。

詐欺もそうだ。テレビドラマの『レバレッジ:リデンプション』に素晴らしいシーンがある。ベテランペテン師が新米に、最も説得力のある騙し方は、相手が何を考えているかを言わせてから、それを利用することだと説明するシーンだ(詐欺師と懐疑論者は、これを「コールド・リーディング」の親戚だと認識しているだろう。霊能者が自分の予言を肉付けするためにあなた自身の確認を利用するのもこれだ)。

(訳注:脚本家・SF作家の)ダグラス・アダムズはこう記している。

タオルには計り知れない心理的価値がある。なぜだか分からないが、ヒッチハイカーがタオルを持っていることを知ると、ストラグ(ヒッチハイカーでない人)は、ヒッチハイカーが歯ブラシ、帽子、石鹸、ビスケット缶、水筒、コンパス、地図、ひも、虫除けスプレー、雨具、宇宙服などなどを持っていると自動的に思い込む。さらに、そのストラグは、ヒッチハイカーが「うっかり失くした」かもしれないあれやこれやを喜んで貸してくれる。ストラグが考えるのは、銀河系の縦横を自在にヒッチハイクし、不自由を味わい、慎ましい生活を送り、ひどい困難に立ち向かい、それを乗り越え、それでもなおタオルを手にしている男は、間違いなく一目置くべき男だということだ。

マジシャンもこれを知っている。だましのポイントは、観客の注意をそらすことであり、その一瞬の不注意をついて観客をだまし、何かを消したり、隠したり、出現させたりする。客の心は楽しい苦しみに捕らわれる。不可能に思えることが今、眼の前で起こったのだ。心は二つに分かれる。一方は不可能なことが起こったと考え、もう一方は不可能なことは起こり得ないと考える。

観客が「もう一回やって!」と言えば大成功だ。もちろん、絶対に繰り返してはいけない。トリックを繰り返さない限り、観客の想像力はいつまでもそれを咀嚼し、マジシャンがしたに違いない驚くほど聡明なトリックを考えようとする。(賢明な奇術師は同じ手品でも複数の仕掛けを用意していて、再現するときには別の仕掛けでもう一回やって見せる。そうすることで、観客がマジシャンの巧妙なタネや仕掛けの推測を指数関数的に爆発させる)。

ジム・マクドナルドがライティングの生徒たちに、奇術師の古典的テキスト「マジックとショーマンシップ(Magic and Showmanship)」を勉強するようアドバイスするだけのことはある。

https://memex.craphound.com/2007/11/13/magic-and-showmanship-classic-book-about-conjuring-has-many-lessons-for-writers/

コメディもそうだ。ユーモアの研究でも明らかになっているように、コメディは「驚き」から生まれる。観客は、オチが来る前に驚かされることを知っていて、頭の中では必死にコメディアンの爆弾を解体しようとし、自分なりにオチを想像する。そうすることで、サスペンスと緊張が高まり、コメディアンが実際にオチを言うと、緊張が一気に解放され、笑いが起こるのだ。

あなたの心は、できるだけ早く緊張を解消したがるが、その欲求が阻まれることで喜びが生まれる。コメディは、多くのパフォーマンスと同様に、権威主義的な要素を備えている。観客が望むものではなく、必要なものを与えるのだ。

テーブルトークRPGも同じだ。ゲームマスター(GM)の役割は、プレイヤーが望む勝利や財宝を、我慢できなくなるまで「拒否」し、それから「提供」することだ。そうして壮大なゲームが生み出される。人間のGMがビデオゲームのバックエンドより優れているのは、プレイを「チートする」ことで「壮大さ」を高め、プレイヤーに最後の最後で信じられないような勝利を収めるチャンスを与えられることだ。

https://wilwheaton.typepad.com/wwdnbackup/2009/03/behind-the-screen.html

これは非常に効果的なので、その要素をちょっと取り入れただけでも、カルト的にヒットするビデオゲームを作り出せる。たとえば、Left4Deadがそうだ。そのバックエンドの「Director」は、プレイヤーがやられそうになっていることに気づくと、「すごい」武器を見つける確率を大幅に上げる。それでも低確率なのに変わりはないが、プレイヤーが祈っていたものを「最後の瞬間」に手に入れるシーンが作り出されることがあるので、素晴らしく感じられるのだ。

https://left4dead.fandom.com/wiki/The_Director#Special_Infected

重要なポイントは、Left4DeadのDirectorは毎回そうしてくれるわけではないということだ。ショーマンなら誰もが知っているだろうが、素晴らしいパフォーマンスの鍵は「常に『もっと欲しい』と思わせること」だ。ミュージシャンのフィナーレが成功するかどうかは、観客が求めるすべてのアンコールを「最後の一曲を除いて」行うことにかかっている。そうすれば観客は、ミュージシャン自身が提供できたどんなパフォーマンスよりも優れた、心をくすぐる最上級の1曲を頭の中で流しながら帰っていく。作家が思いつくよりもクールな改造を思いつくガンマニアのように、奇術師が思いつくよりも精巧な仕掛けを思いつくマジックショーの観客のように、ジョークが長引くほど大きな驚きを想像するコメディクラブの観客のように、成功したパフォーマンスとは、観客が「必要だ」と思うものを否定し、本当に必要なものを提供するために、観客が意図的にも無意識にも協力する「協力的な敵対行為」なのだ。

それゆえ、いずれLLMはストーリーテリングが上手くなって、私たちが求める物語を与えてくれるようになる、という言説に疑問を持たざるを得ない。つまり、我々が望むものをサディスティックに拒否し、本当に必要なものを与えてくれるのか、ということだ。ミステリー小説の最後のページをめくれば、手っ取り早く犯人を知ることはできるが、それではストーリーが台無しになることを我々は知っている。物語の筋書きをストーリーテラーに伝えるというのは、自分をくすぐるようなものだ。

くすぐられるのは、くすぐる人が自分の境界線を尊重してくれれば楽しい。もぞもぞと逃げ惑いながらも、どこか止めてほしくない気持ちもある。欲しいものすべてを与えてくれるAIのストーリーテラーは、モンスターを一振りで倒し、宝箱はすべて英雄アイテムとプラチナ貨幣でいっぱいだと宣言するダンジョンマスターのようなものだ。そう、確かにそれを望んでいる。だが、それを手に入れたとして、いったい何の意味があるのだろう。

そう考えると、パフォーマンスとは一種のサド・マゾヒズムで、パフォーマーは観客の求めを拒否することに喜びを感じ、観客はその拒否によって喜びを覚える。観客が望むものを与えるのではなく、「必要な」ものを与えるのだ。

観客に必要なのは、彼ら自身の想像力だ。何十年も前、私はフリーランスのコピーライターとして、当時の最先端のVFXを開発していたAlias/WavefrontというCGI企業の営業資料を作成していた。一緒に働いていたエンジニアの一人が、私に言った一言が忘れられない。「あなたの想像力は、私たちのソフトウェアで作れるものよりもポリゴン数が多い」。彼が言いたかったのは、アクションの一部をあえて影の中で起こさせることが重要だということだった。

これらすべてが、シリーズものが下り坂になる理由だ。どんなシリーズでも最初の作品は、多くのことが想像に委ねられている。世界地図はほとんど詳細が描かれず、登場人物の経歴は空白だらけで、アーティファクトの機構やその土地の政治は、詳細は語られないが何となくはわかる程度にしか説明されない。

すべてがクレバーに思える瞬間だ。なぜなら、観客の心はその空白を埋め、あらゆる断片を撹拌し、すべてが一つにまとまるような精巧な設定を想像していくのだから。

ネタバレ警告:これから『フュリオサ』のネタバレをする。

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ここから『フュリオサ』のネタバレ

昨晩、『フュリオサ』を見に行った。史上最高の映画の一つ、2015年の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚だ。ほとんどの前日譚と同様に、『フュリオサ』は設定を説明する手段として機能する。そのため、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ほど良くない。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は、非常に多くの世界観を示唆している。荒野に3つの要塞(シタデル、弾丸農場、ガスタウン)があることを知らされるが、実際に目にするのは1つ(シタデル)だけだ。この3都市が共生関係にあり、かろうじて均衡が保たれている複雑な政治状況にあることを我々は知る。そしてフュリオサ大隊長が登場し、彼女のいくつかの経歴ーーグリーン・プレイスから連れ去られたこと、腕が切断されていることーーが明かされる。

これらはすべて、我々の想像に委ねられていた。この10年間、私の本能はこれらすべてを考え続け、そのすべてをまとめるクールな説明を思いついてきた。私は「本当の」説明を知りたいと思ってきたが、その本当の説明が私自身の部分的で、決して完成しない頭の中の設定ほど楽しいものになるとは到底思えなかった。

『フュリオサ』は「素晴らしい」映画だが、その最悪の部分は、この映画によって正史として決定づけられた設定だ。部分的にはその設定の一部が単に愚かだからだ。なぜ弾丸農場は露天掘りなのか。見た目のインパクトはすごいが、弾丸作りといったいどう関係するのだろう。あるいは、設定が平凡に思えた部分もある。ソーラーパンクのグリーン・プレイスは、私が想像していたものの100万分の1もクールではなかった。さらには、その設定が平凡「かつ」愚かなことがある。フュリオサの腕が砕かれ、切断され、義手が装着されるシーンは、あまりに性急で、とってつけたような奇跡に見える。

https://www.themarysue.com/how-does-furiosa-lose-her-arm

だが、たとえ設定が良かったとしても――愚かでも平凡でもなかったとしても――我々に期待できるのは、設定が「破綻しない」ことだけだ。それが驚くべきものであったなら、どうしたって作為的に見えてしまう。未解決な部分がきちんと回収される物語は、満足感を得られたように「思える」が、満足のいくものではない。ただ解決しただけだ。あなたがもう聞きたくなくなるまで、要求するすべてのアンコール曲を演奏するバンドのように。そうなるとホールを出ていくときの気持ちは、満足ではなく「疲れ果てた」気持ちだ。

いくつかの重要な疑問が未解決のままである限り、「もっと欲しい」と思い続けられる。地図に空白の部分がある限り、観客の本能は物語にクレバーでエキサイティングな謎を植え付け、説明可能かどうかのギリギリでじらされることになる。

設定は、明かされるよりも想像する方がずっと良い。ファンは設定を「要求する」が、それは控えめに明かされた方がいい。常に『もっと欲しい』と思わせるために。

Pluralistic: Against Lore (27 May 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: May 27, 2024
Translation: heatwave_p2p

カテゴリー: Notes