以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「America’s best-paid CEOs have the worst-paid employees」という記事を翻訳したものである。
一般に、経済学者の仕事というのは、「やはり経営者の言うとおりだった」という言い分を補強するパターンを生み出すことである。つまり、現在の世の中は可能な限り最善な世界なのであって、週の買い物すらままならず、灼熱の歩道で気を失って火傷したとしても「まぁ運が悪かったね、でも仕方ないよね」ってわけだ。
ある経済学者から面白いメールをもらったことがある。「経営者の報酬にこだわるのは的外れだ」という。確かに、経営者は途方もない金を手にしているかもしれないが、それは従業員の幸福を犠牲にしているわけじゃないんだ、と。単純に計算してみれば良い。Fortune 100企業の数十万の従業員にCEOの巨額報酬を分配したって、一人当たり数ドル増えるだけだ。CEOの報酬を削るのは正義じゃなくてただの嫉妬だ、というわけだ。
さらに彼はたたみかけた。それに、その巨額報酬の出所を見てみろ、給与じゃなくて株式だぞ。かつて、CEOへの報酬は何百万ドルもの現金で支払われていて、それが短期的な思考を促してしまった。四半期の数字を少し操作すれば、企業の将来を台無しにするかもしれないが、それがバレる前に現金でボーナスがもらえる。でも今は違う。CEOの報酬は意思決定からずっと後に支払われる。例えば株式付与が3~4年後に権利確定するなら、CEOは長期的な持続可能性を考えるはずだ。それは誰にとっても良いことのはずだ、と。
もちろん、全くの戯言だ。その全てが。
まず、従業員の賃金への影響はひとまず脇に置くとして、CEO報酬を抑制することの意義を考えてみよう。我々の社会では、金は力だ。個人が蓄える金が多ければ多いほど、その力も大きくなる。この力はさらなる金を生み、そしてまた力になる。気づけば、超富裕層が民主的な制度を根こそぎ歪めている。そうして彼らは最高裁すら買収する。
https://pluralistic.net/2023/04/06/clarence-thomas/#harlan-crow
エリート大学に愚かな子を送り込む。
https://pluralistic.net/2021/11/18/bipartisan-consensus/#meritocracy
地球に火をつける。
https://pluralistic.net/2024/09/04/deferred-gratification/#selective-foresight
ファシストに資金を提供する。
https://pluralistic.net/2023/06/02/plunderers/#farben
したがって、たとえ従業員の賃金に全く影響を与えないとしても、富の蓄積を抑制することそれ自体に意味がある。だが実のところ、経営者の報酬削減は従業員の賃金に影響を与える。確かに、CEOの報酬を従業員に単純に分配すると数セントぽっちにしかならないが、それは計算の仕方が間違っているからだ(そして、経済学者も本当はそのことを知っている)。
毎年、シンクタンクの政策研究所[Institute for Policy Studies]が「経営者の過剰報酬」というレポートを公表している。このレポートは、企業のトップと実際に金を生み出す従業員との報酬格差を追跡したものだ。今年のレポートは特に衝撃的な内容だった。
https://ips-dc.org/report-executive-excess-2024/
今年のレポートは、CEOが報酬を引き上げるために使う巧妙な手法に焦点を当てている。そう、自社株買いだ。自社株買いは本来、違法な株式操作であるはずだが、SEC[米国証券取引委員会]が1934年証券取引法のRule 10b-18を拡大解釈して、法文に明らかに違反する行為に「セーフハーバー」を作り出したことで、今では公然と行われている。
自社株買いとは、企業が利益を使って自社の株を市場から買い戻すことである。これで流通株式数が減り、結果的に一株あたりの価値が上がる。例えば、10億ドルの企業が100万株を発行しているとすると、各株は1000ドルの価値を持つ。企業が利益を使って株の半分を買い戻すと、残りの50万株は一気に2000ドルの価値を持つことになる。
自社株買いは企業の価値を増やすことなく、株価だけを上げる。つまり、CEOに株式で報酬を払う本来の目的(長期的な持続可能性)とは真逆のことが起こっているということだ。自社株買いをする企業は、研究開発や競争力のある価格設定、もちろん従業員の賃金アップを犠牲にしてそうしている。株主に直接利益の一部を支払う配当とは異なり、自社株買いは株価を直接操作する。
では、なぜCEOは配当より自社株買いを好むのか? CEOが大量の株式を保有しているからだ。たとえその株の一部しか権利確定していなくても、この手法を使えば株価が上がる。CEOはその株を換金したり、残りの株を担保に借金したりできるし、さらには恩恵を受けた株主からの感謝の印として大量の株式付与を受けることもできる。
CEO報酬パッケージの真のコストは、彼らに付与される株式の価値ではない。その株をもらうために行う自社株買いのコストだ。ここで、その数字は途方もなく、常軌を逸するほどに巨額になる。
ホームセンター大手のLowe’sを例に取ろう。過去5年間で、CEOのマービン・エリソンは430億ドルを自社株買いにあて、その過程で自身に1800万ドルをもたらした。Lowe’sには285,000人の従業員がいて、その半数は年収33,000ドル未満だ。エリソンの1,800万ドルを従業員に分けても、一人当たり年126ドルしか増えない。だが、エリソンが自社株買いに使った430億ドルを分けたら? 毎年全従業員に30,000ドルのボーナスが出せる。
Lowe’sは、IPSがS&P 500から選出した最低賃金企業100社「Low-Wage 100」の筆頭だ。過去5年間で、この100社は5,000億ドル以上を自社株買いに費やした。他の企業と同じように、Low-Wage 100のCEOたちは自社株買いのタイミングに合わせて大量の株を売り抜けている。
https://www.sec.gov/newsroom/speeches-statements/speech-jackson-061118#_%20ftn22
Low-Wage 100の上位20社は、従業員の退職金制度への拠出額の9倍もの金額を自社株買いに費やしている。Chipotleなんて、20億ドルを自社株買いに使った。これは同社が従業員の401(k)に投じた金額の48倍だ。なぜって? Chipotle従業員の92%が401(k)に入る余裕すらないからだ。
CEOに株で報酬を払うべきだと主張した経済学者たちは、ほぼすべてのことで間違っていた。CEOの報酬は確かに従業員の生活賃金を犠牲にしているし、長期的な価値を追求する持続可能なビジネスなんて作らない。Boeingが自社株買いに使った数十億ドルは、飛行安全性に費やさなかった数十億ドルだ。
https://ycharts.com/companies/BA/stock_buyback
でも彼らの主張で唯一ただしかったのは、インセンティブは重要だということだ。他のすべてを犠牲にして株価を高く保つようCEOにインセンティブを与えたことで、CEOが生活賃金や尊厳ある退職生活、あるいは安全な製品に投資することすら罰せられる企業社会を作り上げてしまった。我々は今、誰が一番早く種モミを食い尽くすかを競うビジネス環境の只中にいる。
経済学者たちの主張とは裏腹に、これは最良の結果なんかじゃない。ただの(破滅的な)選択の結果だ。Lowe’sの成長に自社株買いなんて必要なかった。2000年から2004年の間、Lowe’sは自社株買いに1ドルも使わなかった。その頃、CEOの報酬は平均的な従業員の約40倍だった。今じゃどうだ? Ross StoresのCEO、バーバラ・レントルは、平均的な従業員の2100倍以上を稼いでいる。
では、我々に何ができるのか? まず、SECは自社株買いの禁止を再び執行し、自社株買いがRule 10b-18のセーフハーバー要件を満たすなんていう馬鹿げた話をやめるべきだ。それから、キャピタルゲイン(何かを所有することで得られる金)への優遇税制をなくすべきだ。キャピタルゲインは賃金(何かを行うことで得られる金)の一部にしか課税されていない。これに対処することで、プライベート・エクイティの略奪者たちの数十億ドルの税金逃れを可能にする「キャリード・インタレスト税制の抜け穴」(なんと16世紀の船長のために作られたルール!!!)を封じる副次的効果も得られる。
https://pluralistic.net/2021/04/29/writers-must-be-paid/#carried-interest
IPSはさらに次のような提案もしている。
- 自社株買いへの課税(2024年の民主党の綱領では、既存の自社株買いへの課税を4倍にすることを提案している)
- 過度のCEO報酬への増税(サンフランシスコとポートランドではすでに実施されており、いくつかの連邦法案でも提案されている)
- 法外な賃金格差のある企業と米国政府との取引の禁止(現職大統領ならペン一本で実現できる)
経済学を「やはり経営者の言うとおりだ」マシンに変えたことで、一握りの人々に莫大な富がもたらされた。たとえこの一握りのオルガリヒが、我々よりマシであったとしても、我々より優れているわけではない。その彼らに、我々の経済、我々の身体、そして我々の地球を破壊するインセンティブが与えられてきたのだ。
だが、これが経済学の唯一の在り方じゃない。だからこそ、異端的な経済学が台頭してきていることに、こんなにもワクワクしてしまうのだ。
America’s best-paid CEOs have the worst-paid employees
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: September 9, 2024
Translation: heatwave_p2p