以下の文章は、2024年9月4日に公開されたコリイ・ドクトロウの「Marshmallow Longtermism」を翻訳したものである。

Locus Magazineに寄稿した最新のコラム「マシュマロ長期主義」で、私は保守派の自己神話化について考察した。彼らは自らを困難な選択を担える自制心のある存在として描くが、気候変動や格差の問題となると、途端にその優れた特性が失われてしまう。

https://locusmag.com/2024/09/cory-doctorow-marshmallow-longtermism/
保守派はしばしば、社会問題が子供じみた自制心のなさによって生じていると指弾し、自らを「タダでモノは手に入らない」ことを理解する賢明な大人として描く。典型的な例としては、学生ローンの返済よりもアボカドトーストや洒落たコーヒーに浪費したがる怠け者の若者たちを揶揄するミームがある。この文脈では、貧困の原因はその未熟さに結び付けられる。きちんとした大人であるためには、あらゆる面で自制しなければならない。大人は二日酔いにならないように飲酒を控えるし、病気を予防するためにジムに通うし、頭金や学生ローンの返済のために自由に使えるお金を残しておく。
これは禁欲主義ではない。満足を遅延させるという成熟した判断だ。アボカドトーストは人生を上手く生きてからの報酬だ。住宅ローンを完済し、子供を大学に行かせて、はじめてオートミルクラテを楽しめるのだ。これは「健全な推論」でしかない。学生ローンの返済を怠れば、利子は複利で雪だるま式に膨らんでいく。まずローンを返済すれば、アボカドトースト分の利子を節約でき、結果的にトーストの総消費量を大幅に増やせるはずだ――これが保守派の信念だ。
世界を自制心のある者(成熟した、大人の、賢明な者)と自制心のない者(子供じみた、愚かな、無責任な者)で二分することには、重要な政治的意味がある。そうすれば、あらゆる社会問題を個人の問題に還元できるからだ。生きるために窃盗を働いた被告は、勉強すべき夜にパーティーに興じたせいで成績優秀奨学金を得られず、一流の学位と高給の仕事を手に入れられなかった欠陥人間として描かれる。
https://pluralistic.net/2020/08/01/set-healthy-boundaries/#healthy-populism
人類を「賢明な者」と「愚かな者」に分けることで、社会階層を正当化する倫理的根拠が作り出される。一部の人間が生まれながらに(あるいは育ちによって)賢明なら、当然その人たちが社会を率いるべきだ、ということになる。同時に、生来的に愚かな者に社会を任せれば災いを招く、ということにもなる。政治学者のコーリー・ロビンは、これを保守主義に共通する信念として指摘した。つまり、ある者は支配するために生まれ、他の者は支配されるために生まれたという信念だ。
それゆえ、保守派はアファーマティブアクションに激しく反発する。アファーマティブアクションは、権力の座にマイノリティがいないのはシステミック・バイアス(社会・制度に内在するバイアス)に由来するという前提に立つ。一方保守派にとって、自分たちのような人間が物事を動かしているという事実は、自らの美徳と統治能力の紛れもない証拠だ、ということになる。保守派の教義では、支配的集団のメンバーをないがしろにしてマイノリティに地位を譲ることは、正義どころか、幼稚な不適格者を権威ある地位に置く危険な「美徳シグナリング(virtue signaling )」でしかない。
繰り返しになるが、ここに重要な政治的意味がある。規制緩和の信奉者が、規制緩和された巨大貨物船が橋に衝突した事件に直面したとしよう。彼らは業界の再規制議論を避けるために、「不適格な者が不当に高い地位に就いた堕落した時代を我々は生きている(訳注:それゆえ、ボルティモア橋崩落事故が起こったのだ)」と主張する。その橋は規制緩和のせいで崩落したのではない、DEI(多様性・公平性・包摂性)雇用のせいで崩落したのだ、というわけだ(訳注:ボルティモア橋崩落事故をめぐっては、根拠のないDEI犯人説以外にも、さまざまな陰謀論が飛び交った)。
自制心のある賢い者と自制心のない愚か者から成る社会という考えは、イソップ童話の「アリとキリギリス」と同じくらい古い。だが、それが科学的装いをまとい始めたのは、1970年、ウォルター・ミシェルによる伝説的な「スタンフォード・マシュマロ実験」からだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Stanford_marshmallow_experiment
この実験では、子供たちは1つのマシュマロと一緒に部屋に残され、目の前のマシュマロを食べずに15分待てば2つ目のマシュマロをもらえる、と告げられた。ミシェルは子供たちを数十年にわたって追跡調査し、我慢して2つ目のマシュマロを獲得した子供たちが、教育、雇用、収入のあらゆる面でより良い結果を収めていたことを見出した。成人後の被験者の脳をスキャンすると、我慢強い子と我慢できなかった子の間には構造的な差異があったことと明らかにした。
長きにわたり、スタンフォード・マシュマロ実験は、人類を自制心のある賢い者と自制心のない愚か者を二分化することを正当化してきた。この脳科学的な説明は、人類には見た目からはわからないが生得的に支配することを運命づけられた優れた亜種(superior subspecies)が存在する生物学的根拠だとされてきた。
そして、「再現性の危機」が訪れた。科学者たちが、20世紀半ばの多数の基礎的な心理学研究を再現実験すると、行動「科学」の巨人たちのキャリアを築いてきた過去の発見が覆されたり、それほど単純ではないことがわかった。ミシェルの実験の再現実験からわかったのは、彼の発見には太字の注釈が必要だということだった。2つのマシュマロを待てずにすぐマシュマロを食べた子供たちに質問すると、その子供たちは自制心がなかったのではなく、むしろ合理的に判断していたことが分かったからだ(訳注:日本語関連記事)。
マシュマロをすぐに食べた子供たちの多くは、貧困家庭で育っていた。子供たちはその短い人生の中で、大人たちに何度も約束を破られ、失望を経験してきた。親が経済的に苦しく、急な出費で子供に約束していたご褒美をあげれなかったという悲しい経験もあれば、教師やソーシャルワーカーのような権威ある大人が、守れないと分かりきった約束で子供たちをあしらうというような無慈悲な目にもあっていた。
マシュマロを食べた子供たちは過去の経験を合理的に分析し、目の前にある1つのマシュマロは見知らぬ大人が約束する当てにならない2つ目のマシュマロよりも価値があるという賢明な判断をしていたのだ。2つ目のマシュマロを待った「我慢強い」子供たちは、自制心があったのではなく信頼できたのだ。彼らは約束を守れるような経済的余裕のある親のもとで育ち、その親たちは他の大人たち(教師ら)に子供への約束を守らせるような社会的影響力を持ちあわせていた。
つまり、マシュマロ実験の教訓は反転する。2つ目のマシュマロを得た子供たちが成功したのは、彼らが恵まれた環境で育ったからだった。彼らの成績が良かったのは、パーティーを諦めて勉強していたからではなく、家庭教師のおかげだった。彼らの好条件の仕事と高給は、能力ではなく大学や家族のコネのおかげだった。彼らの脳の違いは、貧困に伴う慢性的で極度のストレスを経験せずに済んだ人生の結果でしかなかった。
再現性の危機を経て、スタンフォード・マシュマロ実験から学べることは、誰しもが自制心と自制心のなさを持っているが、特権階級で育てば、後者の悪影響は軽減され、我慢の報酬は最大化されるということだ。
これは富裕層の行動を大いに説明してくれる。チャールズ・コークを例にとろう。彼は自動化への長期投資によって、父親の石炭帝国を1000倍に成長させた。コークは我慢と長期的思考の熱心な支持者で、株主からの短期的な利益追求圧力によって長期的計画が妨げられることを理由に、上場企業を公然と軽蔑している。彼の主張には一理ある。
コークは化石燃料王であるだけでなく、大成功を収めたイデオローグでもある。コークは、シンクタンク、大学、PAC、偽装団体、秘密結社など世界を絡め取る触手[クラーケン]に粘り強く投資することで、米国政治を変革した一握りのオリガルヒだ。数十年にわたるゲリマンダリング[選挙区割りの操作]、有権者の抑圧、裁判所への介入、プロパガンダを経て、米国の億万長者階級は国とその諸機関の支配権を掌握した。我慢は確かに報われる!
しかし、コークの長期主義は、非常に狭い範囲に限られた選択的なものだった。チャールズ・コークは、おそらく故人を含め、他の誰よりも気候危機への対応を遅らせた責任を負っている。温室効果ガスへの対応は、まさにアリとキリギリスの寓話そのものの危機だ。この予見可能で十分に理解された気候債務が天文学的な複利で膨れ上がるのを、我々は日々先延ばしにしている。行動を起こさなかったことで数十億ドルを節約できたが、その代わり未来の我々に破産手続きさえ許されない何兆ドルものツケが押し付けられている。
コークは数十億ドルを稼ぐために、再生可能エネルギーへの転換投資を阻止し、アボカドトーストの10億倍の罪を犯した。彼が満足を遅延できなかった(それに我々もつきあわされた)せいで、フロリダ州をはじめとする世界の沿岸都市の大部分の喪失、山火事、人獣共通感染症の流行、数億人の気候難民に対処するために数兆ドルを工面しなければならなくなった。
コークは、衝動的な欲求を克服する能力を持っていたわけではないし、我々全員に資する判断を下せる仏陀のような存在でもない。むしろ、彼は――万人がそうであるように――欠点だらけの人間で、彼の盲点も我々と同じくらい頑固なのだ。だが、見通しのなさゆえに薬物中毒に陥り、それゆえに軽犯罪を犯す人とは違って、コークの欠点は、少数の人々を傷つけるだけでなく、我々の種全体と、それを支える唯一の惑星に危機を持たらしている。
富裕層の選択的なマシュマロ我慢は、気候債務以上の問題を引き起こしてもいる。コークと彼の仲間のオリガルヒたちは、何より寡頭制[oligarchy]そのものを支持している。そのような政治体制は本質的に不安定で、それゆえに彼ら自身の財産を脅かす。富裕層に有利な政策は、常に不安定と不平等の均衡を模索しなければならない。金持ちには二つの選択肢がある。自分が課税されて病院や道路、学校の建設に使われるのを受け入れるか、高い塀を建てて警備員を雇い、我々が彼らの芝生にギロチン台を設置するのを防ぐために投資するかだ。
金持ちは文字通り、明日が来ないかのようにマシュマロを貪り食う。彼らは常に、警備員を雇うことで得られる利益を過大評価し、子供たちが飢えや予防できたはずの病気で死ぬのを目の当たりにした貧困層の強い決意を過小評価する。
誰であれ、多少の判断ミスをカバーしてくれる緩衝材を必要とするが、それは過剰すぎてもよくない。富裕層が間違った選択をしてもひどい報いを受けないことが問題なのではない。問題は、彼らがその恩恵を独占していることだ。我々の大半は、学生ローンの返済を1回でも怠れば、ペナルティと利息によって返済期間が20年も延びてしまう。一方、チャールズ・コークは地球を火の海にしても、あたかも自分が特別な判断力を持って生まれ、我々にとって何が最善かを知っているかのように振る舞い続けられるのだ。
Pluralistic: Marshmallow Longtermism (04 Sep 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: September 4, 2024
Translation: heatwave_p2p
Header Image: Wouter Supardi Salari