2018年12月30日、日本の著作権法における著作権・著作隣接権の保護期間は20年間延長されることになった。個人の著作物では死後50年から70年に、法人著作物であれば公表後50年から70年となる(すでに公表後70年に延長されていた法人映画は据え置き。なお、戦時加算や旧法が適用される場合もあるので、一律死後70年、公表後70年というわけでもない)。

保護期間延長は2005年あたりから盛んに議論されるようになり、利益の拡大を期待するコンテンツ業界や、著作者へのリスペクトを著作権の保護という形で存続させたい一部の作家、自国のコンテンツで稼ぎ続けたい米国からの圧力に屈した政府が延長を推進するも、thinkCを始めとする複数の団体が文化的観点から反対の声を上げたおかげでなんとか踏みとどまった。著作権保護期間死後70年を盛り込んだTPPにしても、トランプ大統領のちゃぶ台返しで凍結されたものの、日欧EPAという伏兵の登場により、国民の声に一切耳を傾けることなく、他国の意向によって、国内の文化のあり方を左右する保護期間の延長が決定されてしまった。

なんともあっけない幕切れである。

1月10日、「著作権延長後の世界で、我われは何をすべきか」というシンポジウムが開かれた。保護期間延長に反対の声を上げ続けた諸団体(青空文庫、本の未来基金、デジタルアーカイブ学会、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン、インターネットユーザー協会、thinkC)が主催したものだ。残念会のような雰囲気になるのかと思いきや、様々な領域で第一線をはる人たちが登壇したこともあって、意外といっては失礼だが、前向きな、そして具体的な提言がいくつもあって非常に感心した。そのあたりは、hon.jpの記事「著作権保護期間が延長された世界でも、できることはたくさんある #著作権延長後」を参照されたい(当日登壇した生貝直人氏の提案についてはこちらの記事も)。

ただ少し物足りなさを覚えたのは、「著作権延長後の世界で、我われは何をすべきか」というお題目に沿った、換言すれば保護期間延長の影響を軽減するための意見が多かったということだ。もちろん、登壇者の数に比して時間が足らない上に、それぞれの専門分野からすぐにでも取り組むべきことを提言するという点に重きを置いたためでもあろう。さらにはこの12年間にさんざん議論し尽くしてきたために、さまざまな前提がすでに共有されているということもある。

だから、ここで敢えて言っておきたい。

現在の長過ぎる著作権保護期間は短縮すべきである。

死後70年という保護期間を受け入れることは、国内法として立法・施行され、そのような制度で「ある」以上、致し方のないことである。しかしそれは即ちそう「あるべき」ことを意味するわけではない。

保護期間延長を世界中に押し付けてきた米国は、ミッキーマウス保護法とも揶揄されるソニー・ボノ著作権延長法を1998年に制定し、保護期間を死後70年、法人著作物を公表後95年に延長した。これとてディズニーを始めとする、経済的利益に突き動かされた強力な企業ロビーの賜物でしかない。保護期間が切れそうな「儲かる」コンテンツがあるという理由で保護期間を延ばしたのであって、それが創作や流通のインセンティブになるとか、文化の醸成に貢献するとかいう理由があったわけではない。むしろ文化的な弊害を生み出したとしても、企業に利益をもたらしてくれればいいというものであった。

経済的な利益への執着によって、本来の文化的な目的が損ねられる――実に本末転倒ではないか。著作権は、社会が、ひいてはわれわれ一人ひとりが、創作を享受するという文化的な目的のためにあるはずだ。だからこそ、われわれ自身の、本来は自由であるはずの複製(等)を敢えて制限して、創作者に創作のインセンティブとして独占的権利を与えている。それによって創作者は安心して経済的利益を得ることができるし、仲介者たちは安定して創作物を流通させることができるのだ。

著作権という制度は、何も創作という行為を神聖化して尊いものだから守らねばならぬというエモい理由によってではなく、創作物という我々にとって価値あるものが作られ、それが我々の手元に届く可能性を高めるという経済合理的な理由によって維持されているのである。すべては、我々が文化的創造を享受するためにある。

しかし、長期間におよぶ著作権保護は、その本来の目的を損ねるものでしかない。保護期間延長によって経済的利益を生み出し続ける作品というのは、それまでの数十年間、あるいは百数十年間の間に十分に富を生み出してきたはずだ。その時点では、著作権はもはや創作のインセンティブとしての役割はすでに果たし終えたといってよいだろう。創作者自身がすでに没していることを考えればなおさらだ。また、流通のインセンティブとして必要かどうかを考えても、数十年、百数十年の時を経てもなお儲けが期待できる、つまり一定の需要がある作品であれば、著作権の保護によらずとも営利・非営利問わず広く流通するだろう。その時点における著作権の保護は、創作にも流通にも寄与しないにもかかわらず、作品を独占することで利益をあげ続けたい一部の企業のために、いたずらに延長されてきたのである。

企業は「儲かる」作品には執拗なまでに固執するが、一方で「儲からない」作品には冷淡極まりない。利潤追求を目的とする法人格である以上仕方のないことではあるが、利益が期待できない作品に流通のインセンティブが働くことはなく、仲介者が流通させることはない。

そうした作品は死蔵され、そうなれば当然、我々の手元には届かなくなる。また保護期間が複数の世代をまたぐほどに長期化したことで、著作権の相続関係は複雑かつ多岐にわたり、多数の孤児作品が生み出されている。これも死蔵されることになる(これも儲けが期待できないからこそ、相続人が把握されていないということでもあるのだろう)。

皮肉なことに、死蔵作品であっても「著作権の保護」を受け続ける。だが、その保護は創作のインセンティブにも、流通のインセンティブにもなりはしない。むしろ流通に至っては阻害するものでしかなく、再び流通させるには、著作権の保護が終わるのを待つより他にない。著作権保護といえば聞こえはいいが、儲かる作品を生かし続けたい一部企業のために、儲からない作品を死なせ続けているのだ。

保護期間長期化の影響は、何も死蔵作品ばかりではない。現代を生きる創作者も、すでにこの世にはいない大御所と、我々の財布をめぐって延々と戦い続けなければならない。保護期間延長は、現代の創作者たちのライバルを増やすことでもあるのだ。もちろん、古い作品にカネを出さなくなれば、新しい作品に払うだろうとナイーブに考えているわけではない。だが、今や一般的になった定額サブスクリプションサービスのようなパイの奪い合いを考えれば、ご退場いただくほうが望ましいだろう。

どれだけ考えても、保護期間延長は、作品を囲い込むことで利益を上げる企業以外にメリットは見いだせず、社会全体としてはむしろデメリットしかない。であれば、著作権保護期間は短縮されるべきであろう。しかしそれは、死後70年では長すぎるから、以前の死後50年に戻すべきだということではない。死後50年ですら長過ぎる。大きく譲歩しても「(各作品につき)公表後30〜50年程度」が妥当であろう。

こういうことを言うと、貿易協定が云々とか、ベルヌ条約が云々とか言われそうだが、それは永遠に変えられない万物の法則か何かなんだろうか。確かに、簡単に変えられるような代物ではないし、たとえ協定や条約を抜けて1国だけで変更したところで焼け石に水だ。変えるなら、全世界的に変えなければならない。現状を考えれば、夢物語みたいな話だ。

だが、文化的な目的を達成するために市場経済に頼った著作権という制度は、レントシーカーとそれに踊らされた政治家たちによって、いまや(少なくとも保護期間においては)経済的な利益を得るために文化的目的が損ねられる制度に捻じ曲げられてしまっているのだ。そのような状態が、未来永劫続いていてよいのだろうか。我々のみならず、我々の子々孫々にそのような環境を引き継いでもよいのだろうか。どう「あるべき」かを考えたとき、今の環境がよいとは、とてもでないが言えない。

もちろん、現状が絶望しかないわけではない。創作・流通は決してインセンティブによってのみ促されているわけではない。青空文庫であれ、Wikipediaであれ、クリエイティブ・コモンズ作品であれ、このブログであれ、我々はモチベーションに突き動かされて、創作し、流通させてもいる。インセンティブが不要だとは決して思わないが、モチベーションが文化、創作、流通に果たす役割にもっと期待してもよいのではないだろうか。

いずれにせよ、保護期間が短縮されるまでには、長い時間を要することになるだろう。30年後か、50年後か、あるいは100年後になるかもしれない。しかし、その日を迎えるためには、絶えず言い続けなければならない。今の著作権保護期間は文化を損ねるほどに長すぎると。

余談:行き過ぎた保護のその先に

著作権保護期間の問題は、いわば創作・流通を市場原理に委ねたがゆえに引き起こされた市場の失敗である。これを放置し続けた先にある未来とはどのようなものであろうか。

今後創作物は文化財としての性格よりも、経済的な資産としての性格をさらに強めていくことになるだろう。著作権保護期間の延長もその1つのあらわれなのだが、文化的な目的を忘れ、とにかく利益を最大化させる方向に進んでしまえば、儲かる作品であればありとあらゆる利用から収益をあげようとするだろうし、儲からない作品、死蔵作品であれあ、儲かる作品を刺すための道具として使われていくことになるだろう。現在の特許のようにトロール的性質を強めていくのは間違いない。

1つ面白いマンガを紹介したい。うめざわしゅんの「かいぞくたちのいるところ」というマンガだ。文化をないがしろにし、企業利益だけを追求した末に実現した強力な知財権保護社会を描いたディストピアものとでもいえばよいのだろうか。極端な世界ではあるのだが、まぁ、とにかく強烈で、面白い。公式サイトではPDFで全編無料公開されているので、巻末までぜひご覧いただきたい。

公式サイト: うめざわしゅん『かいぞくたちのいるところ』

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