以下の文章は、TorrentFreakの「How the MP3, Pirates and Apple Changed The Music Industry」という記事を翻訳したものである。

TorrentFreak

ドイツのエンジニア、カールハインツ・ブランデンブルクが90年代初頭にMP3フォーマットをリリースしたことで、音楽業界の混沌の連鎖が始まった。RIAA(全米レコード協会)は当初、デジタル音楽ファイルをチャンスと捉えていたが、Napsterが登場すると、それは脅威に一変した。そこにスティーブ・ジョブズが救いの手を差し述べたが、それも一時的なものだった。そしてストリーミングが再びビジネス全体を一変させた。混沌は今日も続いている。

音楽をデジタルファイルに圧縮するというアイデアはずいぶんと昔からあった。だが、MP3の誕生は画期的な瞬間であった。

ドイツのエンジニア、 カールハインツ・ブランデンブルクらは1993年に初めてMP3フォーマットを公開した。MP3によって、音質を大きく損なうことなく、音楽ファイルのサイズを大幅に圧縮できるようになった。

当時のCDブーム真っ只中にあった音楽業界は、過去最高の売上記録を更新し続けていた。だが、それも一変することになる。

『システムショック』

映画監督のジェド・I・ローゼンバーグのドキュメンタリー『システムショック』(ブルームバーグ製作)は、「MP3」が音楽業界にもたらした混乱の経緯について、興味深く、洞察力に富んだ概観を提供している。

3部からなるこのシリーズを全編視聴することをオススメするが、この記事ではこのドキュメンタリーのハイライトを紹介したい。

ブランデンブルグがMP3フォーマットを公開してから、遊び屋たちがCDをリッピングするまでにそれほど時間はかからなかった。そのうち、リッピングした音楽ファイルの共有が始まった。初めはオフラインで、そして次第にインターネットに出回っていくようになる。

MP3をチャンスと捉えた音楽業界

音楽業界もこうした発展をいち早く察知していた。RIAAのヒラリー・ローゼン元CEOは、こうした圧縮音源をチャンスと捉えていたと振り返る。

「90年代後半ごろから、うちのスタッフがオンラインスペースの監視をはじめました。そして、音楽ファイルを圧縮できるMP3に急速に関心が集まっているのを実際に目にしました」

「その当時、業界内でパニックになるようなことはなかったと思います。うちのチームは、これを脅威ではなくチャンスだと考えていました」とローゼンは言う。

天国のジュークボックス(The Celestial Jukebox)

ファイル共有ブーム前夜の90年代末、音楽業界の関係者は、世界中のすべての音楽にアクセスできる「天国のジュークボックス」というアイデアをすでに考えてついていた。

RIAAは、そのアイデアが圧縮技術によって実現に近づいていることに気づいた。

MCAレコードとCBSレコードで社長を務めたアル・テラーは、「当時『天国のジュークボックス』は理論的な概念だった」と回想する。「これまでに制作されたすべての楽曲が、今で言うところのクラウドに保存され、地球上の誰もがデバイスのボタンを押すだけで瞬時にアクセスできる、というものでした」。

とはいえ、あくまでも「考えていた」に過ぎない。当時の音楽業界はイノベーションをまったく必要としていなかったのだ。CDの売上が好調だったこともあり、毎年右肩上がりで記録を更新していた。一方、コンピュータは表計算やワープロ用のツールでしかなかった。

Napsterの時代

すべてが変わったのは、若き学生のショーン・ファニングがNapsterを思いついた瞬間からだ。当時、ファニングとショーン・パーカーはIRCチャンネルでMP3を共有していたが、ファニングはもっと野心的なものを思い描いていた。世界中の誰もがアクセス可能な中央データベースだ。

夢の実現に向けてファニングは大学を中退し、何ヶ月もNapsterの開発に没頭した。そして1999年、Napsterの最初のバージョンが日の目を見た。すぐさま口コミで広がっていった。

ドキュメンタリーでは、無数の人々がこの新しいアプリに群がる様子が描かれている。そのほとんどはティーンエイジャーで、中には没頭するあまり数千曲もの音楽ファイルをダウンロードする者もいた。

このアプリの存在は、すぐさまRIAAのオフィスでも知られるところとなる。彼らも同じように感動したようだ。

「海賊版対策担当責任者のフランク・クレイトンが私のオフィスにすっ飛んできて言ったんです。『すごいのを見つけました』と。それがNapsterでした」とローゼンは振り返る。

ローゼンはすぐにNapsterを試し、マドンナの「ホリデー」を検索してみた。すると、無数の検索結果が返ってきた。

「『いやー、これはすごい』と思いました。まるで、天国のジュークボックスみたいだ、と。我々は何年も前からこれを話してきたんですから」

興奮が収まるにつれて、ローゼンはNapsterが海賊版コンテンツの宝庫であることに気づく。彼女はNapsterに連絡を入れ、まずはBillboard 200の侵害コンテンツを削除するよう協力を求めた。Napster側からは前向きな返事が返ってきたものの、実際には何の対応もしてもらえなかった。

怖れる音楽の巨人たち

それから数ヶ月が経ち、ファイル共有革命は歯止めが効かなくなっていった。音楽業界はパニックモードに移行し、2000年2月、ロサンゼルス・フォーシーズンズホテルで開催されたRIAAの役員会では、すべてのメジャーレーベル幹部がこの脅威について話し合った。

「この日のことは忘れられません。その部屋には、レコード会社のトップ、文字通り音楽ビジネスの巨人たちが全員居並んでいました。私はPCを部屋に持ってきてもらって、スピーカーに接続しました。そして、曲の名前を挙げてもらうよう言いました」とローゼンは振り返る。

音楽業界の大物たちは、次々に、未リリース曲も含めて曲名を挙げた。そして、Napsterは次から次へと検索結果を返していった。言うまでもなく役員会は恐怖に包まれた。

「レコード業界には、大ヒット曲さえあれば何とでもなるという格言がありました。ヒット曲で挽回できない失敗はないし、失ったお金もヒット曲さえあれば回収できる、と」。

「このときが『ああ、これはヒット曲ではどうにもならないな』と感じた瞬間だったと思います」とローゼンは付け加えた。

ベネフィットももたらしたNapster

音楽業界の大物たちが恐怖に包まれる一方で、チャンスを掴んだ人もいる。Napsterには海賊ユーザたちだけでなく、Naspterを使って自分の音楽を世界中に直接配信しようとするアーティストもいたのだ。その一人がラッパーのBenefitだった。彼はNapsterのおかげで成功を掴んだ

Benefitは、パブリック・エナミーのチャックDが主催したNapsterコンテスト(訳注:参考記事)で優勝したのだ。チャックDはNapsterの強力な支持者で、メジャーミュージシャンの中でもいち早く、Napsterがアーティストにとって有益だと主張した。

「Napsterは新時代のラジオだ。みんな100万のアーティスト、100万のレーベルとつながる方法を見つけている。いまやレコード・ゲームはみんなのものになったんだ」とチャックDは当時語っていた。

もちろん、みんながそう考えていたわけではない。メジャーレーベルとメタリカはNapsterを提訴した。その結果、世間の怒りを買い、大規模な抗議運動なども巻き起こったが、裁判所は最終的にNapsterが著作権侵害を止めなければならないと判断した。そしてNapsterはスタートからわずか2年でサーバーを停止した。

受け継がれるNapsterの役割

音楽業界の問題は、Napsterの終了では解決しなかった。次々に新しく、優れたファイル共有ツールが登場し、そのシステムも分散化していった。KazaaからMorpheus、そしてLimeWireへと、音楽共有はますます歯止めが効かなくなっていった。

問題は、音楽業界がNapsterに代わる魅力的な手段を提供できなかったことだ。ユニバーサル・ミュージック・グループ元幹部のラリー・ケンズウィルが説明するように、当時はデジタルなミュージックストアすら存在していなかった。

「当時抱えていた大きな問題は、ピア・ツー・ピア共有を使わないように訴えるのが非常に難しかったということです。結局、レコード店に行ってCDを買え、としか言えないのですから。もちろん、それは彼らが望んでいたものではありませんでした」

スティーブ・ジョブズがもたらしたソリューション

各レーベルが血眼になってソリューションを探していた頃、アップル社に復帰したばかりのスティーブ・ジョブズが登場した。アップルはiPodを売り出し、密かに独自のミュージックストアに取り組んでいたのだ。

2002年後半、ジョブスは大手レーベルに自らのプランを伝えようと働きかけた。数人の大手レーベル幹部がクパチーノに招待され、ジョブスCEO自らiTunesストアのデモを1時間に亘って行った。

「今までに見たこともない素晴らしいものでした。間違いなくこうなる、この方向に進むんだ、ということになりました」とケンズウィルは振り返る。「ご承知のように、彼はiTunesミュージックストアの全ての楽曲を1ドルで売りたがっていましたね」

アルバムの解体

こうしたスティーブ・ジョブズのアイデアが海賊版以上に音楽ビジネスに大きな変化をもたらした。1曲に1ドル以上の値段がつくことはなく、楽曲はフルアルバムという単位で縛られなくなったのだから。

今日においては当たり前かもしれないが、当時は革命であった。それまで長らく、ほとんどの人がせいぜい数曲しか欲しがっていないにもかかわらず、アーティストはフルアルバム単位でCDを売り続けてきたのだ。この慣習は、音楽業界に過剰な収益をもたらしてきた。だがこのモデルは、iTunesの登場により変化を迫られることになる。もちろん収益にも変化がもたらされた。

「アルバムの解体は、収益の大幅減を意味していました」とローゼンは言う。

音楽セールスの減少は海賊版のせいにされがちではあるが、デジタルダウンロード販売への移行と、それに伴うアンバンドル(訳注:アルバムの解体/チェリーピッキング|単曲購入)のほうが遥かに大きな影響を及ぼしたとも言える(10年以上前から議論されてきたことではあるが)。

iTunesは一定の成功を収めたものの、海賊版音楽の需要が途絶えることはなかった。iTunesストアは、海賊版アプリがもたらした『天国のジュークボックス』のような経験をもたらすものではなかったのだ。少なくともMP3プレーヤーの容量を使い切れるほどの音楽を、合法的に入手できる人はほとんどいなかったのだから。

RIAA対市民

音楽海賊版ブームに直面したRIAAは、再び訴訟という手段に打って出た。だがこのときターゲットにしたのはファイル共有ツールの開発者ではなく、楽曲をダウンロードした個人だった。

このアイデアはRIAA内部でも議論を呼び、反対の立場をとるヒラリー・ローゼンはCEOを辞任した。

「私は個人を訴えるべきではないと思っていました。確かに大規模な違法行為の元凶なのかもしれませんが、彼らだって突き詰めていくと音楽ファンに変わりありません。でも、基本的には私の考えは通りませんでした」

「私がRIAAを去った翌日、個人に対する訴訟が開始されました」とローゼンは語る。

訴訟は大混乱を引き起こした。何千もの人々が手当たりしだいに訴えられたように見えたからだ。もちろん違法ダウンロードを繰り返していた人物もいたのだろうが、RIAAは「死者」やおばあちゃんなど、あり得そうもない人たちまで訴訟のターゲットにしていたのだ。

事態を悪化させた訴訟戦略

それでも、海賊行為が収まることはなかった。『誰が音楽をタダにした?』の著者、スティーブン・ウィットは、訴訟戦略は事態を悪化させただけだったと指摘する。当時、RIAAに訴えられたミュージシャンのニック・コーニッグ(a.k.a Hot Sugar)もこの主張を裏付けている。

「結局、RIAAに1000ドル近く支払うことになったっけか。でも最終的に、ダウンロードの量を倍にして損を取り戻すことができたよ」とコーニックは言う。

2000年代半ば、訴訟戦略は打ち切られた。この頃、LimeWireが閉鎖したことで、トレントサイトが海賊シーンを支配し始め、急成長を遂げていった。

Spotifyの時代

BitTorrentクライアントのなかでもとりわけ人気が高かったのが、ルドヴィグ・ストリゲウスが生み出したuTorrentだった。この頃までにuTorrentは売却されていたが、その資金は、音楽業界を揺るがす別のスタートアップに投じられることになる。それがSpotifyだ。

2008年後半、Spotifyが一部の国でローンチされた際、我々はこの「招待制」のプラットフォームを試してみた。我々は度肝を抜かされた

あらゆる音楽トラックをストリーミングで瞬時に再生可能にする――これは新たなNapster時代の到来を告げるものだった。いや、Napsterよりも優れていたかもしれない。少なくともそれは、音楽業界が10年も前に夢見ていた『天国のジュークボックス』だった。

お金はどこいった?

Spotifyを始めとする音楽ストリーミング・プラットフォームはユーザから歓迎された。しかし、すべてのアーティストが歓迎したわけではない。特に収入の大部分をレーベルと共有しているアーティストであればなおさらだった。一方、インディペンデント・アーティストはレーベルへの依存度は非常に小さかった。

ドキュメンタリーでは、レコード音楽が主要な収入源からプロモーションツールへと変貌していく様子が描かれている。ミュージシャンは、コンサートやグッズ販売、Bandcamp、さらにはPatreonなどの代替手段に頼らざるを得なくなることが増えていった。

ベテランミュージシャンがこうした変化を受け入れるのは容易なことではない。さらに、彼らの中には、変化によって音楽の価値が損ねられているという感覚を持っていたり、アルバムの解体やオンデマンド・ストリーミングがアルバム全体の芸術性を冒涜しているという考えを持つ人もいる。

レーベルにとっても状況は変化してきている。いまやレーベルの支配力は崩壊しつつある。今でもレーベルの役割は残されているが、その役割はアーティスト自身も担えるようになってきているのだ。レコーディング、パブリッシュ、プロモーションを容易にするツールや販路、サービスが登場したおかげでもある。

インディペンデント・アーティストたちは、より多くの収入を得ることができるようになった。我々がこれまで幾度も取り上げてきたトピックではあるが、ドキュメンタリーではラッパーのR.A. the Rugged Manをフィーチャーしている。

「自分のレーベルが心底嫌いになってね。だから言ってやったんだ、おい、俺は自分でやってやるぞってな。それで、インディペンデント・レーベルを始めたら、自分の懐に金が入ってくるようになった。そこから俺の成功が始まったんだ。ファンが増えたのもその辺りからだな」

新たなチャンス

同時に、新たなテクノロジーはこれまで存在しなかった機会を提供した。たとえばSpotifyのようなサービスでは、特定のファンに向けてコンサートを宣伝したり、フェス参加アーティストをスカウトしたり、ユーザが自分の好みに合った音楽を発見できるようになった。

さらに、新たなテクノロジーはファンとミュージシャンが直接つながることを可能にもした。DJで音楽ジャーナリストのダニ・ディーアルが言うように、ミドルマン(中間業者)がいなくても、1000人の熱心なファンがいれば、もはやまともな生活を送れるようになったのだ。

では、変化はここで終わりなのだろうか。今日では当たり前のストリーミング・サブスクリプション・プラットフォームも、いつかは時代遅れになってしまうかもしれない。振り返ってみれば、海賊版が音楽業界を破壊したのではなく、『天国のジュークボックス』に近づくための方法論であったという結論が妥当に思える。

MP3はこの過程で重要な役割を果たした。MP3は音楽ビジネスの権力をシフトさせるきっかけを作ったのだ。一部の企業やミュージシャンには有害だったのかもしれないが、その他多くの人々を助けることにもなったのである。

ドキュメンタリー『システムショック』は、MP3共同開発者のカールハインツ・ブランデンブルグの回顧で締めくくられている。我々もそれに習うとしよう。

「私は音楽業界に悪いことをしたと感じてきました。でも、最終的には、よい方向に進んでいったのだと思います」

How the MP3, Pirates and Apple Changed The Music Industry * TorrentFreak

Author: Ernesto Van der Sar (TorrentFreak) / CC BY-NC 3.0
Publication Date: January 17, 2021
Translation: heatwave_p2p