以下の文章は、Walled Cultureの「In a world where AI art is cheap and easy to generate, do we still need copyright?」という記事を翻訳したものである。

Walled Culture

AIが生成するアートが物議を醸している――というのはいささか控えめな表現と言えます。昨年、Stable Diffusionなどの無料ツールが登場したことは、アートの世界を混乱に陥れたのみならず、人間の創造性の本質に深い疑問を投げかけるものでもありました。また、AIアートには著作権という壁が立ちはだかり、テック企業に巨額の訴訟を起こせるチャンスと見る弁護士たちの関心を集めています。

多くのAIアートプログラムは、数十億枚もの既存の画像を用いて、形状、色、スタイルに関する内部ルールを作り出しています。もちろん、その画像の多くが著作権で保護されているはずです。Getty ImagesがStable DiffusionのStability AI社を相手取って米国で起こした裁判など、このアプローチの適法性を判断する複数の裁判が進められています。ですが、その結果がどうなろうと、AI生成アートは、その大きな可能性や、ビジネス界・市民から寄せられる大きな関心を考えれば、何らかの形で存続することになるでしょう。

同様に、AIが生み出した生成物の著作権の状態についても定まってはいません。2022年、米国著作権局は、AIが生成したアートには「人間の著作物」の要素が含まれていないため、著作権で保護されないとの判断を示しました。しかし最近、あるアーティストがAIで生成したアートワークを掲載したグラフィックノベルが米国の著作権登録を取得しました(訳注:2月21日、米著作権局はMidjourneyで生成された画像については著作権で保護されないとの見解を示した。ただし、画像以外の要素については創作性を認めている)。

この文脈において忘れられがちなのは、美術品(fine art)の著作権が比較的新しい概念であるということです。現代の著作権は、1710年のアン法に端を発し、「書籍及びその他の著作物」に適用されてきたものです。1735年には彫版(engravings)が特別に保護の対象となりましたが、美術品が著作権の対象となったのは英国では1862年から、米国では1870年になってからでした。

重要なポイントは、米国法で著作権の対象となった主題の1つに「chromo」、すなわちカラーリトグラフがあったことです。元作品の高品質なカラー複写を大量製造できるようになって以降に、アートは著作権の対象になったのです。こうした技術が安価に利用できるようになるまで、絵画や線画を広く共有するにはアーティスト自身が自分の作品を複製したり、版画を作るしかありませんでした。

19世紀以降、著作権はさまざまな形で拡張されてきました。たとえば著作権の保護期間は、現在では一般に著作者の死後70年間ということになっています。その間、複製技術も大いに進歩し、アナログの素材をデジタルに変換すれば驚くほどの低コストで完全な複製を作成できるようになりました。また、インターネットの普及により、世界中のどこにでも、いくらでも複製を送信できるようにもなりました。

まさにこれが、著作権とインターネットの本質的な衝突を引き起こしているのです。前者は300年にわたって無断複製を防ぐことを目的としてきました。しかし、後者の技術はデジタルファイルを複製し、自由に流通させることを基盤としているため、複製なしにはそもそも機能しません。

この深刻なミスマッチについて語られることはほとんどありませんが、法律的な状況は明白です。インターネットに接続する誰もが、一日に数百回、数千回と著作権法を違反しているのです。2007年、ロサンゼルスのサウスウエスタン大学ロースクールのジョン・テヘラニアン教授は、典型的なインターネットユーザがオンラインで回避不能な著作権侵害により、どれほどの損害賠償責任を負うかを試算しています。その結果、1年間に45億4400万ドルの損害賠償責任を負うことがわかりました。毎日、数十億人のネットユーザが日常的に法律に違反してしまうというなら、そもそも法律のほうがおかしいのです。

残念なことに、この問題に対する著作権業界の反応は、常によりきびしい法律を作れ、そうすればユーザたちのデジタルコピーをどうにか阻止できるだろうという、まさに藁にすがろうとするようなものでした。この希望的観測の最新の事例が、EUの著作権指令です。とりわけ視覚芸術の世界に関連している部分は、大手オンラインサイトがユーザからアップロードされる無断コピーを防止されるためにフィルターを運用しなければならないという要件です。

今日アップロードされるコンテンツの量は膨大です。2020年、YouTubeには1分間に500時間分のアップロードされていました。だからこそ、自動化フィルターが必要なのだということなのでしょうが、著作権法の複雑さがアルゴリズムによって誤魔化されるわけではありません。アンディ・ウォーホルが「プリンス・シリーズ」でミュージシャンのプリンスの写真を用いたことが示すように、専門家でさえ、著作権侵害と既存著作物の変形的再解釈を区別することは難しいのです。EUが求める新たなフィルターは、必然的に慎重さを欠き、コンテンツを過剰ブロックすることになるでしょう。その結果、他人の作品を用いた完全に適法なコンテンツがブロックされてしまい、芸術的クリエイティビティや表現の自由が損なわれることになるのです。

著作権法の厳格化が――インターネット全体の取り締まりは不可能であるという失敗に終わるだけでなく――基本的人権に重大な損害をもたらすものであるならば、著作権とインターネットの間の矛盾を解決するには、前者を弱めるとか、あるいは廃止することを考えても良いのかもしれません。大胆な提案だと思うかもしれませんが、芸術的アウトプットの大半が何らかの物体という形を取ることが多いファインアートの世界であれば、それほど大きな問題にはならないでしょう。そうしたアナログなものは意味のある方法で複製することができないので、著作権はほとんど影響しません。デジタル版を作ることもできますが、オリジナルに取って代わるものではありません。

もちろん、初めからデジタルで制作されるアート作品も数多くあります。まさに今、AI生成アートに脅かされているのは、そうしたクリエイティビティです。現在人間が制作するさまざまなデジタル画像が、いずれAIシステムの出力に取って代わられることになるでしょう。とりわけ、美学より経済性が優先される商業的環境では、その可能性は一層高くなります。

おそらくアーティストたちは、アルゴリズムが生み出す作品は人間の作品よりも劣ると主張するでしょう。現時点ではそうかも知れませんが、最近の著しい発展が示しているように、AIシステムはわずか数年で飛躍的な進歩を遂げています。そう遠くない未来に、AIの作品は大半の日常的な用途においては、人間の作品と区別がつかなくなるでしょう。品質や創造性の点だけでなく、どんなアーティストのスタイルであっても直接コピーすることなく模倣できるようになるのです。

とはいえ、AIが共感性のような人間らしさを身につけ、社会的な関係性を築くことができるようになるまでは、人間はAIに勝る強みを持っているはずです。たとえば、アーティストのアン・レアです。彼女のアプローチは、彼女を支援し、前払いしてくれる人たちとのラポールを形成することを基盤としています。Art Business Newsの記事に、彼女のこのような発言が引用されています。

(訳注:足元を見てくるギャラリーに頼るよりも)パトロンとの関係を深めるほうがよっぽど良いですね。前払いしてくれる。値引きはしてこない。お金は全部自分に入る。その関係を通じて、何度も購入してくれたり、友人や家族に紹介してくれたりもします。それが賢いやり方ですよ。

レアの成功は、パトロンがアーティストを支援した古めかしいモデルを彷彿とさせます。世界的な傑作の多くが、著作権が発明される以前のパトロンの時代に生み出されたことを見落としてはいけません。AIアートがデジタル・クリエイティビティを侵食し、著作権がネットの自由な表現を封じ込めようとしている今こそ、その両者に無縁のこの古いアプローチを模索する好機なのかもしれません。このアイデアの詳細は書籍版『Walled Culture』に書いています。この本は紙の書籍ならオンライン書店で購入できますし、電子書籍版ならタダでダウンロードできます。

In a world where AI art is cheap and easy to generate, do we still need copyright? – Walled Culture

Author: Glyn Moody / Walled Culture (CC BY 4.0)
Publication Date: February 9, 2022
Translation: heatwave_p2p