以下の文章は、電子フロンティア財団の「230 Protects Users, Not Big Tech」という記事を翻訳したものである。
またしても、上院議員たちがインターネットユーザを守る最重要の法律――セクション230(47 U.S.C. § 230)を骨抜きにしようとしている。
彼らに騙されてはならない。セクション230の批判者たちは、この重要な法律がビッグテックだけを保護していると主張する。確かに、セクション230は確かにすべてのプラットフォームに限定的な保護を提供しているが、その最大の受益者は小規模プラットフォームと一般ユーザである。もしそうでなければ、なぜ巨大プラットフォームがこの法律を骨抜きにする法案を進んで支持するというのだろうか。事実、セクション230が廃止されれば、ビッグテック独占的地位をさらに盤石にするだけの結果をもたらすだろう。
EFFが長年訴えてきたように、セクション230は個人がオンラインで発言し、組織化し、創作を行う自由を守るため不可欠なものだ。
セクション230が何をもたらすかを(訳注:それを制定した当時の)議会は正確に理解していた――インターネット上のあらゆる表現の基盤を築き、大小様々なウェブサイトを支えることになるという事実を。そして実際に、その通りになった。
セクション230は米国の価値観と相反するものではない。むしろデジタル世界において、その価値観を支えている。人々は自分たちのコミュニティを見つけ、作り出し、自分たちの判断でモデレーションできる。個人も企業も自らの発言には責任を負うが、(限られた例外を除き)他者の発言に責任を負わされることはない。
この法律はビッグテックを守る盾ではない。この法律の恩恵を最も享受しているのは、自前のブログやメールサービス、ソーシャルメディアサイトを構築・運営するリソースを持たず、発言の場としてこうしたサービスに頼る何百万ものユーザたちだ。セクション230は同時に、発言の場を提供する無数の小規模オンラインサービスも守っている。セクション230廃止法案の提出者たちは、これらの人々の声は置き去りにしたまま、危険で誤った政策を推し進める。
ビッグテックが交渉の席に着くオンラインの表現ルールの議論が、現行のセクション230と同様に、インターネットユーザを守り、利益をもたらすとはとてもではないが思えない。もし議会がインターネットの表現ルールを本気で書き直したいなら、セクション230が廃止された後に被害を受ける小規模サービスや一般ユーザの声にこそ耳を傾けなければならない。
セクション230は普通のインターネットユーザを守っている
セクション230廃止論には、もう一つの明らかな盲点がある――この法律が、すべての人のオンラインでの発言を保証し、議会や政府が「良い」発言と「悪い」発言を定義できないようにする中心的役割を担っていることだ。
まず、セクション230の条文を見てみよう。重要なのは、この法律がオンラインサービスとユーザの双方を保護している点だ。条文には「プロバイダもユーザも、他者によって作成されたコンテンツの発行者として扱われてはならない」とある。人は自分の発言には責任を負うべきだが、他者の発言には責任を負わないという、大多数の米国人に共有される信念と完全に一致している。
セクション230は個人ブロガーやメールを転送するすべての人、そして他者のコンテンツを再共有したりリポストしたりしたことのあるソーシャルメディアユーザを守っている。さらに、他者のオンラインコンテンツを削除・管理する個人モデレーターや、ウェブホスティングサービスを提供するあらゆる人々も保護の対象となっている。
EFFが指摘してきたように、オンライン発言は事実無根の訴訟の標的になりやすい。ビッグテックにはセクション230がなくともこうした訴訟と闘う資金力がある。だが一般のインターネットユーザやコミュニティフォーラム、スモールビジネスにはそのような余裕はない。Engineの試算によれば、セクション230がなければ多くのスタートアップや小規模サービスは高額な訴訟費用に押しつぶされ、活動停止に追い込まれるだろう。完全に根拠のない訴訟でさえ、防衛には数千ドルのコストがかかり、しばしば数万から数十万ドルもの負担となる。
セクション230の廃止は悪党どもの楽園を生み出す
セクション230の批判者たちは、あまりにも多くのウェブサイトやアプリが「捕食者、麻薬ディーラー、性的人身売買業者、恐喝者、サイバーいじめ加害者」への対応を「拒否している」と主張し、セクション230を廃止すれば、これらのサービスが自社サイト上のユーザ生成コンテンツを適切にモデレーションするよう強制できると考えている。
こうした議論はセクション230を根本的に誤解している。この法律は、プラットフォームが主に自らの判断で、どのような発言をホスティングするかを決定し、その基準に合わない発言をペナルティなしに削除できるようにしているのだ。
もし立法者が本当にオンラインサービスによる違法行為や有害コンテンツの根絶を支援したいのなら、セクション230の廃止は最も避けるべき選択肢である。現行法は、大小のウェブサイトやアプリに対して、問題ユーザを排除し、不快なコンテンツを削除し、違法行為の場合には法執行機関と協力してそれらのユーザに責任を負わせるよう強く促している。
議会がセクション230を削除すれば、デジタル以前の時代のコンテンツ配信法が復活することになる。その法律は、サービス提供者がユーザ生成コンテンツをモデレーションしたり、その存在を認識することさえ抑制しかねない。なぜなら、サービスがコンテンツをモデレーションすればするほど、そのコンテンツに対する責任を問われる可能性が高まるからだ。この法的枠組みの下では、オンラインサービスはモデレーションを避け、悪行を積極的に見つけないという強い動機を持つことになる。これでは子どもや大人をオンラインの有害コンテンツから守るという当初の目標とは、まさに正反対の結果を招くだろう。
230 Protects Users, Not Big Tech | Electronic Frontier Foundation
Author: India McKinney / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: March 24, 2025
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Alev Takil