以下の文章は、電子フロンティア財団の「Beyond Platforms: Private Censorship, Parler, and the Stack」という記事を翻訳したものである。
先週、トランプ大統領の支持者が連邦議会議事堂に侵入・破壊行為を行った暴動を受けて、FacebookとTwitterは大統領を追い出す決定を下した。両社がこれまで、トランプ大統領を世界の政治指導者の一人としてコンテンツモデレーションのルールの大半を免除する立場をとってきたことを考えれば、踏み込んだ決断を下したといえる。大統領のフォロワーの多くは、すぐさまParlerに乗り換えた。だが今週、この動きは新たな展開を見せている。Amazon Web Service(AWS)やGoogleのAndroid・AppleのiOSのアプリストアなど、技術的「スタック(階層)」の基盤に近いインフラ企業が、個人のみならずプラットフォーム全体へのサービス遮断を決定したのである。Parlerは現時点では復旧に苦戦している。自ら呼び込んだ窮地でもあるが、技術的スタックの下層に行くほど代替選択肢を見つけたり、インターネットでは当たり前だと思っていた機能を再実装するのが難しくなるためでもある。
Parlerにどのような態度を持っていようと、こうした決定には慎重さが求められる。米国の法律では、民間企業は自らが望まない言論をホスト・支持することを拒否する強力な法的権利を有している。だがこの拒否は、ある表現や発言者をインターネットから事実上完全に排除しうる企業連合が協調した場合には、異なるリスクを孕んでいる。
言論の自由のスタック――あるいは「言論の自由のチョークポイント」
ディープスタック企業による検閲的選択の意味を考えるために、少し話を戻そう。研究者のジョアン・ドノバンが述べているように「スタックのあらゆるレベルにおいて、企業は誰が、いつ、どのようにアクセスできるかなど、コンテンツの合法性に関する価値判断を行う立場に置かれている」。そして、企業がスタックのさまざまなレイヤーで下す決定は、表現の自由に異なる影響を及ぼす。
スタックの最上位にいるのはFacebookやReddit、Twitterなどのサービスで、誰にサービスを提供するか(あるいは何を許可するか)を決定している。こうした決定を行っていること自体はよく知られているが、多くのユーザにとってその決定の透明性は著しく低い。こうしたプラットフォームの対応は、特定のユーザやコンテンツに絞って行うことができる。そして最も重要なのは、他の代替選択肢を制限するわけではないということだ。たとえば、ディスカッション・フォーラムはスタックの最上位に位置し、すべてのユーザ(コンテンツ制作者とコンテンツ消費者の双方)が最も直接的に交流するサイト/サービスである。また、ユーザがコンテンツと聞いたときに真っ先に思い浮かぶ場でもある(たとえば「Facebookで見たよ」)。ユーザはアカウントの取得を求められこともあれば、アカウントの取得により便益を得られることもある。あるいは、ユーザは特定のコンテンツを求めてサイトを探すこともあるだろう。ユーザ側に近いほど、サイトはキュレーションや編集の方針・実践、つまり自らの「流儀(signature styles)」を持ち、それを発展させていくことになる。そして、ユーザは通常、(問題はあるにせよ)当該サービスに直接コンタクトする手段を持っている。
スタックのもう一方の端には、ComcastやAT&Tなどのインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)が存在する。このレイヤーの企業によるコンテンツ削除やユーザ凍結の決定は、特に競合他社がほぼ存在しない場合には、表現の自由に大きな懸念を引き起こす。たとえば、あなたが住む地域で唯一のブロードバンド・プロバイダが、あなたのネット上での発言を気に食わないという理由でサービスの提供を拒否したら、困るどころの話ではない。「ルールが嫌なら他所へ行け」という格言は、他に行くあてがない場合には通用しないのだ。
この両者の間には、AWSのようなアップストリーム・ホスト、ドメイン名レジストラ、証明局(たとえばLet’s Encrypt)、コンテンツ・デリバリー・ネットワーク(CDN)、決済サービス、電子メールサービスなど、さまざまな仲介事業者が存在する。EFFは、これら仲介事業者が発言者と聴衆の間のどこに位置し、どのようにつながっているかを示すチャートをここで提供している。これら仲介者は、表現や商取引のインフラを提供しているが、多くの仲介者はユーザと直接的な関係にはない。したがって、クレームを受けると特定のユーザの表現、ましてやサービスのビジネスユーザ企業がホストする可能性ある表現のニュアンスを分析するよりも、簡単で安価な削除という手段を取る。こうしたサービスは、詳細な評価を行うことなく、単にユーザや(訳注:取引企業の)プラットフォームを切り捨ててしまう可能性が高い。さらに多くの場合、発言者も聴衆もこうしたサービスの正体を知らないし、知っていたとしてもそうしたサービスと直接的な関係を持っているわけではない。したがってこれらサービスは、そこを通過する表現とは一般には関連づけられておらず、ルールとなる「流儀」を持ち合わせてもいない。
インフラからの排除は弱い立場の人々を黙らせるのと同じか、それ以上の悪影響を及ぼす
インフラからの排除の悪質な事例としては、ほんの数ヶ月前、Zoomがサンフランシスコ州立大学のオンライン学術イベントの遮断した一件が挙げられる。このイベントには、解放運動のBlack and South African、権利擁護団体のJewish Voice for Peaceの著名活動家や、物議を醸す活動家のライラ・カリドらが出席することになっていた。Zoomに続き、FacebookとYouTubeも同様の決定を下した。Zoom社はこの決定について、カリドが米国の指定する国外テロ組織との関係性が疑われることを理由に挙げた。外部から圧力を受けたことは明白だ。
Facebook、YouTube、Twitterなどのソーシャルメディアプラットフォームが表現に関して決定を下すことにはさまざまな懸念はあるが、Zoomの決定に関してはソーシャルメディアの決定とは別の視点で捉えている。FacebookやYouTubeなどの企業は、良くも悪くもサービスの一環としてコンテンツ・モデレーションを実施している。だがZoomは、とりわけパンデミックが起こって以降、世界中でプラットフォームという以上に電話会社のように使われてきた。電話会社が誰に電話をかけてよいかを判断することを期待されていないように、オンライン会議サービスが誰が会議に参加してよいかを判断するよう期待されてはいないのだ。
世論の圧力に直面した Amazonは、大手ソーシャルメディアのオルタナティブであるParlerのホスティングを停止するという、その場しのぎの決定を下した。これこそ、表現に関する決定がどうあるべきかを長期的視座に立って考えてきた人たちが懸念してきたことであった。ある意味では、Parlerの排除は目新しいことでも驚くべきことでもない。第一に、これはこのスタック・レベルで起こった最初のモデレーションの事例ではない。それ以前にも、AmazonがWikileaksへのサービス提供を拒否したり、イラン国家全体へのサービス提供を拒否してきた。第二に、Amazonのような企業がParlerとの関係を断つよう求める強烈な、そして正当な理由に基づく国内圧力があった。実際のところ、Amazonによる排除に至るまでの数日間、ParlerはL・リン・ウッド弁護士ら認証済みユーザによる凶悪な暴力的脅迫の投稿をホストしていた。
だがたとえそうであっても、インフラからの排除は多くのユーザの期待を大きく逸脱している。第一に、インターネット上のすべての表現は複数のインフラ・ホストに依存しているため、このような措置は累積的に影響を及ぼす。ユーザがホストの利用規約のみならず、発言者から聴衆に届くまでの経路(the chain)上にある全てのサービスの利用規約を満たすよう注意しなければならないとすれば(実際の発言者はそうしたサービスの存在を把握していないだろうし、ヘイトスピーチと非ヘイトスピーチの境界についてもよく知らないだろう)、多くのユーザは物議を醸すような意見の共有を避けるようになる。また、サービス側の判断も正確性に欠け、過去には投稿された1つの文書に対するクレームを理由に、大規模なウェブサイト全体がアップストリームホストから遮断されるという事態も生じている。さらに視点を広げれば、インフラレベルでの削除は完全に閉じ込められ、高度に監視されたウェブへと社会を仕向けることになる。そのような社会でもはいつでも、発言者を簡単に排除できてしまうのである。
今後の展開としては、AmazonがParlerを排除したようなケースよりも、Zoomによる学術的議論の検閲のようなケースを頻繁に目にするようになるだろう。だがそれでも、Amazonの決定は現代の核心的問題を浮き彫りにしている。何が許容しうる発言かを誰が決めるべきなのか。インフラ・レイヤーの企業は検閲にどの程度の役割を果たすべきなのか。
我らEFFは、その答えはシンプルかつ挑戦的なものであると考える。つまり、可能な限りユーザ自身が決定権を持つべきであり、インフラ・レイヤの企業はその決定に介入すべきではない。インフラのチョークポイントを取り去る確実かつ一貫性のあるアプローチは、そのチョークポイントを拒絶することである。企業はパブリッシャではなく、パイプとしての役割を果たすために行動しなくてはならない。法と慣習が、出版社が名誉毀損で訴えられたとしても出版社が入るテナントのオーナーを訴えることはできないという規範を形成していったように、オンライン・コンテンツへの責任に関する規範が次第に形成されつつある。ZoomやAmazonなどの企業は、良くも悪くも、こうした規範の形成に携わっているのである。
インターネットのポリシー・実践は危機主導ではなくユーザ主導で
今日の危機的状況を前に、Parlerのようなサービスは遠ざけられるべきだというのは簡単だ。たしかに、Parlerは、民主的プロセスを弱体化させるという明白な目標の下、連邦議会議事堂や議会指導者への攻撃を組織化するために利用されていた。だが、危機が過ぎ去れば、危機対応のための基盤インフラへの圧力が、社会的に弱い立場に置かれている発言者やフォーラムに再利用されることは間違いない。これは「滑りやすい坂(slippery slope)」でも、仮の見通しでもない。米国大統領やその支持者よりもはるかな小さな力とリソースしかもたないグループやコミュニティに現実に起こってきたことだ。さらに、こうした広範囲の検閲機能は、適法な反対意見を封殺しようとする外国政府にも開かれることになるだろう。いま、世界はインフラが言論統制のために徴用される可能性を思い知らされている。そして、そうした徴用を求める声はますます高まっている。正当な反対意見が、ますます追いやられてしまうかもしれない。
今後数週間、スタックのあらゆるレイヤーの企業が同様の決定を下すことが予想される。今日も、Facebookが火曜にウガンダで実施される選挙に先立ち、選挙操作への懸念から政府当局者を排除した。これら企業が行う決定の中には、慎重に調査されたものもあれば、圧力に従っただけもの、社会的弱者を犠牲にして行われたものも確実に存在している。
核となる問題は、個別の決定に同意するか否かではなく、こうした決定が一般に民主的ではなく、透明性とデュープロセスの要件に沿って行われていないこと、今後もそれが続くことにある。決定に同意するか否かに関わらず、あなたはその決定・検討プロセスに関与できないのだ。グローバルなデジタル・インフラにおける中央集権的なチョークポイントを解体しない限り、党派的な争い、国家による権力掌握のための政治的闘争がますますエスカレートしていくことが予想される。
Beyond Platforms: Private Censorship, Parler, and the Stack | Electronic Frontier Foundation
Publication Date: January 11, 2021
Translation: heatwave_p2p