以下の文章は、電子フロンティア財団の「Court’s Decision Upholding Disastrous Texas Social Media Law Puts The State, Rather Than Internet Users, in Control of Everyone’s Speech Online」という記事を翻訳したものである。

Electronic Frontier Foundation

インターネットが今日のような多様なコミュニティ、支援ネットワーク、多種多様なフォーラムを介して情報を共有し、人々をつなぐ場となったのは、憲法修正第1条とそれがもたらす言論と表現の自由のおかげである。趣味や宗教、政治的意見、特定の音楽への愛を共有する人々に共通の場を提供するサイトをホストし、管理(モデレーション)する権利は憲法によって保障されているのだ。

Facebookであろうと個人ブログであろうと、オンラインプラットフォームはどの言論をどう公開するかを決める権利を持つ。その意味では、オンラインプラットフォームは新聞社パレードの主催者と何ら変わるものではない。

ルイジアナ州の連邦控訴裁判所は先月、Netchoice v. Paxton事件において、このオンラインにおける言論の自由の基本原則に致命的な打撃を加える判決を下した。第5巡回区連邦控訴裁判所は、ソーシャルメディアプラットフォームのモデレーション判断に責任を負わせるという、違憲で破壊的なテキサス州法を支持し、プラットフォーム側が望まない言論の配信を強制している。テキサス州法HB20は、大規模プラットフォームがユーザの視点に基づいてコンテンツを削除したり、モデレートしたりすることを制限している。この法律は、保守的視点ばかりが大規模プラットフォームのモデレーションの標的になっているという事実無根の主張に基づき、「保守的な視点や思想を黙らせている」プラットフォームへの報復として起草・成立したものである。

テック業界団体のNetChoiceとComputer and Communications Industry Association(CCIA)は、法廷でこの法律に異議を唱えた。EFFは、連邦地裁連邦控訴裁最高裁法廷助言書を提出し、インターネットユーザはソーシャルメディアプラットフォームのコンテンツモデレーション判断に正当な不満を持つこともあるが、そうであっても憲法修正第1条がその決定を保護するのであれば、ユーザこそが最もその恩恵を受けることになると主張した。修正第1条の権利のおかげでインターネットが発展し、多様な言論の場が提供されているのである。

連邦地裁がこの法律を予備的差止すると、テキサス州は第5巡回区に控訴した。控訴裁はHB20がプラットフォームの修正第1条の権利を侵害するものではないと判断した。サービスにはコンテンツモデレーションを実施する憲法上の権利はなく、むしろ、プラットフォームによるコンテンツのモデレーションやキュレーションは「検閲」に相当すると控訴裁は断じた。HB20に違反してユーザの発言を制限しようとする大規模プラットフォームは、法廷で彼らを弁護する弁護団を抱えていると第5巡回控訴裁は述べている。この法律では、個人や州司法長官がコンテンツモデレーションに関してプラットフォームを訴えて勝訴した場合、弁護士費用の払い戻しを受けられることになっている。

この法律は、インターネットの自由、そして多様な――とりわけ理解されにくかったり、他者を怒らせることになるような――意見を持つ人々がオンラインで自由に発言する権利を、大幅に損ねる危険性をはらんでいる。第5巡回区控訴裁の判決は、連邦議会が通信品位法230条を制定する際にHB20のような州の検閲法をすでに先取りしていたことを認識していないなど、さまざまな点で重大な問題をはらんでいる。だがここでは、この判決がオンライン言論におよぼす恐るべき影響に焦点を当てたい。

第5巡回区控訴裁の判決の論理は、FacebookやYouTubeのような最大規模のプラットフォームだけにとどまらず、ユーザが生成した言論をホストするすべてのサービスに不利益をもたらすことになる。HB20は5000万人以上のユーザを持つプラットフォームにのみ適用されるが、修正第1条がオンラインコンテンツのモデレーションを保護しないとする裁判所の判断は、大規模プラットフォーム以外にも拡大適用されるおそれがある。ルイジアナ州、ミシシッピ州、テキサス州を管轄する第5巡回区では、この前例のない言論の自由の縮小によって、小規模で影響力も資金もないサービスが危険にさらされることになるだろう。我々の法廷助言書で取り上げた多数の中小オンラインサービスは、特定のコミュニティ、トピックまたは視点を取り上げるためにコンテンツモデレーションを実施しているのである。

HB20のような法律は、第5巡回区控訴裁が招く訴訟の嵐と戦う余裕のない多数のオンラインコミュニティを破壊することになるだろう。たとえ適法であっても、プラットフォームやユーザが不快感を覚える、あるいは自分とは無関係なコンテンツや言論を見たくないという場合もあるだろう。だが、プラットフォームがそうしたコンテンツを拒否(制限)したり、フィード上の優先順位を下げたりすれば、破滅的な結果を招くことになる。

第5巡回区控訴裁の判決は、たとえば慢性疲労症候群に苦しむ人々を支援するサイトに、その病気の存在を信じない人たちのコメントを掲載するよう義務づける法律をも可能にしてしまう。あるいは、銃を携帯する権利を訴えるサイトが、銃の権利に批判的なコメントを拒否できなくなったり、ホロコースト被害者を追悼するサイトがホロコースト否定論者のコメントを許可するよう強制される可能性もある。荒らしや嫌がらせのコメントの嵐に耐えきれなくなったプラットフォームは閉鎖を余儀なくされるかもしれない。

第5巡回区控訴裁の判決は、“民間による検閲”への懸念をもって“政府による言論統制”を正当化することを認めているのである。どのような政治的見解を持っていたとしても、この判決の危険性を認識してもらいたい。なぜなら、この判決は、自分が見たい、付き合いたいと思う言論や見解を自分が決めるという決定権を根本から変質させ、好ましくない言論から自分たちを遠ざける権利を奪うのである。コミュニティ主導の多様なフォーラムは、特定のトピックや特定の意見を持つ人々のために作られている(ほぼすべてのフォーラムがそうだといっていいかもしれない)。だが、それも今や国家の支配下に置かれる可能性が出てきてしまった。国家が反対意見を除去することを「検閲」と呼び、自らの利益のためにそうした意見の掲載を強要できるようになるのだ。

インターネット上には誰もが楽しめる何かがある。それがインターネットのあるべき姿なのだろう。もちろん、大規模プットフォームのモデレーションが、正当な言論を封じ込め、オンラインでの議論を抑制する可能性があることは事実である。だが、EFFが繰り返し主張してきたように、一握りの大規模サービスの寡占化に対処するためには、ビッグテックの影響力を弱め、消費者にもっと多くの選択肢を与えることが必要とされているのである。反トラスト法の改正、相互運用性の許可、さらにサービス間の競争を高めるための措置が必要なのだ。

こうした取り組みにより、あるサイトで表明された見解が気に食わなければ、ソーシャルネットワークを維持しつつ別のサイトに移行することができるし、自分の見解や関心を反映した言論を受け入れるプラットフォームの数も増えることになる。

だが残念ながら、第5巡回区控訴裁の判決は、ユーザが選択できるサイトの数を減らすだけで、プラットフォームの支配力を変えることも弱めることにもならないだろう。というのも、第5巡回区控訴裁が述べているように、最大手のサービスはHB20に基づく訴訟を争うための膨大な法的リソースを有しているのである。大手は生き残れるだろうが、HB20や類似の法律の標的となる小規模なサイト群はそうはいかない。

最高裁がこの悲惨な法律を破棄し、オンラインサービスとそのユーザの修正第1条の権利を損なう第5巡回区控訴裁の危険な論理を否定することを望む。

Court’s Decision Upholding Disastrous Texas Social Media Law Puts The State, Rather Than Internet Users, in Control of Everyone’s Speech Online | Electronic Frontier Foundation

Author: Karen Gullo / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: October 6, 2022
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Philipp Katzenberger