以下の文章は、Open Rights Groupの「Musk and Zuck: Engineering Free Speech」という記事を翻訳したものである。

Open Rights Group

言論の自由の保護という理念に隠れ、政府権力とビッグテックの企業権力との憂慮すべき連携が進んでいる。イーロン・マスクとマーク・ザッカーバーグは、言論の自由を守ると公言しながら、実際には第二期トランプ政権の政治的利害と企業権力を融合させようとしている。彼らの動きが強い警戒を呼び起こしているのも、至極当然のことである。

政治‐企業のバブル

グローバルなソーシャルメディアの巨人たちが、トランプ時代の「言論の自由」を語るとき、そこにはどのような意図が潜んでいるのだろうか。MetaとXは、もはや誤情報や偽情報は重大な課題ではないと言っているのだろうか。あるいは、虚偽や詐欺師の言論にまで保護を与えようというのだろうか。国家主体が後ろ盾となっているとなれば、誤解や虚偽への対応はより複雑かつ深刻な問題をもたらし、大規模な解決策の実装も容易ではない。

Metaは、トランプの同盟者であるジョエル・カプランをグローバル・ポリシーチーム責任者に任命した。これは同社の方向性を決める重大な転換点と言える。この任命に続き、ザッカーバーグはビデオで Metaの変更を発表し、ファクトチェックとアルゴリズムによるモデレーションシステムに関する同社アプローチの問題点に言及した。その問題点を詳細に見ていくことにしよう。

アルゴリズムによるモデレーション

第一に、アルゴリズムによるモデレーションシステムの欠陥は誰の目にも明らかだ。Open Rights Groupはオンライン安全法[Online Safety Act]の審議過程で、これらの自動検閲ツールの義務化に反対するキャンペーンを展開し、警鐘を鳴らし続けてきた。政府がソーシャルメディア企業に対し、政治的アジェンダに沿った形でアルゴリズムを展開するよう圧力をかければ、事実上、コンテンツの事前検閲が可能になる。だが、説明責任のないアルゴリズムによるモデレーションを排除し、別の緩やかなモデレーションに置き換えただけでは、ユーザは依然として無力なままに置かれ、むしろ脆弱になるおそれすらある。

さらに、「何が削除されるか」という問題と同じくらい、「どのようなコンテンツがなぜ推奨されるのか」という点も重要である。Metaが提案するアプローチは、すべてがトップダウンで中央集権的であり、現状ではMetaのサービスを利用するユーザには、彼らのルールに従う以外の選択肢は与えられていない。

利用規約の対象として

第二に、Metaのモデレーションルールの緩和は、必ずしも表現の自由に前向きな措置ではない。Metaのサービスは極めて多様なコミュニティに利用されており、制限の変更は光と影の両面を持つ。オンラインコミュニティにおけるユーザ間の礼節の確保は、たしかに正当で必要な目的だ。しかし、大規模なモデレーションとなると、その実現は途方もなく難しい。

Metaのコンテンツ受容基準は、迅速な判断を可能にするよう設計されているが、その恣意的な線引き(これは良いが、あれはダメ)が結果的に混乱を招いている。ヌードや成人向けコンテンツの制限、「暴力的」コンテンツの禁止などは、たびたび問題を引き起こしてきた。侮辱的で攻撃的な発言を許容するよう設計された今回の変更は、有害な行為を正当化する結果を招きかねない。除外規定の削除の多くは、建設的な言論の自由を促すどころか、むしろヘイトスピーチを蔓延させる土壌を作り出すことになる。

これは深刻な事態を引き起こしかねない問題だ。例えば、ミャンマー・ロヒンギャの民族集団としての存在を否定するFacebook上の投稿は、ジェノサイドの引き金となった。一度はMetaの規制対象となったこれらの投稿が、今また許容されようとしている。特に英語以外の言語圏での過激なコンテンツへの対応は、依然として手つかずの課題として残されたままだ。このような状況下で、モデレーションの課題を「過度の規制」という一面的な問題としてのみ捉え、現実世界での被害を軽視するような方針転換は、Metaの進むべき方向性として極めて危うい。

大規模なモデレーションルールの変更には、慎重な検討と段階的なアプローチが不可欠である。その判断は、人権原則と影響評価に基づいて行われなくてはならない。Metaのチームには、ルール変更の背景にある具体的な根拠と人権分析、そしてユーザの安全確保に向けた具体的な展望について説明すべきである。しかし、政治的な思惑が透けて見える今回の発表は、同社の意思決定プロセスへの信頼を大きく損なうことになった。

ファクトチェック、Community Notes

第三に、中央集権的な権威によって任命された専門家集団によるファクトチェックには、確かに限界がある。こうしたシステムは、任命権者への信頼に依存している。だが、その権威が権力を乱用したとき、一体どうなってしまうのか。そして、一体誰がファクトチェッカーを監視するのか――Quis custodiet ipsos custodes?(番人を監視するのは誰か)

Community Notesに代表されるコミュニティ主導の取り組みは、一つの代替アプローチを提示してはいる。ただ、これには「多数派の専制」という哲学的・倫理的ジレンマがつきまとう。いずれにせよ、ファクトチェッカーであれCommunity Notesであれ、誤情報への対策として一定の効果はあるかもしれないが、虚偽情報が生まれ、拡散される根本的な原因に対処するものではない。その一因は、プラットフォーム自身のビジネスモデルにある。広告収入の最大化を目指す推奨アルゴリズムは、バランスの取れた慎重な意見よりも、過激なコンテンツを優先的に表示する傾向がある。

また別の要因は、より社会構造に根ざしている。単純な説明に飛びつきたくなる人間の性向、社会からの疎外感、そして公平さを実感できない政治の現状――こうした問題への対処は、一朝一夕にはいかない。さらに深刻なのは、潤沢な資金を持つ国内外のアクターたちが、こうした社会不安を意図的に操作しようとしていることだ。彼らの策略に対抗するには、政府主導による根本的な取り組みが不可欠である。

ビッグテック / ビッグメディア

マスクやザッカーバーグによるソーシャルメディアの企業利益と政治的利害の再編成は、過去の教訓を思い起こさせる。かつてはメディア企業も、同様の批判にさらされ、英国では、マードック・ニューズ帝国の支持なしには選挙に勝てないとまで言われた時代があった。今、世界一の富豪マスクはTwitter(現X)を手中に収め、それを自身の世界観を増幅させるプラットフォームとして使用し、英国政府を直接攻撃している。ビッグテックの持つプラットフォーム権力は、今や政治的武器と化し、マスクのような人物が政治家を攻撃できるようにする一方で、時として報道の自由さえも抑圧している

一方のザッカーバーグは、コンテンツ検閲をめぐる過去の政治的圧力と、トランプ政権下での新たな政治的方向性について語っている。だが、かつての圧力への屈服と、現政権との蜜月関係は、不穏な構図を浮かび上がらせる。マスクが自身のプラットフォームを通じて個人的な視点を押し付けているのに対し、ザッカーバーグの戦略はより巧妙だ。Facebook、Instagram、Messenger、WhatsAppという4大ソーシャルメディアを傘下に収めるMetaの支配力と、監視資本主義のビジネスモデルを維持するため、現在の政治的風土に適応させているのである。

独占の終焉

こうした権力の乱用に対する解決策は、インターネットに対するビッグテックの独占的支配を解体することにある。我々はこれまでも繰り返し主張してきた。競争法の強化とデータ保護権の厳格な執行を通じて、ソーシャルメディアの実質的な主権をユーザの手に取り戻さなければならない。従来のメディアで目指されてきた多元性は、ソーシャルメディアの世界でも同様に追求されるべき理想なのである。

これらの権力乱用に対する解決策は、インターネットに対するビッグテックの独占的支配を解体することにある。我々が繰り返し主張してきたように、これには競争力の強化とデータ保護権の執行を通じて、ソーシャルメディアのユーザに権力を移行させなければならない。従来のメディアで目指されてきた多元性は、ソーシャルメディアの世界でも同様に追求されるべき理想だ。

この1年で、多くのユーザがXのようなプラットフォームから離れ、Mastodon、Fediverse、BlueSkyといった代替サービスを選択するようになってきている。しかし、大多数のユーザは依然として、ビッグテックが築き上げた「囲い込まれた庭」から抜け出せないでいる。なぜなら、私たちの日常生活のあらゆる側面が、すでにそれらのプラットフォームに深く組み込まれているからだ。家族や友人、フォローするジャーナリストとのつながりを維持するためだけに、好むと好まざるとにかかわらずFacebookやXに縛り付けられている。こうした「ネットワーク効果」は、ユーザだけでなく、組織や広告主をも縛り付け、ビッグテックの支配的な地位を盤石なものにしている。

競争

誤情報の氾濫とビッグテックの権力乱用(そして我々のプライバシーと個人データの収奪)を懸念するのであれば、政治家はオンラインでの公正な競争を促進するための具体的な措置を講じるべきだ。Fediverseのような分散型ソーシャルメディアの仕組みは、その一つの可能性を示している。個々のコミュニティが、特定の企業の支配から独立してコンテンツをホストする重要な一歩となり得る。プラットフォーム間でのシームレスなコミュニケーションを可能にする相互運用性標準は、ビッグテックの支配力を減じることにもつながる。BlueSkyが構想しているように、中央集権的なシステム内でも、代替的な優先順位付けとモデレーションエンジンを可能にする他の措置を講じることができる。

法規制

データ保護法の厳格な執行もまた、個人データの悪用、違法なユーザプロファイリング、そしてビッグテックの独占的地位をさらに強化するためのAI開発に向けたデータ収集――これらの慣行に法的な歯止めをかけ、変化をもたらすことができるはずだ。

このまま手をこまねいていれば、事態は深刻な方向に進むだろう。オンライン安全法のような、問題の表層的な症状に対処するだけの施策では、せいぜい最も露骨な有害コンテンツを取り締まるのが関の山だ。最悪の場合、過度なコンプライアンスリスクを恐れた健全なオンラインコミュニティが、次々と姿を消していくことになりかねない。トランプ政権の復活は、この状況をさらに複雑にする。英国のOSAや欧州のデジタルサービス法でさえ、米国企業への規制をめぐる通商上の圧力にさらされることになるだろう。その本質的な目的は、米国や欧州においてトランプの同盟者に都合の良い情報環境を作り出すことにある。こうした事態が可能になるのも、ソーシャルメディアの力が少数の企業に集中し、独占的な構造が温存されているからに他ならない。

私たちの自由で公正な社会を守るために、今こそビッグテックの独占を解体し、多様でユーザ主導のプラットフォームを育てなければならない。

Musk and Zuck: Engineering Free Speech | Open Rights Group

Author: James Baker / Open Rights Group (CC BY-SA 3.0)
Publication Date: January 09, 2025
Translation: heatwave_p2p