以下の文章は、コリイ・ドクトロウのPluralisticに掲載された「A useful, critical taxonomy of decentralization, beyond blockchains」という記事を翻訳したものである。

元記事は、Wiredの「Web3における分散化の議論はなぜすれ違うのか」という記事をベースにしているので、興味のある方はそちらもご覧いただけると理解がはかどるだろう。また、この記事の派生的な議論、周辺の議論についてたどるなら、WirelessWire Newsの「Web3の『魂』は何なのか?」も有益な記事である。


私はWeb3、分散化、暗号通貨の議論に巻き込まれ続けている。こうした技術の背後にいる人たちのレトリックや表明されている目標の多くが、暗号理論へのアクセス、分散型コミュニティ(かつてP2Pと呼ばれていたもの)といった私の長年のテーマと交差しているのだから、当然と言えば当然ではある。

「巻き込まれる」と言いたくなってしまうのは、レトリックが重なっているにも関わらず、私自身の考えとWeb3の支配的なエートスとの間に著しいイデオロギーの相違があることを感じているからだ。一般には、市場が良きインセンティブと分配を生み出す状況は稀有であり、そのルールを設定する責任あるガバナンスに大きく依存している。

もちろん、市場を全否定したいわけではない。「カウボーイ・エコノミスト」ことジョン・ハーヴェイが言うように、目標の達成には常に市場が必要だし、そうではないという経済学者は「木材は釘で接ぐべき、ネジを使うのは共産主義者だ!」とわめく大工みたいなものである。

つまり、市場はツールであって倫理的要請ではない。web3プロジェクトの中核は、市場をその価値以上に過剰評価しているというところもあるが、市場の問題を「規制当局がもたらす歪み」の結果として捉え、市場が良く機能する上で不可欠な責任あるガバナンス(別名「規制緩和」)を排除しようとしているように見えてしまう。

つまり、20年前のオライリーP2Pカンファレンス(委員として参加)で交わしたようなエキサイティングな議論をweb3支持者とすることがあっても、その表面下には深い溝がある。

表面的ではあるが、その一例を紹介しよう。この記事を書きはじめるにあたって、まずアイキャッチの画像をどうしようかと思案した。画像検索をしてみて、それで古いオックスフォード英語辞典の「分散化」の定義を写真に撮って、各種分散化モデルを説明するおなじみのトポロジー・ダイアグラムとマッシュアップするという月並みなやり方に頼ることにした。

ダイアグラムの高解像度のCCライセンス版を探してみたものの、結局は空振りに終わった。もちろん、ダイアグラムはたくさんあった。でも、みんなプロプライエタリ・ライセンスで、そのほとんどがweb3への「投資」を考えている金融投資家向けのニュースサイトに掲載された画像だった。

少し困惑したが、そこでひらめいた。web3の分散化ダイアグラムは、P2P時代のそれにそっくりだ、と。”p2p network diagram”で検索してみると、CCライセンス(しかも激レアなスペインのCC BY-SA 2.5ライセンス!)であることを除けば、プロプライエタリなweb3の図と本質的に同じ画像を入手できた。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:P2P_Topology.jpg

この10年前の画像は、P2Pとweb3の明確な違いを象徴している。前者は共有と寛容性に訴えることで直接的に公共財を生み出した。後者は投機に訴えることで私的財を生み出したが、これが公共財を生み出すのだと主張する。

この主張のすべてがデタラメだというわけではない。最近のダニー・オブライエンとThe Blockchain Socialistの議論は、web3界隈の市場懐疑的な急進左翼という興味深い存在を概説し、我々がそういった人たちに十分に注意を払っていないという事実を嘆く。たしかにそれは真実かもしれない。

https://theblockchainsocialist.com/are-we-a-psyop-to-left-wash-crypto/

このことは、ディヴヤ・シッダールト、ダニエル・アレン、E・グレン・ワイルの3人(うち2人はRadicalxChangeに関わっている)の記事「Web3における分散化の議論はなぜすれ違うのか」を目にしたときにも頭をよぎった。

https://www.wired.com/story/web3-blockchain-decentralization-governance/

著者たちはまず、ブロックチェーンの「グローバルな冗長性(global redundancy)」モデル(相互に信頼できない者同士が運用する多数のコンピュータが、全員が信頼できるシステムを共同で構築する)と、「権限委譲(subsidiarity)」モデルとを区別することから始める。

権限委譲モデルは、データを「作成時の社会的状況にできるだけ近づけ」、連合して相互運用可能な「複数のソリューション」に依存し、そして「オンラインとオフラインの信頼と制度」を活用・拡張する。

では、この権限委譲は現実世界ではどのようなものなのか? TCP/IPに始まり、Activitypub標準(Mastodonの基盤/訳注:非中央集権型の分散 SNS のオープン標準)、メッシュネットワーク、Wikipedia、Redditコミュニティ・モデレーション、連合学習、そして「社会的ローカルIDシステム」といったエキゾチックな技術もある。

それとは対照的に、ブロックチェーンやグローバルな冗長性プロジェクトは、「データから社会的文脈を最大限削除」し、社会関係ではなくトランザクションに依存し、あらゆる文脈で機能する「普遍化されたソリューション」を追求し、「グローバルな合意と冗長性検証」に依存する。

グローバルな冗長性モデルの技術設計と理念は、セキュリティと堅牢性の提供を意図してはいるが、中国のマイニング禁止令やカザフスタンの暗号マイニングの不安定化などで露見したように、不安定で脆弱である。

https://restofworld.org/2022/crypto-miners-fleeing-kazakhstan/

さらに、市場ベースのアプローチは冗長性と相容れない。このツールは利益を追求する利己的なマイナーに依存し、規模の効率性を実現できるため、統合が進み、大半の個人マイナーが淘汰され、大規模マイナーであってもマイニングプール・コンソーシアムに押し込まれてしまう。

2つのアプローチを対比したわかりやすい表を載せておこう。権限委譲モデルが「社会的文脈」に依存するのに対し、グローバルな冗長性モデルは「文脈なし」である。権限委譲には「コモンズ・ガバナンス」があり、グローバルな冗長性には「コイン投票ガバナンス」がある。こうした対比は抽象的ではあるが非常に重要だ。たとえば権限委譲は「分散型パーミッション」を用いているが、グローバルな冗長性は「代替可能資産によるパーミッション」である。

著者たちはこのフレームワークを用いて、web3の3つの主要なプログラム――「アイデンティティとレピュテーション」「データのエンパワーメント」「組織のイノベーション」を検討し、権限委譲モデルとグローバルな冗長性モデルのアプローチを対比していく。

グローバルな冗長性モデルは、仮名台帳(pseudonymous ledgers)のアイデアに基づいているため、アイデンティティに悪戦苦闘している。その設計上、ブロックチェーンベースのシステムは多数のIDを容易にセットアップできることから、パーミッションレス・ブロックチェーンの主要な設計課題は、悪意ある行為者が複数のIDをセットアップし、多数派のフリをしてプラットフォームに影響を与える「シビル攻撃」を防ぐことにある。

これはグローバルな冗長性システムにおける実際的な問題であり、すでに多数の解決策が提案されている。現時点での最有力候補は、ユニークな生体情報を収集して個人の証明(PoP: Proof of Personhood)に使うというもので、プライバシー(攻撃者に生体情報を悪用されても上書きできない!)と公平性(誰もが目、指紋、その他DNA以外の生体情報を持っているとは限らない、それ自体が悪夢)の両面から多数の問題を抱えている。

https://www.buzzfeednews.com/article/richardnieva/worldcoin-crypto-eyeball-scanning-orb-problems

権限委譲モデルのもとでは、アイデンティティは「関係性(従業員、市民、学生、プラットフォームへの貢献者としての地位)」であり、「ユニバーサルな識別」ではない。著者たちは「信用の輪 (Web of Trust)」などの歴史ある暗号プロトコルを挙げて、「Spritely、BackChannel、KERI、Āhau、ACDC」など、かつてのPGPスタイルのキーサインパーティの現代版を見出そうとしている。

グローバルな冗長性モデルのフレームワークでは、「データのエンパワーメント」はほぼデータ所有権に集約される。つまり、我々一人ひとりが個人用データ保管所を持ち、市場ベースの入札や販売に基づいて企業にアクセスを許可する。だが、これはうまく機能しない。価値あるデータの大半は、2人以上の相互作用によって生み出される「関係性(relational)」である。必然的に、買い手は最低価格の売り手を探すようになる(メールを送信した相手が、あなたよりも内容の価値を低く評価する場合など)。

情報を財産として扱うのは筋が悪い。情報に価値がないのではなく、市場システムでは情報の価値をうまく捉えられないのだ。人間には価値があるが、それは売り物だからではない。人間に価値があるからこそ、売り物ではないのである。

https://www.theguardian.com/technology/2008/feb/21/intellectual.property

こうしたデータ市場の「関係性」問題を越えて、最も価値のある情報が集約される、ということがある。Facebookはあなたのデータから大金を稼いでいるのではなく、あなたのデータを他の何十億ものデータとを組み合わせることで価値を生み出している。したがって、「データ配当金(Data Dividend)」(Facebookがあなたのデータにお金を支払うこと)というアイデアは、まったくのデタラメなのである。

https://www.eff.org/deeplinks/2020/10/why-getting-paid-your-data-bad-deal

また、不平等とデータ市場の問題もある。プライバシーが人権であるのなら、それは贅沢品であってはならない。データに値段をつけることでプライバシーを保護するというのなら、それは持たざる者がより多く自分を切り売りしなければならないということを意味する。

著者らは別の道があると主張する。「データ共同体、データ協同組合、データ・トラストなどの社会的・法的概念と、連合学習やセキュアなマルチパーティ計算などのデータ処理のプライバシー保護・強化技術と組み合わせる」というものだ。

彼らはその事例として、メンバーから企業によるデータマイニングの同意を得てローンの借り換えを提案する信用組合や、略奪的な融資を分析する公的機関の例を挙げる。

これはベン・ゴールドエーカーが先日発表した『より良く、より広く、より安全に・保健データの研究・分析への活用』(NHSが保持する膨大な保健データを利用した安全で責任ある効果的な研究プログラムに関する報告書)を思い起こさせるものでもあった。

https://www.gov.uk/government/publications/better-broader-safer-using-health-data-for-research-and-analysis/better-broader-safer-using-health-data-for-research-and-analysis

ゴールドエーカーは、NHSが管理・運営するオープンで相互運用可能なコードを基盤とする「信頼できる研究環境(Trusted Research Environments)」の構築を提唱している。研究者がデータに直接アクセスすることはなく、NHSの完全な管理下にあるセキュアな環境で、データに対してセキュアにクエリを実行できる、というものだ。

web3の中心的機能に、DAO(分散型自律組織:Distributed Autonomous Organization)がある。ブロックチェーンに基づくスマートコントラクトで管理された組織で、説明責任のある「ピア・ツー・ピアのホロクラティックなコミュニティ」の構築を目的としている。私も著者らもこの言葉の響きをたいそう気に入っているが、DAOが自ら掲げる目的を達成できるかという点では、私も著者らも懐疑的だ。

グローバルな冗長性フレームワークでは、DAOはスマートコントラクトのバグに悩まされてきた。スマートコントラクトは「二重の複雑性」の問題を抱えており、それを克服するにはコードと金融用語を理解できなければならないのだが、その両方を兼ね備えた人はそう多くはない。

https://pluralistic.net/2022/03/02/shadow-banking-2-point-oh/

著者たちは「柔軟性と自動性」の緊張関係、すなわち変化する文脈に適切に対応するコミュニティの能力と、スマートコントラクトの自動的かつ瞬間的な実行との間の緊張関係を明らかにしている。

まさに、ヒラリー・アレンが「舵取りなき金融(Driverless Finance)」と呼び、2008年の金融危機を引き起こし、加速させた「遺書」(柔軟性にかける融資条件)になぞらえたものである。

https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=4038788

DAOは「民主的ガバナンス」によってパッチを当てようとしているが、アイデンティティのグローバルな冗長性モデルに拘束されるために、「1人1票」の問題に直面せざるをえない。一般に「1トークン1票」をデフォルトにしているため、クジラの小集団が投票によって、大多数の雑魚の金をすべて吸い上げてしまえる状況が作り出されている。

もう1つのパッチは、Web 2.0スタイルのガバナンスに頼る――つまりグローバルな冗長性を放棄して、まさにグローバルな冗長性モデルが排除しようとしてきたあらゆる脆弱性モード・故障モードを持つ中央集権的なツールを採用することである。

権限委譲モデルでは、「プラットフォーム協同組合」や「Exit to Community」といった、所有権をコミュニティに移譲する組織化アプローチを採る。また、著者の2人が携わる非営利プロジェクト「Radicalxchange」についても述べられている。

https://www.radicalxchange.org/about/

彼らは、「二次の投票(quadratic voting)」などのコミュニティ構造における革新的投票システムや、Pol.isやLoomioのような民主的協議ツールに大きな関心を寄せ、公共財に資金を投入する手法としてGitcoinを支持してもいる。

こうしたアプローチの差別化のポイントは、「買収や純粋な金銭的契約ではなく、コミュニティの参加とエンパワーメントに焦点を当てた大規模な協同関係を構築するため組織の連合」である。

このエッセイは実に魅力的で示唆に富んでいる。とりわけ、あらゆる資産の価格が暴落し、暗号「資産」がまさに崩壊しつつある瞬間にあっては。

https://www.ft.com/content/5887ef43-d43a-4608-a1ac-aacc99f076b9

投機的バブルの崩壊で貧乏くじを引くことになるのは、経済的安定を望んでいたはずの普通の人たちだ。特に大きな打撃を受けたのは、NFTで資金調達しようとしていたアーティストたちである。モリー・ホワイトは、本日のブログ記事でこの現象について考察している。

https://blog.mollywhite.net/digital-artists-post-bubble-hopes-for-nfts-dont-need-a-blockchain/

(注:もしホワイトのことを「Web3 is Going Great」でバズっただけの人だと思っているなら、それは思い違いだ。彼女のブログの長編エッセイは必読である)

ホワイトは、NFTの価値を生み出したとされる暗号署名による一意性というものは、ブロックチェーン独自のものではなく、そもそもアーティストが長い間やってきたことだと指摘する。たとえばPGP署名のついた作品というのも、ニッチではあるが確立したカテゴリである。

以前、フロリダの高校の校長が、私の小説『リトル・ブラザー』を生徒に読ませまいとして、学校の夏期読書プログラムを違法に中止した。私はそのとき、生徒たちに紙の『リトル・ブラザー』をダンボールにつめて無料で送ったのだが、それ以外にも、PGP署名した個人宛のコピーを数十人の生徒に電子メールで送付したりもした。

https://www.latimes.com/books/jacketcopy/la-et-jc-cory-doctorow-book-pulled-from-florida-schools-20140610-story.html

とはいえ、PGPは基本的にはクソである。使うのも難しいし、使いこなすのはもっと難しい。実際、PGPは老朽化(creaky)してもいるので、ほとんどの人から存在しないに等しい扱いを受けている。ここでは、相互運用可能なエンドツーエンド暗号化メッセージングを義務づけたEUのデジタル市場法をめぐる議論を例に取ろう。デジタル市場法の反対派は、この法律がメッセージングツールのセキュリティを損ね、世界中の数十億のユーザを危険に晒すおそれがあるとの真っ当な懸念を抱いているが、一方で相互運用可能なエンドツーエンド暗号化メッセージングは不可能だとも主張している。

https://doctorow.medium.com/end-to-end-encryption-is-too-important-to-be-proprietary-afdf5e97822

さて、反対するテクノロジストたちは当然PGPのことは知っている。30年も前の技術なのだから、知っていて当然だ。つまり、彼らの言う「E2EE/相互運用可能なメッセージングは不可能だ」は、「誰もが使えるような方法でやるのは不可能だ」という意味なのである。というのも、いまやPGPを使っている人はほとんどおらず、一方でWhatsappは数十億人に使われているのだ。

だが、PGPが何をするにも面倒だから役立たず(wonky)だという言説には承服しかねる。忘れてはならないのは、PGPは30年前に開発されたもので、すでにそのリソースは劇的に不足している。スノーデンはジャーナリストとのやり取りに使ったPGPは、たった1人の、片手間のボランティア・メンテナに支えられていたのだ。

https://www.businessinsider.com/the-worlds-email-encryption-software-relies-on-one-guy-who-is-going-broke-2015-2

以前にも書いたように、「OpenPGPの真の教訓は、相互運用可能なエンドツーエンド暗号化は実現可能だが、Windows 3.0が動作するCompaq 486 IBM PCクローン上で実行できるように設計しなきゃならないとか、プロジェクトのメンテナンスが複数のエンジニアではなく、たった一人のボランティアの空き時間に頼っているだとかいう状況では難しい」ということなのである。

そこで公共財の話に戻る。PGP署名のついたユニークなデジタルアート作品というホワイトのアイデアは確かに素晴らしい。だが、投機なくして、人びとがそれを使えるようにするコードがどうやって作り出されていくというのだろうか。30年間の技術的負債を考えれば、PGPを諦めて一からやり直さなければならないのかもしれない。だがやり直すにしても、やはり投資は必要なのである。

(Image: Txelu Balboa, CC BY-SA Spanish 2.5, modified)

Pluralistic: 12 May 2022 – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: May 12, 2022
Translation: heatwave_p2p

カテゴリー: Monopoly