以下の文章は、電子フロンティア財団の「As Platforms Decay, Let’s Put Users First」という記事を翻訳したものである。

Electronic Frontier Foundation

ネットが「それぞれに他の4つのウェブサイトのスクリーンショットで埋め尽くされた5つの巨大なウェブサイト」に支配されてしまったことは、決して不思議なことではない。とはいえ、決して予測されていた結末でもない。むしろ、大企業と政治家は40年にわたる意図的な行動の末に、反トラスト法を昏睡状態にしてきたのだ。今こそ、反トラスト法を眠りから目覚めさせなければならない。

規制当局や政治家が、インターネットを人間にとってよりよい場にしたいと考えるなら、最優先にすべきはユーザに力を取り戻させることだ。インターネットが約束したのは地理的な制限を取り払うことだけではない。大企業や抑圧的な国家が作り上げた障壁をも取り去ることを約束した。だが、大企業は障壁が低減された世界で足場を固め、一転して自ら新たな障壁を築き上げた。その結果、何十億人もの人々が“嫌だけど離れられない”と感じるプラットフォームに閉じ込められてしまったのである。

プラットフォームは予測可能なライフサイクルをたどる。まず、エンドユーザに良き取引を提供する。初期のFacebookユーザは、大切な人たちの更新情報のみで構成されたフィードと、プライバシー保護を約束された。初期のGoogle検索ユーザは、広告ではなく、ユーザにとって最適であろうと推測された検索結果を提供された。かつてのAmazonユーザは、画面を埋め尽くす「スポンサード」結果をかき分けなくとも、探している商品を簡単に見つけることができた。

だが、ユーザの厚遇は一時的なものに過ぎない。今日のプラットフォームは、集団行動問題「最恵国待遇」規定競合他社を妨害する談合的な裏取引、コンピュータ犯罪法、デジタルライツマネジメント(DRM)など、あらゆる手段を駆使してユーザを囲い込んでいった。いったんユーザを手中に収めると、プラットフォームはもともとユーザが望んでいたものを剥奪し、ビジネス顧客を引き付けるためにユーザを冷遇するようになる。つまり、プラットフォームはあなたが求めているものを見せる代わりに、あなたの時間と注意を売り物にするようになるのだ。

たとえば、Facebookはユーザをスパイしないという約束を反故にし、大規模な商業的監視システムを構築して、安価で高精度なターゲティングを広告主に売り込んだ。Googleは検索エンジンを広告で汚さないという約束を破り、広告主に良い取引を持ちかけた。Amazonはマーケットプレイス販売業者の送料と返送料を負担してやった(後にそのコストは販売業者に添加されるようになるのだが)。YouTubeはパフォーマーに高収入を約束し、多くのパフォーマーがYouTubeでビジネスを展開するようになった。

ビジネス顧客への厚遇も、エンドユーザへのそれと同様に長くは続かない。ビジネス顧客がプラットフォームに依存するようになると、プラットフォームの寛大さは終わりを告げ、株主のために価値を引き上げ始める。Facebookは広告市場を不正に操作して出版社や広告主から搾取し、Appleはアプリ制作者への手数料を引き上げ、Amazonでもサードパーティ製品の価格に多額のジャンクフィーが上乗せされるようになり、Goolgeは検索の質が低下し、詐欺ページが検索結果に溢れかえっているのを尻目に、今後27年分の従業員の給与に匹敵する額の自社株買いを行いつつ、1万2000人の従業員を解雇した。ユーザとビジネス顧客からほぼすべての価値を吸い上げるプラットフォームは、極めて危ういバランスの上に成り立っている。サービスの劣化、プライバシー侵害やモデレーション・スキャンダルなどの“やらかし”による規制当局からの監視強化、スキャンダルや悪評の拡散という悪循環に陥っている。その価値は、もはや独占者であることにしかない。

テック・スキャンダルが頻発する状況にあって、政治家や規制当局はインターネットユーザを保護する方策を模索している。確かに優先すべきことだ。プラットフォームには栄枯盛衰がある。プラットフォームがユーザに価値あるものを提供できないのであれば、滅ぶべきなのだ。そのようなプラットフォームにユーザの保護を期待しても意味はない。我々が第一に考えるべきは、ユーザなのだ。

プラットフォームの劣化からユーザを守るためには、ユーザがコントロールを取り戻すことからはじめなければならない。ユーザは、欺瞞的で粗雑なプラットフォームのルールから保護される資格があり、利用するプラットフォームに代わる選択肢を持つ資格がある。そして、ユーザは乗り換えを阻む人為的な技術的・法的障壁によって大きな代償を支払わされることなく、そのオルタナティブを選択する権利を持たなければならない。

プラットフォームの劣化からユーザを保護する2大原則

我々は今、長らく待望されてきたプラットフォームによる濫用への規制法制化の動きの真っ直中にある。プラットフォームはそれぞれに技術的な複雑さを抱えているので、あるプラットフォームのユーザを保護するための政策が、本当に意図した効果を発揮するのかを確認するためには、細かな分析を行わなければならない。EFFなどの専門家はまさにその細部にこだわり続けているのだが、とはいえ、その細部さえもやはり大局的に決定されるものである。

以下では、ユーザの保護に不可欠かつ、他の選択肢と比較して実施が容易であると考えられる2大原則を紹介したい。

これら原則がどのように実施されるかは様々で、慎重に行われるのであれば直接法律として具現化するかもしれないし、規制当局との和解や訴訟のなかで実現するかもしれない。あるいはさらに望ましいのは、プラットフォームや技術者、開発者が自主的に採用するとか、投資家や出資者(たとえば非営利団体や自治体)によって実施されることだ。これらの原則は、技術的有効性を判断するためのものではなく、公益のためのインターネット(public interest internet)を構築する上で有効な施策であるかを判断するために、そのソリューションを評価するフレームワークとして意図されている。

原則1:エンドツーエンド:意思を持った話し手と意思を持った聞き手をつなぐこと

エンドツーエンドの原則は「ネットワークの役割は、意思を持った送信者から意思を持った受信者にデータを確実に届ける」というインターネットの根幹をなすアイデアだ。このアイデアは、1981年に公式化されて以来、数十年にわたってさまざまなかたちで変化してきた。身近な例で言えばネットワーク中立性、つまり「ISPはあなたが要求するデータを可能な限り迅速に、確実に送らなければならない」という考え方だ。中立的なISPであれば、ユーザがリクエストした動画をすべて「ベストエフォート」で送達するが、中立的でないISPは自社が提携するストリーミングサービスの動画だけをベストエフォートで送達し、ライバルが配信する動画は遅くしているかもしれない。

あなたがISPと契約したのは、あなたが望むコンテンツや接続を得るためであって、ISPの投資家があなたにさせたいことをするためではない。

ソーシャルメディア、検索、電子商取引、メールなど、インターネットの「サービス層」においても、エンドツーエンドの原則の一種が果たすべき役割があると我々は考えている。いくつか例を挙げよう。

  • ソーシャルメディア:誰かのフィードを購読したのであれば、その人の全ての投稿を閲覧できなくてはならない。パフォーマーが自分の創造の成果を、それを見たがっている人に届けるのに、不透明なコンテンツ・レコメンド・システムのルールを予測して回避しなければならない、ということはあってはならない。もちろん、レコメンド・システムはあっていい。だが、ソーシャルメディアユーザが、プラットフォーム側の宣伝したい人(あるいは宣伝のためにお金をもらっている人)たちの投稿をかき分けずとも、フォローしている人たちの投稿を見る方法を提供されねばならない。
  • 検索:検索エンジンが、ユーザの検索に完全に一致するもの――たとえば検証済みの地元商店のリスト、検索ワードに入れたタイトルと正確に一致する文章を含む文書、検索ワードと名前が一致するウェブサイト――を保持しているなら、その結果は検索画面の最上位に表示されるべきである。複数の類似企業の広告や、カネを支払った詐欺サイトが最適な結果を押しのけて最上位に表示されるべきではない。
  • 電子商取引:Eコマース・プラットフォームは、検索ワードと名前や部品/モデル番号が完全に一致する製品をリストしている場合、その製品の検索結果を、プラットフォームのプライベートブランドの同等品や、「スポンサード」の類似製品よりも上位に表示すべきである。
  • 電子メール:ユーザが送信者を「信頼できる」とマークしたのであれば、そのメールをスパムフォルダに入れるべきではない(ただし、スキャナーでフラグが立ったメッセージに、添付ファイルやリンクの警告を付与することは問題なかろう)。簡単に送信者を「信頼できる」とマークできるべきである。アドレス帳に登録されている送信者は、自動的に「信頼される」べきだろう。

原則2:離脱の権利:ダメなプラットフォームを損害とみなし、回避すること

多くの人が大規模プラットフォームは“嫌だけれど離れられない”ものだと思っている。ソーシャルメディアユーザは、友人たちみんなを説得して離脱させ、どこに移行するかの合意を得なければならない「集団行動問題」によって囲い込まれている。パフォーマーやクリエイターも、新たなプラットフォームに移ればファンがそれまで購入したメディアを失うことになるため、囲い込まれている(彼らのファンも、彼らが大好きなクリエイターがプラットフォームにとどまっているために離脱できずにいる)。

プラットフォームのユーザが他所へ移行しやすくすることは2つの重要な効果をもたらす。1つは、価値をユーザから自分たちに移そうとするプラットフォームのオーナーたちに自制を促すことができる。ハラスメントや詐欺を黙認したり、監視を強化したり、価格を吊り上げたり、侵入的な広告を許容してプラットフォームを劣化させれば、高い代償を支払うことなく離脱できるユーザの大量流出を誘発することになるからだ。

もう1つ、それと同じくらい重要なのは、もしプラットフォームがこの脅威によっても自制できないならば、ユーザは悪しきプラットフォームを損害とみなして離脱し、その周辺に回避できるということだ。これこそが、支配的なプラットフォーム企業がなかったことにしたい自由市場だ。消費者は自らの意思で選択できるはずだ。だが、ひどいサービスであろうと、離脱すれば友人や家族と連絡を取れなくなるから、より良い選択肢を選べずにいる。

さらに、プラットフォームの乗り換えが容易な世界では、いじり屋(tinkerers)や協同組合、スタートアップに、移行先のオルタナティブを作り出すインセンティブが生み出される。

  • ソーシャルメディア「相互運用可能」なソーシャルメディアプラットフォームは、互いに接続でき、そのユーザはそれぞれが独自の管理、ビジネスモデル、ポリシーを持つ「連合(federated)」サーバでメッセージを交換したり、コミュニティに参加したりできる。オープンなActivityPubサービス(たとえばMastodon)をベースにしたサービスは、フォロワーリストやフォローしているアカウントをエクスポートして別のサーバーにアップロードするだけで、わずか数クリックですべてのソーシャルコネクションが再確立されるなど、乗り換えが容易なように設計されている(連合機能を誇る新サービスのBlueskyも同様の機能を備えている。とはいえ、現時点では1サーバに限定されている)。このような乗り換えやすさは、サーバー運営者への依存を緩和する。サーバ運営者が敵対的なコミュニティを育てたり、あるいはサーバを停止しても、社会的なつながりを犠牲にすることなく、他のサーバーで容易に再スタートできるようにする。CCPAGDPRのような既存のデータ保護法は、すでにオンラインサービスプロバイダーに必要に応じてデータを引き渡すことを要求している。また、大規模ソーシャルメディアプラットフォームのモデレーションを改善しようとする規制当局は、プラットフォームユーザーの離脱の権利を確保しなければならない。大手プラットフォームをより良いものにするのはもちろん、そのプラットフォームからの離脱も容易にする、ということだ。
  • DRMがかかったメディア:オンラインストアで販売されるメディアの大部分は、「デジタル著作権管理」技術によって縛られ、購入者でさえ許可されていないツールでは再生できない。そのため、オーディエンスはプラットフォームに縛られることになり、プラットフォームとの決別は購入したメディアの破棄を意味する。また、パフォーマーやクリエイターもプラットフォームに囲い込まれ、もっと良い待遇や報酬を約束するライバルプラットフォームに乗り換えられなくなる。プラットフォームの乗り換えは、彼らのファンがそれまでに購入したメディアを失うことを意味するからだ。メディアに適用される「離脱の権利」は、プラットフォームがメディアの買い手と作り手の間のコミュニケーションを促進することを要求する。ライバルとなるプラットフォームに乗り換えたクリエイターは、この機能を利用して、作品の購入者全員に移行先プラットフォームのダウンロードコードを提供し、それを移行元のプラットフォームに残っているクリエイターのファンに転送できる。同様に、他のストアに乗り換えた消費者は、プラットフォーム経由で、クリエイターに新たなサービスでのダウンロードコードを求めるメッセージを送信できる。

この2つの原則は何をもたらすのか?

合理的な執行可能性(Reasonable Administrability)

長きにわたり、技術規制の失敗は、技術の発展の速度と規制の遅さのせいにされてきた。規制当局が技術に追いついていないからだ、と。

だが、必ずしも技術規制が遅いとは言い切れない。例えば、コンテンツモデレーションやアカウント停止の決定に完全な説明を提供するようプラットフォームに求めるルール、いじめやハラスメントを防止するためのルールは、「事実集約的(fact-intensive)」なため、どうしても時間がかかる。

ハラスメントへの対応を求めるルールには、ハラスメントの定義、どのような行為がハラスメントに該当するかの評価、取られた対応がルールに照らして十分であったかの評価が必要になる。これらは、善意の人々が何年もかけて議論し、悪意の人々が永遠に議論し続けられるようなたぐいのものである。

さらに、定義にコンセンサスが得られたとしても、実際に効果を確認し、意図した通りの機能しているかを評価するには長い時間がかかるだろう。

一方、「エンドツーエンド」や「離脱の権利」はその原則が守られているかどうかはすぐにわかるので、運用が容易だ。ソーシャルメディアプラットフォームに「フォロワーに投稿を配信せよ」と指示して、テスト投稿をして配信されているかどうかを確認すれば、実際に行われているかが確認できる。検索ツールや電子商取引サイトに完全一致を優先するよう求めるルールも同様で、検索をして、完全一致が画面上の最上位に表示されるかどうかを確認すればよい。

Mastodonのユーザが、他のサーバに移行するのに必要なデータを提供されなかったと主張するなら、旧サーバのオーナーにデータを提供させれば簡単に解決できる。

重要ポリシーのプライオリティには、事実集約的で、管理しにくいものが多い。他のポリシーが管理しやすくなれば、緊急かつ厄介な問題に取り組みやすくなるだろう。

資本優位性(capital moats)形成の回避

遵守に高額なコストを要するルールは、大企業に有利に働く。オンラインサービスへの著作権フィルタを義務づけは、そのフィルタを導入するための1億ドルの資金がなければ誰もオンラインサービスを開発できないと言っているに等しい。あるいは、スタートアップに対してフィルタ技術の使用料を大企業に支払わせるのと同義である。すべてのオンラインサービスがビッグテック企業であることを前提としたルールを作ってしまえば、ビッグテック企業を小さくすることはできなくなってしまう。

エンドツーエンドと離脱の権利は、小規模な企業、趣味の個人、そしてもちろん超大規模な既存企業にも適用可能な安上がりな政策である。

Mastodonなどのサービスは、すでにエンドツーエンドである。エンドツーエンドの原則に従うには、Mastodonのサーバ運営者は既存のエンドツーエンド機能を排除しないようにするだけでよい。Mastodon向けのレコメンド/ランキングシステムも、既存のシステムと並行して提供すればよいのだ。Instagram、Facebook、Twitterなどの大規模サービスにおけるエンドツーエンドとは、最もシンプルなフィードを復活させることを意味する。

離脱の権利についても同様で、最新の連合システムではすでにサポートされているので、サーバツールの運用者たちが新たなに何かをしなければならないということはない。負担が増えるとしたら、ユーザからのデータ要求に適時対応することくらいなものだ。こうした対応は自動的に行われるが、運営者がユーザをサービスから追放したり、サービスを停止する場合には、手作業が必要になることもある。

既存のビッグテック企業にとっての離脱の権利は、すでに参照ライブラリや実装があるオープンスタンダードの採用を意味する。

公益のためのインターネット

我々は、ユーザ自身がコントロール可能なインターネットを望む。つまり、豊富なメニューの中から自由にオンラインサービスを選択し、離脱できないからではなく、気に入ったから使い続けられるインターネットだ。我々は、企業の株主が求めるものではなく、自らが望むものを手に入れられるウェブを望む。意思を持った聞き手と話し手、意思を持った売り手と買い手、意思を持ったクリエイターとオーディエンスが、関係性を人質に取られたり、「スポンサード投稿」を見せつけるために犠牲になったりすることなく、取引やコミュニケーションができるウェブを望む。

プラットフォームの衰退は、競争や規制によって規律されていない企業が、離脱や処罰を恐れることなく、ユーザやビジネス顧客を好き放題に虐げていった末路である。プラットフォームユーザを公正に扱わせ、離脱を可能にする政策を立案するには、細部にまで注意を払わなければならない。だがその細部はすべて、より良いインターネットへの道を照らす道標となる原則によって導かれなければならない。

As Platforms Decay, Let’s Put Users First | Electronic Frontier Foundation

Author: Cory Doctorow / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: May 09, 2023
Translation: heatwave_p2p