以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Monopoly is capitalism’s gerrymander」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

資本主義の擁護者の議論を真に受ける必要はないが、その議論は真剣に受け止めなければならない。アダム・スミスが不労所得者を非難し、富裕層の本質的な利己心を生産の原動力に昇華する手段として利潤動機を高めたとき、彼には一理あった。

https://pluralistic.net/2023/09/28/cloudalists/#cloud-capital

スミスは、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』第1章で述べたように、競争を触媒として、利己心を公共の利益へと変換できると考えた。より多くの富を渇望する富裕層は、心の善意からではなく、ライバルへの離反を恐れて、顧客、サプライヤ、労働者を厚遇する。

https://pluralistic.net/2024/04/19/make-them-afraid/#fear-is-their-mind-killer

この出発点は不完全だが、間違ってはいない。メタクソ化以前のインターネットは、後にメタクソ化した同じ人々によって運営されていた。彼らは心変わりしてそれまで一生懸命構築してきたものを壊したのではなく、メタクソ化が引き起こす結果を気にしなくても良くなったことで、その衝動に身を委ねやすくなったのである。

Googleが市場、規制当局、労働力を掌握すると、もはや良質な検索エンジンであることを気に掛ける必要がなくなり、品質を犠牲にして利益を得ることができるようになった。

https://pluralistic.net/2024/04/24/naming-names/#prabhakar-raghavan

サプライヤ、顧客、ユーザから株主へと価値をシフトすることに専念できるようになったのだ。

https://pluristic.net/2024/05/15/they-trust-me-dumb-fucks/#ai-search

ただし、これらはすべて伝統的な資本主義の正統派によって十分に理解され、予測されていた。資本家が独占を資本主義と両立するものと見なすようになったのは、グノーシス派の陰謀論カルトが反トラスト法の慣行を乗っ取ってからのことだ。

https://pluristic.net/2022/02/20/we-should-not-endure-a-king

彼らの主張はこうだ。「独占企業は不正かもしれないが、市場は品質の優れた調停者であるため、誰もが同じ店で同じ製品を購入しているのであれば、それは最高の店で最高の製品を販売してことを示唆している。大企業に反対する教条的反射を満たすためだけに、最高の店を閉鎖し、最高の製品の販売を中止するなど、なんという倒錯的であろうか!」

この議論の問題点を理解するには、別の教条的反射、つまり「政府は何一つうまくできないし、効率的でもない」という保守派の主張を考えてみるべきだろう。あるいは、もっと雑なバージョンとして「民間企業に就職できないバカが行くのが政府だ。彼らは怠け者で権利意識ばかりが強い」がある(これには人種的な側面があって、連邦政府は歴史的に、黒人労働者や有色人種の労働者の雇用と昇進において民間セクターをリードしてきた)。

しかし、この人種差別的な風刺はともかく、より厳密な議論がある。政府関係者は失敗の責任を負わされにくい。任命された公務員や政府職員、特に労働組合に加盟する連邦労働者は、重層的な労働者保護と責任転嫁によって、その結果から隔離されている。

理論的には、選出された公職者は次の選挙で解雇されうるが、不正や無能をある一定の閾値以下に抑えれば、我々の大部分は投票で彼らを罰したりしない。選出された公職者は、我々の一部をだまし、戦利品を他の人と分け合うことで、支援プログラムや給付金を通じて再選可能性をさらに高めることができる。選挙自体に強い現職優位性があるため、一度不正者が当選すると、その不正が明らかになっても再選する可能性が高い。

https://www.nbcnews.com/politics/congress/gold-bars-featured-bob-menendez-bribery-case-linked-2013-robbery-recor-rcna128006

さらに、選挙区割りはゲリマンダリング(一方の政党が常に勝てる安全な議席を作るために選挙区を設計すること)への扉を開く。そうなれば、選挙は有権者が公職者を選ぶのではなく、公職者が有権者を選ぶものになる。

https://en.wikipedia.org/wiki/REDMAP

党内選挙(予備選挙やその他の指名プロセス)には根本的な弱点があり、正しく運営された民主的な選挙の代わりにはならない。

https://pluralistic.net/2023/04/30/weak-institutions/

これを競争市場の理論と対比してみよう。資本主義の「道徳哲学者」たちにとって、貪欲な欲望が利他的な結果につながるという物理学は、市場の迅速な報復の中に見出されるべきものだった。労働者や顧客がライバルに離反することを恐れる資本家は、公正な取引こそが自らの貪欲さにとって最善であることを知っている。

しかし同様に重要なのは、この教訓を内面化しない資本家は倒産し、より優れた資本家に取って代わられることだ。市場の見えざる手はあなたの頭をなでることもあれば、あなたの首を締めて殺すこともある。

ここで独占の出番だ。たとえ卓越性が独占の原因であるとする消費者厚生理論を受け入れたとしても、独占は解体すべきだ。たとえ優れていたがゆえに優位性が確保されたのだとしても、その優位性はすぐに平均に回帰する。しかし、独占企業が競争の可能性そのものを消し去ることができれば、それに値しなくなった後でも力を維持できる。

言い換えれば、独占企業は、偉大さによってであれ、欺瞞によってであれ、権力を獲得すれば、その後選挙区をゲリマンダリングして何をしても再選できる政治家のようなになる。どれほど高潔な政治家であろうと、説明責任を免れれば、誘惑には抗えない。

資本主義の理論は、我々が私利私欲に突き動かされており、競争が私利私欲を共同体への奉仕に変換するという考えに基づいている。競争がなくなれば、残されるのは私利私欲だけだ。

これは私が独占に反対する主な理由(独占は民主主義を腐敗させ、労働者を困窮させるから)ではないが、広く真実だと思う。しかし、貪欲を公益に変える資本主義の力は、私の中では最も重要な原則ではないにしても、資本主義者が信じていると主張し、大切にしていることなのだ。

私は、右派の独占擁護の大部分は、皮肉的で悪意のある合理化から生じていると考えている。しかし、こうした合理化を吸収し、表面的にはもっともらしいと感じている人もいる。彼らのために、こうした批判を展開する価値はある。

Pluralistic: Monopoly is capitalism’s gerrymander (18 May 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: May 18, 2024
Translation: heatwave_p2p