以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「The credit card fee victory is a defeat」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

見出しだけを見れば、まさにダビデとゴリアテの戦いだった。アメリカの小規模事業者たちが、20年に及ぶ訴訟キャンペーンの末、ついにビザとマスターカード(V/MC)のぼったくりに勝利した。両社は賠償金として300億ドルを払うことになったのだ。

https://edition.cnn.com/2024/03/26/economy/visa-mastercard-swipe-fee-settlement/index.html

しかし、その和解内容を詳しく見てみると、その勝利は空虚なものに思われるかもしれない。見出しにならなかった数字がある。和解の一部として、加盟店が支払う既に高額なクレジットカード決済手数料が25%値上げされるのだ。

https://www.creditslips.org/creditslips/2024/03/the-proposed-credit-card-interchange-settlement.html

決済システムは忌々しいほど複雑で腐敗したカルテルだ。一握りの企業が支配し、コロナ禍以来、すでに高額だった手数料を40%も引き上げている。

https://prospect.org/power/2023-02-07-small-business-credit-card-fees

クレジットカード会社は、米国経済で行われるほぼ全ての取引から2~5%を巻き上げ、大儲けしている。だが、その利益は、彼らが食い物にする全加盟店の利益の合計に比べればちっぽけなものだ。また、クレジットカード決済を行う全企業の時価総額は、クレジットカード会社の時価総額よりもケタ違いに大きい。経済力だけで言うなら、ここでのゴリアテは「全ての企業」で、ダビデは「彼らのために決済を処理する3つの企業」なのだ。

では、なぜこのちっぽけな仲介業者が、巨大な小売業界を手玉に取れるのか。その答えを知るには、訴訟と和解のテクニカルな詳細を検討しなければならない。しかし、我々だけで理解するのは難しい。というのも、金融はいつもの如く、システム全体が過剰な複雑性に包まれているからだ。金融業界ではこれを「MEGO」と呼ぶ。「目が曇る」の意味だ。金融は理解を鈍らせるような複雑さを好む。我々に複雑であるがゆえに理解しにくいと思い込ませ、「専門家に任せておこう」と思わせたいのだからだ。

幸いにも、全ての専門家が金融の味方というわけではない。Uberのバランスシートの虚飾を見抜くカンニングペーパーが必要なときには、私はヒューバート・ホランを頼りにしている。

https://horanaviation.com/publications-uber

クレジット市場を理解したければ、必読のブログ「Credit Slips」のアダム・レヴィティンとその共著者を見ればいい。今回の「Credit Card Interchange Settlement(クレジットカード決済手数料和解)」もその例に漏れない。

https://www.creditslips.org/creditslips/2024/03/the-proposed-credit-card-interchange-settlement.html

厳密に言うと、クレジットカード手数料をめぐる訴訟の争点は「インターチェンジ手数料」、つまりビザ・マスターカードが加盟店の銀行に課す手数料だ。とはいえ、もちろんこの手数料は加盟店に転嫁される。ご承知のように、クレジットカードで決済すると、一部のカードでは(特に信用スコアの高い富裕層向けの)大口の還元が受けられる。この「贈り物」はV/MCの収益から出ているわけではなく、プラチナ/エメラルド/アンオブタニウムカード(訳注:要するに富裕層向けのランクのカード)が使われるたびに、V/MCはより高額なインターチェンジ手数料を徴収する。つまり、良いカードを持つ富裕な顧客が加盟店で支払うと、加盟店はその決済処理により多くの手数料を払わされるのだ。

しかし、加盟店はその分を顧客に転嫁することはできない。これが訴訟のポイントであり、米国の加盟店が先進国で最も高いインターチェンジ手数料を払わされてきた理由だ。

そこに300億ドルの和解が成立した。そのこの和解案では、インターチェンジ手数料の平均は今後5年で7ベーシスポイント(0.07%)下がり、全手数料は3年で0.04%下がる。年間約30億ドルの削減だ。さらに、加盟店は、カード種別やブランド別に、非常に限定的な少額の手数料を(訳注:消費者に)請求できるようになる(例:「VISAカードをご利用の際は手数料をいただきます」「ゴールドカードには手数料」)。加盟店がこの手数料を請求すれば、さらに最大で年間30億ドルの節約になる。

つまり、300億ドルの和解は、向こう5年間で確実に節約できる150億ドルと節約できるかもしれない150億ドルを意味しちえる。一方で、V/MCは年間1000億ドル以上のインターチェンジ手数料を請求し続ける。

この訴訟は2005年、当時の平均インターチェンジ手数料1.75%の高止まりに憤った加盟店が起こしたものだ。しかし今回の和解後、その手数料は25%値上げされ2.19%になった。そして5年後にはまた値上がりが始まる。20年に及ぶ高額手数料への戦いの「勝利」は、その手数料がさらに高くなることを意味していた。

どうしてこんなことになってしまったのか。レヴィティンはいくつかのヒントを与えてくれた。20年にわたる訴訟の間に、クレジットカード・カルテルは加盟店の団結を切り崩し、個別の和解に持ち込んできた。一部の和解は裁判所に却下されたが、基本的に、加盟店側はクレジットカード会社のようには団結できなかったのだ。

そりゃそうだ。数十万、数百万もの加盟店が、たった2社のクレジットカード会社のように戦略を統一できるはずもない。実際、数十万社もの企業があつまれば、業種も異なれば客層も違う、労働力、在庫、キャッシュフロー、収益性の状況も千差万別だ。

しかし、ある業界が高度に寡占化すると、その業界の全企業が単一の、同質的な経営スタイルに収斂していく。ウォルマートは、略奪的な価格設定と卸売業者への優遇で駆逐した小規模店の経営スタイルとは似ても似つかないが、コストコ、ウォルマート、サムズ・クラブとは驚くほどよく似ている。つまり、大手チェーンがあなたのニーズを軽視しているなら、ご愁傷さまとしか言いようがない。そしてウォルマートに都合の良いクレジットカードの和解はコストコやサムズ・クラブにも同様に都合が良いのだ。

モバイル市場のデュオポリー、Apple/Googleの例を考えてみよう。この”競合”企業は、サプライヤほぼ同じように扱う。両社とも決済手数料は30%だ(ビザ/マスターカードの手数料とはケタが違う!)。実はこの”競合”企業、お互いが最重要のビジネスパートナーだ。GoogleにとってはAppleが、AppleにとってはGoogleが年間を通じて唯一最大の取引パートナーなのだ。その取引により、GoogleはAppleに毎年260億ドルを支払い、iOSとSafariのデフォルト検索エンジンとなる。そうしてAppleはGoogleの極めて侵入的かつ継続的な監視に、自社デバイスのユーザを差し出すのだ。

さて、監視といえば、Google/Facebookの監視広告デュオポリーも考えてみよう。この2社は広告主から同じように高額の手数料を取り、パブリッシャには同じように雀の涙程しか支払わない。さらに、両社は違法に共謀して広告市場を不正に操作し、この2社で広告市場を分割している。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jedi_Blue

経済学者はこれを「集団行動問題」と呼ぶ。本来であれば、企業こそが抱えるべき問題だ。独占やカルテルの問題は、単に「大きすぎて潰せない」「大きすぎて罰せない」だけではない。ごく少数の企業が規制当局を掌握できてしまう問題でもあるのだ。

https://pluralistic.net/2022/06/05/regulatory-capture/

監視業界は団結しているが、監視される側は団結していない。監視が生み出す利益は集中しているが、監視のコストは分散する。「集中的な利益と分散的な損失を生む行為」という腐敗の実用的な定義と言えよう。

長年にわたる反トラスト法執行の失敗が独占を生み、その影響はサプライチェーン全体を覆いつくしている。デイヴィッド・デイエンの2021年の傑作『Monopolized』では、米国の医療産業の物語として描かれている。

https://pluralistic.net/2021/01/29/fractal-bullshit/#dayenu

まず製薬会社が合併して独占体制を築き、病院に対して薬価の値上げを始めた。そこで病院が地域独占体制を形成し、その価格要求に対抗する傍ら、保険会社に多額の請求書を送りつけるようになった。そうして保険会社も合併した。いまやあらゆる医療セクターが独占・カルテルになっている。調剤薬局ベネフィットマネジャーから病床まで、全てがだ。

https://pluralistic.net/2022/01/05/hillrom/#baxter-international

そのような業界にあっても、集中できない部門がある。患者と医療従事者だ。独占化した医療セクターが集中的利益を得て、患者と医療従事者が分散的コストを被る。そのコストは文字通り生死に関わる深刻な問題だ。

https://kffhealthnews.org/news/article/investors-private-equity-nonprofit-nursing-homes-quality-of-care/

独占が進むことで、企業は集団行動の問題を解決でき、集中度の低い非組織的なセクターを手玉に取れるようになる。さらに集中により、企業は政府へのロビー活動や規制当局の掌握といった集団行動の問題も解決できる。集中したセクターであれば、口裏を合わせて規制当局や議員へのメッセージをまとめられる。分散したセクターでは「いや、私たちは規制強化で問題ない。競合が嘘をついている。証拠がある」と言い出す者が必ず出てくるだろう。

監視産業の高度な集中が、アメリカが連邦レベルで消費者プライバシー法を制定できない理由だ。連邦議会が制定した最後の消費者プライバシー法は、1988年のビデオプライバシー保護法だ。この法律は、ビデオレンタル店の店員があなたがレンタルしたVHSのタイトルを他人に教えることを禁止するものだった。しかしそれ以外の プライバシー侵害については連邦法は沈黙を続けている。ISP、テレビ、車、スマホ、医療機器、食器洗い機、スマートスピーカーといった製品は、あなたのデータを収集し、それに課金し、目的を問わず誰にでも販売できる。

このような沈黙は容易に得られたものではない。連邦議会がプライバシー法を審議するたびに、集中した監視産業は一丸となって猛烈なロビー活動を展開してきた。そのロビー活動の原資こそ「無益な競争」をなくして得た莫大な利益なのだ。

これは、時に左派が見落とす競争法の核心的論点だ。競争の意義は、単に企業に効率改善を促し、価格を下げさせることにあるのではない。確かに、それは我々によって良いことでもある。

だが、我々が改善ではなく、根絶を願う商行為は幾らでもある。我々はより効率的な商業監視を望んでいるのではない。商業監視の全面的な禁止を望んでいるのだ。

競争がなければ、業界は政府をかわすことができる。IBMの例を見てみよう。IBMは1970年から1982年まで、司法省反トラスト局から反トラスト法違反で訴えられていた。その12年間、IBMは毎年、司法省の反トラスト部門の予算を上回る金額を弁護費用に費やした。徹頭徹尾、IBMは合衆国政府の支出を上回る金額を投じていたのだ。こうして、IBMはレーガン政権まで分割を先延ばしにでき、レーガンに訴訟を取り下げさせた。

こうした影響は、独占企業の製品の消費者だけでなく、その企業で働く従業員にも及ぶ。雇用主が労働力をライバルと争奪しなくていいなら、労働者を低賃金で働かせ、福利厚生や安全対策費も節約できる。その余剰利益はアンチ組合法制へのロビー活動に回せるし、卑劣なアンチ組合法律事務所への法外な支払いにも回せる。

全米労働関係委員会の廃止を最高裁に訴えた企業を見れば分かる。競争が働いていない、極度に寡占化した業界の巨大企業ばかりだ。テスラ、トレーダー・ジョーズ、Amazonとそれぞれ異なるビジネスを展開しているが、労働者の機嫌を伺わなくてもいい企業ばかりだ。

https://newrepublic.com/article/179165/musk-supreme-court-nlrb-labor

この教訓を見落とすのは左派だけではない。リバタリアンも同様に、競争と規制当局の職務遂行能力との関係を理解できていない。たとえあなたが『水源』に毒された「契約する自由」のホブゴブリンであったとしても、契約を執行し、その契約がもたらす財産権を守ってくれる政府を望むだろう。政府が企業の契約義務を守らせるには、政府は取り締まるべき企業より強力でなければならない。つまり、独占やカルテルがどれほど大きくなろうと構わないと言うなら、それ以上に大きな政府を容認せざるを得ないということだ。

https://pluralistic.net/2023/02/05/small-government/

アメリカの加盟店にとっての「300億ドルの勝利」は、実際には敗北なのだ。高額手数料と戦った20年間の訴訟の末に、手数料はさらに高くなってしまった。しかしこの敗北は、間違いなく不均衡に分配される。ウォルマート、Amazonといった小売り大手は、さまざまな裏口リベート、プロモーション、その他あらゆる優遇措置を勝ち取れるだろう。つまり、より小規模で組織化されていない小売業者に対して不当な優位性がさらに高めることになる。その結果、こうした小規模店はさらに淘汰され、消費者の選択肢は減り、価格は上がると共に、労働者の選択肢は減り、賃金は下がる。

40年に及ぶ独占推進政策の教訓は明白だ。少なくとも名目上は透明性があり、民主的な説明責任を果たす議員によって規制される経済か、あるいは、まったく説明責任を果たさない不透明な独占企業によって規制される経済か、そのいずれかなのだ。前者を怠れば、必ず後者に行き着く。

Pluralistic: The credit card fee victory is a defeat (28 Mar 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: March 28, 2024
Translation: heatwave_p2p