以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Prime’s enshittified advertising」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

Primeがさらに広告を増やすそうだ。今年1月からPrimeビデオに広告が挿入されるようになったが、それでもPrime会員が減ることはなかった。そこでAmazonは、Primeの品質をひどくしても、もっと稼げると踏んだ。

https://arstechnica.com/gadgets/2024/10/amazon-prime-video-is-getting-more-ads-next-year

何もAmazonがサディストなわけではない。すべては金目当てだ。Amazonが表示する広告は、価値――あなたの時間や注意――を株主へと移転する。

これがメタクソ化の核心だ。企業が以前は役立っていた製品をどんどん劣化させていくのは、品質を落とすのが面白いからではない。製品がゼロサムだからだ。あなたにとって価値があるもの(広告なしで動画を見ること)は、企業にとっては価値が低い(あなたの注目を金に変えられない)のだ。

今に始まったことではない。インターネットは常に、仲介者、つまりプラットフォームに支配されてきた。インターネットを「作る」人より、「使う」人の方が圧倒的に多いからだ。ブログアプリを作れる人より、ブログを書きたい人の方が多い。音楽ストリーミングサービスを運営できる人より、音楽を演奏したり聴いたりしたい人の方が多い。電子書籍ストアを運営したり電子書籍リーダーを売りたい人よりも、電子書籍を書いたり読んだりしたい人の方が多い。

初期のインターネットでは仲介者の排除disintermediation(中抜き)の素晴らしさが盛んに喧伝されていた。だが実のところ、仲介者が悪いわけではない。

https://pluralistic.net/2022/06/12/direct-the-problem-of-middlemen/

問題は仲介者そのものではない。仲介者が強大になりすぎて、繋ぐはずの当事者間の関係を乗っ取ってしまうことが問題だった。Uberの問題は、携帯電話を使って「どこそこの通りに立っているからタクシーを呼びたい」と伝えられることではない。問題は、労働者の誤分類、規制逃れ、超低賃金、そして価格吊り上げの横行なのだ。

https://pluralistic.net/2024/02/29/geometry-hates-uber/#toronto-the-gullible

出版社、流通業者、小売業者、印刷業者など、出版エコシステムの各要素そのものにも問題があるわけでもない。これらすべてを自分でこなせる稀有な作家もいるが、(丸太から自分の歯で本をかじり出すようなもので)ほとんどの作家にはそれができないし、できたとしてもやりたくはない。

https://pluralistic.net/2024/02/19/crad-kilodney-was-an-outlier/#intermediation

初期のネット推進論者が求めた仲介者排除は、仲介者が売り手と買い手、クリエイターと視聴者、労働者と消費者の関係を容易には支配できなくなることだった。レベッカ・ギブリンと私が2022年の著書『チョークポイント資本主義』で書いたように、あらゆる分野の仲介者は、料金所を設置できるチョークポイントに陣取るようになる。

https://chokepointcapitalism.com/

チョークポイントが存在すると、そのサプライチェーンの上下でさらにチョークポイントが増殖していく。たとえば、レコードの全盛期には複数のチョークポイントが存在し、互いに強化し合っていた。ラジオの電波が限られていたために、ラジオ局はレコード会社に強く出ることができ、レコード会社は一等地の電波に乗せるために違法な賄賂(「ペイオラ」)を支払っていた。小売店の統合と寡占化(大型レコードチェーンの成長)は、チェーン店に卸すディストリビューターの寡占化を促した。ディストリビューターの集中度が高まるにつれ、小売店を圧迫できるようになり、それがレコード店の統合をさらに推し進めた。レーベルが大きくなればなるほど、店舗やディストリビューター(そしてプレス工場など)に強気に出られるようになった。レーベルの寡占化はまた、タレントエージェンシーの寡占化を促し、大物をたくさん抱え込むことでレーベルからの圧力に対抗する力を与えた。ライブ会場の寡占化もチケット販売とプロモーションの寡占化を促進し、その逆もまた然りである。

しかし、このサプライチェーンには寡占化できない当事者がいる。ミュージシャンとファンだ。「部門別交渉」(労働組合がその部門のすべての企業に対して労働者を代表できること)が制限されているため、ミュージシャン組合はサプライチェーンの重要なプレイヤーに対抗できるための力を得ることはなかった。そのため、音楽を「作る」クリエイティブワーカーは、レーベル、タレントエージェンシー、プロモーター、チケット販売業者、会場、小売業者の格好の餌食となった。音楽ファンは分散していて、組織化されたファンクラブがあっても、それはレーベルが運営しており、レーベルに対抗するためにファンクラブを動員することもできなかった。

これは、強力な仲介者の問題を示す完璧なケーススタディだ。仲介者は促進者から寄生者へと変わり、製品を劣化させながら労働者への支払いを減らし、そしてメタクソ化した製品により高額な料金を請求する。

「仲介者排除」の期待は、仲介者を排除するためではなく、むしろ仲介者を規律するためにこそあった。製品やサービスを宣伝し、販売し、代金を受け取り、配送する方法がたくさんあれば、獲物をチョークポイントに追い込むことが難しくなり、仲介者が捕食者に転じるトレンドは抑制される。

Napster戦争から四半世紀を経た今、それがどのように作用したのかがわかる。何十年にもわたって反トラスト法の執行を怠ったことで、少数の企業が事実上インターネットを支配するようになった。ライバルが売却を望めば買収し、望まなければ違法な戦術(例えば、Uberが10年以上にわたってタクシー料金の1ドルあたり0.41ドルを補助金として310億ドルの損失を出した略奪的価格設定)で破産させた。

寡占化によってプラットフォームが獲得した市場支配力は、「政治的」な力に変換された。少数の企業が業界を支配すると、規制当局への対応について共通の戦略を合意できるようになるし、その戦略に費やす余剰利益もたんまりにある。何よりもまず、プラットフォームは力を使ってさらなる力を得るために、反トラスト法の執行をさらに緩めるようロビー活動を行った。さらに、プラットフォームは顧客を搾取する権利(例えば、利用規約の拘束力ある仲裁条項を強制力のあるものにする)や労働者を搾取する権利(UberとLyftがカリフォルニア州のProp 22に2億2500万ドルを費やし、労働者の誤分類詐欺を正式なものにしたことを考えてみよ)を獲得するために巨額の資金を投じた。

こうして大手プラットフォームは、競争のリスク(「他の4つのスクリーンショットで埋め尽くされた5つの巨大なウェブサイト」- トム・イーストマン)と規制から逃れることができた。また、知的財産法を拡大・動員して、チョークポイントに抗ったり回避しようとする者を捻り潰すこともできた。ここで、Primeビデオの仕組みについて具体的に説明しよう。

Primeビデオを視聴する方法は2つある。アプリを通じてか、ブラウザを通じてかだ。どちらのストリームも暗号化されている。これが重要なポイントだ。なぜなら、1998年のデジタルミレニアム著作権法第1201条により、この種の暗号化(一般に「デジタル著作権管理」または「DRM」と呼ばれる)を破ることは、違法とされているからだ。実際には、企業が動画を暗号化すると、その企業の許可なしには、たとえ合法的な目的であっても、誰もその動画に対して何かをすることはできない。なぜなら、その合法的な行為を行うにはDRMを破る必要があり、DRMを破ることは重罪(初犯で5年の懲役、50万ドルの罰金)とされているからだ。

実は、著作権法はPrimeのようなサービスの加入者に「多くの」権利を与えており、それらの権利を行使するためのツールを提供する企業に力を与えている。1976年、ソニーは最初の主要な家庭用ビデオレコーダー(VCR)、ベータマックスを発売した。8年に及ぶ法廷闘争の末、最高裁判所はVCRについて判断を下し、我々全員が自宅でビデオを録画することは合法であると裁定した。これは後で見るためだけでなく、お気に入りの番組のライブラリを構築するためでもあった。また、ソニー(そしてその時点では他のすべての電機メーカー)がVHSシステムを製造することも合法だと裁定した。たとえそれらのシステムが著作権を侵害する目的で使用されるおそれがあったとしても、「実質的な非侵害的用途(テレビから番組を録画できる)を維持できる」からだ。

これはDMCA(そしてDRMを破りの禁止)が成立する10年以上前のことだったが、DMCAが施行された後でも、DRMのないメディアが「たくさん」あったため、新世代のテック企業は「実質的な非侵害的使用を維持できる」ツールを作ることができたし、そのためにDRMを破る必要もなかった。

iPodとiTunesを考えてみよう。これらは共に、暗号化されていないCDをリッピングし、デスクトップコンピュータと大ヒットしたポケットサイズのポータブルデバイスで音楽を再生する手段として売り出された。iTunesは1台のコンピュータから別のコンピュータへのストリーミングさえ可能にした。レコード業界は強く反発したものの、最高裁のベータマックス判決のおかげで手も足も出せなかった。

最終的にレコード業界はAppleに屈し、iTunes Music Storeを通じて楽曲販売を開始した。楽曲にはAppleのDRMが施され、それはAppleのエコシステムに完全にロックされることを意味した。Appleはすぐさまにその力を振りかざしてレーベルに強く出るようになると、レーベルは次第にDRMに消極的になり、同じ楽曲をすべてAmazonのDRMフリーMP3ストアにライセンスした。そのストアのスローガンは「DRM:Don’t Restrict Me(制限するな)」だった。

https://memex.craphound.com/2008/02/01/amazons-anti-drm-tee/

Appleはここで興味深い二面性のある立場を演じた。iTunes/iPodのマーケティング(「Rip, Mix, Burn」)においては、著作権者が反対していようと著作権法で認められているなら何だってできるという立場の世界最大の応援団だった。しかし、iTunes Music Storeとそれに紐づくDRMでは、著作物を知的財産権の薄い膜で包み、著作権者が管理できるようにするという立場の世界最大の応援団でもあった。

当然、Microsoftは「すべてを自社プラットフォームにロックインする」戦略に傾倒した。当時のCEOスティーブ・バルマーは、iPodの所有者を「泥棒」呼ばわりし、レコード会社はMicrosoftのZune DRMで音楽を保護すべきだと主張した。つまり、たとえ著作権法で許可されていることであっても、レコード会社が気に入らないなら何だって制限できるようにしよう、と(同時に、MicrosoftがWindowsの支配的地位を利用してソフトウェア開発会社にかけていたような圧力を、レーベルに対してもできるようになることを意味した)。

https://web.archive.org/web/20050113051129/http://management.silicon.com/itpro/0,39024675,39124642,00.htm

結局、勝利を収めたのはAmazonのアプローチだった。AppleはDRMを廃止し、MicrosoftはZuneを引退させてDRMサーバを停止し、Zune DRMの楽曲を購入したすべての人を裏切った。つまり、その音楽を永久に再生不可能にしたのだ。

これとほぼ時を同じくして、ある会社が、著作権法で許可されているが著作権者が「嫌う」著作物の使用方法を開拓していた。そう、Tivoだ。同社はAppleのiPodでできることを、パーソナルビデオレコーダー(PVR)で実現した。Tivoを使えば、ケーブルテレビ(暗号化するには高価で複雑すぎた)や地上波放送(公共の電波なので暗号化は違法)の「あらゆる」番組を録画し、永久に保存することができた。

つまり、どんな番組でも録画して、永久に保存できた。さらに、広告を極めて簡単にスキップすることもできた(すぐに、広告スキップを自動で行うライバルプレーヤーが登場した)。これらはすべて合法だったが、もちろんケーブル会社や放送局は嫌がった。テレビ業界の経営陣もまた、Tivoの所有者を「泥棒」と呼んだ。

業界の経営者たちは怒りに任せて、Tivoが広告モデルのテレビを終わらせると主張したが、そうなることはなかった。むしろ、テレビ業界とケーブル業界に「規律を与えた」。Tivoの所有者は、実際にバズるほど面白く、良く練られた広告を探すようになった。一方、業界が番組内の広告の量を増やすたびに、Tivoを探す視聴者はますます増え、しかも自動広告スキップ機能を搭載したPVRの需要が高まった。

テレビ業界の幹部がPVRの登場にパニックに陥っているのを見れば、これは深刻な脅威なんだと思うかもしれない。だが実のところ、テレビ業界の広告への飽くなき欲求は、1956年に初めてテレビリモコンが登場したのを皮切りに、視聴者が新しいテクノロジーを手にしたことによって規律が与えられてきた(幹部たちは、広告ブレイク中にチャンネルを変える連中はみんな泥棒だと罵った)。次にミュートボタン、そして無線リモコンが登場した。また、VCRの一般的な使用例(最高裁判所の裁判で取り上げられた)は、広告の早送りだった。

それぞれの段階で、テレビは順応してきた。テレビ番組の広告は一種の「オファー」だった。つまり、「無料のテレビ番組と引き換えに、これだけの数の広告を見てくれますか?」と。そして、リモコン、ミュートボタン、無線リモコン、VCR、PVR、広告スキップPVRはすべて「カウンターオファー」だった。経済学者が指摘するように、視聴者がカウンターオファーを手にすることが「バランスをシフト」させる。視聴者が防衛的なテクノロジーを持っていなければ、より多くの広告を甘受するかもしれないが、テクノロジーによって自分の好きなように視聴できるようになると、業界は製品をメタクソ化して「視聴者がテレビを消す寸前(だがギリギリ消さない)」という限界点まで追い込むことができなくなる。

オープンウェブでは50%以上のユーザが広告ブロッカーをインストールしているのと同じように、これもまさにバランスシフトのダイナミクスだ。業界は「うんざりするような『メーリングリストに登録してください』ボタン、ポップアップ、ポップアンダー、自動再生ビデオなど、ユーザは心底嫌っているが株主に利益をもたらすものを許可してくれますか」と言い、広告ブロッカーは「いやならどうする?」とカウンターオファーする。

https://www.eff.org/deeplinks/2019/07/adblocking-how-about-nah

テレビリモコン、PVR、広告ブロッカーはいずれも「敵対的相互運用性」の事例だ。これは、既存の製品に接続して、その製造元の許可なく(あるいは反対を押し切って)その機能を拡張・修正する新製品のことだ。

https://www.eff.org/deeplinks/2019/10/adversarial-interoperability

敵対的相互運用性は、プラットフォーム所有者に強力な規律を与える力を生み出す。ユーザが製品のメタクソ化にイラだち、敵対的相互運用性ツールを研究し、探し出し、入手し、使用方法を学ぶようになると、そこで試合終了だ。サードパーティのインクの入手先を発見したプリンタユーザは「永遠に」客ではなくなる。HPのような企業がインクの価格を吊り上げるたびに、ついにジェネリックインクの使い方を理解して「二度とHPに1セントも支払わない」客が増えていくのだ。

ここでDMCA 1201が登場する。製品にDRMが付与されると、製造元はあなたが「合法的な」行為を妨げる権利を手にし、裁判所や法執行機関を従えてあなたを処罰できるようになる。HPを例に取ろう。HPがカートリッジにDRMを追加するとすぐさま、カートリッジを複製、再充填、再製造する企業を潰す法的権利を手にし、インクの値上げを開始した。今では1ガロンあたり1万ドル以上もする。

https://pluralistic.net/2024/09/30/life-finds-a-way/#ink-stained-wretches

プリンタにサードパーティのインクを使用することは違法ではない(なんぜあなたが所有するプリンタだ)。だが、プリンタ用のサードパーティインクを「製造する」には、DRMを破らなければならないのなら、違法に「できる」。そのおかげで、HPは色水を文字通り地球上で最も高価な液体として売りつけることができている。子供の宿題を印刷するためのインクは、ヴーヴ・クリコのヴィンテージ・シャンパンやケンタッキーダービー優勝馬の精液よりも高価なのだ。

敵対的相互運用性は、生産者、仲介者、購入者のバランスをシフトさせる強力なツールだ。DRMは、そのバランスを仲介者側に「引き戻す」さらに強力な方法であり、買い手と売り手が取引から得られる分け前を減らす。

Primeビデオはアプリを通じて配信されるため、当然DRMがかけられている。つまり、加入者は著作権法が与える権利を行使できず、Amazonが認める範囲でしか利用できない。PrimeにはTivoがない。なぜか。Primeからストリーミングする番組を録画するにはDRMを破らなきゃならないからだ。これによってPrimeは「ありとあらゆる」怪しいことを行うことができる。例えば、Amazonは毎年この時期になると、人気のクリスマス映画を見放題枠から削除し、ペイ・パー・ビューに移して、春になると元に戻す。

https://www.reddit.com/r/vudu/comments/1bpzanx/looks_like_amazon_removed_the_free_titles_from

もちろん、Primeは動画にスキップできない広告を挿入する。ビデオストリームにスキップボタンを作るのが技術的に難しいわけでも、誰かの著作権を侵害するからでもない。Amazonがそれを許可していないからだ。そして、ビデオにDRMがかけられている以上、Amazonが認めないことを試みるだけで重罪になる。

これは、1956年以来のテレビリモコンの発明以来、テレビ会社が受け入れざるを得なかった均衡とは異なる均衡をAmazonが追求できることを意味する。もはやAmazonは、広告の量、音量、押し付けがましさを「視聴者に広告スキップ・プラグインをインストールされない程度に抑える」必要がない。それよりさらに踏み込んで、もっと儲かる均衡、つまり「視聴者がPrimeを解約する寸前(だがぎりぎり解約には踏み切らない)まで不愉快」にできるのだ。

実際、AmazonのPrimeビデオ担当幹部ケリー・デイがフィナンシャル・タイムズにそう話している。彼らが広告の数を増やしているには、「大量退会する事態には至っていない」からだ。

https://www.ft.com/content/f8112991-820c-4e09-bcf4-23b5e0f190a5

さて、懸命な読者であれば「(訳注:アプリではなく)ブラウザで視聴するPrimeユーザなら、広告スキップできるんじゃないか? Amazonはそれを理解しているのか?」という疑問を思い描いたかもしれない。ブラウザはオープンな標準に基づいて構築され、誰でも作ることができる。ならば、Primeの広告を自動スキップできるブラウザがあってもよいはずでは、と。

残念ながら、違う。2017年、ブラウザ標準を策定するW3Cは、エンターテインメント業界と大手ブラウザ企業からの圧力に屈し、「すべての」敵対的相互運用性をブロックするビデオDRM「標準」である「Encrypted Media Extensions」(EME)を策定した。

https://www.eff.org/deeplinks/2017/09/open-letter-w3c-director-ceo-team-and-membership

これが意味するのは、Google(今や有罪判決を受けた独占企業だ!)から独占技術のライセンスを得なければ、独立したブラウザを開発することはできない、ということだ。当然、Googleは録画、広告スキップなど、合法的だが(彼らにとって好ましくない)機能を実装するような相手にライセンスを与えない。

https://blog.samuelmaddock.com/posts/the-end-of-indie-web-browsers

同様に、Amazonもユーザにいい顔をする必要がない。Amazonはあなたをロックインすると同時に、あなたにより良い取引を持ちかける人々をロックアウトした。あなたが技術的に無防備だとわかっていれば、企業は自らの利益を最大解するために、あなたの利益を最小化する悪巧みに限りなく創意工夫を凝らす。もう1つのビデオ配信プラットフォーム、Youtubeを例に取ろう。YouTubeも動画広告の数を増やしている。にもかかわらず、クリエイターへの支払いを減少の一途を辿っている。そして彼らはさらに次の一手を打った。動画が一時停止中にも広告を表示し始めたのだ。

https://www.usatoday.com/story/money/2024/09/20/youtube-pause-ads-rollout/75306204007

「顧客がほぼ退会しかけている(がギリギリこらえている)サービス」を目指しているのでもなければ、こんな悪巧みは思いつけまい。

Amazonの場合、もっと状況は悪い。確かに、Youtubeはある側面ではビデオ市場に圧倒的な市場支配力を持っている。だが、PrimeビデオはPrime配送とセットで売りつけられ、米国の世帯の圧倒的多数が加入している。Primeビデオが気に食わないからとPrime会員を退会すれば、ビデオ以外の多くのものを諦めなければならない。Amazonの略奪的価格設定が小売業界全体を荒廃させてしまった現状では、なおさら選択しづらい。

https://pluralistic.net/2022/11/28/enshittification/#relentless-payola

Amazonの創業理念は「顧客第一主義」だった。Amazonの元従業員に話を聞くと、これは口先だけのスローガンというわけではないらしい。製品設計に関する議論は、常に「顧客第一主義」というリトマス試験を満たせるかどうかで勝敗が決した。だが、理想を貫くということは、内的な鍛錬や意思の問題だけではない。それは、外的な規律の問題でもある。Amazonが競合他社や規制当局と対峙する必要がなくなり、DRMで顧客をコントロールし、法律で顧客が製品を合法的に使用するのを防げるようになると、この外部からの規律を失ってしまった。

Amazonのサプライヤーは長年、同社の高圧的な対応に不満を抱えてきた。Amazonの労働者は倉庫や配送者での危険かつ抑圧的な状況を、辛辣かつ声高に非難してきた。だが、Amazonの消費者は一貫して、その品質と信頼性に高い評価を与えてきた。

Amazonが労働者とサプライヤーを悪く扱い、顧客を良く扱った理由は、顧客が好きで労働者とサプライヤーが嫌いだったからではない。Amazonは冷徹に計算していた。顧客を大切にすれば、顧客を支配できるようになり、市場支配力が偉える。そうなれば、サプライヤーから金をむしり取り、ねじ伏せたとしても、サプライヤーが従わざるを得ないことを理解していたのだ。

しかし今、Amazonは顧客を引き留めるために顧客を幸せにする必要はもはやないという結論に達した。今、Amazonが目指しているのは、「顧客が見限る寸前まで怒らせる(がまだ行かない)」ことだ。このことは、Amazon製品検索の着実な劣化からも見て取れる。顧客に最適なマッチよりも、上位表示に最高額の賄賂を支払う製品を優先するのだ。

https://pluralistic.net/2023/11/06/attention-rents/#consumer-welfare-queens

もちろん、これはPrimeビデオの着実なメタクソ化にも見られている。Amazonの性格が一変したわけではない。Amazonは常に略奪的な側面を持っていた。ただ、反トラスト法と知的財産法がAmazonの行動に報いを与えなくなったことで、捕食を抑制する理由がなくなっただけだ。

Pluralistic: Prime’s enshittified advertising (03 Oct 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: October 3, 2024
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Nico Baum