以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Epic Systems, a lethal health record monopolist」という記事を翻訳したものである。
米国の医療現場で圧倒的なシェアを誇る電子健康記録(EHR)システム。その開発元がEpic Systemsだ。多くの医師なら、このシステムの使用を強いられている。その結果、患者との診察1時間に対し、Epic EHRの砂を噛むような事務作業に2時間も費やさせられている。
では、なぜこんな明らかに使い勝手の悪い製品が市場を席巻しているのか。その答えは、「The American Prospect」誌のロバート・カットナーによる秀逸な特集記事が明らかにしている。Epicは臨床の場では災厄でありながら、利益を生み出す奇跡の存在なのだ。
https://prospect.org/health/2024-10-01-epic-dystopia
Epicの真骨頂は「アップコーディング」にある。これは病院管理者お気に入りの請求詐欺の一形態で、巨額の富を生み出しながら、なぜか「非営利」と呼ばれる病院にも採用されている。その手口の一例を見てみよう。2020年、コロラド州フォートコリンズのPoudre Valley Hospitalは、救急入口以外のすべてのドアを閉鎖した。その結果、日常的な診療を受ける患者すら、全員が「救急」扱いとなった。
同年4月、妊娠中の生物学者ケイトリン・ウェルズ・サレルノは、普通の陣痛を感じてこの病院を訪れた。彼女は車椅子を断り、自分の足で産科まで歩いていった。その道すがら、セルフィーを撮影できるほどの余裕もあった。にもかかわらず、病院は彼女の正常分娩を、重度の心臓発作並みの「レベル5救急」として記録し、救急医療費として2755ドルもの請求書を突きつけたのだ。
https://pluralistic.net/2021/10/27/crossing-a-line/#zero-fucks-given
このアップコーディングの起源は、レーガン政権時代にさかのぼる。当時、市場原理主義者たちが医療政策を担当し、「前払い方式」を導入した。これは医療費を一括で支払うシステムで、病院に効率的な医療を促す狙いがあった。患者の回復にかかった費用とMedicareが償還する前払い方式の固定額との差額を、病院側が利益として得られるようにしたのだ。これに対し病院は、アップコーディングという巧妙な手法で応じた。例えば、安定した冠動脈疾患の持病がある患者が脚の骨折で来院した場合、冠動脈の状態と骨折の両方をコーディングし、二重の一括払いを受け取るといった具合だ。
https://pluralistic.net/2024/06/13/a-punch-in-the-guts/#hayek-pilled
病院管理者がEpicに熱を上げ、システム全体のライセンスに巨額の投資をする理由は明白だ。これは医師が1時間の診療に対し、2時間のフォーム入力に追われていることと密接に関連している。Epicはこの膨大な情報を収集し、もっともらしいアップコードの種を見つけ出す。これにより病院は、日常的な診療に対しても患者や保険会社、Medicareに法外な請求をすることができるのだ。例えば、Epicは自動的に「合併症のない糖尿病」(階層的状態カテゴリーコード19、894.40ドル相当)を「腎不全を伴う糖尿病」(コード18および136)に格上げし、償還額を1273.60ドルまで引き上げることができる。
さらに悪いことに、Epicは医師を密告する役割も担っている。経営者に医師のアップコーディング順守状況を監視するダッシュボードを提供しているのだ。カットナーの情報源である医師の一人は、上司から「あの診察は2だったけど、3にできないの?」といった質問を受けると明かしている。
この Epic の実態を暴くのに、ロバート・カットナーほど適任な人物はいないだろう。「The New England Journal of Medicine」の元記者として、彼は医療業界の内部事情に精通し、多くの医療専門家とのパイプを持っている。彼の調査によると、Epicはウィスコンシン州ヴェローナの本拠地で12,500人を雇用する、閉鎖的でカルト的な企業だという。
EHR業界の誕生は、ジョージ・W・ブッシュ政権下のHITECH法に遡る。これは後にオバマの2009年景気回復法に組み込まれた。オバマは、EHRシステムを導入する病院に270億ドルもの資金を投じた。これらのシステムには、患者の経過追跡だけでなく、成果主義のデータ提供も求められた。EHRは既に複雑な健康状態の追跡を行っていたが、今や医療業界に「インセンティブ」を与え、患者の命を軽視することやMedicareの搾取をやめさせる基盤にもなることを期待されたのだ。結果、EHRは医師や看護師が一目で嫌悪感を抱くような、複雑怪奇なシステムへと化けてしまった。
しかし、このEHRを心から歓迎したグループがある。それが病院管理者と、Medicare Advantageプランを提供する民間企業だ。彼らもまた、患者のアップコーディングによって政府から搾取することで利益を得ていたのだ。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8649706
EHRの普及は、過剰請求の急増と完璧に一致している。「2014年から2019年の間に、最重症レベルで請求された入院件数は約20%増加した。一方で、他の重症度レベルでの請求はすべて減少した」のだ。
https://oig.hhs.gov/oei/reports/OEI-02-18-00380.pdf
システムの本質は、そのシステムが実際に行うことにある。Epicの独占的なEHRは、価格吊り上げには優れているが、臨床ツールとしては致命的だ。たった一つの処方箋を入力するのに、18回ものキー操作が必要なのだ。
https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2729481
医師は患者を診る必要があるが、上司はEpicの際限ない事務作業の完遂を要求する。今や医師たちは日常的に残業し、何時間も早く出勤して事務作業をこなしている。それでも追いつかない。カットナーの別の情報源によると、医師たちは以前の記入内容を現在の記入欄にコピペする習慣がついてしまい、それが大量のエラーを生み出しているという。中には、Epicの無意味な要求を満たすために適当な数字を入力する者もいる。ある情報源は、結核患者の痛みのスコアを入力するよう求められた際、ただ「ゼロ」と入力したと告白している。
しかし心配はいらない。Epicには解決策がある。AIだ。彼らは「環境音認識」ツールを開発し、診察中の医師と患者のすべての発言を自動的に書き起こし、診察報告書に変換しようとしている。だが、これには二つの問題がある。一つは、AIが高リスクで誤りに敏感な分野に不向きであること。もう一つは、診療記録の本質的な意義を根本的に誤解していることだ。
実は、出来事(医学的検査など)について自分の思考や省察を一貫した報告書にまとめる行為そのものに意味がある。それは、さもなければ断片的な印象や反応の連なりに過ぎない出来事に、厳密さと洞察を与えるのだ。これこそが、ブログを書くことが非常に効果的な理由なのだ。
https://pluralistic.net/2021/05/09/the-memex-method/
医師が熟考し、質の高い記録を取る時間がないという問題の解決策は、より多くの時間を与えることであって、より多くのAIを与えることではない。ある医師がカットナーに語った言葉が的を射ている。「環境音認識は、臨床医に過度のデータ入力を要求するという自作自演の問題に対する安直な解決策に過ぎない」。
EHRは、特に悪質な官民癒着の産物だ。レーガンからオバマまでの医療政策は、システムを市場の力とインセンティブにさらせば十分だと主張してきた。EHRは、病院がこれらのインセンティブを最大限に獲得できるよう設計されている。Epicの臨床ケアモジュールは、医師に低品質の診断提案を大量に浴びせかける。しかし、そのほとんどは「患者の実際の状態やリスクとほとんど関係がない」ため、「アラート疲れ」を引き起こす。その結果、医師は無意味なアラートの洪水の中で、本当に重要なアラートを見逃してしまうのだ。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5058605
自分の施設のケアの質を本当に向上させたいと考える臨床医は、結局のところデータを手作業で記録し、スプレッドシートに入力することになる。Epicから必要なデータを引き出すことができないからだ。一方で、高額なコンサルタント軍団がEpicの使い方を指南しようと待ち構えているが、実のところ彼らも有効な解決策を提示できていない。
皮肉なことに、Epicが誇る特長の一つが「相互運用性」だ。Epic systemsを導入した病院同士で相互接続が可能で、Epicと連携する大規模なサードパーティ製アドオンのエコシステムも存在する。しかし、Epicはプロトコルではなく製品だ。つまり、その相互運用性は完全にEpicの条件下で、Epicの許可の下でのみ機能する。Epicが許可すれば、その製品を使う医師は競合製品を使う医師にファイルを送信できる。しかし、Epicはこの活動を拒否することもできる。さらに、その拒否権は病院が患者記録を競合サービスにエクスポートし、Epic から完全に離脱することさえも左右するのだ。
Epicの売りの一つが、医学研究のための「匿名化」データのエクスポート機能だ。Epic規模の巨大な患者データセットには、数多くの医学的発見の種が眠っていると考えられており、研究者たちはこのデータの調査に熱を上げている。
しかし、Epicのアプローチには重大な問題がある。何百万人もの極めてセンシティブな情報を含むファイルを「匿名化」し、第三者に提供するというのだ。これは悪夢としか言いようがない。「非識別化」されたデータセットが再識別されやすいことは有名だ。しかも、新たなデータリリースや漏洩が起こるたびに、再識別のリスクは高まる。これらは匿名化された記録内の人々の正体を暴くのに使われかねない。例えば、ある病院のすべての処方データ(患者ID、診察日時、処方日時)があるとしよう。将来、UberやGoogleなどから大規模な位置情報の漏洩が起これば、診察時間に一致する病院への出入りを特定できてしまう。そうなれば、中絶薬や抗がん剤、精神科薬など、センシティブな薬を処方された人の素性が丸裸になってしまうのだ。
匿名化データが再識別できる――し、そうなる――という事実は、医療記録から洞察を得る可能性を諦めなければならないということではない。英国では、著名な医師ベン・ゴールドエイクとその同僚たちが、画期的な取り組みを行っている。彼らは、分散型の病院やトラストのシステムにまたがる何百万ものNHS(国民保健サービス)の記録を、データを移動させることなく操作できる「信頼できる研究環境」(TRE)を構築したのだ。このシステムは、プライバシーを守りつつ、驚くほど効果的に機能している。
https://pluralistic.net/2024/03/08/the-fire-of-orodruin/#are-we-the-baddies
TREは、複雑な研究課題をデータベースクエリの形で受け付けるオープンソースの透明性の高いサーバーだ。これらのクエリは公開サーバーに投稿され、ピアレビューと修正を経る。準備が整うと、TREが記録を保持する各データベースにクエリを送信。データベースはTREに応答を返し、TREがそれを公開する。この仕組みは想像を超える成功を収めた。ロックダウン中に立ち上げられたTREのプロトタイプは、わずか数か月で「Nature」誌に60本もの論文を生み出したのだ。
独占企業の非効率性は明らかだ。研究に対するEpicの時代遅れで危険なアプローチや、臨床現場での卓越性を阻害する要因は、まさに独占がもたらす弊害そのものだ。米国の医療産業は、Medicare Advantageから病院カルテルに至るまで、上から下まで完全に機能不全に陥っている。そして、EpicにEHR市場を独占させることで、驚くべきことに、このシステムをさらに悪化させてしまったのだ。
当然のことながら、カットナーは記事の締めくくりに独占禁止法の分析を行い、シャーマン法をEpicにどう適用できるかを概説している。何かしらの対策が必要だ。Epicのソフトウェアは、医師たちが医療の道を去る数多くの理由の一つとなっているのだから。
Epicは、患者のケアに専念したい医師と、患者から金を搾り取ろうとする病院経営者との間の、長年にわたる階級闘争を象徴している存在だ。
この問題は根深く、解決への道のりは険しい。しかし、医療の質と患者の権利を守るためには、Epicの独占体制に風穴を開ける必要がある。それは単に一企業の問題ではなく、米国の医療システム全体の抜本的な改革につながる可能性を秘めている。
医療技術の進歩は、人々の健康と生活の質を向上させるためにある。しかし、Epicの例が示すように、時としてテクノロジーは本来の目的から大きく逸脱してしまう。今こそ、患者と医療従事者の双方に寄り添ったシステムの構築が求められている。それは、効率性と利益だけでなく、人間性と医療の本質的な価値を重視したものでなければならない。
この課題に立ち向かうには、政策立案者、医療従事者、技術者、そして患者自身を含む、社会全体の協力が不可欠だ。Epicの独占打破は、より良い医療システムへの第一歩に過ぎない。真の変革は、医療に関わるすべての人々の意識と行動の変化から始まる。
今、我々の医療は岐路に立たされている。この問題に目を背けず、真摯に向き合えば、我々はより公平で効果的な医療システムを作り上げることができる。Epicの問題は、単なる一企業の暴走ではなく、現代医療が抱える根本的な課題を映し出す鏡なのだ。
(Image: Flying Logos, CC BY-SA 4.0, modified)
Pluralistic: Epic Systems, a lethal health record monopolist (02 Oct 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: October 2, 2024
Translation: heatwave_p2p