以下の文章は、電子フロンティア財団の「U.S. Supreme Court Upholds Public School Students’ Off-Campus Speech Rights」という記事を翻訳したものである。なお、記事中の最高裁判決は今年6月のものである。
米連邦最高裁判所は、週末に学校外で下品なSnapchatセルフィーを投稿したことを理由に、公立高校がチアリーディング部の生徒に下した部活動停止処分が、生徒の修正第一条の権利を侵害したことを認めた。これは表現の自由の勝利である。EFFはこの生徒を支援するために最高裁に法廷助言書を提出し、第3巡回区控訴審でも判決に影響を与えた助言書を提出した。
このマノホイ・エリア学区対B.L.事件は、公立高校のチアリーディング部の生徒が、代表チームに入れず、ジュニア・バーシティ(JV:二軍)チームに入れられたことに端を発する。ブランディー・レビー(後に未成年者ではなくなったため氏名を記載)は、悔しさのあまり、中指を立てた「スナップ」と「fuck cheer(訳注:正確には“fuck school fuck softball fuck cheer fuck everything”)」というテキストをSnapchatストーリーに投稿した。このメッセージは、金曜の夜に地元のコンビニエンスストアから投稿されたものだった。レビーのSnapchat投稿を見た1人がメッセージのスクリーンショットを保存・共有したことで、チアリーディング部のコーチにも伝わり、レビーはJVチームから1年間の活動停止処分をくだされた。
学校側は、ティンカー対デモイン独立地域学区事件(1969年)の最高裁の意見を引用し、レビーの校外での表現に対する処罰を正当化した。この事件では、生徒の校内での表現が学校生活を「物質的かつ実質的に」混乱をさせたり、他者の権利を侵害しない限り、生徒は校内での表現について処罰されないとされた。さらに学校側は、携帯電話やインターネットの普及により、校外で行われたソーシャルメディアへの投稿が容易に校内に持ち込まれる可能性があることを理由に、レビーの活動停止処分を正当化した。我々は、ソーシャルメディアでの発言を含め、学校外での発言の処罰を正当化するためにティンカー判決を持ち出すべきではないと主張した。
最高裁はレビーを支持する判決を下したものの、その内容は我々が期待していたほどのものではなかった。最高裁は、ティンカー判決が校外での表現の制限を正当化するケースもありうるとした。「学校が校外で行われる表現を制限する際に、学校に生徒の表現を制限する追加的な許可を与える特殊な特性が常に消滅するとは思わない」。
しかし最高裁は、公立学校が私生活に立ち入れる状況は、極めて限定的であることを強調し、校外での表現活動については「学校の特殊な特性に関して、憲法修正第1条は学校に与える余地を減じる」と述べている。その上で、「学校の規律上の利益が重要である」場合として、4つの処罰可能な校外の状況を挙げた。
(1) 特定の個人に対する深刻ないじめや嫌がらせ、(2) 教師や他の生徒に対する脅迫、(3) 授業、レポート作成、コンピュータの使用などのオンライン学校活動への参加に関する規則の不遵守、(4) 学校のコンピュータ内に保存されている資料等、学校のセキュリティ装置への侵入
最高裁は、校外での表現には、校内での表現とは異なる3つの重要な「特徴」があり、したがって校外での表現を制限することは正当化し得ないと説明する。
第一に、「学校は、校外での表現活動に関して、親の代わりになることはほとんどない」としている。裁判所は、このドクトリンが適用されるのは、「実際の親が子どもを保護・指導・規律しえない場合」と説明しているが、この点は生徒が自分自身を表現する場合には考慮する必要がない要素であろう。
第二に、そして最も強力な点として、学校は校外での表現を処罰する権限を制限しなければならない。これは「生徒の発言者の観点からすれば、校外での表現に対する制限は、校内での表現に対する制限と相まって、生徒が1日24時間に発するすべての表現が含まれてしまう」ためである。
第三に、「学校自体が、特に表現が校外で行われる場合に、学生の好ましく思われにくい表現を保護すべきである」ということである。最高裁は、「公立学校は民主主義の苗床である」と認識しており、「(意見の)自由な交換は、情報に基づく世論を促進し、それが立法者に伝われば、国民の意思を反映した法律を生み出すのに役立つ」ことを学生に教育する義務を負うとしている。
重要な点は、最高裁が校外のソーシャルメディアでの表現に特別なルールを設けなかったことだ。インターネット上の表現が他に類を見ないほど共有され、アクセスされる性質を有していることを考えれば、たとえ校外で投稿されたものでも、オンライン上の表現に対する制限を強化する必要があるという学校側の主張に耳を傾けなかったことによる。我々は法廷助言書の中で、リノ対ACLU事件(1997年)ではインターネット上の表現に、パッキンガム対ノースカロライナ事件(2017年)では特にソーシャルメディアに、十分な修正第一条の保護を与えたことを最高裁に主張した。パッキンガム判決で裁判所が述べているように、「修正第1条が(オンラインで)乏しい保護を与えていることを示唆する」ことを避けるためには、「細心の注意」を払わねばならない。
マハノイ判決後、レビーは次のように語っている。「私は不満を感じていました。14歳でしたが、今日のティーンエイジャーと同じように不満を表現したのです。若者は、学校で処罰されることを心配することなく、自分を表現できなければなりません」。
Publication Date: September 30, 2021
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image:LOGAN WEAVER / Omar Flores
事件のもう少し詳しい経緯や背景については、Wikipediaの記事にまとめられているので、興味のある方は参照いただきたい。