以下の文章は、電子フロンティア財団の「UN Human Rights Committee Criticizes Germany’s NetzDG for Letting Social Media Platforms Police Online Speech」という記事を翻訳したものである。
国際人権規約委員会は、ドイツの市民的・政治的権利の状況について調査を進めている。その最近の報告書では、ドイツのネットワーク執行法(NetzDG)に狙いを定め、このヘイトスピーチ規制法がソーシャルメディア企業を政府による検閲に加担させ、コンテンツの削除を司法が監督しない制度であると批判した。
国連市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)の実施を監督する国際人権規約委員会は、この規制がテクノロジー企業を、何が自由な表現で何がヘイトスピーチなのかを決定する権限を持つインターネット警察として振る舞わせることになるのではないかという懸念を表明した。我々も以前から指摘してきた懸念である。NetzDGは大規模プラットフォームに、「明らかに違法」と思われるコンテンツを警告から24時間以内に削除することを義務づけている。それゆえ、プラットフォームが罰則を避けようとするあまり、誤って適法な言論まで検閲してしまうおそれがある。また、コンテンツの削除を裁判所が監視しておらず、「コンテンツが議論を呼ぶような性質を有する場合の救済措置」が制限されてしまうことから、特に憂慮すべきものと考えられる。
11月11日に発表された国際人権規約委員会のドイツに関する報告書では、「当委員会は、これらの規定とその適用がオンライン上の表現を抑制する効果を有するおそれがあることを懸念している」と述べられている。この報告書は、人権規約委がICCPR条約に基づく人権に関する義務のドイツの履行状況を独立評価した総括所見である。
国連機関がNetzDGに警鐘を鳴らしていることは重要だ。トルコを始めとする権威主義国家が相次いで、NetzDGをヒントに言論規制に乗り出してきている。最近の分析では、ベネズエラ、オーストラリア、ロシア、インド、ケニア、フィリピン、マレーシアなど、少なくとも13カ国がNetzDGの発効以降に、同法の規制構造に基づく法律を提案・制定した。そのほとんどは、プライバシー侵襲的で検閲的な形態をとっていると報告されている。
獄中にあるエジプト人エンジニアのアラー・アブデル・ファタハの言葉を借りれば、「民主主義が深く根付いた地域で人権が後退すれば、人権が脆弱な社会でさらなる人権侵害の口実に使われることは明白である」。
NetzDGの模倣法の拡散が世界中の表現の自由に影響を及ぼすというだけでなく、NetzDGそれ自体もドイツでのネット上の悪用やヘイトスピーチの抑制に機能していないことが懸念される。ドイツの総選挙を前に、極右グループが女性候補者にハラスメントや誹謗中傷の投稿を繰り返していたことからも、有害コンテンツや誤情報の排除を目的としたこの規制がほとんど有効に機能していないことが示されている。同時に、NetzDGとその模倣法の存在は、企業が政府の要請に直面した際、適法な言論を保護しようというインセンティブを低下させることにもつながる。
また一般に、企業がユーザの投稿に責任を負わされるようになると、国連機関が懸念する表現の自由を阻害する影響がもたらされる。企業が罰則や遮断の脅威にさらされれば、コンテンツを過剰に削除し、正当な言論を排除し、口を塞ぐようになる傾向がある。またFacebookやYouTubeのような巨大プラットフォームであれば多額の罰金も支払えるが、大半の企業にそのような余裕はない。過剰な負担によって市場への新規参入が妨げられることにもなる。その結果、インターネットユーザの選択肢は減り、巨大プラットフォームは更に大きな独占力を得ることになる。
規約人権委員会はドイツに対し、NetzDGがすでにオンライン表現に及ぼしている抑制効果を緩和するための措置を講じるよう勧告した。ドイツは、NetzDGによるオンライン表現の制限をICCPR第19条(3)の要件に即したものにしなくてはならない。つまり、法律に基づく制限は比例的でなくてはならず、「他人の権利又は信用の尊重、ないし国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護のために必要とされるもの」でなければならない。さらに人権委は、「オンラインコンテンツの性質が議論を呼ぶものである場合に、司法の監視と救済措置を提供するために」NetzDGの見直しを検討するようドイツに勧告している。
ドイツは国内の表現の自由を守るための第一歩として、これらの提言を受け入れるべきである。我々はドイツがそのような道を歩むことを信じている。
Publication Date: Noember 23, 2021
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Christian Lue
常々ネット規制に関連して抱いている2つの懸念が指摘されている。1つは、国家(とりわけ行政府)による法執行の責任の希薄化、もう1つは、民主主義国家におけるネット規制が非民主主義/強権主義国家にもたらす影響である。
今年はじめにトランプ大統領(当時)のツイッターアカウントが凍結された際に、メルケル首相(当時)は「表現の自由は、基本的権利として重要だ。(その制限は)法に従うべきであり、民間企業が決めるものではない」として、アカウント凍結を問題視する見解を(報道官が)示しているのだが、ここには基本的権利である表現の自由の制限を誰が“執行”するのかという視点が抜け落ちていた。
本来的には表現の自由が重要な権利であるからこそ、その制限は立法に寄らねばならないのは当然だとして、執行は行政がなさねばならないし、判断は司法に委ねられなければならないのも当然である。だが、NetzDGのようなプラットフォームに責任を負わせる法律は、実質的に表現の自由を制限する法律であるにも関わらず、とりわけ行政による執行、司法による判断の責任が極めて希薄化してしまう。
ようするに、プラットフォームが適法なコンテンツを誤って削除したり、問題のないはずのアカウントを誤って凍結したとしても、その削除や凍結を間接的に強制する政府や当局は責任を負わずにすむ、間違ったプラットフォームが悪いと言い張れてしまう問題である。一般に、表現・言論を制限する場合には法手続きに従って当局が執行し、司法が判断する。政府機関、当局が、法手続きに寄らずに個人の言論を制限すれば、一大スキャンダルとして取り上げられるだろう。さらにそれが間違いであった場合には、何人かのクビがとんでもおかしくない。
だが、同じことをプラットフォーム(や、違法コンテンツを通報・通知するトラステッド・フラッガー)に代理執行させれば、政府や執行機関が表現の自由の制限に責任を負うことなく、しかも判断の難しいものであっても「制限」させやすい状況を作り出せる(あくまでプラットフォームによる違法コンテンツの削除は人権保護のための緊急避難的なものであって、本来的な違法コンテンツの取り締まり、つまり投稿者への法執行ではない、ということもできるのだろうが、そうなるとメルケルの見解とはつじつまが合わない)。しばしば、プラットフォームは無責任だと言われるが、実はそう言っている側も無責任であるということなのかもしれない。
ドイツはヘイトスピーチを違法化しているので、違法ヘイトスピーチの投稿者を取り締まることはできる。が、ヘイトスピーチが後を絶たないのは、そのすべてが国外から書き込まれているからではないだろう。インターネットのスケールに法執行がまったく追いついていないというリソースの問題のほうが大きいように思われる。
もちろんオンライン上のヘイトスピーチの問題は喫緊の人権問題であることには同意するし、巨大プラットフォームの手綱をしっかり握りたいという気持ちもわからんではない。だが、間違った解決策を講じると、別の人権問題が生じるし、表現の自由に対する国家の責任が希薄化してしまう。そして、それがもう1つの懸念、つまり強権国家による言論統制への法の悪用につながるのである。
プラットフォームがどれほど無責任であろうと、権力への手綱を緩めてよい理由にはならない。