以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Freedom of reach IS freedom of speech」という記事を翻訳したものである。
言論の自由をめぐるオンラインの議論は、呆れるほどにくだらない。しかも日増しに悪化しているときた。今週は、「言論の自由」と「リーチの自由」という間違った二項対立について――つまり、何が見たいかというあなたの明確な選択をプラットフォームが覆してよいのかという議論について話そう。
我々がまだこのような戦いを続けていること自体まったくもって愚かしい。これは文字通り、インターネットの最初の戦いだったのだ。現代のインターネットは「ベルヘッズ」(Bellheads:中央集権的な権力がネットワークの使い方を決定すべきと考える人々)と「ネットヘッズ」(Netheads:サービスは「エッジ」で提供・消費されるべきと考える人々)との壮絶な戦いの末に生まれたのである。
https://www.wired.com/1996/10/atm-3/
ベルヘッズは、ユニバーサルサービスとマネタイズという2つの原則を掲げるレガシー通信事業者のシステムから生み出された。大手通信会社は、すべての人(「すべての人」の何らかの価値のために)にサービス提供を義務づけられ、その見返りに電話システムに接続する人々への独占権を有していた。
つまり、どのようなサービスや機能を提供するかを決定する権限を持ち、競合他社が厄介なサービスや機能を追加しようものなら、政府に介入を求め排除することができた。たとえば、受話器に取り付けて話し声を聞かれないようにする「ハッシュ・ア・フォン」がその典型だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hush-A-Phone
彼らは面白半分でこの新機能を排除したわけではない。この狂気の沙汰は、レント・エクストラクション(過剰な自己利益の追求)だったのである。「基本サービス以上のものにはすべて値札をつけろ」がベルシステムの鉄則だった。電話のあらゆる「機能」が、電話会社の毎月の収入源となった。電話機そのものも購入はできず、毎月、毎年、何百回と代金を支払ってもレンタル料を支払わされ続けた。
これは「略奪的インクルージョン」の重要な初期事例である。独占的な通信事業者は、我々全員にユニバーサルサービスを提供したが、それは醜悪で、寄生的で、レントシーキングなビジネスの幕開けだったのである。
https://lpeproject.org/blog/predatory-inclusion-a-long-view-of-the-race-for-profit/
やりたい放題だったのは電話機だけではない。目玉が飛び出るほど高かった長距離電話料金や、1分ごとの市内通話料金など、電話に関わることは何だってアラカルトだった。キャッチホン(call waiting)などの機能も、月額課金によってマネタイズされていた。
発信者番号通知機能が登場したときも、月々2.50ドルを支払わなければならなかった。受話器を上げる前に誰からの電話かを知る、それだけのためにね。これこそベルヘッドの極みだ。この原理をインターネットに当てはめてみよう――電子メールを開く前に“from”の行を見たいなら、月々2.50ドルを支払え。
ベルヘッズは「スマート」なネットワークを望んだ。ネットヘッズは、デヴィッド・アイゼンバーグが「ステューピッドネットワーク」と呼ぶ、誰かから誰かに信号を送ることだけが仕事の「マヌケなパイプ」を望んだ。
https://www.isen.com/papers/Dawnstupid.html
後者はエンド・ツー・エンド(E2E)原則と呼ばれる。誰もが第三者に介入されずに他の誰かからメッセージを受け取れるネットワークがE2Eだ。ただ、このシンプルなアイデアは、のちのSPAM戦争を経て重要な修正が加えられた。つまり、メッセージは合意に基づくものでなければならない(DoS攻撃、SPAMは含まない)。
インターネットが「残る4つのウェブサイトのスクリーンショットで埋め尽くされた5つの巨大なウェブサイト」(h/t トム・イーストマン)に飲み込まれてしまったことは、エンド・ツー・エンドの終わりを意味する。あなたがYouTuber、Tiktoker、Tweeter、Facebookerなら、誰かがあなたのフィードを購読したという事実は、その人が実際にあなたのフィードを見ることを意味しない。
プラットフォームは、他者からのメッセージを受け取りたいというあなたの明確な要求を、単なる提案、つまり「シグナル」としてのみ扱う。それはあなたのフィードを生成するコンテンツモデレーションアルゴリズムの中で他のシグナルと混ぜ合わされ、あなたが見たいと頼んだわけでもない見知らぬ誰かのコンテンツと一緒に吐き出される。
見知らぬ誰かのコンテンツをレコメンドするシステム自体は、基本的には何の問題もない。実際、フォローしたい人を見つけるにはいい方法だ。だが、「あなたが好きになるかもしれないもの」と「あなたが見たいと言ったもの」を同じカテゴリとして扱って良いはずはない。
ではなぜ、企業はあなたが見せてほしいといったものを見せようとしないのか? 彼らはあなたの役に立ちたがっているからだ、という説明もないわけではない。彼らの調査、あるいはユーザの監視から得られた推論からは、ユーザたちは実際にそのような状態を望んでいると言えるのかもしれない。
だが、これにはもう1つの側面がある。ユーザの投稿から構成されるフィードというのは、代替可能だということだ。理論的には、あるプラットフォームから別のプラットフォームにフィードを移植することができる。Twitterでフォローしている全員がMastodonにアカウントを開設したとしたら、Movetodonなどのツールを使って彼らをリフォローすれば、同じフィードを手に入れることができてしまう。
企業が秘密のアルゴリズムを使って管理するフィードを、競合他社が複製するのは極めて難しい。Spotifyがアルバムではなくプレイリスト推しなのはそのためだ。どのサービスでもお気に入りのアルバムは同じだが、プレイリストはサービスに統合されているのである。
だが、フィードのプレイリスト化には別の側面がある。プレイリストやレコメンド・アルゴリズムはチョークポイントになるのだ。それはクリエイターとオーディエンスとの間に永久に企業を介入させ続けるための手段となる。チョークポイントあるところに、チョークポイント資本主義が生まれる。
https://chokepointcapitalism.com/
企業はオーディエンスを囲い込むことで、そのオーディエンスがクリエイターの作品へのアクセスを求めていたとしても、オーディエンスにリーチする見返りにクリエイターから搾取できるようになる。Spotifyの場合、クリエイターがプレイリストに登録してもらうためにお金を支払わなければならないペイオラ(DJにラジオでプレイしてもらうための賄賂)として現れている。Spotifyはプレイリストを利用してオーディエンスが類似の音楽を聴くように仕向け、オーディエンスが聞きたいアンビエント・アーティストではなく、ロイヤルティを支払わずに済む雇われミュージシャンの楽曲に密かに差し替えていたのである。
Facebookのペイオラも同じような仕組みだ。Facebookで投稿を公開する際に、あなたをフォローしている人たち――つまり、あなたの投稿を閲覧するために登録した人たち――にその投稿を届けたいなら、お金を払ってブーストしなさい、というわけだ。Facebookはユーザのフィードを「整理」してあげているだけだと言うかもしれないが、そんなものは薄っぺらな自己弁護に過ぎない。あなたがFacebookで友達や家族をフォローしていたとしても、あなたのフィードはあなたにリーチするためにお金を払うことをいとわないアカウントのためにあるのだ。
「乱雑なんじゃない、私はフォローしている人たちの投稿をすべて表示して欲しいんだ」と、あなたは思うかもしれない。だが、それをプラットフォームに伝える術がないことに気づけば、「整理」してあげるという言い訳はますます薄っぺらくなる。大手メールプロバイダのカルテルが、スパムを口実に、ユーザが自発的に登録したメーリングリストやニュースレターをブロックしていることを思い出してほしい。SPAMフォルダからメッセージをサルベージし、アドレス帳に送信者を追加し、「もし送信者がXなら、メッセージを“非SPAM”としてマークする」と言うメールルールを設定しても、メッセージはSPAM送りにされてしまうのだ。
https://doctorow.medium.com/dead-letters-73924aa19f9d
二重にオプトインしているはずのニュースレターやメーリングリストをSPAM扱いしてよいのかという議論よりも、政治家からの未承認の寄付金集めメールをSPAM扱いしてよいのかというつまらない議論が白熱してしまうあたり、オンラインの表現の自由の議論が救いようがないほどに劣化していることの証左なのだろう。
https://www.cbsnews.com/news/republican-committee-sues-google-over-email-spam-filters/
メールに関して言えば、議論されていることよりも、議論されていないことのほうがよほど重要だ。メーリングリストのプロバイダが、送信メールの「開封率」がわかると公然と宣伝していることをご存知だろうか。つまり、送信するすべてのメッセージに監視ビーコン(トラッキングピクセル)を埋め込んでいるのである。
https://www.wired.com/story/how-email-open-tracking-quietly-took-over-the-web/
ユーザを監視するメールを送信してくるのはムカつくが、さらにヘドが出るのは、メールクライアントがデフォルトでスパイをブロックしていないことだ。トラッキングピクセルをブロックするのは極めて簡単だし、メールの閲覧をスパイされたいと思うユーザなんてまずいない。ウェブメールアカウントのチュートリアルには、「イカれた不審者にあなたがどのメールを閲覧したか教えていいかい?」というダイアログを出すべきで、デフォルトは「Fuck no!」、その反対は「Hurt me, Daddy!」にでもしておけばいい。
もしメールプロバイダが受信箱を「整理」してあげたいのであれば、ほぼ毎回未読のまま削除される送信者のダッシュボードを提供して、そうした送信者からきたメッセージを直接SPAM送りにするかを提案すればいい。にも関わらず、メールプロバイダは意に反する介入によってメッセージをブロックし、そのブロックを無効化する方法を提供しようとはしないのである。
レコメンドに関して言えば、企業は解消し得ない利益相反を抱えている。あなたの生活をより良くするためにあなたのコミュニケーションに介入しているのか、それとも株主を儲けさせるために介入しているのか。どちらであるかを判断するのはほぼ不可能だ。それは企業の意図次第であり、プロダクトマネージャーの真意を読み取ることは不可能だからだ。
これがプラットフォーム資本主義の本質である。プラットフォームを立ち上げたばかりの時期は、ユーザベースを増やすことが急務となる。それゆえ余剰をユーザに転嫁する。Amazonのスタート当時、製品や配送に補助金を出していたことを思い出してほしい。
Amazonは同じようにして販売者も呼び込んだ。余剰の一部を販売者にも転嫁したのだ。Kindleの作家には多額の報酬を与え、Marketplaceのハードカバー販売者には驚異的なリーチを与えた。販売者が増えれば購入者も増え、購入者が増えれば販売者を呼ぶ。
販売者が購入者のために、購入者も販売者のためにAmazonから離脱できなくなると、Amazonは余剰を自社に転嫁するようになった。Amazonの年間310億ドルの「広告」ビジネスは、ペイオラ以外の何物でもない。さらに販売者がその手数料をカバーするために価格を上げると、Amazonは「最恵国待遇」契約を突きつけて、販売者に他のどこでも価格を上げるように強制した。
製品名で検索すると、低品質の紛い物の広告が6分割で表示されるAmazonのメタクソ化(enshittification)は、チョークポイント資本主義の必然的な終着点である。
https://pluralistic.net/2022/11/28/enshittification/#relentless-payola
同様のメタクソ化はどのプラットフォームにもある。「言論の自由はリーチの自由ではない」という言葉は、「あなたがここに留まる限り、あなたの体験をメタクソにするつもりだ」を言い換えただけの言葉に過ぎない。
レコメンドが公正かどうかを見分けるのは難しいが、エンドツーエンドのブロックが不公正かどうかを見分けるのはとても簡単だ。誰かが別の誰かにメッセージを送って欲しいと頼んだのに、第三者が介入してそのメッセージをブロックしたら、それは検閲だ。それを「リーチの自由」と言い換えたところで、検閲に違いはない。
クリエイターにとって、E2Eへの干渉は給料泥棒でもある。YouTubeやTikTokなどのプラットフォームで作品を公開するクリエイターが、プラットフォームのアルゴリズムにルールに違反だと判定されたから購読者にそのビデオを表示しないと判断されたら、そのクリエイターにはお金が支払われなくなる。
ボスから半分しか入っていない給料袋を渡され、残りの半分はどうしたのかと尋ねると、「君はルールを破ったから給料を減額した。でもどのルールかは教えない。教えたら私に隠れてルールを破る方法を見つけてしまうかもしれないからね」と言われるようなものだ。
コンテンツモデレーションは、情報セキュリティの中で唯一、隠蔽によるセキュリティ(security through obscurity)が有効だと考えられている領域なのである。
https://doctorow.medium.com/como-is-infosec-307f87004563
それゆえ、コンテンツモデレーションは労働問題でもあるのだ。そのアルゴリズムをリバース・エンジニアリングして、クリエイティブワーカーとそのオーディエンスに「何を見るか」のコントローラビリティを取り戻そうとするTracking Exposedなどのプロジェクトは、まさに労働者の権利のための闘いなのである。
https://www.eff.org/deeplinks/2022/05/tracking-exposed-demanding-gods-explain-themselves
我々は今、ネオ・ベルへディズムの15年に渡る実験の末期にある。巨大プラットフォームはエンドツーエンドを「文明的な時代の洗練された武器」ではなく、原始時代の遺物として扱っている。
MastodonやTumblrなどのポストTwitterプラットフォームはE2Eプラットフォームであり、誰かがあなたの発言を見たいと望めば、それを見せなければならないという理念に基づいて設計されている。こうしたプラットフォームは、あなたの判断を覆すアルゴリズムを開発するのではなく、あなたの見るものを微調整するための豊富なツールを備えている。
https://pluralistic.net/2022/08/08/locus-of-individuation/#publish-then-filter
こうしたツールは、かつては苛烈な競争があり、何よりイノベーティブだった。だがその取り組みは、プラットフォームの台頭により傍流に追いやられてしまった。プラットフォームはユーザが自分のフィードをコントロールできるようにするサードパーティMODを強く敵視していたためだ。
https://techcrunch.com/2022/09/27/og-app-promises-you-an-ad-free-instagram-feed/
残念なことに、政治家たちはこのような状況をまったく理解できていない。それどころか、E2Eを破壊し、サードパーティの脱メタクソ化ツールをブロックするよう求める「オンライン安全」法を作ろうとしているくらいだ。
https://www.openrightsgroup.org/blog/online-safety-made-dangerous/
オンラインの言論の自由をめぐる議論はあまりに見当違いで、度し難いほどに愚しい。
- アルゴリズムの改善にばかり注目し、見たいと求めたものをフィード上に表示させられるかどうかはまったく気にしない
- 未承諾メッセージが配信されないことばかりに注目して、承諾メッセージが読者に届くかどうかは気にかけない
- アルゴリズムの透明性ばかりに注目し、アルゴリズムの学習データを生成する行動追跡をオプトアウトできるかどうかを見逃す
- 社会的・仕事上・個人的なつながりを失うことなくプラットフォームを離脱できるかどうかには興味を持たず、プラットフォームがユーザを十分に取り締まっているかばかりを気にする
https://doctorow.medium.com/yes-its-censorship-2026c9edc0fd
「言論の自由」と「リーチの自由」の人為的な区別は、利己的な言葉遊びにすぎない。我々がこうした議論をさせられているのも、億万長者の好事家がサウジ王室に負った債務を履行するために、ユーザからペイオラを引き出すチョークポイントを作ろうとしているからである。
億万長者の好事家たちは、「自由」や「差別」、「言論の自由」などの重要な用語について、自分たちなりの愚かな定義を持っている。だがその定義は、億万長者ではない世界中の7,999,997,332人がその概念をどのように経験しているかを完全に無視した利己的な定義であることを忘れてはならない。
Pluralistic: Freedom of reach IS freedom of speech (10 Dec 2022) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: December 10, 2022
Translation: heatwave_p2p