以下の文章は、センター・フォー・デモクラシー&テクノロジー(CDT)の「Zuckerman v. Meta and the Puzzle of Section 230(c)(2)」という記事を翻訳したものである。
イーサン・ザッカーマンはFacebookを愛している。だからこそ彼はMetaを訴えた。今年初め、彼は『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿したゲスト・エッセイでそう語った。2024年9月5日、CDTは彼の訴訟を支持するアミカス・ブリーフに加わった。この訴訟は、ユーザがFacebookのニュースフィードをオフにし、自分の体験をカスタマイズできるようにするツール、「Unfollow Everything 2.0」の立ち上げを保護しようとするものだ。この訴訟は、通信品位法第230条の見過ごされがちだが重要な側面を再検討するよう裁判所に求めている。勝訴すれば、ユーザのオンライン体験のコントロールを強化する方法という複雑な問題の一部を解決できるかもしれない。
ザッカーマンがMetaを提訴した理由
2024年5月1日、マサチューセッツ大学アマースト校のイーサン・ザッカーマン准教授が、Meta Platformsを提訴した。彼は、Unfollow Everything 2.0の運営が、契約違反、消費者詐欺・乱用防止法、カリフォルニア州コンピュータデータアクセス・詐欺防止法に基づくすべての民事請求および責任から、通信品位法第230条(c)(2)(B)項により免責されるという確認判決を求めている。ザッカーマンは、Metaやその他の企業が、以前にユーザにオンライン体験をよりコントロールさせることを目的としたツールの使用を阻止したり、妨害したことを受けて、この判決を求めている。
今や多くの政策立案者が「インターネットを創造した26の言葉」、つまり第230条(c)(1)項を熟知している。この条項は、プラットフォームを他人が投稿した情報のパブリッシャや発言者として扱ってはならないと定めている。しかし、ザッカーマンの訴訟はこの条項に基づくものではない。代わりに、彼は第230条(c)(2)項に注目する。この項では、ユーザが「好ましくない」と判断するコンテンツへのアクセスを制限する技術的手段の提供行為について、プラットフォームやユーザから免責されると規定している。ザッカーマンは、Unfollow Everything 2.0がまさにこの条項が奨励しようとしたツールだと主張する。このようなツールは、ユーザにオンライン体験の決定権を与え、不快なコンテンツをフィルタリングする手段を提供する。これにより、政府の検閲ではなく、ユーザ自身の好みに合わせたより良い、より安全なオンライン体験への道が開かれる。
ユーザ生成コンテンツに対するプラットフォームの免責を定めた第230条(c)(1)項は、注目と批判の的にもなってきたが、一方で不適切なコンテンツのモデレーションとフィルタリングを保護する第230条(c)(2)項は、ほとんど注目されてこなかった。皮肉なことに、この条項こそが、通信品位法を生み出す原動力となった「子どもの保護」という懸念に対処するためのものだった。第230条の前半に30年近く注目が集まった今、立法者が第230条に込めた意義――表現の自由とユーザのコントロールの両立――を再検討する時期に来ている。第230条(c)(2)項の存在意義と、プラットフォーム規制の喫緊の課題への対処法を理解する必要がある。
第230条の波乱万丈な歴史
通信品位法第230条は、しばしば新興テック産業への贈り物だと言われている。しかし、それは部分的には草の根アドボカシーの産物でもあった。CDTや市民社会のアライたちが先導し、ユーザがオンラインで接する情報を自らコントロールできるようにすることを目指したのだ。議会の意図を解釈するのは常に難しいが、第230条の条文、立法記録、そして起草者自身の発言を見れば、その目的は明らかだ。政府の検閲や責任追及の脅威からインターネットを守り、同時にユーザ自身がオンライン体験をコントロールできるようにすることだった。皮肉なことに、この条項は正反対のことを目的とした法律の一部として成立したのである。
1995年2月、ネブラスカ州選出の民主党議員J・ジェームズ・エクソンが通信品位法(CDA)を提出した。「情報スーパーハイウェイを歓楽街にしてはならない」。彼はそう信じ、子どもと家族をオンラインの不適切なコミュニケーションから守るという名目で法案を提出した。まさに現代のオンライン児童保護論争と同じことが当時起こっていたのだ。可決された通信品位法は、電話サービスに適用されていた嫌がらせ防止、わいせつ防止、および猥褻防止の制限を「インタラクティブコンピュータサービス」に拡張し、「18歳未満の者に対して、現代の地域社会の基準に照らし、明らかに攻撃的な用語で性的または排泄的な活動や器官を描写または説明するコンテンツを、そのようなサービスのユーザが通話を発信ないしコミュニケーションを開始したかに関わらず、故意に送信または表示すること」を禁止した。
この法律に対し、CDTや「ACLU系」の人々が反対の声を上げた。彼らは通信品位法を憲法修正第1条とオンラインでの表現の自由への脅威と見なしたのだ。1995年8月4日の「CDT Policy Post」は、通信品位法への反対運動がインターネット史上初のオンライン支持活動を引き起こしたと伝えている。議会への電話は数千件に上り、10万人が請願書に署名し、インターネット初のブラックアウト抗議も行われた。上院が84対16で通信品位法を可決した後、CDTとInteractive Working Groupの80以上の連合メンバーは代替案の策定に乗り出した。クリストファー・コックス下院議員とロン・ワイデン下院議員と協力し、現在の第230条の理論的基盤となるレポートをまとめ上げたのだ。
このレポートは、インターネットの国家政策を導く4つの原則を提示した。
- 憲法で保護されたコミュニケーションと情報の規制から自由な、インタラクティブメディアの活気ある自由市場を維持すること。
- 新しいインタラクティブメディアにおいて、完全な憲法上の言論の自由とプライバシーの保護を維持すること。
- 業界が協力してブロッキングおよびフィルタリング技術を開発し、親が子どもの攻撃的な資料へのアクセスを制限できるようにすることを奨励すること。
- 新興メディアがストーキング、猥褻物の取引、児童ポルノの製作などの犯罪活動に使用されないようにすること。
レポートは、オンラインでの不適切な通信の禁止は違憲であると主張した。憲法で保護された情報への制限は、やむを得ない政府の利益を達成するための最小限の手段でなければならない。子どもたちをオンラインで守ることは確かに重要だが、厳しい規制はインターネットの民主的可能性を損なうことになる。政府の検閲ではなく、ユーザに権限を与えることこそが、オンラインの安全を確保する最善の方法だと指摘したのだ。当時のSurf Watch、Net Nanny、CYBERsitterなどのソフトウェアは、政府の介入なしに親やユーザが望まないコンテンツをスクリーニングできるツールだった。レポートは、こうしたツールがさらに進化し、家族の安全を守り、ユーザが好みに応じてオンライン体験をカスタマイズできるようになると指摘した。
このレポートは、通信品位法に代わる憲法に適合した代替案を提案した。それは「親に権限を与える技術の最大限の活用」「憲法で保護された言論の明確な保護」「既存の法令の執行の強化」を柱とするものだった。これらの原則は、コックス・ワイデン「インターネットの自由と家族のエンパワーメント法」に反映された。後にこの法案は通信品位法の一部として採用され、現在の第230条となった。CDTらの反対派は「憲法の後ろに隠れている」と批判されたが、最高裁判所は我々の懸念が正当だったことを証明した。1997年6月26日、「Reno v. ACLU」判決で、最高裁は通信品位法のほとんどを違憲と判断し、第230条だけが残された。
第230条(c)(2)項のパズル
第230条の起草者たちは、この条項の採択時にこう述べている。「政府の検閲者がインターネットの可能性を台無しにすることは許されない」、オンライン空間を安全にする「コンピュータ上の『善意の第三者』を保護する」。この二つの意図が、第230条(c)(1)項と(c)(2)項に反映されているのだ。第230条(c)(1)項はユーザのオンライン言論の促進に成功した。しかし、ユーザによるオンライン体験のコントロールという目的に照らせば、第230条は十分にその意図を果たしていないと言える。
Interactive Working Groupのレポートは、ユーザの権限を強化するツールに「豊富な可能性」があると楽観的に予測した。第230条(c)(2)項は主にポルノコンテンツのブロックを念頭に置いていたが、その文言は暴力的、嫌がらせ、または「その他の好ましくない」コンテンツまで幅広く対象としている。この規定は、Unfollow Everything 2.0のようなツールを通じて、ユーザが技術的手段でオンライン体験をコントロールできるようにすることを明確な目的としていた。オンラインの安全性への懸念に対処する、より制限の少ない手段となることを意図していたのだ。しかし、オンラインコンテンツを対象としたユーザツールの活気ある市場は実現しなかった。なぜだろうか?
ザッカーマン対Metaの訴訟は、この謎を解く一助となるかもしれない。第230条(c)(2)項に基づき、Unfollow Everything 2.0のような「ミドルウェア」をより明確に保護する道が開かれるかもしれない。しかし、たとえこの主張が認められたとしても、多くの疑問が残る。ザッカーマンの訴訟には、第230条とコンピュータ詐欺・乱用防止法の関係について裁判所の判断を求める内容も含まれている。ダフネ・ケラーは、「ミドルウェアを機能させる」上での障害として、少なくとも4つの問題を指摘している。技術的実現可能性、収益化、キュレーションコスト、そしてプライバシー保護だ。
競争と相互運用性の分野には、さらに厄介な問題が潜んでいる。「マジックAPI」などのツールは、ユーザが好みに合わせたインターフェースを作れるようにするかもしれない。しかし、これらのツールには既存のテック大手の経済的利益と相反する可能性のある相互運用性と協力が必要だ。さらに、第230条(c)(2)項がユーザツールの提供に対する責任を免除したとしても、プラットフォームがツールの機能を妨げる技術的な障壁を設けることは防げない。例えば、X(旧Twitter)はAPIの価格変更によってBlock Partyというユーザツールを事実上終了させた。Metaはザッカーマンへの反論で、利用規約を通じて第230条(c)(2)項を回避できると主張している。これは、プラットフォームの完全性とデータアクセスに関する複雑な問題を提起している。研究者のデータアクセスをめぐる議論とも重なる部分が多い。
解く価値のあるパズルだ
「ザッカーマン対Meta」訴訟は、表現の自由、プライバシー、競争が交錯する難問を浮き彫りにしている。この問題の答えが、サードパーティのユーザツール市場の発展を阻んでいるのかもしれない。この訴訟だけでは全ての問題には答えられないかもしれないが、第230条(c)(2)項の可能性を最大限に引き出すために、この障害に取り組む価値は十分にある。第230条制定以来、インターネットは劇的に変化した。皮肉なことに、この変化によって第230条(c)(2)項が想定していたようなテクノロジーの重要性が増している。1995年当時、ユーザが「不快なコンテンツに偶然出くわす」可能性は比較的低かった。しかし今や、大手プラットフォームはユーザが目にする情報に強力な影響力を持っている。プラットフォームは確かに、コンテンツのモデレーションを通じてオンライン空間をより有用にしている。最高裁判所も、これらの活動が強力な憲法上の保護を受けることを明確にした。しかし、この編集権限は、エンゲージメントの最大化や利益優先のためにも使われている。結果として、ユーザが本当に価値を見出す情報や言論が埋もれてしまうことになる。ここに、競争力のあるミドルウェア市場の可能性が浮上する。ユーザがオンラインプラットフォームに「編集レイヤー」を追加できれば、二つの効果が期待できる。一つは、消費者が自分のオンライン体験をより細かく制御できるようになること。もう一つは、支配的なプラットフォームが持つ情報フィルタリングの力を分散させることだ。
通信品位法を生み出したのと同じ懸念は、今も消えていない。最近では、子どもオンライン安全法(KOSA)のような法案として表れている。KOSAは、特定の価値観に基づいてコンテンツをキュレーションするようプラットフォームに要求する。これは、情報エコシステムに対するプラットフォームの力に真正面から挑戦する試みだ。しかし、過去の判例を見ると、KOSAのような法案は「Reno v. ACLU」で通信品位法が辿ったのと同じ運命を辿ることになるだろう。「Moody v. NetChoice」判決で最高裁は、プラットフォームのコンテンツキュレーションが強力な憲法上の保護を受けると明言した。つまり、これらの権利を制限しようとする法案は、厳格な憲法審査を受けることになる。さらに、カリフォルニア州の年齢適切設計法の一部を無効とした第9巡回控訴裁判所の最近の判決も注目に値する。裁判所は、有害な言論に対処するためのより制限の少ない手段として、「企業に自主的なコンテンツフィルターの提供を奨励すること」を挙げた。これは、政策立案者がユーザのオンライン体験を改善するための新たなアプローチを模索する必要があることを示唆している。自動化されたコンテンツフィルタリングツールには、表現の自由に関する固有の課題がある。しかし、第230条(c)(2)項とそれが想定したミドルウェアは、「行き止まりだらけの迷路で前に進む道」を示しているかもしれない。
第230条(c)(2)項は、ユーザのオンライン体験を改善するための、政府の検閲よりも制限の少ない手段を具現化したものだ。主にポルノコンテンツのブロックを念頭に置いて書かれたが、その射程は子どもの安全や民主主義への脅威など、より広範な問題にも及んでいる。1995年のInteractive Working Groupのレポートが描いた活気あるユーザツール市場。これを実現することは、オンラインの害悪やプラットフォームの力の集中に対処する一つの方法となるかもしれない。しかも、プライバシーや表現の自由を脅かす他の提案に付きまとうリスクを避けながら、だ。「ザッカーマン対Meta」訴訟は、ユーザの権限強化を阻む一つの障壁——法的責任の脅威——を取り除くかもしれない。しかし、ユーザ中心のミドルウェアが提起する問題は複雑で多岐にわたる。第230条(c)(2)項が本来の約束を果たすには、ユーザ、学術界、市民社会の協調的な投資と関与が不可欠だ。
Zuckerman v. Meta and the Puzzle of Section 230(c)(2) – Center for Democracy and Technology
Author: Becca Branum / Center for Democracy & Technology (CC BY 4.0)
Publication Date: September 10, 2024
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Dev Asangbam