以下の文章は、電子フロンティア財団の「EFF Continued to Champion Users’ Online Speech and Fought Efforts to Curtail It: 2024 in Review | Electronic Frontier Foundation」という記事を翻訳したものである。
私たちが日々、オンラインで意見を発信し、アイデアを共有し、社会の変革を訴える。それを可能にしているのは、人々のあらゆる考えを受け入れる無数のオンラインサービスの存在だ。
こうしたオンラインサービスは、私たちのデジタルライフに欠かせない存在となっている。しかし昨年、立法者と裁判所は、これらのサービスが私たちの発言の場を提供できるようにする重要な米国の法律、Section 230を骨抜きにしようと企てた。EFFはすべてのインターネットユーザを代表して、この動きに対して断固とした姿勢で臨んでいる。
Section 230(47 U.S.C. § 230)は決して偶然に生まれた法律ではない。1996年、議会は一つの重要な認識に至った。それは、オンラインで自由な言論が花開くためには、その発言の場を提供するサービスを、個々のユーザの発言に起因する法的請求から守る必要があるということだった。この法律は、すべての人(サービス提供者も含む)が自らの発言には責任を持つ一方で、他者の発言には責任を負わないという原則を体現している。この重要かつ限定的な法的保護には、当時の議会による慎重な判断が反映されている。個人による違法な発言がもたらす害悪よりも、より多くの人々に発言の機会を与えることの価値が上回るという判断だった。
Section 230廃止の企てに対する闘い
今年5月、一部の議員が驚くべき法案を提出した。Section 230を18ヶ月以内に廃止するという内容だ。その理屈は、期限を設けることで立法者たちが新たな法的枠組みを考え出すように動くだろうというものだった。しかし、この動きを主導する立法者たちは、Section 230に代わる具体的な代案を示すことはなく、法律のどの部分を変更する必要があるのかさえ明らかにしなかった。彼らを突き動かしていたのは、大手オンラインサービスに対する彼ら自身と公衆の、確かに正当な不満だけだった。
当時我々が警鐘を鳴らしたように、Section 230の廃止は、インターネットユーザと、多様な興味、宗教的・政治的信条、話題について語り合う場を提供する小規模で個性的なオンラインサービスに深刻な打撃を与えることになる。Section 230は、ブロガーや、メールを転送する人、他のユーザの投稿を再配信する人々を守っている。また、他のユーザの投稿を削除したりキュレーションするモデレータの活動も保護している。
さらに皮肉なことに、Section 230を廃止しても、巨額の資金力とリソースを持ち、押し寄せる法的請求の波に対応できる大手オンラインサービスにはほとんど影響がない。むしろ、その支配的地位を一層強化する結果を招くだろう。だからこそFacebookは長年、Section 230の弱体化を議会に働きかけるキャンペーンを展開してきた――これは法律を利用して自社の支配的地位を盤石にしようという計算づくの取り組みだった。
幸いにも、インターネットユーザが提案に反対する声を議員に届けたこともあり、この法案は頓挫した。2025年には立法者たちが、実効性のある包括的な消費者データプライバシー法の制定や、ソーシャルメディアサービス間の相互運用性と競争を促進する法律の制定に力を注ぐことを期待している。これらの取り組みこそが、ユーザのオンライン上の言論を損なうことなく、ビッグテックの支配を終わらせる確かな一歩となるはずだ。
裁判所でユーザの発言を守り抜く
過去1年間、Section 230の形骸化を図ったのは議会だけではない。今年、2つの裁判所が、人々が他者の投稿を読んだり、あらゆるユーザにとって有益なオンラインサービスの基本機能を利用したりする権利を脅かす判決を下した。
Anderson v. TikTok事件では、第3巡回区連邦控訴裁判所は混乱を招く判決を下した。Section 230は、TikTokがユーザにコンテンツをレコメンドする自動システムには適用されないというのだ。裁判所の論理はこうだ。オンラインサービスには、ユーザの発言をどのように提示するかを決定する憲法修正第1条の権利があり、特定のコンテンツをレコメンドするTikTokの判断は同社自身の発言を反映しており、したがってSection 230の保護は及ばない、と。
我々は、全裁判官による再審理を求めるTikTokの申立てを支持する法廷助言書を提出し、この判決が憲法修正第1条とSection 230の双方において誤りであることを指摘した。さらに、この判決がユーザのオンライン発言に広範な悪影響を及ぼすことも強調した。しかし残念なことに、裁判所はTikTokの再審理申立てを退け、現在は同社が最高裁判所に上告するかどうかを見守っている段階だ。
Neville v. Snap, Inc.事件では、カリフォルニア州の下級裁判所が、消えるメッセージ、「Stories」、共通の知人と友達になれる機能といったサービスの基本機能が欠陥製品に相当するという訴えにおいて、Section 230の適用を認めなかった。この判決は、違法なコンテンツではなく、サービスの機能自体が問題だと主張することでSection 230を回避しようとする訴えは認められないとした、長年の判例の流れから大きく逸脱するものだった。
我々は、下級裁判所の判決を覆すことを求めるSnapの取り組みを支持する法廷助言書を提出し、この判決がすべてのインターネットユーザによる基本的なサービス機能の利用を危うくすると訴えた。なぜなら、一部の人々による悪用の可能性があるという理由で機能の提供に責任を負わされるとすれば、たとえその機能を合法的で表現豊かな目的で利用する大多数のユーザがいたとしても、プラットフォームはその機能の提供を停止せざるを得なくなるからだ。残念ながら、控訴裁判所は12月にSnapの申立てを退け、下級裁判所での訴訟が続くことになった。
ユーザ主導のオンライン体験を実現するツールの支援
立法者と裁判所がオンラインサービスに対するSection 230の保護に注目する一方で、ユーザがオンライン体験をカスタマイズできるツールの開発者を保護する同法の別の条項は、ほとんど注目を集めてこなかった。しかし議会は、人々が見たくないコンテンツをフィルタリングしたり、他者とのコミュニケーション方法を変更できるソフトウェアの開発を促進したいと考え、あえてこの保護規定を盛り込んだのだ。
それこそが、マサチューセッツ大学アマースト校のイーサン・ザッカーマン教授が開発するツール、Unfollow Everything 2.0の目指すところだ。このブラウザ拡張機能を使えば、Facebookユーザは友人、グループ、ページのフォローを自動的に解除し、ニュースフィードに表示されるコンテンツを自分でコントロールできるようになる。
ザッカーマンはFacebookを相手取って訴訟を起こし、Unfollow Everything 2.0がSection 230(c)(2)(B)に基づきFacebookからの法的請求から保護されるという判断を裁判所に求めた。EFFは支持する法廷助言書を提出し、Section 230のユーザ・エンパワーメント・ツールに関する免責規定には独自の意義があり、従来型のコンテンツフィルタリングから、ソーシャルメディアのコンテンツをユーザの好みに合わせること、さらにはユーザのプライバシーを守るための望ましくないトラッカーのブロックまで、ユーザに有益なツールの開発を促進する効果があると述べた。
残念ながら地方裁判所は訴訟を却下したものの、Unfollow Everything 2.0がSection 230の保護を受けるかどうかという本質的な問題については判断を示さなかった。裁判所はザッカーマンに訴訟の再提起の機会を与え、我々は引き続き、ユーザの力を高めるツールを生み出そうとする彼の取り組みを支援していく。
本稿は、我々EFFの「Year in Review」シリーズの一部である。2024年のデジタルライツをめぐる戦いに関する他の記事はこちら。
EFF Continued to Champion Users’ Online Speech and Fought Efforts to Curtail It: 2024 in Review | Electronic Frontier Foundation
Author: Aaron Mackey / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: December 24, 2024
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Jon Tyson