以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Why Wikipedia works」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

ウィキペディアンと付き合ったことがある人なら、こんなモットーを耳にしたことがあるだろう。「Wikipediaは実践ではうまくいく。理論的にはめちゃくちゃだが」。あまりに秀逸なフレーズだったので、私は2017年の小説『Walkaway』でこの言い回しを拝借した。

だが、この一節はあまりにも出来がよすぎて、ファクトチェックする気も起きない。もちろん、Wikipediaがなぜ機能するのかを非常にうまく説明する理論は存在する。すなわち、身元を確認する手段のない何万人もの匿名・偽名の人間が集合知の創造プロセスに参加しているにもかかわらず、Wikipediaはいかにして史上最良の情報源の1つとなったのか、という問いに対する理論だ。

Wikipediaの直接の前身であるNupediaは、この問題を編集者の身元確認によって解決しようとした。百科事典の項目を執筆させる前に、その分野における必要な専門知識の有無を確認するというやり方である。これは惨憺たる失敗に終わった。あまりに進行が遅く、休止状態と見分けがつかないほどだっただけでなく(Nupediaが初年度に生み出した記事はわずか20本)、専門家が書いたからといって記事の質が高いわけでもなかった。なにしろ、専門家同士でも意見は割れる。

Wikipediaはユーザの身元確認を捨て、代わりに情報源の検証を採用した。そもそも、見ず知らずの者同士の集団にとって、別の見ず知らずの人物の身元を確認するのは不可能であり、ましてやその人物に百科事典の項目を執筆する資格があるかどうかを判断するのはなおさらだ。Wikipediaはそうする代わりに、情報源が特筆に値し信頼できるかどうかを判定するプロセスを構築し、Wikipedia上の記述はすべて特筆性と信頼性を認められた情報源に典拠を示さなければならないという方針を打ち立てた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Reliable_sources/Perennial_sources

2009年にMake誌に寄稿した記事で私が書いたように、Wikipediaが載せているのは事実に関する記述というよりも、事実についての記述に関する記述なのである。

https://web.archive.org/web/20091116023225/http://www.make-digital.com/make/vol20/?pg=16

Wikipediaは「コリイ・ドクトロウが54歳であることは真実である」とは言わない。「Writers Write」というウェブサイトが、私の誕生日は1971年7月17日であると主張した、と述べているにすぎない。

https://en.wikipedia.org/wiki/Cory_Doctorow#cite_note-3

私の誕生日を直接確認する簡単な手立てはない。しかし、Writers Writeがそう公表し、それが真実だと主張したことは誰にでも確認できる。

※ もちろん、このブログを読んでいる私の母は別だが。やあ、母さん!

この方式は解決不可能に見えた論争を収めただけでなく、インターネットの成長とともに、特筆に値する情報源がデジタル化されて容易にアクセスできるようになるにつれ、ますます有効になっていった。ここで大きな転換点となったのが、Internet Archiveの「Open Library」の創設だ。あらゆる出版物をスキャンし索引化することを目指すこのプロジェクトにより、Wikipediaの脚注に記された印刷物の引用が、自動的にスキャン済みページにリンクされ、誰でも検証できるようになった。

https://www.pewresearch.org/journalism/2025/06/10/the-political-gap-in-americans-news-sources/

Wikipediaは、百科事典の歴史を通じて不可欠とされてきたステップ――事実の検証――を省略し、まったく新しいステップ――情報源の検証――に置き換えた。この手法は、オンラインにおける最も成功した試みの多くに共通する特徴である。不可欠と思われているものを取り除き、世界規模で公開され匿名で参加できるネットワークの特性と制約に適したまったく別のプロセスに置き換えるのだ。

1995年にeBayが(当時はAuctionwebとして)やったのもまさにそれだった。eBayは買い手と売り手の個人間売買プラットフォームを作り上げたが、買い手や売り手の身元確認も、商品受け取りまで代金を預かるエスクローサービスも導入しなかった。その代わりに、既存の措置を新しいレピュテーション(評判)システムに置き換え、数値スコアを見れば信頼できる売り手と詐欺師を区別できるようにしたのである。

Kickstarterもまた同じことをした。Kickstarterは、ジョン・ケルシーとブルース・シュナイアーが1998年に提唱した「ストリート・パフォーマー・プロトコル」と呼ばれる仕組みに基づいている。

https://www.pewresearch.org/journalism/2025/06/10/the-political-gap-in-americans-news-sources/

ストリート・パフォーマー・プロトコルとは、商品やサービスの提供者が「これだけの資金が集まったら、こういうものを届けます」と宣言するというものだ。大道芸の曲芸師が、次第にすごい技を見せて観衆を沸かせたあと、こう呼びかける場面を思い浮かべてほしい。「最後の大技として、剃刀のように鋭いマチェーテ11本を足でお手玉いたしましょう。ただし、帽子に100ドル集まったらですよ?」

Kickstarter以前にも、このアイデアをデジタルサービスとして実装しようとした人は大勢いた。だが、どれも一見克服不可能なハードルにぶつかった。売り手はこれから作るもののために資金を集めているだ。Kickstarter以前のプラットフォームはどれも買い手の保護を優先し、約束された商品やサービスが届くまで資金を預かろうとした。しかし売り手は約束を果たすためにその資金が必要なのだから、このやり方では何度やってもうまくいかない。手続き上のデッドロックだ――お金がなければ作れない、でも作るまでお金は渡せない。

そこでKickstarterはエスクローのステップを丸ごと廃止し、キャンペーン主催者に全額を直接渡したうえで、持ち逃げしないと信頼することにした。この方式では一定の詐欺や失敗が生じることはプラットフォーム側も承知の上だったが、対策を講じて出資者の損失を最小限に抑えれば、それだけの価値があると判断したのだ。たとえば、売り手の身元確認を行い、プロジェクトを人間の目で審査し、目標金額に達しなかったプロジェクトはキャンセルする(資金がなければ実現できないのに、十分な資金が集まらなければ、当然実現はできない)といった措置である。

ブライアン・イーノとピーター・シュミットの「Oblique Strategies」カードには、こんな助言がある。「誰もがやらないことを思いつかなかったことを、やらなかった最初の人になれ」1訳注:意訳すると「誰もが当たり前に必要だと思い込んでいて、やらないという発想すら持たなかったステップを、あえて省いてみろ」

https://stoney.sb.org/eno/oblique.html

事実の検証を情報源の合意に置き換えたとき、Wikipediaがやったのはまさにこれだ。売り手と買い手の認証をレビューに置き換えたとき、eBayがやったのもこれである。エスクローを「許容できる損失」「プロジェクト審査」「最低資金目標の設定」に置き換えたとき、Kickstarterがやったのもこれだ。

プラットフォームの運営者たちは自覚していないかもしれないが、彼らは「誰もがやらないことを思いつかなかったことを、やらなかった最初の人になれ」という格言に従って生きている。一見すると構造を支えているジェンガのブロックを絶えず抜き取り、全体が崩壊するかどうかを試し続けているのだ。もちろん、あるステップを省略して大惨事を引き起こすことは十分にありうる。

Kickstarterの競合であるIndiegogoは、資金目標の制限を省くことを試みた。目標金額に達しなくても、集まった金額がいくらであろうとそのまま主催者に渡す方式だ。当初はうまくいったかに見えたが、やがてKickstarterに大きく水をあけられることになった。原因の1つは、資金を出したのにプロジェクトが実現しなかったと感じた出資者たちの不満だった。

だが「誰もがやらないことを思いつかなかったことを、やらなかった最初の人になれ」には、それだけではない問題もある。かつての大前提に代わって導入された新たな仕組みには、悪意ある者たちが悪用できる致命的な欠陥が潜んでいることが、しばしばある。

eBayの成功は「レピュテーション・ファーマー」の大群を生み出した。彼らは一般の人々に(あるいは互いに、あるいは自ら運営する別のアカウントに)低価格の商品を売りさばいてプラットフォーム上の評価を高めていった。高いスコアに達すると、高額商品(たとえば1,000ドルのノートパソコンを何十台も)を一気に出品して、代金を持ち逃げしたのである。

Kickstarterの最低資金目標もまた、それほど攻略が難しいわけではない。非常に低い目標金額を設定すれば、資金を手にすることは確実だ。もちろん、人間の審査員を納得させる程度には高くなければならないが、多くのプロジェクトにおいて、妥当な資金目標とは具体的にいくらなのかを見極めるのは容易ではない。

そしてWikipediaにも問題がある。25年前は、見ず知らずの者同士が情報源の特筆性と信頼性について合意するほうが、ある事実の真偽について合意するよりも容易に思えた。それ自体は今でも正しいのだが、新たな攻撃経路を開くことにもなった。嘘やプロパガンダをWikipediaに忍び込ませたい悪意ある者たちは、どの事実が正しいかを議論する代わりに、どの情報源が信頼できるかを議論する方向に切り替えることができたのだ。

まさにそれが今日起きていることであり、ジョシュ・ジーザがThe Vergeに寄せた、Wikipediaの過去・現在・未来を論じる長大かつ見事な論考の骨格をなす対立でもある。

https://www.theverge.com/cs/features/717322/wikipedia-attacks-neutrality-history-jimmy-wales

ジーザが描き出しているのは、Wikipediaの「事実についての事実」というアプローチがいかに説得力を持ち、効果的に機能してきたかということだ。その手法はあまりに鮮やかなので、Wikipediaの荒らしやトロールですら善良な編集者へと転向させてきた。彼らはWikipediaを悪くすることから、よくすることへと乗り換えたのだ。

しかし、終わりなき文化戦争の時代にあって、保守派はWikipediaに照準を合わせている。保守系メディアは――経験的なデータが示すところでは――報道機関のなかで最も虚偽と陰謀論にまみれた部門である。

https://www.pewresearch.org/journalism/2025/06/10/the-political-gap-in-americans-news-sources/

現実そのものに「リベラル寄りのバイアス」があるというのは周知の事実だが2訳注:現実に「バイアス」もクソもなく、そうであるならそれが現実である。ネタ元は、コメディアン、スティーヴン・コルベアが2006年にホワイトハウス記者協会主催夕食会で放ったジョーク。ブッシュ政権の支持率低迷について「現実がリベラルに偏向しているから」と皮肉ったもの。、2017年のDaily Mailを皮切りに、多くの人気保守メディアがWikipedia上で信頼できる情報源として不適格だとされてきた。MAGA右派はこれを「ウォークペディア[Wokeapedia]の反保守バイアス」だと激怒し、MAGA系の議会トロールたちはWikipediaの編集者の匿名性を剥がして身元を暴くよう要求している。これまで、こうしたリスクはロシア、インド、中国、トルコに限られていた。

この脅威が米国に出現したことは、ウィキメディア財団にとって大きな転換点となりうる。財団は長らく米国を拠点としていること――そして合衆国憲法修正第1条――を頼りに、プロジェクトの中核を政治的検閲から守ってきた。インターネット上で最良かつ最も信頼される情報源というWikipediaの地位は、皮肉にもその背中に標的を描くことになった。流出したヘリテージ財団のスライドには、イスラエルへの批判に寄与する編集者の匿名性を剥がすようWikipediaに強制する計画が詳述されている。

メディア・リサーチ・センター3訳注:保守系のメディア監視団体は、現在、トランプと公然と手を組んでいるビッグテック独占企業――Meta、Google、Apple、Microsoft――に対し、WikipediaがNewsmax、OANNといった陰謀論まみれのメディアを信頼できる情報源として扱うことに同意するまで、Wikipediaをブロックするよう求めている。

皮肉なのは、右派がWikipediaについて最も忌み嫌っていることの1つが、Wikipedia自身がバイアスを識別し是正するために積極的な措置を講じていることだ。たとえば、Wikipediaはボランティア編集者の中で過小代表されているマイノリティの人々の編集参加を積極的に奨励している。右派のデマゴーグたちはこれを「DEI」と呼ぶ。にもかかわらず、当の彼らが政府に求めているのは、陰謀論に憑かれた右派のトロールのためにWikipediaにDEIを導入させることなのだ。よく言われるように、「特権に慣れた者にとって、平等は抑圧に感じられる」のである。

Wikipediaが直面しているリスクは文化戦争だけではない。世界中の独裁者たちがWikipediaの支配に執着している。ジーザは、中東のある独裁国家の匿名編集者が秘密警察に呼び出され、長年のWikipedia編集者としての信頼を利用して体制賛美の内容を百科事典に挿入するよう命じられた事例を描いている。

Wikipediaの大きな強みの1つは、その組織構造にある。Wikipediaはもともと、インターネットに特有の「終身の慈悲深い独裁者」プロジェクトの1つとして出発し、創設者のジミー・ウェールズが「神の王」の役割を担っていた。しかしウェールズは自らの権力を自発的に手放し、独立した理事会を持つ非営利団体(ウィキメディア財団)を設立した後、ボランティア編集者で構成される仲裁委員会に拒否権を移譲したのである。

これは稀有で注目すべき行為だった。インターネットにはこうした「終身の慈悲深い独裁者」型の公益プロジェクトが数多く存在していて、そのほとんどは今なお創設者がコントロールしている。慈悲深くはあっても、完璧には程遠い人物たちが。

https://pluralistic.net/2024/12/10/bdfl/#high-on-your-own-supply

インターネットで最も著名な「自ら退位した慈悲深い独裁者」がジミー・ウェールズであるという事実は、なおさら注目に値する。ウェールズは自称、アイン・ランドを愛読するリバタリアンだ。他の重要なインターネットインフラを統治する自称左派の慈悲深い独裁者たちの多くが、自分たちのプロジェクトには創設者の長期的なコントロールが必要だと判断したのに対し、リバタリアンであるウェールズは、これほどの集合的重要性を持つプロジェクトには集合的な統治が必要だと判断した。

ウェールズはWikipediaの「神の王」の座を(そして世界中の独裁者や打たれ弱い億万長者たちにとっての「締め上げるべき唯一の喉元」の座を)退いたが、プロジェクトの精神には、彼ならではの才覚が息づいている。数多くの相容れない見解を持つ人々が礼節をもって集い、全員が価値を認めるものに協力するという精神だ。私はウェールズとは数十年来の知り合いで、政治哲学では大きな隔たりもあるが、今でも友人だと思っている。

もしあなたがウィキペディアンになりたいなら――ぜひそうしてほしいのだが――始め方はいくつもある。最も手軽なのは、おそらく句読点の誤りや誤字を直すことだろう。Wikipediaの記事でそうしたものを見つけたら、編集ボタンをクリックして直してしまおう。送信前に「これは細部の編集です」のチェックボックスにチェックを入れることを忘れずに。

もっと本格的に取り組みたいなら、ベテランウィキペディアンで、暗号通貨のデタラメを斬りまくることでも知られるモリー・ホワイトのこの方法を試してみよう。わずか30分のてきぱきとした解説で、図書館に行き、興味深い本を見つけ、そこで得た事実をもとにWikipediaをより良く、より充実した知識の源にする方法を教えてくれる。

https://blog.mollywhite.net/become-a-wikipedian-transcript

蝶や水文学やペロポネソス戦争の専門家である必要はない。それぞれの記事を改善するために必要なのは、信頼できる情報源の中に有用な事実を見つけることだけだ。さあ、やってみよう。(ジミー・ウェールズ以前には)誰もがやらないことを思いつかなかったことを、やらなかった最新の人になるのだ。

(Image: penubag, CC BY-SA 3.0, modified)

Pluralistic: Why Wikipedia works (05 Sep 2025) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: September 5, 2025
Translation: heatwave_p2p

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    訳注:意訳すると「誰もが当たり前に必要だと思い込んでいて、やらないという発想すら持たなかったステップを、あえて省いてみろ」
  • 2
    訳注:現実に「バイアス」もクソもなく、そうであるならそれが現実である。ネタ元は、コメディアン、スティーヴン・コルベアが2006年にホワイトハウス記者協会主催夕食会で放ったジョーク。ブッシュ政権の支持率低迷について「現実がリベラルに偏向しているから」と皮肉ったもの。
  • 3
    訳注:保守系のメディア監視団体
カテゴリー: Freedom of Speech